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2024年11月02日

f1024 画像


焼き飯

f1023 あれ〜


前席の女高生だと思われる女の子が、あれ〜と甲高い声を出し椅子を軋ませ逃げ出す。
周りの客は、針でつっ突かれたかの如く、一斉に注目。
見るとテーブル上は運悪く、ツユが前の方へ流れています。
娘が飛んで来て、ツユを拭き、お客に誤り、調理場からもう1本ツユを持って来ました。
こぼしたものと勘違いをしたのです。
さて、2本目です。
どうするか??
あまりの出来事に、多くの客も、野次馬気分で立ち上がっての見物。
前の女高生はすでに避難し、どうしてよいのか分からず、恥ずかしさと冷や汗。
当人は完全に、舞い上がっています。
店全体の視線を一身に受け、仕方なく、そばを一本ずつ、ツユに浸しながら食べていると、隣の客が親切に教えてくれましたが、時すでに遅し。
周りの雰囲気からして、何が何んだか食べた気がしません。
さて、次は下のご飯だぞ!
はやる気持ち、ぎこちない手つきで、すのこを取りました。
何んだ、これは!
カラッポではないか!
大盛に盛られた、どんぶり飯を期待していただけに、裏切られた時の腹の立つ事、立たない事!
娘を呼びつけ、「これは、大もりではない!」と一括。
田舎ものだと馬鹿にされないぞ、だまされないぞ、という剣幕で劣等感が爆発したのです。
親切に、ツユのお代わりまでしてくれた娘は、あっけにとられ、精神異常者ではないか、という恐怖の眼差しで、奥の方へ逃げていきました。
周りの雰囲気は、皆さんの想像にお任せしましょう・・
主人が出て来たので、一言、二言文句を言いました。
日曜日の昼の混雑時、主人はケンカも出来ず、呆れ果てるばかり。
ひかるは、上げ底メニューで客をだます、悪徳食堂の悪徳主人に客を代表して文句を言ってやった、思い知らせてやったと、正義感に燃え、肩で風を切り、堂々と店を出て行きました。
「神様! この男に罪はない、単なる無知だ! 救いの手を・・・・・・・」
お店の皆さん、ごめんなさい!

f1021 見事な閃き


だけどいいや・・・
おそらく、そばの下に、ご飯がたっぷり有るだろうと、一人合点し、空腹から湧き出る食欲と、生唾を飲み込む。
さあー食べようか!
初めての食べ物、食べ方が分かりません。
大もりの下に、お盆があるのですが、隣の客には敷いてありません。
注文を運ぶお盆を忘れ、そのうち取りに来るだろうと気を使い、お盆を横に置き、器を直接テーブルに置きました。
更に、ツユ壺の上に、ツユ入れが被せてあるのに、それが分からず大失敗の因。
ツユ壺に被せてあるツユ入れを、フタだと思い、伏せたままお盆の上へ置きました。
さて、その後どうやって食べるのか?
ハシでツユを確認。
そばを1本1本、ツユ壺に入れて食べるのか?
試しに1本やってみましたが、どうも具合が悪い。
腕組みをし、しばらく考えました。
どうしても、周りの視線が気になります。
過疎の村で外食とは関係なく育ったひかる、食事作法を知らずオロオロ上目使いに周りを伺う様子。
自信のない人は、特に目立ち過ぎます。
思案の末、見事な閃き。
ツユを上からかければ、その下にあるはずのご飯にも味が沁み込み、旨いだろう。
そうやって食べるんだ、と考え、思いっ切り、バサーとかけてしまったのです。

f1020 おおもり


毎日が、ひもじい思いをし、夢にまで食べ物が出てくる上京当時の出来事。
一度でいいから、腹一杯ご飯を食べてみたい、という願望を叶えるべく、アルバイトのお金が初めて入った時、思いっ切り食べようと心に決め、外食をすることにしました。
子供の頃から、外食の経験がなく、今日は腹一杯食べられる。
自分の稼いだお金で、思いっ切り食べよう、という期待に胸をはずませ店に入りました。
日曜日の昼時で、ほぼ満席の状況。
何を食べようか?
壁に貼ってあるメニューを、ひと通り往復して見ました。
だいたいのお客は、椅子について注文を考えます。
壁の前をウロウロし、しかも顔色が浅黒く、栄養失調ぎみの飢えた目。
変な男が入って来た、と他の客が注目しているのは視線で感じられます。
女子高生と思われる、女の子二人との相席でした。
店は、母親と娘なのでしょうか、中学生くらいの女の子が手伝っておりました。
メニューで一番、腹いっぱいになりそうなのは、読み方からして「大もり」でした。
注文をし、どうも周りの視線が興味深げに、じろじろと、ひかるを見ているのに嫌な予感。
程なく「大もり」が来ました。
ひかるの考えでは、「大もり」といえば、どんぶりに、大盛に盛られた、どんぶり飯を想像していましたが、目の前に出てきた物は、意に反する物。

f1019 就職


早速、翌日から職探し。
皿洗いや組み立て配線工、自転車での配達等経験しましたが、日給が5百円程度と安く、生計を維持するには無理がありました。
そこで日給8百円で、なんとか生活可能なトラックの助手の仕事を見つけ、会社の寮へ入れてもらいました。
毎日、鈴や亜鉛のインゴットを満載し配達周りの力仕事でしたが、運転手は荷物には何一つ手をつけず、栄養不足と睡眠不足の体には過酷な仕事でした。
過労の為なのだろうか。腰がふらつき、時々目まいが襲います。
作業中、荷物に指をはさみ、潰してしまいましたが病院へ行く金もなく、休めば食べていけません。
潰れた指を手袋で隠し、なにげない様子で翌日も働き続け、あまりの痛さに指が腐るのではないかと、心配でしたが何時の間にか治りました。
人は過酷などん底生活の中、己の体につけた傷跡や心に染み込んだ教訓は、生涯忘れられません。
今でも辛い時は、傷跡を見、あの時の痛かった事、情熱をぶつけて頑張っていた時の事を思い出しながら過ごしており、以後、どのような試練が襲いかかろうとも耐えていける、という自信がついたのは、大きな財産になりました。
都内は交通渋滞で、定刻に会社へ戻れません。
神田の会社から蒲田のテレビ専門学校迄、駅の改札やホームを一目散に走りまくります。
一分一分が大事で、ドロボウが逃げ、走りまくっているように見えた事でしょう。
夕食の時間がなく、15分間の休憩時間に食堂へ走ります。
食堂のおばさんが、私の駆け込みを知っていて、食事を用意してあり、それを胃袋に流し込み、寮へ帰ると12時、このリズムが続きました。
休みの日は、街頭テレビを見るのが唯一の楽しみ。
どんなに辛くても、魔法の箱の中味は必ず解明しようと自分に言い聞かせ、無事卒業。
何んとしても、テレビの仕事に就きたい。
一途な夢は、番組制作技術プロダクション(株)東通、後に八峯テレビ、現フジメディヤテクノロジー、に入社し実現しました。
面接試験時、身元保証人が本土にいない事を指摘され、保証人ではなく本人を信用して欲しいと要請。
採用は無理かと思いながらも寒い中、郵便受けの前で待ち続け採用通知を受けた時の喜びは、天にも昇る思いでした。
そして辛かった過去を振り返り、何時もはパンの耳をふやかして食べる食器代わりのコップ酒、一人でしみじみ飲み乾しました。
別れの杯を交わした、父の顔がはっきり浮かんできます。
後戻りは出来ない!
前へ進むしかない!

f1018 貧食時代


現在の飽食時代、パンの耳で過ごす事等、考えられないかも知れませんが、日記に昭和40年当時の状況を見る事が出来ます。
「3月29日、月曜日、今日は朝から会社は休み、給料日は目の前だけど、どうしても金が不足。
しかたないので、電子工学、図解パルス工学、電気論の3冊、2000円相当を古本屋に売りに行った。
売りたくない気持ちは山々、そうかと言って、飯を食べずに過ごす訳にもいかない。
ある一軒の古本屋に入り、買ってくれと頼むと、今はその本ありますから、との事で、この本屋を出る。
この場に成って、自分ではよく分からない程の本に対する未練が出てきて、そのまま帰る事にした。
やっぱりどんな事があっても、参考書だけは、今後売るような事はしないようにしよう。
仕方ないので、今日は朝から食パン1個で、1日中過ごす。腹の虫がグーグー鳴っている。
ペンさえも、いつもと違い、ふらふら千鳥足、残る2日間の我慢だ。明日の仕事は元気でいこう。12時記す」
ひかるにとって、パンの耳は、本当の命の源で、どれ程有難いと思った事か。
1日をパン1個で過ごした日が、どれほどあったのだろうか。
絶えるかもしれない、命の恐怖に、何かを残したい、毎日の行動を記録し、自分を励まし、耐えたのです。
そして、生命力の強さ、偉大さをつくづく痛感させられました。
上京時、父はやっとの思いで一万7千円のお金を用意してくれました。
当時は、高校卒業の初任給が一万7千円くらいでしたので、1カ月以内に底をつくのは目に見えており、急いで働かなければ、夜学は続行出来ません。

 1017 何んだ、これは!


今考えると栄養状態は極度に悪く、凍死寸前の状態だったのです。
食べ物が欲しい・・。
着るものが欲しい・・。
誰か話し相手が欲しい・・。
頼る人が一人でもいてくれれば・・・
お金はみるみる底をついて行き、孤独、辛さに、このまま生き続けられるのだろうか?
不安のどん底に陥りました。
父が、やっとの思いで作ってくれたお金、周りの反対を黙って押し切ってくれた事、あの拗ね顔を思い出すと、おめおめと島へ戻る訳にもいかず、自分自身が情けなく、疲れ果てたある日、一人で天井を見つめ、孤独を?み締めながら、何気なく手を胸に当ててみました。
「何んだ、これは!」
思わず、声が出ました。
これだけ辛い思いをし、苦しく悲しんでいるはずなのに、鼓動は平常通り、何事もなく、すがすがしい響で脈を打っていたのです。
身も心も一心同体、体全体で苦しんでいるはずが、孤独、寂しさ、辛さは、精神だけの問題にすぎず、鼓動は平常通り淡々と打ち続ける。
ひかるにとっては、生まれて初めての悟りで、自分の精神がいかにひ弱いのか、情けなくなりました。
強い心が欲しい・・
よーし、生きのびて見せる!
自分にとって、後戻りは出来ない。
辛くても前へ進むしかない。
こう心に固く誓いました。
以後、生涯、精神と鼓動の葛藤が続くように成ったのです。
後の鼓動哲学、原点は二十歳の悟りでした。

 1016 パンの耳


ひかる19歳。パスポート持参で貧しい中での上京。
頼る人とて無く、バイトに夜学。
バイトの金が入るとラーメンを箱ごと買い込み、コッペパンとの連続。
食べ物さえ確保するのが大変な時期でした。
何時ものパン屋へ行った、ある日の出来事。
顔色は浅黒く頬は痩せこけ、明らかに上京したての田舎顔。
手はズボンのポケットへ入れ、十円玉を数え、買えるかどうか思案中。
目は卑しくも買えるはずのない、美味しそうなケーキの方へ行ってしまいます。
一度でいいから、ケーキなる物を食べてみたい・・
しかし金がない。
空腹、みじめ・・
飢えた目で周りのパンをキョロキョロ見ている姿、気の毒に思えたのでしょう。
店のおばちゃんが、他の客がいないのを見計らい、紙袋をそっと渡してくれました。
部屋へ帰り開けると、食パンの耳でした。
他人様から始めて貰った食べ物、心から有難いと感謝したのは言うまでもありません。
早速、コップに水を入れパンの耳を浸して食べる。
これで一食分助かった。
翌日もパンの耳が貰え、コッペパンを買わずに済んだ分、今度は牛乳を買いました。
牛乳にパンの耳を浸して食べるのです。
更に初めての冬は心身共に堪えました。
常夏育ち、冬用の下着や衣類はなく、敷布や毛布も有りません。
畳の上に、掛け布団一枚で寝る始末。
安アパートの為、隙間風は自由に往来。
明け方はとても寒くて眠れません。
少しでも体温を逃さないよう膝を抱え込み、体の表面積を最小限にし、ガタガタ震えているだけ。
猫の気持ちがよく分かりました。

1008 別れの杯


空路が開かれた今では想像出来ませんが、当時、上京するには黒島から朝一便の船で石垣島迄行き、夕方石垣を出港し翌日の昼頃那覇港着、夕方那覇港を出、東京の晴海埠頭まで3泊4日、便数も週2便しかなく更にパスポート持参での上京。
もし危篤の知らせがあったとしても、帰郷するには最低一週間は必要。
ニキビだらけのあどけない顔の少年ながら、決して死に水は取れないだろうと、覚悟しました。
両親を前に生き別れの杯を交わさせてくれと頼み、別れの杯を交わしての旅立ちと成りました。
杯を交わす時、父は決して目を合わせまい、としていました。
拗ねているように視線を外し、何かを必死で耐えている様子。
多分、視線が合えば、上京は取りやめなさい、と口から出るのを耐えていたのでしょう。
両親にとって一番辛い時だったのかも知れません。
ひかる少年は、心から寂しがる両親の横顔を見せつけられ、白髪の様子や禿げ具合、シワの数までしっかりと瞼に焼き付け、刻々と迫る別れが辛く、この世で一番長い夜を過ごしました。
当時、石垣島の港は遠浅の為、沖縄本島行きの大型船が港に入れません。
7、8隻の橋渡船が沖の本船まで荷物や人を運び、最後に見送り人を運びます。
本船は一度目の汽笛でゆっくりと走り出し、見送り船は別れを惜しむかのように、周りを追走。
覚悟の上とはいえ、親との生き別れは、これが最後で2度と会う事が出来ないのかと思うと、あまりにも切なく、身を引き裂かれる程辛いものがあります。
妹は棒切れを突いてピコタン,ピコタン追いかけ「兄ちゃん、行かないで・・」と泣きじゃくる。
「兄ちゃん必ず帰るから」と諭し心を鬼にする。

1007小さな寝息


米国の統治下、勿論、保険制度もなく手術や渡航滞在費等、細々と暮らす一家にとって、とてつもない費用。
遊び疲れたのだろうか、妹は膝に抱かれ小さな寝息、ランプの薄灯かりに映し出される、疲れ切った父の横顔は、藁をもつかむ眼差し。
普段ですら無口な父は、更に無口になって行きました。
11歳の多感なひかる少年は、この大きな試練に家族が押しつぶされるのではないか、と不安に成り子供心にも明るく振る舞う。
無邪気な妹の遊び相手をするよう、心掛けたのでした。
そのうち小児マヒが伝染病でない事が分かり、明るさを取り戻して行ったのです。
9年後の昭和38年、ひかるは高校卒業と同時に東京へ出、魔法の箱、テレビを解明しようと決心。
経済的、精神的にもまだ暗いトンネルの中、上京は誰が考えても無理な相談。
心の内を父に相談すると「自分の思った通りやればいい・・」と一言。
しかし周りは大反対、年老いた両親と足の悪い妹を島に残し、なんで東京に出るんだ!
せめて沖縄本島位にしたらどうだ・・
無口な父は、ただ黙っているだけ・・
人間は一度不幸のどん底に落ちると後がなく、怖いものが無くなるのだろうか・・
これから先一家は離散、それぞれの幸せをコツコツと築き上げて行ったのです。
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