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2020年11月30日
今朝も
昨日 仕事には行ったものの
一日中 右足を引きずって歩いていた
右足に痛みは続いているし
一歩踏み出すときに
足先までに きちんと力が伝わらない感覚が・・・
痛みが怖くて 思い切り踏み出せないこともあるのだろうが
とにかく まっすぐに歩くだけでも辛い
営業さん達の協力も仰ぎ どうにか仕事をすることができた
退社時間が 本当に待ち遠しい1日だった(笑)
今も 整形外科に来て車内で待っている
月曜日だからなのか? 前回よりも混んでいる!
前回よりも早く来たのに8番目という・・・
まぁ 気長に待つしかないな
実は前回 右手が震えることを 先生に聞いてみた
以前 Mクリニック脳外科のK先生には
脳内に 異常の原因となるものは見当たらない、と言われ
神経内科に行ってみたほうがいいとアドバイスを受けていた
最近 その震えが だんだんと酷くなってきた
頻度はそれほど変わらないものの
震えの幅というか 動きが大きくなってきているのだ
そんな状況下で 整形外科の先生に尋ねてみた
初診にもかかわらず 先生はじっくり話を聞いてくれた
そして 一言
「パーキンソン病も疑ったほうがいいかもしれませんね
体を動かしていない状態で 手や足だけが震えてくるのは
パーキンソン病の特有の症状の一つですし
ニャンままさんは 肺腺がんのあと大きな病気もしていない
外科的に 原因となるような事象も起こしていない
所見として言えるのは やはりその病気が一番近いかと」
パーキンソン病???
正直 肺がんの疑い、と言われた時よりもショックだった
以前 甥の彼女さんから その疑いがあるかも?と
言われたことはあった
作業療法士をしている彼女は そういう症状の人を多くみていると
そのときには まったく自分事とは思えなかったが
整形外科の先生にも そう言われてしまうと・・・
椎間板ヘルニアの状態が良くなってきたら
本気で 脳神経内科を受診しなくては!
あ〜〜あ!
せっかく 通う病院がO先生のところだけになったと
ホッとしていたのに(泣)
ここにきて また新たな病院探しをしなくては・・・
少しでも 体調がいいまま長生きしたいので
頑張るか!!!
今朝は 車内で待つには 少し寒いので
そろそろ院内待合室に行きます!!
では 皆さんにとっても 今日がいい日でありますように♪
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2020年11月29日
結果報告
*今日の出勤前に投稿したはずが…
今 確認したら投稿されてなかった(泣)
遅ればせながら………
右足の痛み・・・
結論は「椎間板ヘルニア」になりつつある状態
腰の痛みはほとんどなかったが
レントゲンで確認してもらったところ
少々 椎間板が腫れてきているとのこと
確かに ほんの少し椎間板がはみ出てきてるような・・・
以前の椎間板ヘルニアと違うところは
神経に触れている部分が まだまだ小さかったこと
なので 大腿部の神経のみで 腰に直接の影響はなかったようだ
心配していた股関節等は 非常にいい状態だと言われ
その点ではホッとした
とりあえず 腰を伸ばす治療をして帰宅
今は ベッドに仰向けになって伸ばすのではなく
治療器具の椅子に座ったまま
椅子が自動的に仰向けに近い姿勢の角度まで動くのに驚いた!
ちょうど 宇宙飛行士が飛び立つときに取る姿勢のようだ
あとは そのまま機械が腰を伸ばしたり縮めたりしてくれる
腰の部分が温かく 10分の治療時間が天国だった(笑)
けれど
たった一度の治療でスムーズに歩行できるはずもなく
この治療をするのに 数回通うようにとの指示
湿布薬と痛みを改善する薬を処方してもらった
私の歩く姿を見かねた母が
使っていなかった自分の杖を貸してくれるという(爆)
やれ 情けない事態になったもので・・・
けれど 当日はそのまま
そんな状態でも娘の安産祈願に出かけた(笑)
最初から決まっていた日程で
戌の日だったし(笑)
夫が休みを取って来てくれたので
運転してもらって娘宅へ 1時間ちょっとのドライブ
娘夫婦と夫と4人で きちんと詣でて参りましたよ!
そちらの地元では有名な立派な神社で
厳かな気持ちでお願いをしてきた
実は 妊娠初期からの酷いつわりばかりではなく
切迫流産の恐れがあり休職となった娘
初産で流産してしまった自分の時のことも思い出し
とにかく気が気ではない
来年5月の予定日まで とにかく安定して
何事なく母子ともども元気でいてほしい!!!
それまでには こちらの体調も万全にしておかなくては!!
そして昨日の土曜日は 愛車を見てもらいに
整備工場へ出向いたり
「罪の声」という映画を観たり
文房具店に行ったり、とバタバタしていた
夫が来ているときにはブログを書くのは無理だし
運転手がいるのだから 遠慮なく使わせてもらった(爆)
今朝 早くに夫は自宅へ戻ったが
自分は これから仕事に!!!
日曜日だけれど 今日行けば次のシフトは金曜日
金曜日までには
もう少し この足の状態から復活しておきたい!!
それでは 行ってきまーーす!!!
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2020年11月27日
1週間ぶりの・・・
愛用のMacちゃんが戻ってきたのは日曜日のこと
それからご無沙汰してしまった
連休中は まあまあ仕事も忙しく
「我慢の3連休」とはほど遠く 日常を淡々と過ごした
Macちゃんは元気になったけれども
今度は自分の具合が芳しくない
内科的なことは全く大丈夫・・・だと思うが
脚が痛む
カー◯スに通い始め 楽しく運動を続けていたのだが
2、3日前から右太ももが痛い
以前に 高く足を上げての足踏みが辛かったことと
関係があるとは思うのだが・・・
昨日 買い物中に 痛みが酷く歩けなくなってしまった
すり足の狂言役者のように 恐る恐る右足を引きずりながら
どうにか車に乗り込み帰宅したのだが
まぁ痛いのなんの!
25年ほど前に 椎間板ヘルニアになったことがある
あの時は ピシッ!!!とした感覚の後動けなくなった
その時の感覚とは少し違っている
腰からの痛みはほとんどなく 大腿部だけだ
今回は どうにか動けるとはいえ
腰を曲げないと 歩行ができないほどだ
一晩休んで 幾らか痛みは引いてきたものの
まともに歩けないので 整形外科に来ている
午前9時開院だというのに もう患者さんたちがたくさん!
(8時過ぎたばかりの時間に着いたのに・・・泣)
自分より高齢の方がほとんどで
半数は車内で 半数は院内で待っている状態
当地のコロナは今のところ落ち着いている方だとはいえ
やはり 患者さんがたくさんいる待合室は不安なので
こうして車内で ブログを書いている
大ごとにならなければいいなぁ・・・
明日の仕事は休めないし・・・
最悪 帰りに杖を買って帰ろう!
歩けないよりはずっといい
書きたいことはたくさんあるのだが
気持ちも落ち着かず 痛みも引けず 集中力がない
単純な自分なので 原因がわかれば
「あの騒ぎは なんだったの?」と 足を引きずりながらも
あっけらかんとしているとは思うのだが(笑)
診察開始まで 30分を切ったので そろそろ行こうかな?
それではみなさん 今日も良い1日を!!!
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2020年11月20日
体調悪化(PCが 笑)
2020年11月19日
2017年 秋
この年の秋も色々あった
乗っていた軽自動車がとうとう壊れてしまい
中古ではあるものの 普通自動車に買い替えた
実家と自宅をブンブン往復していて
走行距離も半端なく伸びていたし 仕方ないか・・・
娘は彼氏さんととてもいい感じになってきていて
母親としては 安心することしきり
とにかく 彼氏さんがスペック・人間力 共に最高の人!!!
結果的には この彼氏さんと無事に結婚できたので
今も本当に幸せそうだ!!!
MクリニックでのMRIも何事なく済み
体調は万全だった
義実家の片付けやら 実家の両親の病院通いやら
あっちでもこっちでも とにかく動いた
仕事でも 久しぶりの本社研修で上京したり
全体会議で 出張したり、と大忙しだった
10月末のO先生の定期検診の日
朝から 長女猫のたまの様子が変だった
生後8日ほどで保護して育ててきたそれまで
一度の粗相もなかったのに
その日は朝から トイレ以外のところで用を足していた
用をたす・・・というよりは " 垂れ流し" に近かった
ヨロヨロしだして 水を飲むのもやっととなり
夫と娘が出勤した後は みるみる弱ってしまった
病院へ行く前に
ファンヒーターの前にクッションベッドをおいてあげた
急に冷え込んだ朝だったので 高齢のたまには辛かったのかと
その日の血液検査の結果は
何らかの理由ですぐには出せないとのことで
午後2時に再来院することになった
O先生も困っていたが 近くだしすぐにこれるので、と
急ぎ病院から帰宅した
たまは 玄関の三和土に下りて
下駄箱の下の奥に顔を突っ込んでいた状態だった
寒いのに 震えながら なぜそんなところにいるの?
驚いて すぐにリビングに連れて行き
またクッションベッドに入れてあげた
長男猫の風太と 次男猫のジジはそわそわしていて
たまを遠目に尻込みしている様子
なので 一時 息子たちの部屋に
トイレ・水とともに隔離した
もう たまは虹の橋を渡る準備をしているのだ
そう思えて 涙が止まらなくなった
自呼吸が 途切れ途切れになってきていて
目も開いたままの状態に近い
それでも 名前を呼ぶと 耳を動かしていた
ずっと撫でてあげていたかったが 2時10分前頃に病院へ
結果を聞いて すぐに踵を返して帰宅!!!
車に乗り込んで間も無く
マスクの中に 突然たまの匂いが・・・・
あぁーーー 虹の橋を渡っちゃった
そう確信した
帰宅すると もう苦しそうな呼吸も止まり
穏やかな状態で横たわっていた
この家を建てて3ヶ月後に来た たま
16年の時を家族一緒に過ごした たま
夫と娘 そして都内の息子たちにすぐにLINEした
そして 風太とジジにもお別れをさせてあげた
娘は帰宅早々
「お母さんが帰って来ている時でよかった・・・
自分が帰宅して たまちゃんがすでに亡くなってたら
ショックで変になっちゃうところだった」
そう言って大泣きしながら たまの亡骸をずっと撫でてあげていた
動物は亡くなるときに その姿を人に見せないというが
たまが 下駄箱の下に隠れるようにしていたのはそのせいなのか?
今となってはわからないが
結果としては 娘の言った通り
私が自宅に帰る時を待っていてくれたのかもしれない
最高体重が 6,3kgだったが
その2年前くらいから痩せてきて
最後は2,6kgまでになってしまっていた
凛とした 姐さん猫のたま
荼毘にふしたとき 係りの人に
「顎の骨がとてもしっかりしている猫ちゃんだったんですね
猫用ではなく 小型犬用の骨壷にしますね」と言われた
さすが たま姐さんだね!!!と 娘と笑い合った
今は 虹の橋の向こうで 元気にしてるかな?
お母さんは まだもう少しこっちにいる予定だから
忘れないで待っててね!!!
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2020年11月17日
2017年 夏
義父の葬儀を終え やっと落ち着いたが
7月の間に 職場の同僚二人の義父・実母がそれぞれなくなり
営業所全体が慌ただしくも何となく神妙な雰囲気だった
まぁ とにかく暑くて 強めの冷房が入っていたせいか?笑
バタバタと 気ぜわしく過ごす中で
1年に一度のPET検査の日がやってきた
O先生のところでの血液検査では
腫瘍マーカーに関する数値は 軒並み落ち着いてはいるものの
骨転移に関しての数値は しきい値を行ったり来たりしていた
(これは現在に至っても同じ状況なので 一抹の不安はある)
O先生には
「よく動く数値だから 焦らず定期的に見ていけば大丈夫!」とだけ
毎回言われていて 定期的に画像診断をしてもらうことになっていた
MRIは半年に一度だったが 基本 脳転移の確認なので
やはり全身はPET検査が重要だと
大学病院のS先生は その日もシャキッとして迎えてくれた
結果としては 何事もなかったが
右腎臓を取ってからの3年目の夏ということで
改めて 水分補給はもちろんのこと 体調変化の見極め方等
細かいアドバイスをいただいた
普通通りに過ごせていると ついつい油断してしまい
体調変化を見逃したりしたら 大変なことになってしまうから、と
O先生に言わせると「改造人間」に近いというS先生!
体の中に あちこち欠損しているところがあるとは思えないほどの
相変わらずのはつらつさに勇気付けられた
8月に入り 旧盆に都内の子供達が来てくれた
義父は新盆ではないので とりあえず私の実家に顔見せ
下旬に義父の四十九日法要と納骨式があるため
旧盆中は義実家には失礼して こちら側だけにしてもらった
孫娘も1歳3ヶ月だったので まだまだ無理はできない
下旬にあった納骨式も 結果的には無事に終わったが
読経の間 やはりじっとしていることは孫娘には辛かった
途中から嫁子ちゃんが抱っこして
お寺の庭を散策してくれてことなきを得た
相変わらず 実家と自宅を行ったり来たりの忙しい夏だったが
どうにか予定していた全てのスケジュールを無事に終わらせることができた
加えて この暑い夏を無事に乗り越えられたことで
自分の体力が きちんと回復している実感を得た
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2020年11月13日
2017年 8月
7月に義父が亡くなったのだが
この年はとても暑い夏が続いていた
通夜・告別式共 それはまあ本当に暑い中のことで
亡くなった日から 少し日を空けないと会場が取れなかったため
エンバーミングをしてもらった
驚くほど 生き生きとした雰囲気になり
まるで そこで眠っているだけかのような義父だった
そのきれいな顔を見ていただくことができて
通夜に来ていただいた方々にも ゆっくりお別れしてもらえた
そして この時の体験で
" 遺されたもの " の様々な仕事やら 役目やらを考えさせられたのだ
8月になって 新盆だと信じ切っていた私たちは
「亡くなってから四九日も過ぎていないのに 新盆の訳はないでしょう!」と
当の和尚さんに叱責されてしまった
確かに理屈上はそうであるが
自分の実家のあたりは 旧七夕の前までに亡くなれば
その年に 新盆を済ませる習慣があった
商家が多い地域がら
翌年の盆まで喪を長く引きずらないように
商習慣として そうしていたのかもしれない
なので 四十九日の法要は仕方のないこととして
翌年 新盆
そのまた翌年 3回忌・・・と
毎年法要をするのは 正直 多すぎないかと
罰当たりのような言い方だが
和尚さんのご都合をお伺いし
家族・親族の都合がなるべく重なる日程を模索し
その日程に沿った法要を営むのは そうそう簡単なことではない
それも 今回のケースでは3年連続・・・
結果的には
義兄夫婦が とてもスピーディーに動いてくれたので
この年はもちろんのこと
翌年以降も 法要関係は とてもスムーズに営まれた
故人を偲ぶことは 大切なことだし
家族にとっても 親族の皆と顔をあわせる機会を設けるのは
こういう時だからこそ、の大事な時間かと思う
けれど やはり大変だった・・・というのも正直な気持ち
時間的にも金銭的にも そして遠い親族は物理的にも・・・
同じ仏教でも 宗派が違えば 捉え方も違ってくるし
檀家さんの数で お寺さんから要求される内容も違ってくる
地域性もあるとは思うが
静かに故人を偲んでいきたいと思った夏だった
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2020年11月12日
擦っちゃったぁーーー(泣)
昨日 仕事でちょっとトラブルがあった
落ち着いて考えれば そのトラブルの原因は自分には無いし
処置の方法も 私の権限ではできないことだ
けれど・・・・
解決させておくこと!という指示
はぁ 終業時間間際に言われても・・・
今朝は少し早出をして 原因と思われることを
全て洗い出ししないといけない
いつものおっちょこちょいで 自分の確認ミスがあったかもしれないし
何やら モヤモヤイライラしたまま帰宅の準備をした
どうにも気持ちが収まらず
忙しくて通う頻度が減っていた カー◯ブスに立ち寄ろうと決めた
体を動かせば
このイライラもどこかへ飛んで行ってくれるはず!と考えたのだ
幸い 着替え一式はいつも車に積んである
とにかく 先ずは体を動かしに行こう!と
その駐車場へ入ろうとしたところ・・・
「ガガガッ!!!」と大きな音が!
あちゃーーーー(泣)
立体駐車場の柱に
車体の左前を思い切り 擦ってしまった!!!
よそ見をしていたわけでもなく
スマホを見ていたわけでもない
俗にいう「漫然運転」だったのだろう
頭の中でモヤモヤが蔓延して イライラする思いもパチパチしていた
視線は そこに向いているようで
実際は きちんと確認できていなかったのだろう
いつもと同じようなラインでハンドルを切ったはずなのに・・・
「◯ちゃん ごめんなさい!!!」と車の中で叫んだ
特定の宗教を持たない自分は 八百万の神?派だ(笑)
日本人古来の考え方で 森羅万象
この地上のありとあらゆるものには魂が宿っていると思っている
なので 車にも名前をつけて呼んでいるのだ(少し変?笑)
誰にも相談できない事は 一人車内でしゃべり倒し
いつも ◯ちゃん(車)に聞いてもらっていた
(周りから見たら 相当怪しいおばさん!笑)
高速道路を使う時など
◯ちゃん 今日もお願いします!よろしくね!と
きちんと声かけをしている
その相棒に傷をつけてしまった・・・(嘆)
何をしてるんだ!? 自分!!!
余計に心持ちが沈んでしまった・・・
車体の傷も深い部分があるが
とりあえず今日はミスの原因を探すため きちんと仕事に行かないと
はぁ・・・ ため息ばかりが出てしまうが
「頑張れ!自分!!!」
安全運転で 仕事に行ってきまぁーす!
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2020年11月10日
2017年 7 月
6月に実父がやっと退院した
・・・が 7月には 義父が旅立った
早くに亡くなってしまった義母と 同じ7月が命日になるとは・・・
以前 書いたかと思うが
入所していた施設で 昼食中にむせってしまい
提携病院に運ばれて 翌朝早く 誤嚥性肺炎で亡くなったのだ
暑い暑い夏の事だった
この頃は 実家の両親の状態も落ち着いていて
毎日ただただ楽しく 仕事や両親の世話をしていた時期だ
夫とランナーの彼女のことは もうどうでもいいことになっていた
実際 メッセージのやりとりも見られなくなっていたし
物理的に離れていると 夫の行動が全く見えないので
何を気にする必要もない
自宅周辺の友人たちからの 良からぬ目撃情報もない
精神状態が非常に穏やかで アパートでの一人暮らしを満喫していた
(まぁ 一人暮らし満喫は今も絶賛継続中だが 笑)
結論としては あとは自分の心持ちが納得するところで
夫との関係の落としどころを決めていくだけだった
義父が亡くなったことで 以前より自宅に帰る機会が増えていた
義兄夫婦とお寺関係の相談 相続等の手続きなどなど
一人暮らしが長く 農家で年金生活をしていた義父だが
相続関係は 諸々細かいこともあり
義兄夫婦と嫁いでいる義姉と一件一件確認作業があった
この時にも 義兄夫婦には とても世話になり
スムーズにことが運んだ
けれど なにせ田舎なので
お寺さん関係がいろいろ面倒だった(笑)
実家の菩提寺は とても気を遣ってくれていて
檀家といえども 煩雑な決まりごとは極力簡素にしていてくれたが
よくよく考えてみれば 檀家さんの数の規模が全く違うので
同じことをしようとすれば 少ない檀家に負担がくるのは当たり前か・・・
義母の時には 先代の和尚さんだったが
この時には 代替わりした息子さんが継いでいて
その点でも 何かと確認事項が多く大変だった
自分たちのことを諸々考えて見ると 次男の夫は墓もない
私は 一応 " 散骨 " を希望している
そして 骨の一部をペンダントにしてもらう予定だ
これは子供たちも了解している
「すわ 離婚?!」となった時にも負担がないかと思い決めていた
子供達は
「母親のことが大好きだった父は 両親の墓に入れてもらったら?」と
呑気なことを言っていた
義兄夫婦も 私たちが離婚したら
そうしないといけないな、と考えていたようだ
けれど
今回のお寺さんとの煩雑な関係が ちょっとなぁーーーと考えてしまった
私には 女性関係で悩ませてくれた夫でも
子供達には まあきちんと?父親はしていてくれたし
義両親の墓は 田舎で遠い
子供達が義兄夫婦と 墓守の手伝いをするのも大変かも?
等々 当時の手帳と強い秋風に吹かれている木々の枝先を見て
ぼんやり考えている 仕事休みの朝でした。。。と!
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2020年11月06日
頑張ったなぁ〜
ブログを書くにあたって 都度手帳を見直して
自身の身の上に起きたことを 追体験している
辛かったり 切なかったり 自暴自棄になったこともあった
ブログに書けないこと 書きたくないこともたくさんあった
(これは主に 夫のことだが 笑)
けれど今は 心穏やかに ゆったり・・・とはいかないまでも
楽しく 笑いながら生活できている
ガンが発覚した当初は とにかくどんな情報でもいいからと
ネット上を 毎日さまよい巡り 治療方法等を探していた
たくさんの方々の闘病の様子 治療の様子をブログで読み漁った
根っからの能天気な性格ではあったが
" 肺腺がん " と言う事実を突きつけられた時には
自分がこれからどうなっていくのか想像もつかず
とにかく日々不安が大きくなり
胸の奥底に 何やら大きな塊が育ってきたような感覚だった
たしかに重い宣告だった(実際は先生にさらっと言われたとはいえ)
自分では 受け止めたと思っていても
ふとした時に 不安の塊がブワァーっと大きくなって
突然パニックになるような事もあった
右肺上葉をとって 腫瘍マーカーが下がって大喜びし
楽勝〜〜〜と思っていた後の 左副腎と脳への転移
これが 病気になってから一番挫けそうになった時だった
この時の初ガンマナイフと その後の抗がん剤治療
ここで 有効な経過を経験して 能天気さ全開!!!
自身がどう騒いでも 気を揉んでも
結局 先生方に治療をしていただかないことには
と 覚悟を決めてからは とても心が落ち着いた
抗がん剤治療をしていた時には
果たしてこれでいいんだろうか?と言う感覚も正直あった
東洋医学やら 代替治療 いっそのこと治療をしないと言う選択
ネットで情報を読み漁れば漁るほど 焦る気持ちも大きくなったのは事実だ
けれども 自分に関しては
O先生という信頼できる先生に出会ったことで迷いはなくなった
ガンの治療は 患者側に選択肢を預けられることが多い
素人なのに選べるわけないじゃん!!(怒)と思いつつ
それだけ個人差があり厄介な病気なんだということだ
まずは 自分のことを冷静に見る訓練
次に 先生の言葉の裏付けを 恥ずかしがらずに納得いくまで聞く
そして それを基本にして 改めてネットの情報を読み返し
自分が納得できるまで(気持ちよく治療を受けられるように)
先生と方針を固めていく
これの繰り返しをしてきた
まぁ たいそうな事ではないが コツコツと続けてきた事だ
そして 能天気な性格のおかげか
今 免疫細胞は超活発になっているらしい(爆)
さて 今年もインフルエンザのシーズン!!!
コロナも怖いし 今まで以上に しっかり体調管理!!!ですね!!!
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