2015年10月23日
読書感想文『老いるとは?』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、河合隼雄様の「「老いる」とはどういうことか」です
河合隼雄様。1928年兵庫県に生まれ。京都大学理学部を卒業。臨床心理学者。京都大学名誉教授。国際日本文化研究センター所長
気になる文章
●老人の知恵というとすぐに想起する書物に「易経」がある
3千年も昔に中国で書かれた書物であるが、今読んでも全く素晴らしいものである
○小谷中広之の感情・・・出会い次第購入しよう
●「お父さん、何か生きがいのあることを一つ見つけたら。ブラブラばかりしてないで」と説教調になる
老人は悲しくなる。彼は今、自分にとって一番楽しいこと、つまり「ブラブラする」ことをしているのである
若いときにひたすら働き続けながら、いつかはしてみたいと思っていたことを今楽しんでいるのだ
それに対して息子たちは、それを奪って「何か楽しいことをしなさい」と説教をするのである
○小谷中広之の感情・・・これは爺ちゃんばあちゃんに対してのことではなく、どのような人間関係でも教訓となるエピソードである。結局自分の物差しでしか人を図れない証拠である。まず相手の話を聞いてから自分の意見を述べることが大切である。話すこと2割、聞くこと8割
●老人はやたらに起こっているのではない。子供たちが「〜してあげる」と、何となく恩着せがましく言うのがたまらないのだ
「お水持ってきましたよ」といえばいい野に、なぜ「お水持ってきてあげましたよ」というのか。自分はかつて子供たちに対して、金を儲けてきてやったよ、とか、育ててあげたよ、などといったことがあるだろうか。それに今なぜ、この自分に対して、恩着せがましく言うのか、と彼の怒りが爆発するのだ
○小谷中広之の感情・・・目上の人に向かっての「〜してあげる」という言い方は絶対にやめよう
●アイヌの人たちは、老人のいうことがだんだんわかりにくくなると、老人が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために、一般の人間にはわからなくなるのだと考える
老人が何か言った時に、「あっ、ボケ始めたな」と受け止めるのと、「うちのおじいちゃんも、とうとう神用語を話すようになった」と思うのでは、老人に接する態度が随分と変わってくることであろう
「神用語」という言葉を考えだしたアイヌの人たちの知恵の深さに、我々も学ぶべきである
○小谷中広之の感情・・・こちらの受け取り方、捉え方ひとつでその後の行動が変わる
●我々が入院しているご老人などをお見舞いに行ったときも、「皆同じこと」を言っていないだろうか。「お元気そうね」「頑張って元気になってね」などと。この私が、このあなたにしか言えない言葉、そんなのを一つでも探し出して、語り掛ける努力をしたいものである
○小谷中広之の感情・・・自分にしかその人にかけられない言葉を考えてからお見舞いに行こう
●老いても「自分で考える」ことが大切である。身体だけでなく脳も「体操」が必要
○小谷中広之の感情・・・何歳であろうと「自分で考える力」は常に向上させていきたい。そのためにも自己投資はかかせない
●「年齢が増すにつれて、美しさも増す、という思いがけないこと」が着物にはある
○小谷中広之の感情・・・着物を着る習慣をつけよう。まずは、狂言や能を鑑賞しに行くときの服装は着物で行こう
●日本昔話「こんび太郎」
岩手県稗貫郡のお話し。こんびとは垢のことである
「昔、あるところに途方もない不精な爺と婆とがありました。年がら年中こんびだらけになっていました」
夫婦には子供がいなかったので、二人の体中の垢を落として固めて人形を作り「こんび太郎」と名付けた
「このこんび太郎は何とも大食いで、ずんがずんがと育ちました」
こんび太郎は大の力持ちとなり、化け物と格闘し、「化け物の四升樽ほどもある大ふぐりをぐわんと足で蹴飛ばして退治」めでたしめでたし
いったい、不精者の老人の垢がどうしてこんなに素晴らしいのか
これは最低の者から最高のモノが生まれるという、昔話のお得意の逆説らしい。一番役に立たないと思われているのもが、一番役に立つのである
○小谷中広之の感情・・・役に立たないと決めつけていたモノに意味をもたしてみよう
●体外離脱体験とは、瀕死の状態になった人が、ふと気が付くと自分の体の情報から自分も含めて、周囲の状況を「見ている」体験をすることである
キューブラーロスは、全盲の人が瀕死の状態のとき、そこに居合わせた人の着物や装身具などまで「見た」例をさえ紹介している
○小谷中広之の感情・・・幽体離脱、いまだに経験したことのない体験の一つ
●治療不可能で死期が近づいたとき、延命治療が行われるのを拒否することを書面に書いておく。つまり、生きている間にそのような意思を明確にしておくのを、リビングウィルという
○小谷中広之の感情・・・リビングウィルのことを考えて、書面に残しておこう。治療不可能な死期が突然来るかもしれないから
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、河合隼雄様の「「老いる」とはどういうことか」です
河合隼雄様。1928年兵庫県に生まれ。京都大学理学部を卒業。臨床心理学者。京都大学名誉教授。国際日本文化研究センター所長
気になる文章
●老人の知恵というとすぐに想起する書物に「易経」がある
3千年も昔に中国で書かれた書物であるが、今読んでも全く素晴らしいものである
○小谷中広之の感情・・・出会い次第購入しよう
●「お父さん、何か生きがいのあることを一つ見つけたら。ブラブラばかりしてないで」と説教調になる
老人は悲しくなる。彼は今、自分にとって一番楽しいこと、つまり「ブラブラする」ことをしているのである
若いときにひたすら働き続けながら、いつかはしてみたいと思っていたことを今楽しんでいるのだ
それに対して息子たちは、それを奪って「何か楽しいことをしなさい」と説教をするのである
○小谷中広之の感情・・・これは爺ちゃんばあちゃんに対してのことではなく、どのような人間関係でも教訓となるエピソードである。結局自分の物差しでしか人を図れない証拠である。まず相手の話を聞いてから自分の意見を述べることが大切である。話すこと2割、聞くこと8割
●老人はやたらに起こっているのではない。子供たちが「〜してあげる」と、何となく恩着せがましく言うのがたまらないのだ
「お水持ってきましたよ」といえばいい野に、なぜ「お水持ってきてあげましたよ」というのか。自分はかつて子供たちに対して、金を儲けてきてやったよ、とか、育ててあげたよ、などといったことがあるだろうか。それに今なぜ、この自分に対して、恩着せがましく言うのか、と彼の怒りが爆発するのだ
○小谷中広之の感情・・・目上の人に向かっての「〜してあげる」という言い方は絶対にやめよう
●アイヌの人たちは、老人のいうことがだんだんわかりにくくなると、老人が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために、一般の人間にはわからなくなるのだと考える
老人が何か言った時に、「あっ、ボケ始めたな」と受け止めるのと、「うちのおじいちゃんも、とうとう神用語を話すようになった」と思うのでは、老人に接する態度が随分と変わってくることであろう
「神用語」という言葉を考えだしたアイヌの人たちの知恵の深さに、我々も学ぶべきである
○小谷中広之の感情・・・こちらの受け取り方、捉え方ひとつでその後の行動が変わる
●我々が入院しているご老人などをお見舞いに行ったときも、「皆同じこと」を言っていないだろうか。「お元気そうね」「頑張って元気になってね」などと。この私が、このあなたにしか言えない言葉、そんなのを一つでも探し出して、語り掛ける努力をしたいものである
○小谷中広之の感情・・・自分にしかその人にかけられない言葉を考えてからお見舞いに行こう
●老いても「自分で考える」ことが大切である。身体だけでなく脳も「体操」が必要
○小谷中広之の感情・・・何歳であろうと「自分で考える力」は常に向上させていきたい。そのためにも自己投資はかかせない
●「年齢が増すにつれて、美しさも増す、という思いがけないこと」が着物にはある
○小谷中広之の感情・・・着物を着る習慣をつけよう。まずは、狂言や能を鑑賞しに行くときの服装は着物で行こう
●日本昔話「こんび太郎」
岩手県稗貫郡のお話し。こんびとは垢のことである
「昔、あるところに途方もない不精な爺と婆とがありました。年がら年中こんびだらけになっていました」
夫婦には子供がいなかったので、二人の体中の垢を落として固めて人形を作り「こんび太郎」と名付けた
「このこんび太郎は何とも大食いで、ずんがずんがと育ちました」
こんび太郎は大の力持ちとなり、化け物と格闘し、「化け物の四升樽ほどもある大ふぐりをぐわんと足で蹴飛ばして退治」めでたしめでたし
いったい、不精者の老人の垢がどうしてこんなに素晴らしいのか
これは最低の者から最高のモノが生まれるという、昔話のお得意の逆説らしい。一番役に立たないと思われているのもが、一番役に立つのである
○小谷中広之の感情・・・役に立たないと決めつけていたモノに意味をもたしてみよう
●体外離脱体験とは、瀕死の状態になった人が、ふと気が付くと自分の体の情報から自分も含めて、周囲の状況を「見ている」体験をすることである
キューブラーロスは、全盲の人が瀕死の状態のとき、そこに居合わせた人の着物や装身具などまで「見た」例をさえ紹介している
○小谷中広之の感情・・・幽体離脱、いまだに経験したことのない体験の一つ
●治療不可能で死期が近づいたとき、延命治療が行われるのを拒否することを書面に書いておく。つまり、生きている間にそのような意思を明確にしておくのを、リビングウィルという
○小谷中広之の感情・・・リビングウィルのことを考えて、書面に残しておこう。治療不可能な死期が突然来るかもしれないから
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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