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2018年03月21日

「流れる星は生きている」人が「獣」になるとき

寒空のもと冷たい雨に打たれながら梅の花が散っていました。

足元には散った紅白の花びら。

本日はこれ 「流れる星は生きている」人が「獣」になるとき

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

今から73年前、日本は戦争に負けました。

そのとき、中国(満州)には在留日本人が多く残っていました。

日本へ引き揚げるため、想像を絶するような経験をし日本に帰ってきました。

その体験をもとに書かれた本が「流れる星は生きている」(藤原てい)です。

藤原ていさんは、小説家の新田次郎さんの奥さんです。

ていさんは3人の幼い子供を連れて数々の修羅場をくぐりぬけながら無事日本に戻ってきます。

その経緯を克明に本の中で書いています。

ある意味、究極な状況化に置かれた人間というものはどれほど利己主義に、自分の子どもであっても冷酷になれるのか?

すべての人が人の姿をした「獣」になりえることをこの本で表現されています。

生きるために「獣」となるのです。

普段、理性をもち道徳観念をもちながら生きているわれわれ。

それがいったん普段の生活からかけ離れ、生き残ることが生活になったとたん本性が出てきます。

3人の子供をつれて逃げ、下痢で周囲に迷惑をかけるも列車の中で逃げる場所もない。

「臭いからなんとかしろ!」と周りから責められ挙句の果てには

「公衆道徳といったものはないのか?」と罵られる始末。

ていさんは言い返します。

「このような状況で何が公衆道徳ですか? 責められて小さくなっている子供をご覧なさい

そのような言葉を吐くのが公衆道徳ですか?」と

またこのような状況化におかれてもお金を持っている人、人を騙しながらでも生きようとする人は生き延びます。


読んでいるうちにこれでもこれでもかと人の醜悪なところが出てきて気持ちが悪くなります。

でもこれが本来の人の姿なんでしょうね。

ていさん自らも生き延びるために醜悪なところも見せます。このへんも素直に書かれている点はすごいですよね。

すべての人が「獣」になり、生き残るためには正義も不正も関係なくなる。

女性も男性も関係なくなり、女性も言葉汚くなり男性の言葉を使います。

あるとき精も根もつき、道に倒れこみます。

同じく逃げている人から「ここで死ぬんじゃない」と倒れているなかを蹴られビンタされます。

ここの描写も凄まじい。あたかも体験しているような気になります。

一気に最後まで読んでしまいました。

醜悪極まりない人のなかで、この文章が救いになります。

わたしの胸に生きている

あなたの行った北の空

ご覧なさいね今晩も

泣いて送ったあの空に

流れる星は生きている



まとめ
・修羅場ということを軽々しく使ってはいけないと痛感








posted by ましゅ at 05:22| Comment(0) | TrackBack(0) |
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