2009年10月06日
福田君を殺して何になる
著者がどういう立場の人で内容の方向性もよくわからないけど、このタイトルはちょっと…あまり好きではないね。
そもそも死刑は、第三者が殺すという言葉で表現する意味合いのものとは違うような気がするんだけど?
売れる、問題視されることによって話題になることを狙ったタイトルでイヤラシイ。
わたしには福田君を裁いたりする理由はないし、死刑についてはあってもなくてもどっちでもいいと思う。
ただ死刑執行のスイッチを押すのはその死刑囚より後に死刑が確定した死刑囚が担当するってのがわたしの理想の死刑の在り方だ。
人を死にいたらしめるのは仕事だとわりきってもストレスがかかりすぎる役目だろうし。
死刑執行をまつ死刑囚は次に誰かが死刑になると自分がそいつに執行されるんだから、どうか誰も凶悪な犯罪を起こして死刑になんかなりませんように、って願うことになり、願いの方向が人間としてとても健全だ。
それだけじゃ逆に遺族の人が誰か死刑になってあいつを執行してくれって願ってしまうかもしれないので、遺族の意志での執行も認めたほうがいいかもしれない。
どっちにしろ、アセンション後の地球には死刑なんていう制度はなくなると思いますが。
そもそも死刑は、第三者が殺すという言葉で表現する意味合いのものとは違うような気がするんだけど?
売れる、問題視されることによって話題になることを狙ったタイトルでイヤラシイ。
わたしには福田君を裁いたりする理由はないし、死刑についてはあってもなくてもどっちでもいいと思う。
ただ死刑執行のスイッチを押すのはその死刑囚より後に死刑が確定した死刑囚が担当するってのがわたしの理想の死刑の在り方だ。
人を死にいたらしめるのは仕事だとわりきってもストレスがかかりすぎる役目だろうし。
死刑執行をまつ死刑囚は次に誰かが死刑になると自分がそいつに執行されるんだから、どうか誰も凶悪な犯罪を起こして死刑になんかなりませんように、って願うことになり、願いの方向が人間としてとても健全だ。
それだけじゃ逆に遺族の人が誰か死刑になってあいつを執行してくれって願ってしまうかもしれないので、遺族の意志での執行も認めたほうがいいかもしれない。
どっちにしろ、アセンション後の地球には死刑なんていう制度はなくなると思いますが。
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