2020年09月08日
コロナの副産物
札幌へ来て以来、お盆と年末年始にかけて、むかし住んでいた田舎町へ帰省することが常でした。
ところが13回目になる今年、初めてお盆に帰省しませんでした。
それは妻の意見で、札幌市は田舎町に比べると比較にならないくらいコロナ感染者が多く、「札幌から来た」というのでは不安ではないか、迷惑ではないかという気遣いからです。
私にもう両親はいません。また札幌へ来たとき、すでに私の両親は田舎町に住んでいなかったから帰省といえば、妻の実家へ行くことでした。妻は結婚して早々、父を病気で亡くしているので、実家には妻の母が一人で住んでいます。
前だったら私の子供たち、義理母にとっては孫の顔を見せに行く目的がありました。
今でも孫に変わりありませんが、子供たちといってももう大人です。
ソーシャルスタイルでいうと義母は確かめるまでもなく、エクスプレッシブです。
私はアナリティカル。対角線上にあるので、馬が合うとはいえない感じです。
(ソーシャルスタイルはこちら)
2017/8/31「ソーシャルスタイル(1)」
2017/9/01「ソーシャルスタイル(2)」
2017/9/05「ソーシャルスタイル(3)」
2017/9/19「ソーシャルスタイル(4)完」
でもお互い、馬が合わないのは理解しているので、義母も気を遣って下さいます。
札幌へ来て間もなくは、帰省すると旧友たちと連絡を取り合い、飲みに行くことがほとんどでした。
しかし、5年、10年と過ぎていくうち、生活環境が違うことからどうしても疎遠になってしまいました。
お盆にせよ、年末年始は特に、皆さん多忙ですから、その中で時間を取るのも難しいでしょう。また、こちらだって気を遣ってしまいます。
そうなると、帰省というのは私の楽しみもなく、単に義務になってしまいます。
家族を車に乗せて、はるばる遠い田舎町まで走って行くのです。
また田舎町には妻の姉夫婦がいます。
帰省のたび、私は妻と、缶チューハイを一箱持たされて姉夫婦の家に挨拶に行きます。
缶チューハイは義母が用意します。
毎回、まっさらののし紙に私が自分の名前を書き、貼り付け持参します。
義母は実に義理堅い人です。
でも姉妹って、そういう関係でしたっけ?
帰省するたびに挨拶って、そんな気遣いが必要なのか。
義母はほぼ毎日、義理姉夫婦の家に遊びに行くようです。
私からすれば、
「(私が札幌にいるせいで)義母が毎日、お世話になっています。」
という義理立てにしか考えられないのです。義理姉の夫は昔から知っている仲なので、私から粗品持参で毎回、挨拶に訪問するのは正直、屈辱的な思いがします。
いつだったでしょう。
ここに越してくる前だから、6〜7年前です。
年末年始に、普通なら田舎町へ帰省するところ、私の両親がいる岩手に行く話が持ち上がりました。
私は妻や義母から反対されるだろうと思ったのですが、すんなりOKだったんです。
孫を連れて田舎町へ帰省しなくても良いのか?
これは意外だったし、岩手だったら北海道から海を越えて家族旅行になります。楽しそう。
ところが、その旅行直前に両親がお世話になっていた岩手の叔父、具合が悪くなり入院してしまいました。
容態も好くなかったので、旅行は中止。いつも通り田舎町への帰省になりました。
今回、コロナのせいで帰省できなかったのは、良い前例になるかも知れません。
だっていくつになっても孫は可愛いでしょうが、私の帰省は義母に喜ばれるものだとは思えません。
義母だって高齢だし、我々家族を迎え入れるのも大儀になってきていると思います。
私が酒飲みなのは義母も知っているので、帰省のたび4リットル入りの焼酎を用意していてくれました。
本当は私、焼酎は飲まず、ウイスキーなんですが、そこは、まあまあまあ。まあまあまあ。
しかし昨年の夏は2.7リットルに。年末年始には何も用意してくれませんでした。
そういうことか。
なら、今年の年末年始は妻だけ、あるいは妻と子供たちだけバスで帰省すれば良い。
コロナをきっかけに、こう考えるようになりました。
気持ちはかなり楽です。
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