2018年01月05日
若い父
今日、帰りのバスでの出来事。
発車時刻が近づいて、次のに乗ろうかと一応、バスに近づくと後部座席が空いているのが見えました。
後部座席、歩道側の窓際に座りました。
前の二人掛けシートには窓側に小さな女の子が座っていて、隣には父親らしき男。
女の子は2-3歳くらい。座席に寝転がり前座席の背面を靴底でベタベタと踏みつけています。
きっと持て余しているのでしょう。
座席の背面には体の大きい人なら膝が当たるはずです。決して靴で踏んで良いわけがありません。
父親らしい男はまだ若くメガネをかけていて長髪。見た目にパッとしない感じです。
やせ形で年齢はまだ20代に見えました。
ずっとスマホで対戦らしきゲームをしています。
娘が飽きたそぶりで父に寄り添うと一応、懐に抱きよせます。
でもまったく娘を見る気配すらありません。
バスが走り出しても、ずっとシートを足で踏んでいるので、私は
「おねえちゃん、足の行儀が悪いな!」
と注意しました。
すると娘はまた父に寄り添い、父は娘を抱き寄せます。
しかし相変わらず無言でスマホを触っています。
娘はまったく動かないままになりました。
私はしびれを切らせたように、
「なあ、あんた。」
といいますが、無視です。
少し声を大きくして肩をたたくとようやくこっちを見ました。
私は
「あんた父親か?」
と聞きます。
男は
「どう見たって父親でしょう。」
と。
父親らしいことをしなかったから聞いたのに。
私「娘が悪いことをしている。あんたは注意しないのか?」
男「そんなの私の勝手でしょう。」
私「その勝手が迷惑をかけると思わないのか?」
男「子供に言う前に私に言ってください。」
私「あんたが(子供に)言わないから私が言ったのだ。
さっきからスマホばかりいじっているじゃないか。
もっと娘を見てやらなくていいのか?
それじゃ育児放棄じゃないか。」
男「それは娘がすることだから。」
私「なら娘が人を殺しても構わないのか?」
男「想像力が豊かですね。」
私「そんな想像もできなくてどうする?
娘はいくつだ?」
男「なんで答えなきゃいけないんですか。
放っておいて下さい。」
私「そんなんじゃダメだろう。」
なんというか、可愛い娘には叱ることもできないんだろうと感じました。
それでいて、スマホに夢中。子供の挙動には無関心。
その後、二人とも無言でバスの中、私はもう一度、話を整理していました。
降りるバス停は私が先で、男はまだ乗ったまま。
バスを降りてから私は年相応にもっと理路整然と諭してやるべきだったと、少し悔しい思い。
なあ、あんたの娘さんは悪いことをしている。
バスのシートには人の膝だって当たるんだ。
父親なら当然、注意するべきじゃないか?
なのに、ずっとスマホでゲームばかり。
娘のことを見ている気配すらない。
だから私はあんたに代わって注意した。
見たところ、随分若い父親だ。
私の言うことがいつか、わかるようになる。
でも今、これで良いことにしてしまえば娘さんが、やがては犠牲者になる。
改めなくてはならない。
せめてこのくらい言えば良かったと。
でも家に着いたときには、なぜか気持ちがスッキリしていました。
私が言えたことは馬の耳に念仏以下だったかも知れません。
だけど誰も何も言わなかったら、あの若い父親は自分は正しいと信じて疑わなかったでしょう。
そこに異論を唱える変なおじさんがいた。それでもいい。
何かあれば娘は父親に寄り添うのだから、信頼関係はできているのでしょう。
でも、ひとつ引っかかるのは、男の
「子供に言う前に私に言ってください。」
この一言です。
・叱るのは親である自分だと言いたかったのでしょうか。
もし、そんな親を通したら、叱る理由をいちいち説明しなければならないし、叱るポイントもぼやけるでしょう。最悪、親が悪いことだと理解できなければ、叱ることもなかったでしょう。言うだけ無駄。
「あのおじさんが○○したらダメだってさ。」
なんて言われようなら、何の効き目もありません。
・他人が口を出すなということでしょうか。
これは恐ろしいです。
昔は近所におっかないおじさんがいたものです。
あの頃は迷惑以外の何者でもなかったのに、今となっては必要不可欠な世間の監視役だったと思います。
あの怖いおじさんに見つかっては大変だという上で地域の秩序が守られていたのです。
あれ?
昨夜の記事で、「今年は人に感謝される行動をする」と目標に掲げたばかりだったのに・・・
発車時刻が近づいて、次のに乗ろうかと一応、バスに近づくと後部座席が空いているのが見えました。
後部座席、歩道側の窓際に座りました。
前の二人掛けシートには窓側に小さな女の子が座っていて、隣には父親らしき男。
女の子は2-3歳くらい。座席に寝転がり前座席の背面を靴底でベタベタと踏みつけています。
きっと持て余しているのでしょう。
座席の背面には体の大きい人なら膝が当たるはずです。決して靴で踏んで良いわけがありません。
父親らしい男はまだ若くメガネをかけていて長髪。見た目にパッとしない感じです。
やせ形で年齢はまだ20代に見えました。
ずっとスマホで対戦らしきゲームをしています。
娘が飽きたそぶりで父に寄り添うと一応、懐に抱きよせます。
でもまったく娘を見る気配すらありません。
バスが走り出しても、ずっとシートを足で踏んでいるので、私は
「おねえちゃん、足の行儀が悪いな!」
と注意しました。
すると娘はまた父に寄り添い、父は娘を抱き寄せます。
しかし相変わらず無言でスマホを触っています。
娘はまったく動かないままになりました。
私はしびれを切らせたように、
「なあ、あんた。」
といいますが、無視です。
少し声を大きくして肩をたたくとようやくこっちを見ました。
私は
「あんた父親か?」
と聞きます。
男は
「どう見たって父親でしょう。」
と。
父親らしいことをしなかったから聞いたのに。
私「娘が悪いことをしている。あんたは注意しないのか?」
男「そんなの私の勝手でしょう。」
私「その勝手が迷惑をかけると思わないのか?」
男「子供に言う前に私に言ってください。」
私「あんたが(子供に)言わないから私が言ったのだ。
さっきからスマホばかりいじっているじゃないか。
もっと娘を見てやらなくていいのか?
それじゃ育児放棄じゃないか。」
男「それは娘がすることだから。」
私「なら娘が人を殺しても構わないのか?」
男「想像力が豊かですね。」
私「そんな想像もできなくてどうする?
娘はいくつだ?」
男「なんで答えなきゃいけないんですか。
放っておいて下さい。」
私「そんなんじゃダメだろう。」
なんというか、可愛い娘には叱ることもできないんだろうと感じました。
それでいて、スマホに夢中。子供の挙動には無関心。
その後、二人とも無言でバスの中、私はもう一度、話を整理していました。
降りるバス停は私が先で、男はまだ乗ったまま。
バスを降りてから私は年相応にもっと理路整然と諭してやるべきだったと、少し悔しい思い。
なあ、あんたの娘さんは悪いことをしている。
バスのシートには人の膝だって当たるんだ。
父親なら当然、注意するべきじゃないか?
なのに、ずっとスマホでゲームばかり。
娘のことを見ている気配すらない。
だから私はあんたに代わって注意した。
見たところ、随分若い父親だ。
私の言うことがいつか、わかるようになる。
でも今、これで良いことにしてしまえば娘さんが、やがては犠牲者になる。
改めなくてはならない。
せめてこのくらい言えば良かったと。
でも家に着いたときには、なぜか気持ちがスッキリしていました。
私が言えたことは馬の耳に念仏以下だったかも知れません。
だけど誰も何も言わなかったら、あの若い父親は自分は正しいと信じて疑わなかったでしょう。
そこに異論を唱える変なおじさんがいた。それでもいい。
何かあれば娘は父親に寄り添うのだから、信頼関係はできているのでしょう。
でも、ひとつ引っかかるのは、男の
「子供に言う前に私に言ってください。」
この一言です。
・叱るのは親である自分だと言いたかったのでしょうか。
もし、そんな親を通したら、叱る理由をいちいち説明しなければならないし、叱るポイントもぼやけるでしょう。最悪、親が悪いことだと理解できなければ、叱ることもなかったでしょう。言うだけ無駄。
「あのおじさんが○○したらダメだってさ。」
なんて言われようなら、何の効き目もありません。
・他人が口を出すなということでしょうか。
これは恐ろしいです。
昔は近所におっかないおじさんがいたものです。
あの頃は迷惑以外の何者でもなかったのに、今となっては必要不可欠な世間の監視役だったと思います。
あの怖いおじさんに見つかっては大変だという上で地域の秩序が守られていたのです。
あれ?
昨夜の記事で、「今年は人に感謝される行動をする」と目標に掲げたばかりだったのに・・・
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7160392
この記事へのトラックバック