2024年06月12日
1029 主の役目
避難場までは、1キロくらいあり、風速70メートルの逆巻く突風は、前後左右から揺さぶって吹き、決して同一方向から、均一的に吹いて来ません。
会話は嵐の中へ千切れ飛び、痛い程叩き付ける雨に、目も開けられず、風圧で、息をする事すら苦しく、顔をあげておられません。
大人ですら、進むのが困難な状況である。
闇夜の畦道、吹き飛ばされ、足に纏わり付き、やっとの思いで、避難場へ到着。
不安な一夜を過ごしました。
抗し難い、大自然の力とは言え、コツコツと築き上げた我が家が吹き飛ぶ。
翌日からの生活を思い巡らし、家を後にする時、父親の気持ちはどのようなものだったのだろうか。
南国の真夏、殆んど着る事の無いオーバーコートを着、荒れ狂う嵐に悠然と立ち向い、家族を守る。
父の背中はあまりにも大きく、凛々しい姿として瞼に焼き付けられ、ひかるが生きていく中、人生の厳しさに背を向ける事なく、前向きに立ち向い、家族を守る、一家の主の姿として生き続けたのだった。
また地震や緊急の災害時、持ち出す物は色々有るかと思いますが、オーバーコートが一番役に立つのではないだろうか。
コートを羽織る事により、風雨が凌げ、見通しの良い場所でも、下着などの着替えが簡単に出来、家の役目さえするのです。
咄嗟の災害時、真夏でもオーバーコートを持ち出す、心の準備が大事かと思います。
昨今は、粗大ゴミと陰口される父親像ですが、世の中平和過ぎ、父親の出る幕が少ないからとて、粗末にされたのではたまりません。
何か一大事が起きた時、それなりに、毅然として立ち向い、頼られるのが、主の役目。
今一度、それぞれの父親像を考えてみる必要が、あるのではないだろうか。
1027 真夏のオーバーコート
ひかるが小学校へ入る前の出来事で、瞬間最大風速70メートルくらいはあったでしょうか。
大型の台風が、島を直撃。平たんな島は、風圧をまともに受け、遮る物は何も有りません。
電気は無く、真っ暗闇の真夜中、轟音渦巻く風の音、激しく叩き付ける雨の音、そして、家がギシギシとマッチ箱を揺するが如く、激しく揺れ動いているのに目が覚めました。
暗闇に目を凝らすと、父と母が、いつもと違う、重苦しい不安げな顔で天井を見つめ、会話を交わしております。
父は、「台風は我が家を直撃する。この分だと屋根が吹き飛び、危険なので避難をする」と、ため息を残し、立ちあがりました。
母は、「この嵐の中、どうやって避難所まで、行き着くのか」と、脅え声。
(台風は目に向かって、左回りに風が吹き、一点にいて、刻々変わる、風向きと風力で、台風の目がこちらへ向かって来るのか、逸れて行くのか判断出来ます)
具体的に北東の風が東になり、時間経過で強まり北東の風に戻ってきた場合、間違いなくこちらをめがけ直撃体勢に入っている事になります。
父が、オーバーコートを出すよう、指示。
風があるとは言え、南国の汗ばむ真夏。
なぜ、オーバーコートが必要なのか?
雨具代わりに使うのだろうか?
答えはすぐ、出ました。
母が大事にしまってある、一着しか無いオーバーコートを出すと、無造作の中にも、襟元をきつく絞り、ベルトをしっかり締め、子供達は、両方の裾に掴まれ、との事である。
初めて見る、父のオーバーコート姿でした。
1026 脳内アルバム
ひかるが、南の島へ帰郷した際、ある85歳のおじいちゃんと、ゆっくり話をする機会が有りました。
おじいちゃんは、10人もの子だくさんで、孫やひ孫を数えると、40人は、いるとの事。
子供達は、高校がないので、一度島を離れますが、もう二度と島には帰って来ません。
おばあちゃんと二人っ切りは、淋しそうに見えるのですが、私は一番幸せ者だ、と自慢。
事実、温和な丸みのある、幸せが滲み出ているのが、感じられます。
何んでそれ程までに、幸せを周りに放射出来るのだろうか?
体力的には、庭の散歩がやっとで、寝ている時間が大半のおじいちゃん。
不思議な力を感じ、その場を離れるのが勿体無く、ついつい色々な話をし、時を過ごしてしまいました。
「今にも天国から、迎えが来るかも知れない」と平気でしゃべっている姿からは、死に対する不安が、微塵も感じられません。
どうしてなのだろうか?
話を聞くと、おじいちゃんの人生は、子だくさんの為、苦労は多かったが、楽しみも多かったとの事。
大勢の子や孫の結婚や出産、名前を覚える事。
進学や就職などの便りや写真が、脳内いっぱい詰め込まれていたのです。
そして、脳内に詰め込まれた、写真やストーリーを寝ながらでも、瞬時に引き出し、何回でも再現し、毎日が映画を見ているように、楽しく過ごしていたのです。
そうです、脳内に焼き付けられた人生のアルバムは、お金もかからず、体力も使いません。
いつでも、瞬時に引き出し、何回でも楽しむ事が出来るのでした。
若い時代、多くの素敵な出会いや恋をし、色々な所へ行き、苦労もいとわず、冒険もし、多くのシーンを脳内に焼き付けておく事が、老後をより楽しく、幸せに過ごす、秘訣ではないだろうか。
若い時代、人生のアルバムを、脳内いっぱい貯金し、周りの人々へ、幸せ貯金を放射出来る、年寄りになりたいものです。
そのおじいちゃんも、人生をまっとうした、との便りを受け、ひかるは幸せエネルギーの放射を、体いっぱい受けられ、最高の出会いだったと、感謝しています。
1025 またまた、大失敗
上京直後、組み立て配線工として働いていた時、またまた大失敗です。
昼食には、出前をとっていました。
食べ物の名前は初めて聞くものばかりです。
周りの注文を見聞きしながら覚えていこうと考え、真似をする事に決めこみました。
初日は、天丼、ラーメン、チャーハン、焼飯と、みんなが注文するのを聞き、唯一知っているメニューで、焼飯を注文。
その日は、無事に何事も起こりませんでした。
翌日、例によって皆なが注文をした後、中身は知らないけど、しゃれた名前なのでチャーハンを注文。
みんなが取った後に残った物が、チャーハンだろうとの考え。
待っていると、残っているのは前日と同じ焼飯。
「誰か注文を間違えた人はいませんか!?」と大声で聞きました。
誰も間違えていないとの事。
「君、何を注文したのだ?」と聞かれたので、
「誰か注文を、間違えているはずです。私は間違いなく、チャーハンを注文したのですが、焼飯しか残っていないんです!」
みんなが、食べ物を一斉に吹き出してしまいました。
「この男、笑わせてくれるではないか!」と今なら言えますが、当人は何んで笑われたのか、皆目見当がつきません。
訳を聞くと怒られ、「お前、それでも日本人か?」と言われた時には頭に来て、むかつきました。
当時はパスポートを携えての身分で、沖縄人が一番聞きたくない言葉で切れる瞬間。
しかし、そこは忍々の、人生修行の場。
焼飯とチャーハンは、同じだったのでした。
カラスの、白け鳥!
失敗談には事欠かず、西武新宿線の「田無」に用事が有り、切符売り場で「デンブ」ください、と言うと怪訝な顔をされ、ニタッとした後、そんなものは無いと、そっけない返事。
からかわれているような気がし、田舎っぺ根性ふつふつ、むらむら。
二言、三言やりあいましたが、読み方が「たなし」だと言われ、開いた口が、塞がりません。
日本国教育を受けた人がいきなりこの二文字を見せられ、たなし、と読む人はいるのかな?
以後、地名や人名には注意をするようになりました。
恥は、かけばかくほど、度胸がつきます。
大いに、恥はかきましょう。
罪のない恥を・・・・
2024年06月11日
1023 あれ〜
前席の女高生だと思われる女の子が、あれ〜と甲高い声を出し、椅子を軋ませ逃げ出す。
周りの客は、針でつっ突かれたかの如く、一斉に注目。
見るとテーブル上は、運悪く、ツユが前の方へ流れています。
娘が飛んで来て、ツユを拭き、お客に誤り、調理場からもう1本ツユを持って来ました。
こぼしたものと勘違いをしたのです。
さて、2本目です。
どうするか??
あまりの出来事に、多くの客も、野次馬気分で立ち上がっての見物。
前の女高生はすでに避難し、どうしてよいのか分からず、恥ずかしさと冷や汗。
当人は完全に、舞い上がっています。
店全体の視線を一身に受け、仕方なく、そばを一本ずつ、ツユに浸しながら食べていると、隣の客が親切に教えてくれましたが、時すでに遅し。
周りの雰囲気からして、何が何んだか食べた気がしません。
さて、次は下のご飯だぞ!
はやる気持ち、ぎこちない手つきで、すのこを取りました。
何んだ、これは!
カラッポではないか!
大盛に盛られた、どんぶり飯を期待していただけに、裏切られた時の腹の立つ事、立たない事!
娘を呼びつけ、「これは、大もりではない!」と一括。
田舎ものだと馬鹿にされないぞ、だまされないぞ、という剣幕で劣等感が爆発したのです。
親切に、ツユのお代わりまでしてくれた娘は、あっけにとられ、精神異常者ではないか、という恐怖の眼差しで、奥の方へ逃げていきました。
周りの雰囲気は、皆さんの想像にお任せしましょう・・
主人が出て来たので、一言、二言文句を言いました。
日曜日の昼の混雑時、主人はケンカも出来ず、呆れ果てるばかり。
ひかるは、上げ底メニューで客をだます、悪徳食堂の悪徳主人に客を代表して文句を言ってやった、思い知らせてやったと、正義感に燃え、肩で風を切り、堂々と店を出て行きました。
「神様! この男に罪はない、単なる無知だ! 救いの手を・・・・・・・」
お店の皆さん、ごめんなさい!
1021 見事な閃き
だけどいいや・・・
おそらく、そばの下に、ご飯がたっぷり有るだろうと、一人合点し、空腹から湧き出る食欲と、生唾を飲み込む。
さあー食べようか!
初めての食べ物、食べ方が分かりません。
大もりの下に、お盆があるのですが、隣の客には敷いてありません。
注文を運ぶお盆を忘れ、そのうち取りに来るだろうと気を使い、お盆を横に置き、器を直接テーブルに置きました。
更に、ツユ壺の上に、ツユ入れが被せてあるのに、それが分からず大失敗の因。
ツユ壺に被せてあるツユ入れを、フタだと思い、伏せたままお盆の上へ置きました。
さて、その後どうやって食べるのか?
ハシでツユを確認。
そばを1本1本、ツユ壺に入れて食べるのか?
試しに1本やってみましたが、どうも具合が悪い。
腕組みをし、しばらく考えました。
どうしても、周りの視線が気になります。
過疎の村で外食とは関係なく育ったひかる、食事作法を知らずオロオロ上目使いに周りを伺う様子。
自信のない人は、特に目立ち過ぎます。
思案の末、見事な閃き。
ツユを上からかければ、その下にあるはずのご飯にも味が沁み込み、旨いだろう。
そうやって食べるんだ、と考え、思いっ切り、バサーとかけてしまったのです。
1020 おおもり
毎日が、ひもじい思いをし、夢にまで食べ物が出てくる上京当時の出来事。
一度でいいから、腹一杯ご飯を食べてみたい、という願望を叶えるべく、アルバイトのお金が初めて入った時、思いっ切り食べようと心に決め、外食をすることにしました。
子供の頃から、外食の経験がなく、今日は腹一杯食べられる。
自分の稼いだお金で、思いっ切り食べよう、という期待に胸をはずませ店に入りました。
日曜日の昼時で、ほぼ満席の状況。
何を食べようか?
壁に貼ってあるメニューを、ひと通り往復して見ました。
だいたいのお客は、椅子について注文を考えます。
壁の前をウロウロし、しかも顔色が浅黒く、栄養失調ぎみの飢えた目。
変な男が入って来た、と他の客が注目しているのは視線で感じられます。
女子高生と思われる、女の子二人との相席でした。
店は、母親と娘なのでしょうか、中学生くらいの女の子が手伝っておりました。
メニューで一番、腹いっぱいになりそうなのは、読み方からして「大もり」でした。
注文をし、どうも周りの視線が興味深げに、じろじろと、ひかるを見ているのに嫌な予感。
程なく「大もり」が来ました。
ひかるの考えでは、「大もり」といえば、どんぶりに、大盛に盛られた、どんぶり飯を想像していましたが、目の前に出てきた物は、意に反する物。