2017年05月29日
芸能人もひきこもりで悩んだ時期がある!私はこうして社会復帰した!!
「ひきこもり」は病名や診断名ではありません。不登校や就労の失敗をきっかけに、何年もの間自宅に閉じこもり続ける青少年の状態像を指す言葉です。
現在、華々しい活躍をしている芸能人も、私生活に不安があり、ひきこもっていた時期があります。
そんな彼らがどうやってひきこもりを克服し、社会復帰したかをまとめてみたのでご覧ください。
≪ひきこもりから復帰した芸能人≫
【指原莉乃】
HKT48の指原莉乃が「ワイドナショー」(フジテレビ)で、中学時代に自宅に引きこもっていた時期があったことを明かした。
「中学3年生の時にあまり学校になじめなくて、ちょっとしたイジメもあって、5か月間くらい学校に行かなかった」
高校進学の希望は持っていたが、「行くタイミングが分からなくなっちゃって、秋まで行かなかった」という指原。しかも、大分市内で進学してしまうと、中学時代の同級生や友人・知人と顔を合わせてしまうリスクもあったため、「東京に行くしかない」と上京を決意。
「自分はキッカケがあったから良かったけど、オーディションに受かっていなかったら本当に家から出ていなかったと思う。共感しちゃいますね」
【千原ジュニア】
自伝的小説『14歳』で、引きこもっていた当時のことを回想している。進学校に進学したが、上手く馴染むことはできなかった。友人もおらず、教師との折り合いも悪かった。
陣内智則:そもそも、なんで引きこもったんですか?
千原ジュニア:凄い進学校やったんですよ。
陣内智則:イジメられっ子でもないじゃないですか。
千原ジュニア:イジメられてはいないですけど、進学校で、合わなかったんですね。
ある日、高校に行ったとき、「もうこんなところにいても自分は何も得ることができない!」と思い、帰り道で橋から川に青い制服を投げ捨てた。
それを最後に、高校には行っていない。
鬱屈とした日々からジュニアを救い出したのが兄だった。
先にNSCに入学していた兄・靖史から「お前、何もせんと家におんのやったら、俺吉本にいてるから来いや」と誘われる。
初の手見せ(ネタ発表)が行われると、天性の話芸で、笑いの渦を巻き起こした。以来、ジュニアは笑いの虜になった。
【前田敦子】
AKB48入りする前は、人前に立つのが苦手で内気な女の子だった。そんな彼女の性格が少しでも変わればと願った母親の勧めでオーディションを受け、見事合格。
「もともと根暗な性格で、学校ではいつも独りだった」「パンツ見せ集団と言われていたみたいです」
彼女に初めて映画出演のチャンスが巡ってきたのだが、当時の前田はひとりで仕事をすることに恐怖を感じ、部屋に引きこもってしまった。しかしこのとき、母親の「いまのお仕事はやりたいから、やってるんだよね?」という言葉によって、前田は少しずつだが、前を向くように。
【品川祐】
「八方・陣内・方正の黄金列伝」(読売テレビ)に出演し、品川祐が引きこもりだった時期があったことを告白。
非行少年だった品川は、16歳で高校を中退。その後、7年間のフリーター生活を経て、東京NSC(1期生)入りし、1995年、庄司智春とコンビを結成。
高校中退後、「一時期、心が病んでて、引きこもってた時期があって」と切り出し、「ヤンチャが行き過ぎて、引きこもった時期があって。卒業アルバムとか、昔の友達の連絡先とか破り捨てて。『死にたい』ぐらい、思ってた」
【山本美月】
2014年を振り返った山本は、「引きこもらずに外に出ようという目標がありましたが、ちゃんといろんな人に出会ってお話ができたかなと思います」
私、すっごくフットワーク重くて。誘われないと、家にこもってしまうタイプなんです。前は誘われても、断ることもあったんです。
2014年はフットワークを軽くするキャンペーン中なんです。ごはんや遊びに誘われたら、なるべく行くようにしています。
【安藤美姫】
安藤美姫が「ウチくる!?」に出演し、ひきこもりの過去を告白。
「試合があるごとに週刊誌とか胸元とか勝手に撮られて、そういう系の雑誌に載せられて、そういう目で見られたりするのがスゴく嫌」だったと人目が怖くなったことが原因だったと明かした。
20年来の友人である曾根美樹さんに支えられた。
ひきこもった時に「根気強く家に来てくれて」と当時、曾根さんに支えられたといい、曾根さんは「連絡して会えるまでずっと待っていた」
曾根さんは「こちらからあまり必要以上に声は掛けなかった」といい、「ただただ連絡をして、電話を取ってくれた時には『今どう?』みたいな」感じで、安藤自ら話してくれたことだけに耳を傾けて支えていた。
【矢部美幸】
お笑いコンビ、ナインティナイン矢部の兄。
吉本NSC7期生として芸人を志す。ちなみに同期には雨上がり決死隊がおります。
そして22歳で芸人を廃業。目標を失いひきこもりになる。
がんばれたのは親のおかげ。引きこもりの間、親は何も言わなかったんですよ。僕がずっと家にいるのに、普通に食事をつくって普通に会話して......
引きこもりましたね、完全に1年くらいはもう丸々出なかったです。
芸人を廃業後、芸能事務所を設立し代表取締役社長を務め、在籍当時は各種コンテストにおいて多数の受賞実績を残す。
芸人を辞めて33歳までバイトしかしたことがなかったんですが、友人に誘われてタレント事務所を開業することになりました。スタッフ2人で、ノウハウも何もないゼロから始めて、丸7年間1日も休まず働きました。それまでの反動でしょうね。
自伝的小説『矢部家』(光文社)を上梓。
【マツコ・デラックス】
高校を卒業し、美容学校に通った後、ゲイ雑誌『Badi』の編集部でアルバイトから編集者に。しかし、5年くらいで人間関係がうまくいかずに退社。
20代後半のころ。実家へ戻ったマツコは約2年間の引きこもり生活を始める。
引きこもりは本格化した。雨戸は閉めっぱなし、部屋にはCoccoの歌が大音量でかかっていた。
<人は強いものよ そして儚いもの>(『強く儚い者たち』より)
マツコは彼女の歌に救われて、ギリギリの精神状態をなんとか保っていた。トイレ以外の時間はすべてベッドで過ごした。ある日、両足で立ちあがろうとしたら、10分間もかかった。
おネエ系映画ライターのよしひろまさみちさんはこう話す。 「心配してた何人かが連絡を取っていたみたい。あたしも何度か“生きてるの?”ってメールしたけど、“ダメ”とか返ってきたことも。
『Badi』での編集者としての活躍を知っていた中村うさぎ氏に対談の相手として抜擢され、「アンタは書くべき人間だ」と言われたことをきっかけにコラムニストデビュー。
マツコは、「自分には、居場所のない」と思い続けていたからこそ、テレビという居場所ができたことがありがたかったと語る。
【家入一真】
ひきこもりからIT社長。株式会社paperboy&co.を創業、29歳の時にジャスダック市場へ最年少で上場。
福岡県立玄界高等学校を高校1年時にいじめを原因に中退し3年間ひきこもりとなり、大学入学資格検定に合格し地元の美術大学にも合格するものの通わなかった。
高校1年のころ、外に出られなくなった。特に昼間がつらかった。「同い年の人がガヤガヤと通り過ぎるのがダメで」
運動会当日は学校のトイレにずっと隠れていて、途中でこっそりトイレの窓から裸足で逃げ出しました。
「お前のために、パソコンクラブ、作るから」。担任はそう言ってくれたけど、学校は辞めてしまった。
3年間、ひきこもった。悩んだ。
見かねて、母親がある作品展に僕を連れて行ってくれたんです。17歳で夭折した天才詩人、山田かまちの個展でした。衝撃的でした。
彼は「自分には24時間では足りない」と言っているのに、僕は何をしているんだろう。彼の激しい生き方に比べると、なんてぬるい生き方なんだろう。もっと激しく生きなきゃ……
「引きこもってたころ、ぼくも詩を書いていたけど、そういうのも公開して、見てもらえるのはいいことだなと思います。見てプッと笑ったりするんだけど」
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