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2018年08月13日
ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する4
2.3 動的な考察
文法の視点で言語を研究する場合、言語共同体を通して世界を言語化する過程が重要になる。ここで言語共同体とは、ドイツ語とか日本語の母国語話者のことであり、母国語とは、言語共同体を通して世界を言語化する手段である。(Weisgerber 1963、94)言語の世界像は、言語を捉えるための考察法であり、静的な言語内容に対して動的な様式といえる文法の考察方法を指す。また、文法に即した語論は、意味に即した考察の継続である。
親族関係を系図で見ると、例えば、ドイツ語とラテン語には違いがある。(池上1980、211)ドイツ語では、Vatter(父)、Mutter(母)、Sohn(息子)、Tochter(娘)がドイツ人の家系図の中で重要な規定となる。Großvater(祖父)、Großmutter(祖母)、Onkel(叔父)、Tante(叔母)、Neffe(甥)などは、自然体系の中で特別な関係というわけではない。ラテン語の親族用語、pater(父)、mater(母)、filius(息子)、filia(娘)、avus(叔父)、patruus(父方のおじ)、amita(父方のおば)などは、ドイツ語の思考体系と完全に一致しない。ローマ人にとってドイツ語のOnkelやVetter(いとこ)は、存在しなかったからである。これが精神的な中間世界を置く理由である。
外界の存在と個人の意識間にある中間世界には、境界や分節条件に違いがある。また、個人の意識が音声形式に変わり、語音と語義の間に言語的な母国語の中間世界を想定し、言語の世界像を見出すことに意義を認めた。(池上1980、220)
音と意味が表裏一体をなす記号としての言語は、同音異義語や機能の面で説明が必要である。性違いで意味が異なる場合、言語史的な見解が可能であり、中性のMesser(ナイフ)と男性のMesser(測量者、測定器)は、別の語彙として区別し、別の道を進んできたとする。
機能については、一つの動詞がどういう結合価を取るのかを検討すればよい。(Engel/Schumacher 1978、203)
(1) Dein Verhalten interessiert mich.
(2) Es interessiert mich, das neue Stück zu sehen.
(3) Es interessiert mich, daß du in die Stadt gezogen bist.
(4) Ich interessiere mich dafür , diese Kirche zu besichtigen.
(5) Der Gast interessiert sich dafür , was im Theater gespielt wird.
(1)は主語と目的語をとり、受動態も作ることができる。(2)はzu不定詞句をとり、(3)はdaß文をとる。(4)はdafürの後に必ず相関の説明が来て、(5)はそれが疑問文になることをいっている。なお、結合価については、動詞だけではなく形容詞や名詞にもその機能が備わっている。
歴史や文化を含む相互作用に基づいた生活についても言語学が研究する一領域とする。つまり、ヴァイスゲルバーは、外界の存在を言語化するプロセスが実践されると、母国語の世界像が作られるとし、これを個人レベルで捉えるべきではなく、言語、技術、法律、芸術、宗教などが関連して作用すると考えた。そのため、言語の妥当性(sprachliche Geltung)という概念が重要なものとなった。(Weisgerber 1963、127)母国語における語彙や構文の妥当性は、言語共同体が客観的に処理することばによる捉え方を継承し、その営みの中で効果を発揮する。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
文法の視点で言語を研究する場合、言語共同体を通して世界を言語化する過程が重要になる。ここで言語共同体とは、ドイツ語とか日本語の母国語話者のことであり、母国語とは、言語共同体を通して世界を言語化する手段である。(Weisgerber 1963、94)言語の世界像は、言語を捉えるための考察法であり、静的な言語内容に対して動的な様式といえる文法の考察方法を指す。また、文法に即した語論は、意味に即した考察の継続である。
親族関係を系図で見ると、例えば、ドイツ語とラテン語には違いがある。(池上1980、211)ドイツ語では、Vatter(父)、Mutter(母)、Sohn(息子)、Tochter(娘)がドイツ人の家系図の中で重要な規定となる。Großvater(祖父)、Großmutter(祖母)、Onkel(叔父)、Tante(叔母)、Neffe(甥)などは、自然体系の中で特別な関係というわけではない。ラテン語の親族用語、pater(父)、mater(母)、filius(息子)、filia(娘)、avus(叔父)、patruus(父方のおじ)、amita(父方のおば)などは、ドイツ語の思考体系と完全に一致しない。ローマ人にとってドイツ語のOnkelやVetter(いとこ)は、存在しなかったからである。これが精神的な中間世界を置く理由である。
外界の存在と個人の意識間にある中間世界には、境界や分節条件に違いがある。また、個人の意識が音声形式に変わり、語音と語義の間に言語的な母国語の中間世界を想定し、言語の世界像を見出すことに意義を認めた。(池上1980、220)
音と意味が表裏一体をなす記号としての言語は、同音異義語や機能の面で説明が必要である。性違いで意味が異なる場合、言語史的な見解が可能であり、中性のMesser(ナイフ)と男性のMesser(測量者、測定器)は、別の語彙として区別し、別の道を進んできたとする。
機能については、一つの動詞がどういう結合価を取るのかを検討すればよい。(Engel/Schumacher 1978、203)
(1) Dein Verhalten interessiert mich.
(2) Es interessiert mich, das neue Stück zu sehen.
(3) Es interessiert mich, daß du in die Stadt gezogen bist.
(4) Ich interessiere mich dafür , diese Kirche zu besichtigen.
(5) Der Gast interessiert sich dafür , was im Theater gespielt wird.
(1)は主語と目的語をとり、受動態も作ることができる。(2)はzu不定詞句をとり、(3)はdaß文をとる。(4)はdafürの後に必ず相関の説明が来て、(5)はそれが疑問文になることをいっている。なお、結合価については、動詞だけではなく形容詞や名詞にもその機能が備わっている。
歴史や文化を含む相互作用に基づいた生活についても言語学が研究する一領域とする。つまり、ヴァイスゲルバーは、外界の存在を言語化するプロセスが実践されると、母国語の世界像が作られるとし、これを個人レベルで捉えるべきではなく、言語、技術、法律、芸術、宗教などが関連して作用すると考えた。そのため、言語の妥当性(sprachliche Geltung)という概念が重要なものとなった。(Weisgerber 1963、127)母国語における語彙や構文の妥当性は、言語共同体が客観的に処理することばによる捉え方を継承し、その営みの中で効果を発揮する。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
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ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する3
2.2 静的な考察
音であれ意味であれ、双方が表裏をなしているという前提から、単体的な考察は認めていない。音に関する考察は、母国語の音の記号を意識することから始まる。語彙に関して目録を作成し、音素に従い特徴を付けていく。例えば、語と語義を担う音声表現としての語体との混同は避けなければならない。音の研究は、個々の語の境界を作る際に意味の基準の助けが必要となる。(Weisgerber 1963、45)
意味に関する考察では、意味に即したことばの中間層が説明されている。そこでは、ことばと事物の研究とか記号の研究が伝統的な共通認識である。特に語場は、1930年代に活躍したトリーアからの影響を受けており、意味に即した語論の主な研究領域であって、語群が制限された構成要素間で意味内容の秩序を担う。例えば、gutの価値評価は、4段階、5段階、6段階でそれぞれの意味内容が微妙に異なる。(Weisgerber 1963、70)
つまり、一見同じ単語でも、sehr gut(優)、gut(良)、genügend(可)、ungenügend(不可)の4段階では良、sehr gut(秀)、gut(優)、genügend(良)、mangelhaft(可)、ungenügend(不可)の5段階では優を表している。つまり、4段階と5段階で意味内容が異なることは明らかである。また、言語記号と意味内容は、音と意味の総体という捉え方で、Wort(語)= Laut(音声形式)x Inhalt(意味内容)という構造式が基本であり、gutの場合も然りである。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
音であれ意味であれ、双方が表裏をなしているという前提から、単体的な考察は認めていない。音に関する考察は、母国語の音の記号を意識することから始まる。語彙に関して目録を作成し、音素に従い特徴を付けていく。例えば、語と語義を担う音声表現としての語体との混同は避けなければならない。音の研究は、個々の語の境界を作る際に意味の基準の助けが必要となる。(Weisgerber 1963、45)
意味に関する考察では、意味に即したことばの中間層が説明されている。そこでは、ことばと事物の研究とか記号の研究が伝統的な共通認識である。特に語場は、1930年代に活躍したトリーアからの影響を受けており、意味に即した語論の主な研究領域であって、語群が制限された構成要素間で意味内容の秩序を担う。例えば、gutの価値評価は、4段階、5段階、6段階でそれぞれの意味内容が微妙に異なる。(Weisgerber 1963、70)
つまり、一見同じ単語でも、sehr gut(優)、gut(良)、genügend(可)、ungenügend(不可)の4段階では良、sehr gut(秀)、gut(優)、genügend(良)、mangelhaft(可)、ungenügend(不可)の5段階では優を表している。つまり、4段階と5段階で意味内容が異なることは明らかである。また、言語記号と意味内容は、音と意味の総体という捉え方で、Wort(語)= Laut(音声形式)x Inhalt(意味内容)という構造式が基本であり、gutの場合も然りである。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する2
2 ヴァイスゲルバーの母国語教育の立場
2.1 言語分析のための4つのアプローチ
ヴァイスゲルバーは、言語の分析、特に母国語を考察する際に、音、意味、文法及びことばの運用の問題を取り上げ、例えば、文法に関して考察するとき、単体としてではなく、他の3つの要素も関連づけて考えることを目指した。(Weisgerber 1963、33)つまり、ドイツ民族が母国語を習得する際、音、意味、文法を関連づけて学習しながら、外界の存在と人間の意識の間に位置する母国語の世界像を使用していると考えた。
私も母国語教育を考えるとき、日本語の音や意味、そして文法の面だけではなく、生活や文化なども含めた日本語の運用について考えることが多い。これにより言語共同体が考察の対象となって世界を言語化するプロセスとしての母国語が特徴づけられる。
母国語全体の分析対象をまず二つに分ける。一つは、すでにできている静的なもの(エルゴン)、また一つは人の心に働きかけ自らを変革していく動的なもの(エネルゲイア)である。前者には、例えば、音と意味が属し、後者には文法やことばの運用が入る。言語学史の流れで見ると、1960年代はまだ脳科学からの考察が少なかったため、精神や言語による中間世界という概念を用いて母国語の世界像を説明していた。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
2.1 言語分析のための4つのアプローチ
ヴァイスゲルバーは、言語の分析、特に母国語を考察する際に、音、意味、文法及びことばの運用の問題を取り上げ、例えば、文法に関して考察するとき、単体としてではなく、他の3つの要素も関連づけて考えることを目指した。(Weisgerber 1963、33)つまり、ドイツ民族が母国語を習得する際、音、意味、文法を関連づけて学習しながら、外界の存在と人間の意識の間に位置する母国語の世界像を使用していると考えた。
私も母国語教育を考えるとき、日本語の音や意味、そして文法の面だけではなく、生活や文化なども含めた日本語の運用について考えることが多い。これにより言語共同体が考察の対象となって世界を言語化するプロセスとしての母国語が特徴づけられる。
母国語全体の分析対象をまず二つに分ける。一つは、すでにできている静的なもの(エルゴン)、また一つは人の心に働きかけ自らを変革していく動的なもの(エネルゲイア)である。前者には、例えば、音と意味が属し、後者には文法やことばの運用が入る。言語学史の流れで見ると、1960年代はまだ脳科学からの考察が少なかったため、精神や言語による中間世界という概念を用いて母国語の世界像を説明していた。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する1
1 はじめに
中国の大学で中国人に日本語を教えてかれこれ十年になる。これを機に母国語による個人や民族の教育を目指したドイツのレオ・ヴァイスゲルバー(1899−1985)の論文を再考してみたい。ヴァイスゲルバーについては、立教大学文学部ドイツ文学科の卒業論文(1985)で取り上げた研究テーマである。
当時は、ドイツ語の意味論に関心があった。トリーアが中世の形容詞と名詞を語彙レベルで研究したのに対し、ヴァイスゲルバーは、現代のドイツ語を単語から構文まで研究の対象にした。そこでこの小論では、日本語教育の現場で約10年中国語話者向けの教授法に従事した私の経験知とヴァイスゲルバーの母国語教育を照合し、卒業論文から始まる私の研究実績の区切りを作りたい。主要な考察対象は、言語の運用とし、中国で実践している日本語教育とヴァイスゲルバーが目指した母国語へのアプローチを関連づけて論じていく。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
中国の大学で中国人に日本語を教えてかれこれ十年になる。これを機に母国語による個人や民族の教育を目指したドイツのレオ・ヴァイスゲルバー(1899−1985)の論文を再考してみたい。ヴァイスゲルバーについては、立教大学文学部ドイツ文学科の卒業論文(1985)で取り上げた研究テーマである。
当時は、ドイツ語の意味論に関心があった。トリーアが中世の形容詞と名詞を語彙レベルで研究したのに対し、ヴァイスゲルバーは、現代のドイツ語を単語から構文まで研究の対象にした。そこでこの小論では、日本語教育の現場で約10年中国語話者向けの教授法に従事した私の経験知とヴァイスゲルバーの母国語教育を照合し、卒業論文から始まる私の研究実績の区切りを作りたい。主要な考察対象は、言語の運用とし、中国で実践している日本語教育とヴァイスゲルバーが目指した母国語へのアプローチを関連づけて論じていく。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
2018年07月12日
これまでに使用した教材の一覧
【武汉科技大学外语外事职业学院】
みんなの日本語1、2(大家的日语1、2学习辅导用书) 外語教学与研究出版社 2002
日本社团法人国际日本语普及协会 商务实战日语会话 大連理工大学出版部 2003
编写委员会编 日语会话技巧篇 外語教学与研究出版社 2003
刁鹂鹏編著 新商務日語基础教程 外语教学与研究出版社 2007
【集美大学】
山本哲也、陈岩、于敬河 汉译日精编教程 大连理工大学出版社 2002
王秀文/山鹿睛美編 实用日语写作教程 外语教学与研究出版社 2004
日语新闻视听教程 外语教学与研究出版社 2009
初级日语会话教程 北京理工大学出版社 2009
日语听力初级教程 南开大学出版社 2009
冯富荣, 杜英起编著 汉译日 多媒体教程 外语教学与研究出版社 2007
【天津外国语大学】
内田安伊子/紀子 構成・特徴・分野から学ぶ新聞の読解 スリーエーネットワーク2008
王秀文/山鹿睛美編 实用日语写作教程 外语教学与研究出版社 2004
【湖南科技学院】
日语综合教程第五册 上海外语教育出版社 2006
朱京伟 日语词汇学教程 外语教学与研究出版社 2005
【宁波大红鹰学院】
新编汉日日汉同声传译教程 外语教学与研究出版社出版 2011
大学日语写作教程 外语教学与研究出版社 2006
新编日语 上海外语教育出版社2009
编写委员会编 日语会话商务篇 2004
楊立国編 日本経済入門 大連理工大学出版社 2011
【盐城工学院】
日语视听说 上海外语教育出版社 2012
日本文学史(高等学校日语教材) 大连理工大学出版社 2012
大学日语写作教程 外语教学与研究出版社 2006
朱京伟 日语词汇学教程 外语教学与研究出版社 2005
新编日文报刊文章选读 南开大学出版社 2010
初级日语听力教程 大连理工大学出版社 2014
【大连交通大学】
奥村真希/釜淵優子著 职场日本语-邮件写作篇(しごとの日本語)上海译文出版社 2015
胡传乃编著 日语写作 北京大学出版社 2016
王霞总主编 初級日語会話教程 大連理工大学出版社 2016
王霞总主编 中級日語会話教程 大連理工大学出版社 2017
2018年02月15日
マクロの文学分析と計算文学の定義
マクロの文学分析とは、地球規模とフォーマットのシフトからなり、地球規模は東西南北、できればオリンピック、フォーマットのシフトは、縦横に購読脳と執筆脳を置いてLでマージをする分析方法である。その際、リレーショナルなデータベースを作成し、データを処理していく。データベースは、今のところ、魯迅、莫言、森鷗外、井上靖、川端康成、トーマス・マン、ナディン・ゴーディマである。今後、バランスを取りながら、作家の数を増やしていく予定である。
私のブログでいう計算文学とは、論理計算と統計処理からなる文学分析(カリキュレーション)を指す。脳の細胞の分析とか数理や技術を駆使するコンピューティングも含めた理系の手法とは異なる。あくまで、小説のデータベースを作成し、そこから作家の執筆脳を分析するというスタンスである。
花村嘉英ブログ「トーマス・マンとファジィ」より
私のブログでいう計算文学とは、論理計算と統計処理からなる文学分析(カリキュレーション)を指す。脳の細胞の分析とか数理や技術を駆使するコンピューティングも含めた理系の手法とは異なる。あくまで、小説のデータベースを作成し、そこから作家の執筆脳を分析するというスタンスである。
花村嘉英ブログ「トーマス・マンとファジィ」より
2017年12月31日
日本経済入門の講義13
D 内外から見た日本円の弱さ
国際的に比較しながら、日本の内外価格差と円の購買力の問題を見てみよう。内外価格差とは、国内と海外の価格の格差を表す指標で、実際には購買力平価を為替レートで÷ことにより求められる。購買力平価とは、日米間で考える、米国において1ドルで買えるものを日本で買うといくらになるかを表すものである。
例えば、為替レートが1ドル=110円であれば、新聞が日本では120円するのに、米国では80円だとすると、購買力平価より円高である。米国に比べて日本では新聞の値段が高く、日米間に内外価格差が存在している。国民生活に直接関連している消費財、サービスの内外価格差の存在は、国内における日本円の弱さを示している。
次に、中心的な債権国としての役割がある。豊富な工業化による経常収支の黒字を対外投資に振り分け、1980年代に入ると日本は米国に代わって世界最大の債権国になった。しかし、資本輸出は自国通貨円建てではなく、依然としてドル建てで行われた。そのため、資本循環の中心位置にあるのではなく、ある意味で、ただの資本供給国にすぎず、米国が中心的資本輸出国の役割を担っていた。
こうした構造は、日本円が国際通貨として使われる比率を下げた。世界貿易における円建て比率は、5%にすぎず、米国ドル、ユーロ、英国ポンドよりも低いと推定される。経済が持続的に低迷する中で、日本円は国際化の道は、さらに難しくなるようである。
7.2 国際貿易と中国人民元
これまで、ドル・円・ユーロなどの主要通貨で構成されていたIMF(国際通貨基金)が扱う仮想の通貨に、2016年10月1日から中国の人民元が正式に組み込まれた。通貨としての国際的な位置づけの高まりの象徴である。人民元の採用でIMFの仮想通貨にはさらなる多様性がもたらされ、グローバルな通貨や経済を一層反映することになるとIMF理事も述べている。
IMFの加盟国が資金を融通する際に通貨のような役割を果たすSDR(特別引き出し権)は、為替変動の影響を抑えるため、アメリカドル・日本円・イギリスのポンドとユーロの4つの通貨を混ぜるかたちで構成されていた。しかし、中国の主張に応じて、IMFは去年、中国の人民元が国際的な決済が可能な通貨としての条件をクリアすると判断し、5つ目の構成通貨への採用を決めていた。
人民元の構成比率は10.92%と、円を超えて、アメリカドル、ユーロに続く3番目の大きさで、国際的に使用でき、信用できる通貨としてのいわばお墨付きが与えられたかたちとなった。
【参考文献】
楊立国編 日本経済入門 大連理工大学出版社 2011
花村嘉英 日本経済入門の講義(宁波大红鹰学院)2015
国際的に比較しながら、日本の内外価格差と円の購買力の問題を見てみよう。内外価格差とは、国内と海外の価格の格差を表す指標で、実際には購買力平価を為替レートで÷ことにより求められる。購買力平価とは、日米間で考える、米国において1ドルで買えるものを日本で買うといくらになるかを表すものである。
例えば、為替レートが1ドル=110円であれば、新聞が日本では120円するのに、米国では80円だとすると、購買力平価より円高である。米国に比べて日本では新聞の値段が高く、日米間に内外価格差が存在している。国民生活に直接関連している消費財、サービスの内外価格差の存在は、国内における日本円の弱さを示している。
次に、中心的な債権国としての役割がある。豊富な工業化による経常収支の黒字を対外投資に振り分け、1980年代に入ると日本は米国に代わって世界最大の債権国になった。しかし、資本輸出は自国通貨円建てではなく、依然としてドル建てで行われた。そのため、資本循環の中心位置にあるのではなく、ある意味で、ただの資本供給国にすぎず、米国が中心的資本輸出国の役割を担っていた。
こうした構造は、日本円が国際通貨として使われる比率を下げた。世界貿易における円建て比率は、5%にすぎず、米国ドル、ユーロ、英国ポンドよりも低いと推定される。経済が持続的に低迷する中で、日本円は国際化の道は、さらに難しくなるようである。
7.2 国際貿易と中国人民元
これまで、ドル・円・ユーロなどの主要通貨で構成されていたIMF(国際通貨基金)が扱う仮想の通貨に、2016年10月1日から中国の人民元が正式に組み込まれた。通貨としての国際的な位置づけの高まりの象徴である。人民元の採用でIMFの仮想通貨にはさらなる多様性がもたらされ、グローバルな通貨や経済を一層反映することになるとIMF理事も述べている。
IMFの加盟国が資金を融通する際に通貨のような役割を果たすSDR(特別引き出し権)は、為替変動の影響を抑えるため、アメリカドル・日本円・イギリスのポンドとユーロの4つの通貨を混ぜるかたちで構成されていた。しかし、中国の主張に応じて、IMFは去年、中国の人民元が国際的な決済が可能な通貨としての条件をクリアすると判断し、5つ目の構成通貨への採用を決めていた。
人民元の構成比率は10.92%と、円を超えて、アメリカドル、ユーロに続く3番目の大きさで、国際的に使用でき、信用できる通貨としてのいわばお墨付きが与えられたかたちとなった。
【参考文献】
楊立国編 日本経済入門 大連理工大学出版社 2011
花村嘉英 日本経済入門の講義(宁波大红鹰学院)2015
日本経済入門の講義12
6 国際貿易
6.1 国際貿易と日本円
A 日本の貿易の構造
経済データによると、2006年の日本の輸出商品は、輸送用機器24.2%、電気機器21.4%、一般機器19.7%であり、これらだけで輸出の65.3%ものシェアを占めている。輸送用機器の中で自動車の輸出が16.3%に達している。一方、輸入商品は、機械機器28.5%、鉱物性燃料27.7%、食料品8.5%となっており、これらは輸入全体の64.7%を占めている。
天然資源に乏しい日本が鉱物性燃料を多く輸入するのは従来からよく知られたことであるが、機械機器の輸入はそれを上回っている。これは、原材料を海外から輸入してそれらを加工し、工業製品などの最終財を生産して輸入するという加工貿易中心の貿易構造が大きく変化したことを意味している。
B FTAの増加の理由
自由貿易協定(FTA)は域内での関税などの貿易障壁を軽減することにより、域内での貿易を活性化させる効果、いわゆる貿易創造効果を持っている。また、域内では貿易取引の拡大により企業間の競争を促進し、市場構造をより競わせる効果、いわゆる競争促進効果を持っているためである。
C 国際通貨体制下での日本円の歩み
1872年(M4)、新貨条例を実施し、新しい通貨を円と決めた。1円=1ドルであった。1897年(M30)の貨幣法で正式に金本位制を採用した。1円=2ドルと対ドルで円の価値は半減した。1914年、第一次世界大戦がはじまると、各国は金の輸出を禁止した。日本は、1930年に金輸出解禁を断行したが、1931年に金輸出再禁止を実施した。第二次世界大戦直前、世界情勢が不安定だからである。
第二次世界大戦後、米国は、強力な経済、政治、軍事の下で国際通貨体制、いわゆるブレトンウッズ体制を構築した。これには二つの構成要素がある、第一は、金との交換性を持つ米国ドルを国際通貨にすることであり、第二には、各国通貨を米国ドルと固定することである。日本円に対しては、1円=360ドルの時代が始まった。
しかし、戦後、物不足を背景にして物価が急騰し、円が信用を失った。1946年2月に日本政府は、金融緊急措置を断行し、5円札以上の日銀券を強制的に金融機関に預けさせ、一人100円まで新円と取り換えて、残りは封鎖した。これにより、インフレが鎮静化し、1949年に1円=360ドルという為替レートが設定された。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より
6.1 国際貿易と日本円
A 日本の貿易の構造
経済データによると、2006年の日本の輸出商品は、輸送用機器24.2%、電気機器21.4%、一般機器19.7%であり、これらだけで輸出の65.3%ものシェアを占めている。輸送用機器の中で自動車の輸出が16.3%に達している。一方、輸入商品は、機械機器28.5%、鉱物性燃料27.7%、食料品8.5%となっており、これらは輸入全体の64.7%を占めている。
天然資源に乏しい日本が鉱物性燃料を多く輸入するのは従来からよく知られたことであるが、機械機器の輸入はそれを上回っている。これは、原材料を海外から輸入してそれらを加工し、工業製品などの最終財を生産して輸入するという加工貿易中心の貿易構造が大きく変化したことを意味している。
B FTAの増加の理由
自由貿易協定(FTA)は域内での関税などの貿易障壁を軽減することにより、域内での貿易を活性化させる効果、いわゆる貿易創造効果を持っている。また、域内では貿易取引の拡大により企業間の競争を促進し、市場構造をより競わせる効果、いわゆる競争促進効果を持っているためである。
C 国際通貨体制下での日本円の歩み
1872年(M4)、新貨条例を実施し、新しい通貨を円と決めた。1円=1ドルであった。1897年(M30)の貨幣法で正式に金本位制を採用した。1円=2ドルと対ドルで円の価値は半減した。1914年、第一次世界大戦がはじまると、各国は金の輸出を禁止した。日本は、1930年に金輸出解禁を断行したが、1931年に金輸出再禁止を実施した。第二次世界大戦直前、世界情勢が不安定だからである。
第二次世界大戦後、米国は、強力な経済、政治、軍事の下で国際通貨体制、いわゆるブレトンウッズ体制を構築した。これには二つの構成要素がある、第一は、金との交換性を持つ米国ドルを国際通貨にすることであり、第二には、各国通貨を米国ドルと固定することである。日本円に対しては、1円=360ドルの時代が始まった。
しかし、戦後、物不足を背景にして物価が急騰し、円が信用を失った。1946年2月に日本政府は、金融緊急措置を断行し、5円札以上の日銀券を強制的に金融機関に預けさせ、一人100円まで新円と取り換えて、残りは封鎖した。これにより、インフレが鎮静化し、1949年に1円=360ドルという為替レートが設定された。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より
日本経済入門の講義11
D 基幹産業の再編成
@ 自動車産業
この数年、世界的な自動車産業の再編成が積極的に展開されてきた。1998年から1999年にかけて、独フォルクスワーゲンの英ロールスロイス買収、独ダイムラーベンツと米クライスラーとの合併、さらに、米フォードの瑞典ボルボの買収などが有名である。
こうした中、日本の自動車メーカーも外資との提携を進める。1993年3月、日産自動車と仏ルノーが資本提携をし、1999年10月三菱自動車が瑞典ボルボとの株式持合に合意した。また、同年12月、富士の提携を結び、が米GMと資本提携や技術協力を結んだ。
この数年の自動車産業の国際的な再編成の動きは、どうして強まったのであろうか。第一は、自動車産業が成熟期を迎えているからである。例えば、日本の場合、自動車の一年間の需要は、約1000万台であるのに対して、最大生産能力が1500万台見込めるため、メーカーの数が多すぎるのである。
第二は、自動車市場のグローバル化への対応である。先進国市場での新規需要増があまり期待できないのに対して、中国やインド、ブラジルなどが経済的発展期を迎え、新しい市場として登場してきた。そこで、欧米のメーカーは日本のメーカーと資本提携をすることが大きな魅力になっている。
第三は、自動車メーカーの環境戦略上に再編する必要がある。地球温暖化の原因になる二酸化炭素の排出量には、日本の場合、自動車部門が2割近くを占めている。生き残り競争に勝つためには、低公害車、無公害車の開発は急務な課題であるが、巨額の研究費や優秀な技術陣が必要であり、合併や買収に踏み切る理由にもなっている。
A 石油産業
19907年代に入ってからの石油産業の国際的な再編成が進んだ背景には、石油産業を巡る構造変化があったからである。二度の石油ショックを経験した産油国により市場支配が終わり、原油価格の低位安定が予測される中で、徹底的な経営の合理化が図られない限り、生き残れないという状況ができた。自動車道用、需要に対する過剰供給の問題が再編成の引き金となった。
特定石油製品輸入暫定法(特石法)が1986年来、ガソリンの輸入を規制してきたが、1996年に廃止になり、割安のガソリンが入り、さらに、1998年から説府式スタンド規制がなくなり、石油元売り各社は、リストラや物流提携強化などの措置をとって対応した。
1994年からは、国内石油大手の統合が進んでいく。日石三菱とコスモ石油、ジャパンエナジーと昭和シェル石油、出光興産、エッソモービルの4大グループによる新たな競争時代を迎えることになった。
B 鉄鋼業
鉄鋼業界の再編成については、世界第一位の新日本製鉄の積極的な動きが目立った。2000年夏に世界第二位の韓国の浦項総合製鉄と技術提携したのに続き、2001年2月に、世界第五位の仏ユジノールと鉄鋼事業での包括提携に踏み切った。
一方、ライバルのNKKと川崎製鉄が、2001年4月、経営統合し、2002年9月に共同持株会社JFEグループを設立して、新日鉄に対抗した。これに対し、新日鉄は、住友金属、神戸製鋼と包括提携を結び、体制を整える動きをとった。
鉄鋼業界の再編成の理由は、大幅な生産過剰にある上、鉄鋼の最大の顧客である自動車業界が生産拠点の国際的展開と国境を超えた再編を加速しているため、自動車大手のグルーバルな調達の技術と、地域双方で対応できるかどうかが各社の生き残りの条件になってきているためである。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より
@ 自動車産業
この数年、世界的な自動車産業の再編成が積極的に展開されてきた。1998年から1999年にかけて、独フォルクスワーゲンの英ロールスロイス買収、独ダイムラーベンツと米クライスラーとの合併、さらに、米フォードの瑞典ボルボの買収などが有名である。
こうした中、日本の自動車メーカーも外資との提携を進める。1993年3月、日産自動車と仏ルノーが資本提携をし、1999年10月三菱自動車が瑞典ボルボとの株式持合に合意した。また、同年12月、富士の提携を結び、が米GMと資本提携や技術協力を結んだ。
この数年の自動車産業の国際的な再編成の動きは、どうして強まったのであろうか。第一は、自動車産業が成熟期を迎えているからである。例えば、日本の場合、自動車の一年間の需要は、約1000万台であるのに対して、最大生産能力が1500万台見込めるため、メーカーの数が多すぎるのである。
第二は、自動車市場のグローバル化への対応である。先進国市場での新規需要増があまり期待できないのに対して、中国やインド、ブラジルなどが経済的発展期を迎え、新しい市場として登場してきた。そこで、欧米のメーカーは日本のメーカーと資本提携をすることが大きな魅力になっている。
第三は、自動車メーカーの環境戦略上に再編する必要がある。地球温暖化の原因になる二酸化炭素の排出量には、日本の場合、自動車部門が2割近くを占めている。生き残り競争に勝つためには、低公害車、無公害車の開発は急務な課題であるが、巨額の研究費や優秀な技術陣が必要であり、合併や買収に踏み切る理由にもなっている。
A 石油産業
19907年代に入ってからの石油産業の国際的な再編成が進んだ背景には、石油産業を巡る構造変化があったからである。二度の石油ショックを経験した産油国により市場支配が終わり、原油価格の低位安定が予測される中で、徹底的な経営の合理化が図られない限り、生き残れないという状況ができた。自動車道用、需要に対する過剰供給の問題が再編成の引き金となった。
特定石油製品輸入暫定法(特石法)が1986年来、ガソリンの輸入を規制してきたが、1996年に廃止になり、割安のガソリンが入り、さらに、1998年から説府式スタンド規制がなくなり、石油元売り各社は、リストラや物流提携強化などの措置をとって対応した。
1994年からは、国内石油大手の統合が進んでいく。日石三菱とコスモ石油、ジャパンエナジーと昭和シェル石油、出光興産、エッソモービルの4大グループによる新たな競争時代を迎えることになった。
B 鉄鋼業
鉄鋼業界の再編成については、世界第一位の新日本製鉄の積極的な動きが目立った。2000年夏に世界第二位の韓国の浦項総合製鉄と技術提携したのに続き、2001年2月に、世界第五位の仏ユジノールと鉄鋼事業での包括提携に踏み切った。
一方、ライバルのNKKと川崎製鉄が、2001年4月、経営統合し、2002年9月に共同持株会社JFEグループを設立して、新日鉄に対抗した。これに対し、新日鉄は、住友金属、神戸製鋼と包括提携を結び、体制を整える動きをとった。
鉄鋼業界の再編成の理由は、大幅な生産過剰にある上、鉄鋼の最大の顧客である自動車業界が生産拠点の国際的展開と国境を超えた再編を加速しているため、自動車大手のグルーバルな調達の技術と、地域双方で対応できるかどうかが各社の生き残りの条件になってきているためである。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より
日本経済入門の講義10
B 日本の農業の構造上の特徴とその背景
基本的な指標である農業生産指数や耕地面積などの推移を次の表に示す。
2000年を100とすると、1960年が80であったから、40年間で25%の増加、年率だと平均0.56%ずつ増加している。しかし、耕地面積、農業就業人口、農家戸数ともに、1960年以来一貫して減少傾向にある。2003年の善光区平均の農家の所得は、1戸当たり771万円で、勤労世帯の630万円を上回っていたが、農業所得は14%にすぎず、年金や他の仕事による所得で成り立っている。また、農業就業者の高齢化が進み、労働力不足は、農業構造をじゃ期待かさせる恐れがあり、それを回避するためには、新規就農者を増やすための制作が必要である。
1961年に制定された農業基本法は、20世紀後半の日本の農業政策の理念と試作の基本的方向を示すものといってよい。1993年に成立されたWTO農業協定が日本の農業に大きな影響を与えた。
WTO農業協定は、三つの分野から成り立っている。輸入国の市場を開放する市場アクセス、輸出削減の補助金を求める輸入競争、貿易に影響する国際政策の削減を盛り込んだ国内助成である。日本の関心事は、コメの関税化による市場アクセスである。コメについては、関税化猶予となったが、その代償として、ミニマム・アクセス(最低輸入義務)の数量を加重することになった。
C 産業空洞化の原因とその影響
1985年のプラザ合意以降、急激な円高につれ、日本企業は次々と海外(特にアジア地域)に進出し、生産拠点を世界範囲に拡大させた。海外移転の理由としては、第一に人件費の安さ、第二に現地市場の開拓が挙げられる。
特に、製造業で海外移転が進めば、その裏返しの減少として、閉鎖に追い込まれる国内工場が増えるはずである。2001年の一年だけでも69社、124工場が閉鎖に追い込まれ、2002年に入ると、高区内工場の閉鎖、休止はさらに増えた。いわゆる産業の空洞化である。
工場閉鎖・休止の主な原因は3つある。第一は、事業統合や企業の合併・買収に伴う例が急増していることである。第二は、将来性のない事業からの撤退を決め、工場の閉鎖・休止でその数は47社にのぼる。第三は、顧客企業の海外生産拡大に対応して、国内から海外に工場を移す企業もある。電気や情報の製造拠点の移転が急速に進んでいる。
国内工場で閉鎖した企業の多くがアジア地域へ生産拠点を移しており、最近では大手メーカーがアジアでの生産拠点を再編する動きが始まった。主に、拠点集中化と分散化の動きがある。例えば、トヨタ自動車は、2004年からタイでピックアップトラックの生産量を念7万代から20万台へと約3倍に増やし、アジアやヨーロッパへの輸出起点にしている。タイには、ホンダ、米GM、独BMWなどが進出しているため、部品調達も便利なことから、トヨタはタイに集中したわけである。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より
基本的な指標である農業生産指数や耕地面積などの推移を次の表に示す。
2000年を100とすると、1960年が80であったから、40年間で25%の増加、年率だと平均0.56%ずつ増加している。しかし、耕地面積、農業就業人口、農家戸数ともに、1960年以来一貫して減少傾向にある。2003年の善光区平均の農家の所得は、1戸当たり771万円で、勤労世帯の630万円を上回っていたが、農業所得は14%にすぎず、年金や他の仕事による所得で成り立っている。また、農業就業者の高齢化が進み、労働力不足は、農業構造をじゃ期待かさせる恐れがあり、それを回避するためには、新規就農者を増やすための制作が必要である。
1961年に制定された農業基本法は、20世紀後半の日本の農業政策の理念と試作の基本的方向を示すものといってよい。1993年に成立されたWTO農業協定が日本の農業に大きな影響を与えた。
WTO農業協定は、三つの分野から成り立っている。輸入国の市場を開放する市場アクセス、輸出削減の補助金を求める輸入競争、貿易に影響する国際政策の削減を盛り込んだ国内助成である。日本の関心事は、コメの関税化による市場アクセスである。コメについては、関税化猶予となったが、その代償として、ミニマム・アクセス(最低輸入義務)の数量を加重することになった。
C 産業空洞化の原因とその影響
1985年のプラザ合意以降、急激な円高につれ、日本企業は次々と海外(特にアジア地域)に進出し、生産拠点を世界範囲に拡大させた。海外移転の理由としては、第一に人件費の安さ、第二に現地市場の開拓が挙げられる。
特に、製造業で海外移転が進めば、その裏返しの減少として、閉鎖に追い込まれる国内工場が増えるはずである。2001年の一年だけでも69社、124工場が閉鎖に追い込まれ、2002年に入ると、高区内工場の閉鎖、休止はさらに増えた。いわゆる産業の空洞化である。
工場閉鎖・休止の主な原因は3つある。第一は、事業統合や企業の合併・買収に伴う例が急増していることである。第二は、将来性のない事業からの撤退を決め、工場の閉鎖・休止でその数は47社にのぼる。第三は、顧客企業の海外生産拡大に対応して、国内から海外に工場を移す企業もある。電気や情報の製造拠点の移転が急速に進んでいる。
国内工場で閉鎖した企業の多くがアジア地域へ生産拠点を移しており、最近では大手メーカーがアジアでの生産拠点を再編する動きが始まった。主に、拠点集中化と分散化の動きがある。例えば、トヨタ自動車は、2004年からタイでピックアップトラックの生産量を念7万代から20万台へと約3倍に増やし、アジアやヨーロッパへの輸出起点にしている。タイには、ホンダ、米GM、独BMWなどが進出しているため、部品調達も便利なことから、トヨタはタイに集中したわけである。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より