2016年04月02日
読書感想文『植物』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、ステファノマンクーゾ他様の「植物は<知性>をもっている」です
気になる文章
●植物は私たち人間がいなくても、何の問題もなく生きることができるのに、私たち人間は植物なしではたちまち絶滅してしまう
食べ物、空気、それからエネルギー。人間が植物に依存している基本的な要素を三つ
しかし、人間が植物に頼っているのはこの三つだけではない。まだまだある。薬について考えてみよう。実は私たちが服用している医薬品の成分は、植物から作られた分子か、人間が植物の作り出す化学物質をまねして合成した分子なのだ
○小谷中広之の感情・・・どんどん植物を大切にしていこう
●ミドリムシにはゾウリムシにない能力があり、この勝負に楽々と勝利することができる
それは、光合成をおこなう能力だ。しかも、なるべく効率的に光合成が行えるように原始的な視覚も発達していて、明るさを感知できる。つまりミドリムシは、十分に光が当たる場所に移動するのだ
○小谷中広之の感情・・・ちなみにミドリムシには、ビタミンやミネラル、アミノ酸など人間に必要とされる栄養素を50種類以上も持っている。そのため「完全栄養素」とも呼ばれているそうです
●数千年前、そのような種類の植物は、湿気の多い環境や沼地で進化していった。そうした場所は、窒素が乏しいか、あるいはまったく利用できないこともあった。窒素の乏しい場所で生きる植物は、根と土に頼らない窒素摂取の仕組みを作り上げなければならなかった
この問題を解決したのは、植物の体の中で地上に出ている部分だった。長い月日が経つにつれて、これらの植物は葉の形を変えていき、いつしか葉は本物の罠になり、空飛ぶ小さな窒素タンクを捕まえることができるようになったのだ。窒素タンクとは、もちろん昆虫のことだ
といっても、このタイプの植物は、虫を捕まえて殺すだけにとどまらない。葉の上で獲物を消化し、そこに含まれている養分を吸収するのだ。消化能力があるかないかは、今なお、ある植物が肉食かどうかを判定する決め手となっている。実際、肉食植物は動物をとらえるだけでなく、捕らえられた動物を使って代謝を行うこともできる。つまり酵素をつくり、その酵素が動物を溶かし、動物に含まれている栄養素を葉に吸収させることができるのだ
○小谷中広之の感情・・・木の下に動物の亡骸を埋めるのは理にかなっているいるのだろう
また、川や湖などに動物を水葬するのもまた自然界では栄養のリサイクルという点から見ても理にかなっているのだろう
●2007年に、単純だが重要な実験が行われ、親族に対する植物の行動に光が当てられた
動物にしか見られないと考えられていたいくつかの進化による特徴が、植物にもみられることがわかった。予想通り、それぞれ母親の違う30人の子供達は、テリトリーを独占しようと無数の根を伸ばし、他の植物に害を与え、栄養分と水を確実に自分だけのものにしようとした。一方、同じ母親の30人の子供たちは、狭い場所に強制しているのに、母親の違う子供達よりもはるかに根の数を抑え、地上部分の成長に力を注いでいた。つまり、植物は遺伝子の近さに気づき、競争を避ける行動をとったのだ
植物は攻撃や防御を行う前にライバルの素性を調べ、遺伝子が似ているとわかったら、戦うよりも手を組む方を選ぶことがわかったのだ
○小谷中広之の感情・・・手を組むという考え方もできるが、他に気を使いあいすぎて成長が乏しくなってしまうということも考えられる
植物もまた、親族同士は生活しにくいのだろうか
●花粉の配達人として、最も広く利用されている動物は昆虫だ。ムシが受粉の手伝いをすることを「虫媒」という
植物からすれば、自分の世話をしてもらうためなら、この二本足で歩く奇妙な動物と無理にでも友人になるだけの価値はある。とすると、動物を巧みに操るすぐれた力を、植物が私たち人間に対して使っていないなんて、果たして言い切れるだろうか。人間が好むような花、果実、味、香り、色を、植物は意図的に作り出しているのではないだろうか。もしかすると人間に好かれるためだけに、人間の好みに合わせた姿かたちや特徴を作り上げているのかもしれない。そうすることで、人間はお返しとしてかいがいしくお世話をし、世界中に増殖させ、敵から守ってくれるのだから
○小谷中広之の感情・・・今日、私が食べた夏みかん。食べながらふと思った「この夏ミカンは人間に食べられるためにこのような味になったのだろう。ならば、この種はごみ箱に捨てるのではなく、土の上に蒔くべきだろう」
いつも思うが、ペットボトルやビニールなどのごみはしっかりとごみ箱に捨てるべきだろうが、野菜や果物などの皮や葉、種などはごみ箱に捨てるのではなく何かに役立てることはできないのだろうか
例えば畑の肥料や、土の肥料、川の水の浄化効果、植物の栄養源などに
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、ステファノマンクーゾ他様の「植物は<知性>をもっている」です
気になる文章
●植物は私たち人間がいなくても、何の問題もなく生きることができるのに、私たち人間は植物なしではたちまち絶滅してしまう
食べ物、空気、それからエネルギー。人間が植物に依存している基本的な要素を三つ
しかし、人間が植物に頼っているのはこの三つだけではない。まだまだある。薬について考えてみよう。実は私たちが服用している医薬品の成分は、植物から作られた分子か、人間が植物の作り出す化学物質をまねして合成した分子なのだ
○小谷中広之の感情・・・どんどん植物を大切にしていこう
●ミドリムシにはゾウリムシにない能力があり、この勝負に楽々と勝利することができる
それは、光合成をおこなう能力だ。しかも、なるべく効率的に光合成が行えるように原始的な視覚も発達していて、明るさを感知できる。つまりミドリムシは、十分に光が当たる場所に移動するのだ
○小谷中広之の感情・・・ちなみにミドリムシには、ビタミンやミネラル、アミノ酸など人間に必要とされる栄養素を50種類以上も持っている。そのため「完全栄養素」とも呼ばれているそうです
●数千年前、そのような種類の植物は、湿気の多い環境や沼地で進化していった。そうした場所は、窒素が乏しいか、あるいはまったく利用できないこともあった。窒素の乏しい場所で生きる植物は、根と土に頼らない窒素摂取の仕組みを作り上げなければならなかった
この問題を解決したのは、植物の体の中で地上に出ている部分だった。長い月日が経つにつれて、これらの植物は葉の形を変えていき、いつしか葉は本物の罠になり、空飛ぶ小さな窒素タンクを捕まえることができるようになったのだ。窒素タンクとは、もちろん昆虫のことだ
といっても、このタイプの植物は、虫を捕まえて殺すだけにとどまらない。葉の上で獲物を消化し、そこに含まれている養分を吸収するのだ。消化能力があるかないかは、今なお、ある植物が肉食かどうかを判定する決め手となっている。実際、肉食植物は動物をとらえるだけでなく、捕らえられた動物を使って代謝を行うこともできる。つまり酵素をつくり、その酵素が動物を溶かし、動物に含まれている栄養素を葉に吸収させることができるのだ
○小谷中広之の感情・・・木の下に動物の亡骸を埋めるのは理にかなっているいるのだろう
また、川や湖などに動物を水葬するのもまた自然界では栄養のリサイクルという点から見ても理にかなっているのだろう
●2007年に、単純だが重要な実験が行われ、親族に対する植物の行動に光が当てられた
動物にしか見られないと考えられていたいくつかの進化による特徴が、植物にもみられることがわかった。予想通り、それぞれ母親の違う30人の子供達は、テリトリーを独占しようと無数の根を伸ばし、他の植物に害を与え、栄養分と水を確実に自分だけのものにしようとした。一方、同じ母親の30人の子供たちは、狭い場所に強制しているのに、母親の違う子供達よりもはるかに根の数を抑え、地上部分の成長に力を注いでいた。つまり、植物は遺伝子の近さに気づき、競争を避ける行動をとったのだ
植物は攻撃や防御を行う前にライバルの素性を調べ、遺伝子が似ているとわかったら、戦うよりも手を組む方を選ぶことがわかったのだ
○小谷中広之の感情・・・手を組むという考え方もできるが、他に気を使いあいすぎて成長が乏しくなってしまうということも考えられる
植物もまた、親族同士は生活しにくいのだろうか
●花粉の配達人として、最も広く利用されている動物は昆虫だ。ムシが受粉の手伝いをすることを「虫媒」という
植物からすれば、自分の世話をしてもらうためなら、この二本足で歩く奇妙な動物と無理にでも友人になるだけの価値はある。とすると、動物を巧みに操るすぐれた力を、植物が私たち人間に対して使っていないなんて、果たして言い切れるだろうか。人間が好むような花、果実、味、香り、色を、植物は意図的に作り出しているのではないだろうか。もしかすると人間に好かれるためだけに、人間の好みに合わせた姿かたちや特徴を作り上げているのかもしれない。そうすることで、人間はお返しとしてかいがいしくお世話をし、世界中に増殖させ、敵から守ってくれるのだから
○小谷中広之の感情・・・今日、私が食べた夏みかん。食べながらふと思った「この夏ミカンは人間に食べられるためにこのような味になったのだろう。ならば、この種はごみ箱に捨てるのではなく、土の上に蒔くべきだろう」
いつも思うが、ペットボトルやビニールなどのごみはしっかりとごみ箱に捨てるべきだろうが、野菜や果物などの皮や葉、種などはごみ箱に捨てるのではなく何かに役立てることはできないのだろうか
例えば畑の肥料や、土の肥料、川の水の浄化効果、植物の栄養源などに
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
植物は〈知性〉をもっている [ ステファノ・マンクーゾ ] |
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4870438
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック