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2018年03月22日

せっかく自由になったのに、なったとたんに自由を放り投げてしまう

昨日は都内でも雪に、雪の中に咲く梅や桜もおつなものです。

今も部屋からしとしとと雨が降る音が聞こえてきます。

本日はこれ せっかく自由になったのに、なったとたんに自由を放り投げてしまう 

これはわたしが考えたのではありません。

ドストエフスキーの小説からです。

ドストエフスキーの時代、ちょうど農奴解放がされました。

農奴は自由になりました。

ところがです。自由になったのもつかの間、自由になることで逆に不安になりまた農奴になりたいと申し出た。という話。

自由になることを人は望むものの実際に自由が与えられたらその振る舞いに困るもの。

給料あげるから自由にしていいよと言われたら大概、何をしていいのかわからず困ってしまうのではないですか?

自由になることで、複数の選択肢を選択する可能性があるのに逆に恐怖になる。

自由が逆に恐ろしいものとなるのです。

自由になったときの不安は計り知れないものがあります。

というのは絶えず自分と向き合うからです。自分と向き合うのは慣れていなければ難しい。

どの方向を向いても同じ大海を泳ぐ自分を想像してみてください。恐ろしくないですか?

現代におきかえてみると

会社勤めが嫌で自由になったものの、また何か縛られるものに身を委ねてはいませんか?

逆に選択肢が狭くなってはいませんか?

自由といいながら発信するツールと書く内容の形式はほぼ皆同じ。

発信する媒体も選択肢がいろいろあるのになぜ同じになるのか?

自由が恐ろしくてたまらないから。

そもそも自由になるとはどんなことなんでしょうかね?

時間から自由になる

人間関係から自由になる

お金から自由になる

自分から自由になる

まとめ
・自由になることはたやすいが、自由での振る舞いは難しい








posted by ましゅ at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然
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