2015年10月22日
読書感想文『老い方』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、川北義則様の「みっともない老い方」です
川北義則様「1935年大阪生まれ。1958年慶応義塾大学経済学部卒業。現在、出版プロデューサーとして活躍するとともに、生活経済評論家として新聞、雑誌などに執筆、講演活動を行っている」
気になる文章
●歌人の斎藤茂吉が言っている
「人間はいいものの前では、まず感動したような面持ちをするがいい」これは覚えておいてよい忠告だと思う。「いいもの」は自分にとってプラスである。自分のためになるものを粗末に扱うな、ということだ。例えば、人に注意された時、ムッとすることは会っても、「ありがとう」となかなか言えるものではない。そんな時でも、無理していってみるといい。不愉快な気持ちが、体の中で何か別のものと反応してよい物質ができてくる感じがするはずだ
○小谷中広之の感情・・・人に注意されたときにまず、「いいもの」と受け入れてみよう。そしてすかさず、「ありがとう」と声に出してみよう。それから、また考えよう。そもそも、ムッとしている時間や余裕など自分にはないはずである
●過去がしきりに思い出されるときは、不幸であることが多い
人間、絶好調のときは、現在に行き、過去なんて思い出す暇もないものである。どうせ生きるなら、いくつになっても、そういう生き方をしたい
今が良くなかったら、良くなるよう努める。そうすれば思い出している暇がない
○小谷中広之の感情・・・目の前のことに一生懸命に取り組もう
●スキーが流行っているとき、スキーに興味を示さない人間を、珍しい生き物に出会ったように見る人間がいた。彼らは流行追随型人間だった。「みんながやっているのに、君はやらないの。遅れてるな」このタイプは百年経っても、同じ見方、同じ生き方をするだろう。その時、その時の流行を追っかけているに過ぎない
この種の人間を「ランチェ」という。「2−8の法則」で名高いパレードが分類した人間類型の一つだ。蛋ちぇとは、保守的な、型にはまった生き方を良しとする人間だ。サラリーマンで言えば、上からの指示、命令には忠実に従うが、自分から積極的に動く能力にかけているタイプ。そういう生き方がいけないわけではないが、私はつまらないと思う
パレードは、ランチェと真反対の人間を「スペキュラトゥール」と呼んだ。スペキュレーション(投機)を好むような革新的人間のこと。数の上ではランチェが圧倒的に多いが、世の中を動かすのはスペキュラトゥールのほうであることは言うまでもない
人間関係は常に変化し、しかも循環性があるから、遅れに遅れていれば、いつの間にか時代の先頭に立っていることである。そう思えば、「遅れる」ことを愉しめるのではないだろうか
これから「遅れている」と言われたら、素直に受け入れることにしよう。多分、それは事実だからだ。だが、それがまずいことであっても、悪いことでもないということをしっかり頭に刻み込んでおこう。マイペースでやるのが一番いい
○小谷中広之の感情・・・「ランチェ」が悪いわけではないが、自分は「スペキュラトゥール」でありたい。そのためにも自己投資は惜しげもなく行って生こう
●人間には、「知りたくないことは自分から情報を遮断する」という習性がある。第二の人生では、この習慣を破ってみてはどうだろうか
「自分にはまだまだ見逃しているモノがある」という気持ちで、絶えず自分の好奇心を刺激しよう。人間にとって好奇心くらい大切なものはない。何も知りたくなくなったら、その時はおしまいなのだ
○小谷中広之の感情・・・第二の人生ではない今の自分の人生(現在33歳)でも、「自分にはまだまだ見逃しているモノがある」という気持ちで生きていく
●60歳を過ぎたら、もう無罪放免されたも同然。第二の人生では、遊びの比率を確かめたいものだ。それもできるだけ一人遊びがいい。一人で旅に出るとか、一人得映画を見たり、観劇をしたり。全く自由な時間を思いっきり楽しむことだ
○小谷中広之の感情・・・一人時間を極めるためにも、孤独と親友になってしまおう
●人間は目の前に困難があっても、一方に希望があれば、希望にかけることのできる動物だ。人類はそうやって今日まで生きてきた。私たちも第一の人生ではそうしてきたはず。第二の人生の出発にあたって、そのことを思い出そう
○小谷中広之の感情・・・困難に遭遇している人がいたら、希望を探すことをすすめよう
その人が一人で希望を見つけることが困難な場合は、何かきっかけを与えられるような行動をとって、手を差し伸べてあげよう、例えば、本を紹介してみたり、旅行に一緒に行ってあげてみたりしてみよう。しかし私個人としては、あまりお酒を飲むことはススメない。アルコールは現実的に一瞬は忘れられたり、困難や悩み、不安から解放されるかもしれないが、やはりそれは一瞬でしかないように思う。朝目が覚めれば、まだ何も解決に向かっていない自分に気づくであろう
●老後で一番大切なことは、一人で暮らすノウハウである。老後の始まりは配偶者との二人暮らしだろうが、いずれは一人になる
○小谷中広之の感情・・・若いうちから、孤独の作法を身につけておいて損はない。今からでも遅くはない。年齢は関係なく、すぐに始めよう。どんどんソレ(お一人様)に向かって生きているのだから
●人生で一番楽しいことは、目標をもって、それに向かって努力することである。第二の人生を充実させるには目標が不可欠なのだ
○小谷中広之の感情・・・第二だろうと、第一だろうと、生きる糧とは目標である。今目標がないという人は逆にラッキーである。目標を持っている人はすでに目標がある、つまりはその目標以外は目標ではないが、目標のない人は全てが、どんなことでも目標にできるのだ
●「上機嫌であることが最高の健康法であり、最高に楽しむ秘訣である」
こういったのは、フランスの有名な警句家アランである
○小谷中広之の感情・・・常に上機嫌で生きていこう
●死に方で、一番人気なのは「ピンピンコロリ」であろう。ずっと元気でいて、コロリと死ぬ。それが理想だ、というのだ。十人いれば七人くらいは賛同するに違いない
だが中には、「そんなの嫌だ」という男もいる
「医者から癌を宣告されるのがいい。余命も聞いて、それに合わせて友人たちに別れの挨拶もして、最後は家族に看取られながら死にたい」
知り合いの男はこういう意見だ。60歳を過ぎると、いくら元気であっても、フッと「死」について考えることがあると思う。その時、「上手な生き方をしたい」と思う人もいるだろう。実際にそういう題名の本まで出版されている
読者は以下の一文をどう受け止めるだろうか
・死ぬのも自然だからやむを得ない。晩年になるほど幸福になったのは私服である。要するに相当な一生であった。何者かに深く感謝をささげる
・死後のことは泰子に一任する。泰子のヒュマニテと良識はおそらく判断を誤らないであろう
・葬儀は極力寂しいものにしてほしい。結婚式のときは招かれた人だけ出席する。その流儀で、葬儀、通夜などの招いた人だけでありたい
・みな仲良く暮らせ
・退職金は不幸な子供の援護資金に寄付してほしい
これは文芸春秋社長だった、佐々木茂索氏のメモである
このメモを取り上げたのは、中身に感心したためではない。それどころかこのメモは遺言書でも何でもなく、氏が飛行機に乗るときに落ちるかもしれない、と万一に備えて認(シタタ)めたものなのである
氏は飛行機に乗るとき、いつもそうしていたらしく、このメモでも、「こういうメモが他にもたくさん出てくるだろうが、これが最新のものだ」と日付を入れて断っている。見方によっては笑えるものなのだ
何とも用意周到なことだが、この時乗った飛行機は無事だったから、このメモもまた反故(ホゴ)になったはず。氏が亡くなったのは、それから一年以上も後のことである
私が感心したのは、氏が常在戦場とうか、普段からこんな覚悟をもって生きていたことについてである。いつどんな風に死ぬか、誰もそれを知らない。乗るはずだった飛行機に乗り遅れて命拾いした女性が、数日後、交通事故で死んだという話もある
死ばかりは、私たちの計算外のこと。願望として「こんな逝き方をしたい」と思うのは自由だが、「ピンピンコロリ」はいただけない。生死にかかわることは、もっと厳粛にとらえしかるべきだろう
○小谷中広之の感情・・・死からは誰も逃れることはできないし、避けることなんかできない。ならば、しっかり「死」というものを真正面から見つめ、感じ、考えよう。目標や夢を叶えるには「逆から考える」、目標地点に行くまでに今ここから何をすべきかではなく、目標地点から逆に今の地点までの道筋を考える思考方法があるがそれをまさしく、生きとし生けるすべての者の最終地点「死」から逆算して考えみよう。そして、毎日明日死ぬと思って今日を一生懸命生よう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、川北義則様の「みっともない老い方」です
川北義則様「1935年大阪生まれ。1958年慶応義塾大学経済学部卒業。現在、出版プロデューサーとして活躍するとともに、生活経済評論家として新聞、雑誌などに執筆、講演活動を行っている」
気になる文章
●歌人の斎藤茂吉が言っている
「人間はいいものの前では、まず感動したような面持ちをするがいい」これは覚えておいてよい忠告だと思う。「いいもの」は自分にとってプラスである。自分のためになるものを粗末に扱うな、ということだ。例えば、人に注意された時、ムッとすることは会っても、「ありがとう」となかなか言えるものではない。そんな時でも、無理していってみるといい。不愉快な気持ちが、体の中で何か別のものと反応してよい物質ができてくる感じがするはずだ
○小谷中広之の感情・・・人に注意されたときにまず、「いいもの」と受け入れてみよう。そしてすかさず、「ありがとう」と声に出してみよう。それから、また考えよう。そもそも、ムッとしている時間や余裕など自分にはないはずである
●過去がしきりに思い出されるときは、不幸であることが多い
人間、絶好調のときは、現在に行き、過去なんて思い出す暇もないものである。どうせ生きるなら、いくつになっても、そういう生き方をしたい
今が良くなかったら、良くなるよう努める。そうすれば思い出している暇がない
○小谷中広之の感情・・・目の前のことに一生懸命に取り組もう
●スキーが流行っているとき、スキーに興味を示さない人間を、珍しい生き物に出会ったように見る人間がいた。彼らは流行追随型人間だった。「みんながやっているのに、君はやらないの。遅れてるな」このタイプは百年経っても、同じ見方、同じ生き方をするだろう。その時、その時の流行を追っかけているに過ぎない
この種の人間を「ランチェ」という。「2−8の法則」で名高いパレードが分類した人間類型の一つだ。蛋ちぇとは、保守的な、型にはまった生き方を良しとする人間だ。サラリーマンで言えば、上からの指示、命令には忠実に従うが、自分から積極的に動く能力にかけているタイプ。そういう生き方がいけないわけではないが、私はつまらないと思う
パレードは、ランチェと真反対の人間を「スペキュラトゥール」と呼んだ。スペキュレーション(投機)を好むような革新的人間のこと。数の上ではランチェが圧倒的に多いが、世の中を動かすのはスペキュラトゥールのほうであることは言うまでもない
人間関係は常に変化し、しかも循環性があるから、遅れに遅れていれば、いつの間にか時代の先頭に立っていることである。そう思えば、「遅れる」ことを愉しめるのではないだろうか
これから「遅れている」と言われたら、素直に受け入れることにしよう。多分、それは事実だからだ。だが、それがまずいことであっても、悪いことでもないということをしっかり頭に刻み込んでおこう。マイペースでやるのが一番いい
○小谷中広之の感情・・・「ランチェ」が悪いわけではないが、自分は「スペキュラトゥール」でありたい。そのためにも自己投資は惜しげもなく行って生こう
●人間には、「知りたくないことは自分から情報を遮断する」という習性がある。第二の人生では、この習慣を破ってみてはどうだろうか
「自分にはまだまだ見逃しているモノがある」という気持ちで、絶えず自分の好奇心を刺激しよう。人間にとって好奇心くらい大切なものはない。何も知りたくなくなったら、その時はおしまいなのだ
○小谷中広之の感情・・・第二の人生ではない今の自分の人生(現在33歳)でも、「自分にはまだまだ見逃しているモノがある」という気持ちで生きていく
●60歳を過ぎたら、もう無罪放免されたも同然。第二の人生では、遊びの比率を確かめたいものだ。それもできるだけ一人遊びがいい。一人で旅に出るとか、一人得映画を見たり、観劇をしたり。全く自由な時間を思いっきり楽しむことだ
○小谷中広之の感情・・・一人時間を極めるためにも、孤独と親友になってしまおう
●人間は目の前に困難があっても、一方に希望があれば、希望にかけることのできる動物だ。人類はそうやって今日まで生きてきた。私たちも第一の人生ではそうしてきたはず。第二の人生の出発にあたって、そのことを思い出そう
○小谷中広之の感情・・・困難に遭遇している人がいたら、希望を探すことをすすめよう
その人が一人で希望を見つけることが困難な場合は、何かきっかけを与えられるような行動をとって、手を差し伸べてあげよう、例えば、本を紹介してみたり、旅行に一緒に行ってあげてみたりしてみよう。しかし私個人としては、あまりお酒を飲むことはススメない。アルコールは現実的に一瞬は忘れられたり、困難や悩み、不安から解放されるかもしれないが、やはりそれは一瞬でしかないように思う。朝目が覚めれば、まだ何も解決に向かっていない自分に気づくであろう
●老後で一番大切なことは、一人で暮らすノウハウである。老後の始まりは配偶者との二人暮らしだろうが、いずれは一人になる
○小谷中広之の感情・・・若いうちから、孤独の作法を身につけておいて損はない。今からでも遅くはない。年齢は関係なく、すぐに始めよう。どんどんソレ(お一人様)に向かって生きているのだから
●人生で一番楽しいことは、目標をもって、それに向かって努力することである。第二の人生を充実させるには目標が不可欠なのだ
○小谷中広之の感情・・・第二だろうと、第一だろうと、生きる糧とは目標である。今目標がないという人は逆にラッキーである。目標を持っている人はすでに目標がある、つまりはその目標以外は目標ではないが、目標のない人は全てが、どんなことでも目標にできるのだ
●「上機嫌であることが最高の健康法であり、最高に楽しむ秘訣である」
こういったのは、フランスの有名な警句家アランである
○小谷中広之の感情・・・常に上機嫌で生きていこう
●死に方で、一番人気なのは「ピンピンコロリ」であろう。ずっと元気でいて、コロリと死ぬ。それが理想だ、というのだ。十人いれば七人くらいは賛同するに違いない
だが中には、「そんなの嫌だ」という男もいる
「医者から癌を宣告されるのがいい。余命も聞いて、それに合わせて友人たちに別れの挨拶もして、最後は家族に看取られながら死にたい」
知り合いの男はこういう意見だ。60歳を過ぎると、いくら元気であっても、フッと「死」について考えることがあると思う。その時、「上手な生き方をしたい」と思う人もいるだろう。実際にそういう題名の本まで出版されている
読者は以下の一文をどう受け止めるだろうか
・死ぬのも自然だからやむを得ない。晩年になるほど幸福になったのは私服である。要するに相当な一生であった。何者かに深く感謝をささげる
・死後のことは泰子に一任する。泰子のヒュマニテと良識はおそらく判断を誤らないであろう
・葬儀は極力寂しいものにしてほしい。結婚式のときは招かれた人だけ出席する。その流儀で、葬儀、通夜などの招いた人だけでありたい
・みな仲良く暮らせ
・退職金は不幸な子供の援護資金に寄付してほしい
これは文芸春秋社長だった、佐々木茂索氏のメモである
このメモを取り上げたのは、中身に感心したためではない。それどころかこのメモは遺言書でも何でもなく、氏が飛行機に乗るときに落ちるかもしれない、と万一に備えて認(シタタ)めたものなのである
氏は飛行機に乗るとき、いつもそうしていたらしく、このメモでも、「こういうメモが他にもたくさん出てくるだろうが、これが最新のものだ」と日付を入れて断っている。見方によっては笑えるものなのだ
何とも用意周到なことだが、この時乗った飛行機は無事だったから、このメモもまた反故(ホゴ)になったはず。氏が亡くなったのは、それから一年以上も後のことである
私が感心したのは、氏が常在戦場とうか、普段からこんな覚悟をもって生きていたことについてである。いつどんな風に死ぬか、誰もそれを知らない。乗るはずだった飛行機に乗り遅れて命拾いした女性が、数日後、交通事故で死んだという話もある
死ばかりは、私たちの計算外のこと。願望として「こんな逝き方をしたい」と思うのは自由だが、「ピンピンコロリ」はいただけない。生死にかかわることは、もっと厳粛にとらえしかるべきだろう
○小谷中広之の感情・・・死からは誰も逃れることはできないし、避けることなんかできない。ならば、しっかり「死」というものを真正面から見つめ、感じ、考えよう。目標や夢を叶えるには「逆から考える」、目標地点に行くまでに今ここから何をすべきかではなく、目標地点から逆に今の地点までの道筋を考える思考方法があるがそれをまさしく、生きとし生けるすべての者の最終地点「死」から逆算して考えみよう。そして、毎日明日死ぬと思って今日を一生懸命生よう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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