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2018年07月20日

昭和の大相撲の殿堂 蔵前国技館のいま

 大相撲の殿堂と言えばご存知のとおり両国国技館ですね。
 現在の両国国技館は昭和59年11月に落成。
 その後、現在まで大相撲のほか各種イベントが開催されています。

 実は現在の両国国技館は2代目。
 以前の両国国技館は昭和20年3月の東京大空襲で焼失してしまっています。

 では昭和20年から59年までの39年間、大相撲はどこで開催されていたのでしょう

 戦後すぐは神宮外苑などで露天興行されていましたが、昭和29年より両国と隅田川を挟んで対岸の「蔵前」「蔵前国技館」が完成し、そこで約30年間、大相撲が開催されていました。

 私と同年代の方ならよくご存知ですね。

 大相撲の土俵といえば、土俵の上に入母屋造の屋根がありその下に青・白・赤・黒4色のが下がっています。
 実はこの房は蔵前国技館が最初で、その前は房ではなく4色の柱でした。

 蔵前国技館ができた昭和20年代はちょうどテレビの黎明期。
 大相撲もテレビ中継をするのですが、このとき柱が邪魔になるということで柱が撤廃されその代わりに4色の房が下げられたそうです。
 このほかに初めて電光掲示板が使われるなど、現在の大相撲中継では当たり前の風景がこのとき生まれました。

 ちょうどこの時代は「栃若時代」「柏鵬時代」「輪湖時代」と大相撲の黄金期。
 わたしもちょうど「輪湖時代」、強すぎる北の海関(故:北の海親方)などの熱戦を食い入るように見ていたことを思い出します。
 特に私が好きだったのがその当時の大関、旭国関。
 小兵ながら多彩な技で大きい力士を倒す姿が大好きでした。
 そのほかにも横綱の輪島関、大関は貴乃花関(現在の貴乃花親方のお父様)、三重の海関(後、横綱)など名立たるスターがそろっている時代でした。

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 大相撲のほかにも力道山から馬場、猪木時代のプロレスファイティング原田などの時代のボクシングなど昭和のたくさんのスポーツが開催されてきました。

 スポーツ以外でもキャンディーズのコンサートなど昭和のエンターテイメントを彩り、戦後の焦土から復興する原動力の舞台でした。

 そんな華やかな蔵前国技館も昭和59年、両国国技館の完成とともに役目を終え、その跡地は東京都に売却され現在は東京下水道局蔵前公園となっています。
DSC_1416.JPGDSC_1415.JPG

※奥の赤い建物が下水道局。もはや昔の面影はまったくありません。

 来年は平成も終わります。
 2年後には東京オリンピックが開催されることもありあちこちにいろいろな競技場が建設されています。

 次の時代にはどんな舞台が登場し時代を飾っていくのでしょうか。
 たのしみですね。

 

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 2004年から糖尿病対策で自転車通勤を始め、その楽しさにはまりました。 雨の日の電車賃、メンテナンス費用を、会社からの通勤費でまかなっていますが、収支はプラスにできています。
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