2017年05月08日
大人気長者番組≪笑点≫の歴代司会者とは
『笑点』は、日本テレビ系列で1966年5月15日から毎週日曜日夕方に放送されている演芸バラエティ番組です。
日本国民であれば必ず観たことがある番組の1つでしょう。
最近では前司会者の桂歌丸さんの体調がすぐれず、入退院を繰り返しているというニュースを聞きます。
↓↓桂歌丸肺炎…5月の公演全て休演↓↓
肺炎のため4月16日から横浜市内の病院に入院中の落語家・桂歌丸(80)が、今月予定されていた寄席や落語会などを全て休演することが7日、分かった。退院の予定も立っておらず、まずは病院で体力の回復に専念。今回の肺炎の原因が通常のウイルス感染ではなく、酸素の過剰吸入が誘発する珍しいケースだったことも判明した。
歌丸は2009年に肺気腫を患い、今年1月2日にも風邪をこじらせて軽い肺炎で入院。そのため最近は日常生活でも酸素ボンベが手放せなくなっていた。その状態で4月14日に東京・国立演芸場の寄席で昼夜2回公演。これが呼吸器への大きな負担となり、相当な息苦しさを感じた。関係者は「担当医にはボンベから流出する酸素は“毎分2〜3リットル”と言われていた」と話す。しかし、歌丸は息苦しさを緩和して翌日以降の寄席に備えるため、担当医の指示以上の酸素を体に取り込もうとして、流出量を毎分5リットルにしたという。関係者は「それが裏目に出た」と話した。
実は人間の体は酸素が与えられすぎると、酸素が足りていると勘違いをして呼吸を休んでしまうという。呼吸をしないと二酸化炭素が排出されず、体内に充満する。救急医療の経験があるシロノクリニックの後藤瞳医師は「そういう状態を“C??ナルコーシス”といいます。ナルコーシスは意識障害を引き起こす。すると唾液などが食道に入らず気管に入る。これが誤嚥(ごえん)。それがもとで肺に炎症が起きるケースがあります」と説明する。
高座への強い責任感から気合十分に酸素を吸い込みすぎて、思わぬ災難を招いてしまった形だ。
現在、肺炎の症状は治まり、病院食も毎日完食するなど体調は日増しに良くなっている。ただ関係者は「今度ばかりは医者が体調の太鼓判を押すまでは退院させないつもり」と話している。
これだけ長く国民の愛され続いている番組ですから、やはり歴代司会者も大物ばかりでした。
昔から観ている方には、とても懐かしく感じるのではないでしょうか。
歴代司会者をまとめてみたので、ご覧ください。
≪笑点歴代司会者≫
初代司会【立川談志(1966-1969)】
落語をテレビでやるとCMが入れれないことから、大喜利をやればCMを入れれると考えた立川談志。その企画は成功し、当時日曜日夕方のスポンサー枠を持っていた龍角散から「視聴率が取れる番組が欲しい」と依頼があり、改めて番組名を『笑点』と改めて開始しました。司会は金曜夜席で司会を務めた、立川談志がそのまま司会に。金曜夜席の流れを引き継いで、初期はブラックジョークが多かったそうです。
番組の構成にも立川談志は深く関わっており、立川談志がいなければ笑点がこれほどまで、人気番組になることはなかったと思いますね。初代のオープニングテーマの作詞とメインボーカルを担当するなど、立川談志の幅広い才能が感じられますね。しかし、初代の司会を務めていた後半、特に大喜利メンバーが総入れ替え以降は、たびたび立川談志は出演をキャンセルすることが増えました。
初代の司会を務めた立川談志は、1969年12月の第32回衆議院議員総選挙への出馬を理由として番組を降板することになります。しかし、実際は番組の路線を巡って初代司会の立川談志とスタッフの関係が悪化していた状況があったといわれています。何より、出演者の総入れ替えもあって、笑点の視聴率は低下しており、立川談志はその責任を取らされた形になりました。
二代目司会【前田武彦(1969-1970)】
当時台本通りに進行するのが当たり前だった時代に、フリートークの概念を取り入れ『フリートークの天才』と言われた前田武彦が二代目笑点の司会を務めることになります。前田武彦は落語家ではなく、NHKの放送作家から、次第にタレント業をするようになった人物でした。前田武彦の起用は、立川談志の推薦によるもので、立川談志同様毒舌が人気な人物でもありました。
かつて立川談志が司会を務めた番組で、前田武彦が漫才を披露したときからの縁で、笑点の大喜利ゲスト大会に出演したこともありました。この頃の笑点は司会席を、舞台中央においていた時期もありました。また、現在ではおなじみのカラフルな着物は前田武彦のころから、始まったそうです。
前田武彦の司会も立川談志同様人気はあったようですが、前田武彦はこの頃『夜のヒットスタジオ』の司会を含め、非常に多くのレギュラー番組を抱えていました。このことから番組のやり方に関して、他の出演者やスタッフと、前田武彦の間で溝が出来てしまったと言われています。結局は、前田武彦が家族と過ごす時間を増やしたいという考えから、司会を降板することになります。笑点の司会に就任してから、1年弱の降板でした。
三代目司会【三波伸介(1970-1982)】
三波伸介は児童劇団から芸能活動を開始し、その後はコメディアン活動を初め人気になった人物でした。笑点の司会になったのは1970年12月20日からでした。前司会の前田武彦の代理司会を務めた際に、その手腕が高評価、また前田武彦自身からの推薦もあって、三代目笑点の司会者に選ばれました。元々落語の知識もあり、並み居る落語家の中でも尻込みせず司会役を務めました。
笑点で、いまではおなじみのOPの観覧席からの挨拶という流れは、三波伸介の時代から始まったものです。笑点を分かりやすい、ドタバタ路線として、コメディ色が強い番組にし、視聴率をあげることに成功しました。
番組が好調な中、1982年12月8日に三波伸介は、解離性大動脈瘤破裂で突然この世を去ってしまったのです。多忙・肥満体・ヘビースモーカー・コーヒー好きというあまり身体によくなさそうな生活習慣が原因だった可能性は高いそうです。なお、三波伸介はお酒は苦手で一滴も飲まなかったそうです。
四代目司会【三遊亭円楽(1983-2006)】
四代目笑点の司会を務めた五代目三遊亭円楽ですが、当初は2回限りのゲスト司会のつもりでいたそうです。しかし、多くの人間が司会を断る中、これ以上司会者が居ない状態はいけないと考えたのか、三遊亭円楽が司会に就任しました。
三遊亭円楽は歴代司会者の中で歴代最長の23年の司会を務めた。
三波伸介の司会と同じような方針で司会を行うか考えた三遊亭円楽でしたが、自分はあくまで司会者として番組を仕切る役に務めることを決めたそうです。そのため、笑点はいまのような、他のメンバーのキャラクターがクローズアップされたような内容がメインとなりました。
当初は、あの特徴的な笑い声が「司会者が笑いすぎる」と批判もあったそうですね。しかし、三遊亭円楽としては、三波伸介のときとは番組の雰囲気を変えるという、意図的な考えのもと行ったと言われています。あくまで、出題、指名、座布団の采配などの最小限の仕事に収縮し、他のメンバーが番組の顔になるように務めました。
間のコーナーでは、多くの芸能人が漫才を披露し人気になりました。また、特番ではTOKIOやジャニーズのメンバーがメンバーを務めるなど、人気芸能人を特番で起用していく番組内容人気でした。若い層に笑点に親しんでもらう機会を作ったといえるでしょう。
五代目司会【桂歌丸(2006-2016)】
1966年から大喜利メンバーであった桂歌丸が五代目笑点の司会に。メンバーの座布団を非常に多く没収するスタイルで、芸能人として番組を盛り上げる方法に長けていた印象ですね。特に、座布団を全員没収するというスタイルを多く多様し、長きに渡って回答者として出来た自身とメンバーの関係をうまく生かしていたイメージです。
実は、かつて初代の笑点の司会者である立川談志と桂歌丸で漫才を笑点の中で行ったこともあるんですよ。非常にマルチな才能の持ち主だったと思います。
六代目司会【春風亭昇太(2017-)】
落語家として芸能人として、致命的に滑舌が悪いとネタにされる春風亭昇太が司会についたのは、以外だったかもしれません。しかし、若手大喜利の司会の経験もあり、司会としての経験は豊富でした。春風亭昇太を司会にすることで、また笑点に新しい風をいれる意図があったようですね。
笑点に存在する暗黙のルールである、下ネタは避けるという風潮も春風亭昇太が司会になることで、変わってきたそうです。何より、春風亭昇太が司会を務めることで、若い層にも笑点に親しんでもらおうという意図があったようですね。
歴代の師匠に遠慮していたが、徐々に歴代司会者に負けない手腕を発揮。
番組では歴代の司会者同様、いじられる要素が多い春風亭昇太。特に、50歳を超えて独身であり、そのことを度々いじられています。笑点のプロデューサーから半ば消去法で選ばれたとネタにする場面もありますが、優しい人柄が好印象を与えており、概ね司会としては受け入れられている印象があります。当初は、メンバーの回答を指名する際に呼び方に戸惑う場面もあったが、現在は統一して『さん』呼び。また座布団運びの山田隆夫からも、歴代通り山田くんで良いと言われたそうですね。
【番外編:愛川欽也】
あまりにも急な三波伸介の逝去に、当時コーナー司会を臨時で担当した愛川欽也は、番組側から正式な司会への就任を要望されます。しかし、自分は落語家を評価できる立場ではないといった理由から、その要望を固辞しました。
実は、愛川欽也以外にも、三波伸介と交流のあった伊東四朗、中村メイコ、東八郎、山城新伍などが、司会のオファーがあったようですが、愛川欽也と同様の理由から、そのオファーを断ったそうです。
【番外編:笑点メンバー】
五代目笑点司会を務める桂歌丸の体調不良が続き、歴代のメンバーのメンバーが臨時で司会を務めました。主な臨時司会としては、林家木久扇や六代目三遊亭円楽らレギュラーメンバーが順番で司会を交代するシステムをとりました。
それぞれの特徴がある司会でした。その後、多くの芸能人が存在する中、誰が六代目の笑点の司会を務めるか、議論を呼びました。
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