アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2018年08月13日

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する4

2.3 動的な考察
 
 文法の視点で言語を研究する場合、言語共同体を通して世界を言語化する過程が重要になる。ここで言語共同体とは、ドイツ語とか日本語の母国語話者のことであり、母国語とは、言語共同体を通して世界を言語化する手段である。(Weisgerber 1963、94)言語の世界像は、言語を捉えるための考察法であり、静的な言語内容に対して動的な様式といえる文法の考察方法を指す。また、文法に即した語論は、意味に即した考察の継続である。
 親族関係を系図で見ると、例えば、ドイツ語とラテン語には違いがある。(池上1980、211)ドイツ語では、Vatter(父)、Mutter(母)、Sohn(息子)、Tochter(娘)がドイツ人の家系図の中で重要な規定となる。Großvater(祖父)、Großmutter(祖母)、Onkel(叔父)、Tante(叔母)、Neffe(甥)などは、自然体系の中で特別な関係というわけではない。ラテン語の親族用語、pater(父)、mater(母)、filius(息子)、filia(娘)、avus(叔父)、patruus(父方のおじ)、amita(父方のおば)などは、ドイツ語の思考体系と完全に一致しない。ローマ人にとってドイツ語のOnkelやVetter(いとこ)は、存在しなかったからである。これが精神的な中間世界を置く理由である。
 外界の存在と個人の意識間にある中間世界には、境界や分節条件に違いがある。また、個人の意識が音声形式に変わり、語音と語義の間に言語的な母国語の中間世界を想定し、言語の世界像を見出すことに意義を認めた。(池上1980、220)
 音と意味が表裏一体をなす記号としての言語は、同音異義語や機能の面で説明が必要である。性違いで意味が異なる場合、言語史的な見解が可能であり、中性のMesser(ナイフ)と男性のMesser(測量者、測定器)は、別の語彙として区別し、別の道を進んできたとする。
 機能については、一つの動詞がどういう結合価を取るのかを検討すればよい。(Engel/Schumacher 1978、203)

(1) Dein Verhalten interessiert mich.
(2) Es interessiert mich, das neue Stück zu sehen.
(3) Es interessiert mich, daß du in die Stadt gezogen bist.
(4) Ich interessiere mich dafür , diese Kirche zu besichtigen.
(5) Der Gast interessiert sich dafür , was im Theater gespielt wird.

  (1)は主語と目的語をとり、受動態も作ることができる。(2)はzu不定詞句をとり、(3)はdaß文をとる。(4)はdafürの後に必ず相関の説明が来て、(5)はそれが疑問文になることをいっている。なお、結合価については、動詞だけではなく形容詞や名詞にもその機能が備わっている。
 歴史や文化を含む相互作用に基づいた生活についても言語学が研究する一領域とする。つまり、ヴァイスゲルバーは、外界の存在を言語化するプロセスが実践されると、母国語の世界像が作られるとし、これを個人レベルで捉えるべきではなく、言語、技術、法律、芸術、宗教などが関連して作用すると考えた。そのため、言語の妥当性(sprachliche Geltung)という概念が重要なものとなった。(Weisgerber 1963、127)母国語における語彙や構文の妥当性は、言語共同体が客観的に処理することばによる捉え方を継承し、その営みの中で効果を発揮する。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7989334
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
<< 2024年09月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
花村嘉英さんの画像
花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。