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2018年04月06日

無題

暖かかったり、寒かったり体の調子が今ひとつすぐれません。

今朝も3時30分には起床。今5時でこれを書いています。

すごく静かな時間。耳を澄ますと大気の音が聞こえます。

ゆったりとした時間。落ち着ける時間。

いつか読んだ「海からの贈り物」。その中の風景を思い出します。

本日はこれ <無題>

何か文章を書くとき、何が書かれているのか読む人にわかるように題名をつけます。

何について書かれているのか? われわれは気になります。

その題名によって読む対象なのか読まなくていい対象なのか判断します。

なんで本日<無題>にしたかというと

今読んでいる李商隠の詩にあやかったためです。

李商隠の詩には<無題>のものが結構あります。

なんで無題にしたのですかね?

題名をつけると確かにその題名の内容について書かなくてならない縛りがあります。

途中、気が変わって他の内容を書きたいと思ってもそう簡単には書けません。

題名と書かれている内容が大幅に違うと理解できなくなります。

あえて、わき起こる衝動そのままに文章を書きたい場合は無題でもいいですよね。

李商隠はいろいろな資料を机に並べてああでもないこうでもないと詩を作っていたようですので

よく吟味してから作っていたのなら無題にする必要もなかろうに。

<無題>をして何を知らしめるのか?

その書かれた内容から、自由に解釈してほしいということですかね。

「題名のない本」という本はあっても、本当に「題名のない」本はなさそうですよね。

題名も内容も書かれていない。そんな本があったとしたら。

裸の王様です。

何もなかった本が、手にとった瞬間その人にあった題名と内容が現れる。

そんな唯一な本ができたら読んでみたい。

かなりファンタジーな部分まできてしまいました。

まとめ
・タイトルが抜けているのには何かしらの意味がある。意図がある。

posted by ましゅ at 04:59| Comment(0) | TrackBack(0) |
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