2018年03月21日
大原幽学を訪ねて
ここは千葉県旭市長部。
大原幽学遺跡史跡公園である。
『房総の魅力500選』
「大原幽学と旧林家住宅」
『房総の魅力500選』とは、
昭和58年(1983)に
県人口が500万人を超えたことを記念し、
ふるさとの再発見をするため、5つの分野で
合計500の房総の魅力を選定したものを言う。
その中の一つに、「大原幽学と旧林家住宅」がある。
大原幽学について
大原幽学は千葉県を代表する偉人の一人で、
「先祖株組合」と呼ばれる世界初の農業協同組合を
作った人物として知られている。
近畿、信州、房総の各地を放浪し、
道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)を説き、
主に長部村(現在の旭市長部)を中心に
農業改革の指導にあたった。
先祖株組合の結成、耕地整理、農業技術の指導といった
農業改革のほかに、
独自の思想に基づいた生活改善や
教育仕法なども実践した。
結果、村は領主から模範村として
表彰を受けるほどの復興をとげたが、
江戸幕府に嫌疑をかけられ、
6年間も取り調べられた挙句、
幕府の判決は江戸での謹慎であった。
刑期を終え長部村に帰村した幽学は、
失意のうちに自害する。
旧林家住宅とは、
幽学の高弟である林伊兵衛の住居で、
幽学の設計による建物である。
この住宅は、押入などの収納場所が多く、
採光通風に工夫をこらし
納戸部分でも明るくし、
納戸裏に廊下を設け屋内の行き来を容易にし、
太い梁を使うことで柱を減らしているなど、
合理的で開放的な造りになっている。
家屋は小さな山の中に建っている。(中世の砦跡)
この階段を登って大原幽学の居宅へと向かう。
階段の途中から後ろに振り返えると、
水田が広がっていた。
この水田は、
幽学が天保年間に耕地整理を行った
「はちこくの水田」である。
ほぼ当時の区割りを残す貴重な水田だそうだ。
居宅の敷地に入るための門がある。
門をくぐり、
生垣から居宅を覗く。
居宅の後ろに小高い場所があり、
そこに大原聖殿が立っている。
大原聖殿に向かって階段を登り始め、
後ろを振り返り
幽学の居宅を見る。
「改心楼跡」、「大原聖殿」の説明パネル。
ここに幽学生前の教導所「改心楼」が立っていたが、
幽学は関東取締出役により疑いをかけられ訴訟となり、
訴訟の敗北とともに「改心楼」は取り壊された。
その跡地に、
幽学80年忌にあたる昭和12年、
大原聖殿が建立された。
幽学居宅前の道を戻り、
旧林家住宅へと向かう。
「旧林家住宅」
生垣の前の桜はほぼ満開である。
中庭に入り、住宅をのぞむ。
「大原幽学記念館」
「遺教長伝」
幽学が残した教えなどが
書かれているらしい。
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