2018年05月12日
よりみち(葛飾北斎のお墓と文人の生家)
伊能忠敬や幡随院長兵衛らのお墓のある「源空寺」の前で看板を眺めていると後ろから声をかける方がいます。
ご近所の方で60代くらいの品のいい感じの旦那さん。
ママチャリの前かごには何やらたくさんの荷物が入っています。
聞くところによると東京じゅうの銭湯を自転車で回っているとのこと。
自転車であちこちの名所、旧跡をみて最後にその近くの銭湯でのんびりするのだそうです。
「金がないからこんなことしかできないんだよ」
という割には楽しそう。 体にもいいし結構な趣味かと存じます。
わたしの地元の銭湯の話でひとしきり盛り上がったあと、
「このちょっと先に北斎のお墓があるよ」
と教えていただきました。
「葛飾北斎」といえば世界でも最も著名な江戸後期の浮世絵師。
「富嶽三十六景」や「北斎漫画」はだれでも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
ゴッホなどの印象派画家に影響を与えたという画風は非常にダイナミックで、見れば見るほど引き込まれます。
生活に無頓着で食事は近所の店から届けさせたものを食べ、部屋の中にはそのごみが散らかっていたという荒れた生活をしていたわりにはこの時代に90歳まで生きたそうで相当な生命力の持ち主だったのでしょう。
これはぜひ行ってみなければということで足を運びます。
「源空寺」から南へ進むと左側に看板のあるお寺「誓教寺」があります。
世界的大家が葬られている割にはひっそりとして静かな雰囲気です。
正面の門は閉まっていますが脇の通用門が開いているのでそこから中へお邪魔します。
まずは正面の本堂にお参り。
左を見ると葛飾北斎の銅像がありました。
作品や生き様からもっと激しい感じかと思っていましたが意外と穏やかそうな感じです。
そして本堂の右手に墓所を示す看板がこれもひっそりと立っています。
※うっかりすると見逃してしまいそうです
お邪魔していいのか迷うような路地を入っていくと古い英語の看板がありました。
そして墓所に入ると左手に小さな祠。
これがかの「葛飾北斎」のお墓です。
世界的大家はその生きざまとは裏腹にとても静かなところで眠られてました。
お参りを済ませたあとは先ほどの旦那さんに、
「北斎のお墓のちょっと先を左に行ったところに永六輔の生家のお寺があるよ」
と教わったのでそこに行ってみます。
私の年代では知らない人はいないでしょうが、若い人のために一応解説。
永六輔はタレント、随筆家、作詞家、放送作家などたくさんの肩書をもつ文人で、テレビの草創期に活躍した重鎮です。
坂本九の「上を向いて歩こう」などたくさんの名曲の作詞をした方で、つい先日亡くなりました。
生家は「最尊寺」というお寺。 祖先は江戸中期に渡来した中国の学僧だそうです。
近所に行ってみるとお寺ばかり。どのお寺が「最尊寺」だかわかりません。
なんでもこの界隈は明暦の大火のあと、幕府の政策でこのあたりに寺院を集めたそうです。
一軒一軒よく見ると一見ふつうのお宅のような建物の表札に「最尊寺」とありました。
ちょっとお寺とはわからない感じです。
ここで昭和の文人が育ったんですね。
銭湯巡りの旦那さんに教えられ、江戸時代から昭和の文化人を訪ね歩く旅でした。
私もたまには銭湯に行こうかな?
ご近所の方で60代くらいの品のいい感じの旦那さん。
ママチャリの前かごには何やらたくさんの荷物が入っています。
聞くところによると東京じゅうの銭湯を自転車で回っているとのこと。
自転車であちこちの名所、旧跡をみて最後にその近くの銭湯でのんびりするのだそうです。
「金がないからこんなことしかできないんだよ」
という割には楽しそう。 体にもいいし結構な趣味かと存じます。
わたしの地元の銭湯の話でひとしきり盛り上がったあと、
「このちょっと先に北斎のお墓があるよ」
と教えていただきました。
「葛飾北斎」といえば世界でも最も著名な江戸後期の浮世絵師。
「富嶽三十六景」や「北斎漫画」はだれでも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
ゴッホなどの印象派画家に影響を与えたという画風は非常にダイナミックで、見れば見るほど引き込まれます。
生活に無頓着で食事は近所の店から届けさせたものを食べ、部屋の中にはそのごみが散らかっていたという荒れた生活をしていたわりにはこの時代に90歳まで生きたそうで相当な生命力の持ち主だったのでしょう。
これはぜひ行ってみなければということで足を運びます。
「源空寺」から南へ進むと左側に看板のあるお寺「誓教寺」があります。
世界的大家が葬られている割にはひっそりとして静かな雰囲気です。
正面の門は閉まっていますが脇の通用門が開いているのでそこから中へお邪魔します。
まずは正面の本堂にお参り。
左を見ると葛飾北斎の銅像がありました。
作品や生き様からもっと激しい感じかと思っていましたが意外と穏やかそうな感じです。
そして本堂の右手に墓所を示す看板がこれもひっそりと立っています。
※うっかりすると見逃してしまいそうです
お邪魔していいのか迷うような路地を入っていくと古い英語の看板がありました。
そして墓所に入ると左手に小さな祠。
これがかの「葛飾北斎」のお墓です。
世界的大家はその生きざまとは裏腹にとても静かなところで眠られてました。
お参りを済ませたあとは先ほどの旦那さんに、
「北斎のお墓のちょっと先を左に行ったところに永六輔の生家のお寺があるよ」
と教わったのでそこに行ってみます。
私の年代では知らない人はいないでしょうが、若い人のために一応解説。
永六輔はタレント、随筆家、作詞家、放送作家などたくさんの肩書をもつ文人で、テレビの草創期に活躍した重鎮です。
坂本九の「上を向いて歩こう」などたくさんの名曲の作詞をした方で、つい先日亡くなりました。
生家は「最尊寺」というお寺。 祖先は江戸中期に渡来した中国の学僧だそうです。
近所に行ってみるとお寺ばかり。どのお寺が「最尊寺」だかわかりません。
なんでもこの界隈は明暦の大火のあと、幕府の政策でこのあたりに寺院を集めたそうです。
一軒一軒よく見ると一見ふつうのお宅のような建物の表札に「最尊寺」とありました。
ちょっとお寺とはわからない感じです。
ここで昭和の文人が育ったんですね。
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