2017年11月13日
インターネットの起源 3/5
昨日はARPANET(アーパネット)計画により、異機種間が接続するネットワーク、 インターネットの原型ができたことについて触れました。
− Webブラウザ −
それぞれ互換のないコンピュータ同士を接続できるネットワークができたとはいえ、まだ文字を送り合う程度のものでしかなかったインターネット。
文字は互いに離れた場所にあるコンピュータを遠隔操作できるコマンドとして利用されていましたが、実用段階 = アプリケーションレベル(ワープロ等)となると、互換のないコンピュータ同士では何も利用価値のないものでした。
1989年、スイスとフランスの国境にある、ヨーロッパ原子核研究所 = セルン
ここに世界各国から物理学者が集まりました。
それぞれが持ち込んだコンピュータは皆、インターネットに接続されていましたが共に互換がないため、研究は進まない状況になっていました。
ネットワーク上のコンピュータにある論文ひとつを探すのにも大変な苦労をした挙句、探し出した論文が互換のないワープロ文書であったため開くこともできず、何の役にも立たなかったといいます。
そこで研究者の一人であったティム・バーナーズ・リー氏はコンピュータの互換に左右されない文書閲覧ソフトを一か月かけて書き上げます。
それが「World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ、WWW、W3)」です。
いわゆるインターネット閲覧ソフトです。現在のIE(Internet Explorer)、Google Chrome、Safari、Firefox、OperaなどWebブラウザの原型です。
1991年、インターネット上で利用可能なサービスとしてデビューします。
この、World Wide Webの特徴は、ハイパーリンク機能を持った、ハイパーテキスト表示です。
例えば、ホームページを開く、http://www.yahoo.com、この http の「ht」は、ハイパーテキストの「ht」です(Hypertext Transfer Protocol)。
ハイパーリンクは今では当たり前の「リンク」です。
文字の下線や太字にマウスを合わせてクリックすれば、そこへ飛んでいきます。
それを実現したのが、World Wide Webでした。
ただ、それはティム・バーナーズ・リー氏が使う“ネクスト”というパソコンで書いたため、他のパソコンでは使用できませんでした。
ティム・バーナーズ・リー氏がWWWサーバとして使ったNeXTcube。世界初のWebサーバになった。
ティム・バーナーズ・リー氏はWorld Wide Webのソースコード(プログラムの原文)をインターネットで公開します。
公開されたソースは皆それぞれが持つパソコンのプログラム言語としてほぼ共通ですから、あとは自分のパソコン用にコンパイル(翻訳)させれば、World Wide Webを自分のパソコンでも使用することができたのです。
-------------------
このティム・バーナーズ・リー氏が公開した“World Wide Web”を思いもよらない人間が発見します。
イリノイ大学学生のマーク・アンドリーセンでした。
彼ら学生たちは時給で雇われプログラム開発をしていました。
1992年、マーク・アンドリーセンは文字だけしか表示できなかったWorld Wide Webに、イメージ(写真)を表示する機能を追加します。
それが
イリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (NCSA) が1993年にリリースした「NCSA Mosaic(モザイク)」です。
マーク・アンドリーセンはじめ、学生たちは次々と新しい機能を追加していきます。
徹夜で開発しては、朝に自慢し合い、インターネットで公開すれば素晴らしい反応が寄せられました。
ところが、Mosaicが反響を受けて世界中で話題になるにつれ、口をはさむ大人たちが現れます。
学生たちが自由に開発を始めたはずのMosaicは、新しい機能を追加するたびに、いちいち大人たちに伺いを立てなければならないようになり、許可されてやっと追加できます。
いつの間にか大人たちが管理するようになってしまいました。そのため日々進化していたMosaicは、進化を止めてしまいます。
自分たちが作ったプログラムが人に管理される。これでは面白くないのも当たり前です。
-------------------
ジム・クラーク(James H. Clark)氏はシリコン・グラフィックス社の創業者です。
シリコン・グラフィックス社は業務用コンピュータの開発・製造・販売を行う企業で、コンピュータ・グラフィックスに特化しており、かつては大規模な映画におけるCG制作の世界標準でした。
ジム・クラークは、コストのかかるハードウェア開発ではなく、ソフトウェアに目を向けます。1993年、Mosaicの存在を知り、マーク・アンドリーセンたち学生を招き入れ、1994年にネットスケープコミュニケーションズ社を創業(創業当時、社名はモザイク・コミュニケーションズ社)。Webブラウザ = Netscape Navigator(ネットスケープ ナビゲーター)を販売しました。
Mosaicや、後のIEが無償配布だったのに対し、Netscape Navigatorは当時5,000円ほどしました。しかし、何の抵抗もなく売れていました。
参考:
NHK 新・電子立国「第9回 コンピューター地球網」
Wikipediaほか
− Webブラウザ −
それぞれ互換のないコンピュータ同士を接続できるネットワークができたとはいえ、まだ文字を送り合う程度のものでしかなかったインターネット。
文字は互いに離れた場所にあるコンピュータを遠隔操作できるコマンドとして利用されていましたが、実用段階 = アプリケーションレベル(ワープロ等)となると、互換のないコンピュータ同士では何も利用価値のないものでした。
1989年、スイスとフランスの国境にある、ヨーロッパ原子核研究所 = セルン
ここに世界各国から物理学者が集まりました。
それぞれが持ち込んだコンピュータは皆、インターネットに接続されていましたが共に互換がないため、研究は進まない状況になっていました。
ネットワーク上のコンピュータにある論文ひとつを探すのにも大変な苦労をした挙句、探し出した論文が互換のないワープロ文書であったため開くこともできず、何の役にも立たなかったといいます。
そこで研究者の一人であったティム・バーナーズ・リー氏はコンピュータの互換に左右されない文書閲覧ソフトを一か月かけて書き上げます。
それが「World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ、WWW、W3)」です。
いわゆるインターネット閲覧ソフトです。現在のIE(Internet Explorer)、Google Chrome、Safari、Firefox、OperaなどWebブラウザの原型です。
1991年、インターネット上で利用可能なサービスとしてデビューします。
この、World Wide Webの特徴は、ハイパーリンク機能を持った、ハイパーテキスト表示です。
例えば、ホームページを開く、http://www.yahoo.com、この http の「ht」は、ハイパーテキストの「ht」です(Hypertext Transfer Protocol)。
ハイパーリンクは今では当たり前の「リンク」です。
文字の下線や太字にマウスを合わせてクリックすれば、そこへ飛んでいきます。
それを実現したのが、World Wide Webでした。
ただ、それはティム・バーナーズ・リー氏が使う“ネクスト”というパソコンで書いたため、他のパソコンでは使用できませんでした。
ティム・バーナーズ・リー氏がWWWサーバとして使ったNeXTcube。世界初のWebサーバになった。
ティム・バーナーズ・リー氏はWorld Wide Webのソースコード(プログラムの原文)をインターネットで公開します。
公開されたソースは皆それぞれが持つパソコンのプログラム言語としてほぼ共通ですから、あとは自分のパソコン用にコンパイル(翻訳)させれば、World Wide Webを自分のパソコンでも使用することができたのです。
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このティム・バーナーズ・リー氏が公開した“World Wide Web”を思いもよらない人間が発見します。
イリノイ大学学生のマーク・アンドリーセンでした。
彼ら学生たちは時給で雇われプログラム開発をしていました。
1992年、マーク・アンドリーセンは文字だけしか表示できなかったWorld Wide Webに、イメージ(写真)を表示する機能を追加します。
それが
イリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (NCSA) が1993年にリリースした「NCSA Mosaic(モザイク)」です。
マーク・アンドリーセンはじめ、学生たちは次々と新しい機能を追加していきます。
徹夜で開発しては、朝に自慢し合い、インターネットで公開すれば素晴らしい反応が寄せられました。
ところが、Mosaicが反響を受けて世界中で話題になるにつれ、口をはさむ大人たちが現れます。
学生たちが自由に開発を始めたはずのMosaicは、新しい機能を追加するたびに、いちいち大人たちに伺いを立てなければならないようになり、許可されてやっと追加できます。
いつの間にか大人たちが管理するようになってしまいました。そのため日々進化していたMosaicは、進化を止めてしまいます。
自分たちが作ったプログラムが人に管理される。これでは面白くないのも当たり前です。
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ジム・クラーク(James H. Clark)氏はシリコン・グラフィックス社の創業者です。
シリコン・グラフィックス社は業務用コンピュータの開発・製造・販売を行う企業で、コンピュータ・グラフィックスに特化しており、かつては大規模な映画におけるCG制作の世界標準でした。
ジム・クラークは、コストのかかるハードウェア開発ではなく、ソフトウェアに目を向けます。1993年、Mosaicの存在を知り、マーク・アンドリーセンたち学生を招き入れ、1994年にネットスケープコミュニケーションズ社を創業(創業当時、社名はモザイク・コミュニケーションズ社)。Webブラウザ = Netscape Navigator(ネットスケープ ナビゲーター)を販売しました。
Mosaicや、後のIEが無償配布だったのに対し、Netscape Navigatorは当時5,000円ほどしました。しかし、何の抵抗もなく売れていました。
参考:
NHK 新・電子立国「第9回 コンピューター地球網」
Wikipediaほか
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