2015年05月29日
フレットボードの視覚化に伴う落とし穴?!
ギターの指板の視覚化は、ギタリスト最大の壁の一つと言っても過言ではない
なんて重たく書いてみましたが、こやつ侮れません。
ギタリストには、なんとまあ面倒なことに同じ音がするポジションが一定の法則によって様々なポジションに散らばっています。
この散らばりを規則的な配置として、視覚化するのはなかなか大変です。
私も今となっては問題ありませんが、当時はスケール練習だけを鬼のようにしている時期がありました。
ここで、最近ふとこんな質問がありました。
「指板ってどんな風に見えているんですか?」と。
指板の視覚化などの方法論は数あれど、演奏者から見てフレットボードが『どのように見えているか』言及している記事はあまり見かけません。
これについては、
見えるようになった今だからこそ答えられますが、
答えようによってはなんだそりゃ?ってなってしまうので、
『見る時』のことについて書いてみたいと思います。
まず、演奏中に今弾いてる音がEでDでF〜なんて風にはみなさん見ないと思います。
しっかりフレットボードが見えている人ほどすでにそれは意識して、「そこにあること」であって、『見ようと』しなくてもそこにもう存在しているような感覚です。
では視覚化が完成されている人がフレットボードを『見ようとする時』はいつなのか?
これはたくさんの答えがあると思います。
なので今回はジャズのソロ中と仮定します。
『見ようとする時はずばりその音を狙って弾いている時』です。
もちろんそれ以外の音も全て見えています。
ただ狙っている場合(ターゲッティング)、今のコードに対してこの音はどういう音なのか次のコードに対してどういう音なのかを意識する時に『見る』ことが多いように感じます。
ただそれも慣れてくると、見ずに体の中心から湧いてくるメロディーに追従して演奏している時などは特に
今弾いている音はGで〜などとは見ません。
というか見ないと思います。
ここでリディアン♭7で〜なんていうようなスケールチョイスもうまくなればなるほどしなくなると思います。テンションが自然にメロディーに乗るようになってくるからです。
これは私のあくまでも主観です。
っていう答え方しかできなかったっというオチです(苦笑)
「じゃあフレットボードの視覚化は必要ないの?」と聞かれれば
それはもう全力で
「そんなことはない!」と言えます(オイ
ジャズ系のソロをとる場合ハーモニーの構成やヴォイスリーティング等様々な要素が絡み合ってインプロヴィゼーションを可能としています。(耳だけでやっちゃう人もいますし、ここに優劣はないと思います)
その時に何もわからぬ道を進むよりはしっかりとライトで照らされた道を進む方が安全でしょう?
だから頑張ってみんな鬼のようにスケール練習に明け暮れるんだと思います。
ただここにも大きな落とし穴があると私は個人的に思っています。
スケール練習を始める動機が、スケールを知りたいのか
指板の音を把握したいのか、サウンドを聴きたいのか
この学ぶ上での動線が視覚化ばかりにとらわれてブロックポジションから『逆』に抜け出せないような風潮を作り上げている教則本も多いなあと思っています。
本来左手のヴォイシングは個性であって決められた物ではないはずです。
あくまでも手助けとして、視覚化を行いながら重要なのはサウンドをしっかりと聴くことです。
ドレミをずっと弾いていたってテクニックはついても音楽的なテクニックは上昇しません。
ここに危険な落とし穴があります。
スケールを覚えてそこで上昇下降してもそれはただのドレミです。
自分の奏でたい旋律を指板上で自由にフォームにとらわれることなく演奏するためのきっかけとして私は視覚化を取り組むのがベストだと思います。
なんて重たく書いてみましたが、こやつ侮れません。
ギタリストには、なんとまあ面倒なことに同じ音がするポジションが一定の法則によって様々なポジションに散らばっています。
この散らばりを規則的な配置として、視覚化するのはなかなか大変です。
私も今となっては問題ありませんが、当時はスケール練習だけを鬼のようにしている時期がありました。
ここで、最近ふとこんな質問がありました。
「指板ってどんな風に見えているんですか?」と。
指板の視覚化などの方法論は数あれど、演奏者から見てフレットボードが『どのように見えているか』言及している記事はあまり見かけません。
これについては、
見えるようになった今だからこそ答えられますが、
答えようによってはなんだそりゃ?ってなってしまうので、
『見る時』のことについて書いてみたいと思います。
まず、演奏中に今弾いてる音がEでDでF〜なんて風にはみなさん見ないと思います。
しっかりフレットボードが見えている人ほどすでにそれは意識して、「そこにあること」であって、『見ようと』しなくてもそこにもう存在しているような感覚です。
では視覚化が完成されている人がフレットボードを『見ようとする時』はいつなのか?
これはたくさんの答えがあると思います。
なので今回はジャズのソロ中と仮定します。
『見ようとする時はずばりその音を狙って弾いている時』です。
もちろんそれ以外の音も全て見えています。
ただ狙っている場合(ターゲッティング)、今のコードに対してこの音はどういう音なのか次のコードに対してどういう音なのかを意識する時に『見る』ことが多いように感じます。
ただそれも慣れてくると、見ずに体の中心から湧いてくるメロディーに追従して演奏している時などは特に
今弾いている音はGで〜などとは見ません。
というか見ないと思います。
ここでリディアン♭7で〜なんていうようなスケールチョイスもうまくなればなるほどしなくなると思います。テンションが自然にメロディーに乗るようになってくるからです。
これは私のあくまでも主観です。
っていう答え方しかできなかったっというオチです(苦笑)
「じゃあフレットボードの視覚化は必要ないの?」と聞かれれば
それはもう全力で
「そんなことはない!」と言えます(オイ
ジャズ系のソロをとる場合ハーモニーの構成やヴォイスリーティング等様々な要素が絡み合ってインプロヴィゼーションを可能としています。(耳だけでやっちゃう人もいますし、ここに優劣はないと思います)
その時に何もわからぬ道を進むよりはしっかりとライトで照らされた道を進む方が安全でしょう?
だから頑張ってみんな鬼のようにスケール練習に明け暮れるんだと思います。
ただここにも大きな落とし穴があると私は個人的に思っています。
スケール練習を始める動機が、スケールを知りたいのか
指板の音を把握したいのか、サウンドを聴きたいのか
この学ぶ上での動線が視覚化ばかりにとらわれてブロックポジションから『逆』に抜け出せないような風潮を作り上げている教則本も多いなあと思っています。
本来左手のヴォイシングは個性であって決められた物ではないはずです。
あくまでも手助けとして、視覚化を行いながら重要なのはサウンドをしっかりと聴くことです。
ドレミをずっと弾いていたってテクニックはついても音楽的なテクニックは上昇しません。
ここに危険な落とし穴があります。
スケールを覚えてそこで上昇下降してもそれはただのドレミです。
自分の奏でたい旋律を指板上で自由にフォームにとらわれることなく演奏するためのきっかけとして私は視覚化を取り組むのがベストだと思います。
タグ:フレットボードの視覚化
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