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しのちゃん
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2008年01月23日 Posted by しのちゃん at 21:19 | イギリス回想日記 | この記事のURL
ニースでの出来事
 パリを去って私は電車でニースへ。どのくらい電車に乗っていたのか覚えていないんですが、外は真っ暗。ホテルの予約はいつもせずに突然行くので、私の行きたかったホテルは真夜中にあいているような所じゃなかったんです。電車から降りた時、11時は過ぎていました。“最悪は駅で起きててもいい”そう思いながらもとりあえずタクシーへ乗り自分が行きたかったホテルの住所を差し出したんです。そのタクシードライバーフランス語しか話せませんでした。  

2008年01月23日 Posted by しのちゃん at 21:18 | イギリス回想日記 | この記事のURL
ヨーロッパ大陸到着
 ユーロスターで2時間半、遂に初めてのフランスに到着です。なにがどこにあるのかさっぱりわからず、とりあえず近くにあったタクシーでいつもの様に本に載っていたホテルへ直行。ホテルまでの道のりの間、タクシー運転手がシャンゼリゼ通りを運転しながら“オーシャンゼリゼ”っと陽気に歌っていました。“大陸ってやっぱりのんびりした感じで、またイギリスとは違った良さがある”なんて思って一緒に歌を口ずさんでいました。  フランスの初めての朝は、やっぱりフランスパン。硬いんですが噛めば噛むほど味が出て、何もつけなくても美味しんです。  パリの街を歩いていると拳銃を持って警察官がある建物の前に立っていました。「Hello」警察官が挨拶してきました。「Hello」私が答えると、職務中なはずの警察官が「お茶でも飲みませんか?」って言うんです。職務中ですよ。日本じゃあありえないですよ。

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 22:37 | イギリス回想日記 | この記事のURL
最後の週
 ケンブリッジには3ヶ月の滞在でした。その後の予定は電車でヨーロッパ一周です。  ケンブリッジを去る何日か前にNから電話がかかり「本当に一人で旅行するの?女の子が一人で旅行するなんか危なすぎるよ、普通はそんな事しない。」「一度決めたんで行きます。」「もし行くんなら、僕はシノブのことその間待てるかわからない。」そういわれても・・・。私はNと恋愛関係であるかどうかもはっきりしていなかったのですが、その言葉自体に少し寂しさを感じました。「でも以前から決めてたことなんで。」「わかったそんなに言うならもう止めない。一つ日本の詩で聞いてほしいものがある。」もうその詩がどんな内容だったのか覚えていませんが、Nは本当に日本が好きなんだなーって感じました。  12月13日朝5時、ホームステイ先の家族の皆さんと涙を流してお別れです。タクシーでユーロスターへ、そして私はケンブリッジを後にしたのです。

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 22:17 | イギリス回想日記 | この記事のURL
男心
 ロックサーカスで出会ったイギリス人男性Nとロンドンで会うことになりました。彼はまだロンドン大学の学生でロックサーカスでアルバイトをしてたんです。初めはハードロックカフェと言うカフェ兼レストランに入りました。どっちから誘ったのかもはっきり覚えてませんが、初めてのイギリス人男性との食事で一寸緊張しました。  

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 22:04 | イギリス回想日記 | この記事のURL
アラブ人と英語
 クラスに5名アラブ系の生徒がいました。その内の2人からなぜかとても気に入られて教室に入れない時があったんです。なぜなら入った瞬間待ってました!っと言わんばかりに「シノブ〜」って言い寄ってくるんです。苦手なんですよそういうの困った。  ある夜そのアラブ人の2人の内の一人と別のアラブ人と教会で泣いていた日本人の女の子H子そして別の学校の生徒とパブで待ち合わせをして皆で交流会のようなとてもつまらない(私にとって)会に行きました。なぜつまらないかって、日本人が多いんです。確かに日本人はいざという時助けられるので邪険に扱うつもりはありませんが、ここはイギリスです、異文化に触れてこそ来た甲斐があったと言うのに。  パブに行く途中H子がアラブ人2人と話をしてました。“やっぱり英語で話せるって凄いな”心の中でそう思ってH子に言いました。「彼らは私と同じクラスなのになんであんなにペラペラ話せるんだろう。羨ましい」H子が言いました。「確かに話してるけど文法メチャクチャです。」  でも文法がメチャクチャであんなに話せるってやっぱり外国人は凄い!。私はきちんと話そうとしてほとんど話してなかった。メチャクチャでも話す意気込みに感心させられたのと、それを見習わないといけないと思ったケンブリッジの寒空の下でした。  

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 21:46 | イギリス回想日記 | この記事のURL
イギリス青年との出会い
 毎週木曜日の夜私は教会に行きました。それはまだ行き始めて2回目の時です。私は教会の中にあるステージに座っていました。一人で足をぶらぶらさせて。遠くの方で、女性とイギリス人のまだ20歳前後の青年2人が私を見ながら話していたのです。なんだろうかと私もその方向を向いていると、その青年が私の方へやって来ました。  彼はケンブリッジ大学の学生で、エンジニアの勉強をし数学が得意で好きだと言っていました。私は数学が大嫌いです。「教会まで自転車で15分かかるんだ」そう話ている彼の頬は赤くてまるでフランス人形のようでした。後でこの青年とは手紙のやり取りをする仲になったのですが、彼の苗字はフランスから来たと言うことで、結局フランス人の血が入っていたので私は正解です。  毎週来る彼の声を掛けようか掛けまいかという態度に私はいつも嫌な気分でした。私から声を掛けるのは好きではないので、何も話さずにお別れする事もありました。  ケンブリッジ生活も少し慣れて来た時に、私は週末ロンドンに遊びに行く事にしたんです。まだロックサーカスという蝋人形で作られた有名ロッカーが沢山展示されている所に行った事が無かったので、そこに行く事にしました。  チケットを買って入り口に入ると直ぐクィーンのフレディー・マーキュリーの蝋人形と写真を撮らなくてはいけない設定になっていて、私の前の人達が撮り終わるとイギリス人の若い男の人が日本語で「次はあなただよ、ここに来て」と言うんです。その人、物凄く日本語が上手で目をつぶったら日本人と思うほどでした。「笑ってぇー」「えー撮りたくないんです」と言うと「買わなくて良いから」と言われしぶしぶ写真を撮りました。その時どうもこの男の人が帰りの出口で待ってるように思えたんです。直感で・・・。  帰り際、案の定勘は当たりました。「留学してるの?英語教えようか?わからないところがあったら言って」「言葉の最後に“ですねー”って言うねーがわかりまません。」とか意味のわからない会話をしていると、勝手に名前と電話番号を書いたメモを渡され「電話して、僕も電話するから」  その時は、結構いい加減に対応してその場を去りました。どーも苦手なタイプだったんで。ウインク

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 14:08 | イギリス回想日記 | この記事のURL
集団生活と孤独
 もともと集団生活が苦手な私です。学校も始めは良かったのですが、皆と一緒にいるのが苦痛になってきたんです。私はだんだん学校を休みようになり、日本人との接触も避けるようになりました。なんとかして現地の人と友達にならないと・・・。そう考えてたんです。  ある時、ホームステイの奥さんが「毎週木曜日7時から教会の2階で学生たちが集会をやっているから行ってみたら?」って言われたんです。早速行くことにしました。  行ってみると数人のイギリス人が椅子を並べたり、お茶の用意をしたりしていたので、「手伝いましょうか?」そういうと、「あーありがとう」私も手伝い始めました。初めての集会は何をしたのか覚えてません。ただイギリス人や留学生、老若男女問わずいろんな人達が来ていたのでとても楽しかったです。    昼間学校が終わって教会に行くと日本人の女の子が泣きながら教会の人と話していました。“どうしたのかな〜?”っと思い近づくと、その人が泣いてはいたものの笑顔で「こんにちは」って言ってきたんです。「こんにちは、どうしたんですか?」  そこから私たちは急速に仲良くなっていきました。彼女はもうイギリスに5年もいて英語もかなり話せます。私より少し若かったのですが、日本に居る時からいじめられてイギリスに来ても全く友達ができず、一寸嫌われていたようです。それで悲しくなって教会に来たということでした。  英語が話せるのにどうして友達ができないんだろう・・・・。不思議に思いましたが、やっぱり本人はわかっていない人に対しての言動が問題だったのです。私はその時はわかりませんでした。  彼女とは別に学校が同じで韓国人の友達が、ホームステイが嫌で変わりたいと泣いていたことがあります。彼女は学校と相談してどうにか変えてもらいました。

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 13:48 | イギリス回想日記 | この記事のURL
初めての留学
 それから私は一年後イギリスに留学することを決意しました。  初めての滞在はケンブリッジです。ケンブリッジを選んだわけは、有名大学があると言うことと、NHKでその当時ケンブリッジ大学のグリーン先生と言う方の大学での生活を数日に渡って放送していたので、一度滞在してみたいと思っていました。  ケンブリッジ大学は街の中に大学があると言われているように川や風景が大学と一体となった感じで、建物もとても重厚で歴史を感じさせてくれます。私はそこでイタリア人とイラン人の夫婦の家にホームステイすることになりました。どうしてイギリス人じゃないの?って学校が選んだので仕方ないです。  語学学校の私のクラスはロシア人が4名アラブ系が5名、日本人が3名でした。  自己紹介をする時一人のロシア人が「僕の名前はユージンです。ありふれてるんですよ、誰でも知っている」って何度もその名前では恥ずかしいと言わんばかりに言うんです。知らないですよ、有り触れてるなんか。  彼は自己紹介でもしつこく名前について言っていたんですが、ある日授業でその当時イギリスで問題になっていた児童に対する性的虐待を取り上げて皆でグループに分かれて話あっていたんです。その時もそうでした。私に何度も内容を説明してました。親切なんですが内容が内容なだけに周りが笑ってたんですよねぇ〜。落ち込み

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 13:02 | イギリス回想日記 | この記事のURL
イギリス人の指輪の意味は・・
 一ヶ月に渡るイギリス一人旅、最後の一週間はロンドンで過ごすことにしました。あるホテルでまた二人組みの日本人女性と出会いました。私は今まで変な体験をしたことを話すと「あー一人で旅行をしてるからかもしれないし、指輪をしたほうが良いと思いますよ。」って言われたんです。私は直ぐに指輪を買ってはめることにしました。  ロンドンの観光地はもうほとんど回っていたのですが、その中でロンドン塔に行った時のお話です。そこには沢山の行列があり、途中で荷物検査をする場所があったんです。私の番になった時検査をするイギリス人男性が「こんにちは、結婚してください」と日本語で言ってきました。    「え?」私が笑い出すと、その男性が私の指輪をさしたんです。私は左の中指に指輪をしていました。“どういうことだろう・・もしかして恋人募集中とかの意味なんじゃないか・・落ち込み”すぐに指輪をはずしました。装飾品をほとんどつけない私には全く意味がわかりませんでした。  旅行もいよいよ終盤を迎え私はバッキンガム宮殿を見に行くことにしました。広場に立っているとイギリス人男性が「写真を撮ってあげます。」って言うんです。私はイギリスに来る前、イギリスの犯罪について調べておいたのですが、まんまと引っかかりました。その人私の写真を撮る真似をして「はい£10」って言ったんです。撮った後直ぐに私は中身が入ってない事に気がついていましたが、とき既に遅しで、払うはめになりました。だいたい住所も何も教えてないのにどうやって写真を送るのでしょうか!!落ち込み  ロンドンに着いて直ぐ私はポール・マッカートニーに会いに行きました。以前ポールがどこに住んでいるのか住所は調べてあったのでした。そこはセント・ジョーンズ・ウッドという高級住宅地です。緑の高い門構えでした。ベルを押そうとしたのですが、どうしても押せなかったんです。“もしポールが出てきたらどうしよう”でもそうなったら私の中学の時の夢は叶えられるんです。  結局押すことができず門の前で写真を撮っただけでした。しかし次こそはそう誓い私はイギリスを後にしたのです。

2008年01月22日 Posted by しのちゃん at 12:38 | イギリス回想日記 | この記事のURL
これって見初められたの?
 次の日、ダイニングルームに行くと今度は別の日本人女性2人が食事をしていました。“あーこの人見たことがある”2人の内の一人は見覚えがありました。その女性私の県でアナウンサーをしていたんです。見て直ぐわかりました。しかし彼女はその時既に退職して語学学校の友人とイギリスを旅行していたようです。  「あのー○○県でアナウンサーしてますよね?」私が言うと「はい、でももう退職しました。辞めたくて辞めたくて仕方が無かったんだけど、10年アナウンサーとして働きました。周りはアナウンサー業をうらやましく思っていた人もいるみたいだけど、私はしたくてしてたんじゃないんです。」私はその時、どんな仕事でも自分が“やりたい”って思わなければ幸せじゃないんだなーって思いました。  そしてまたしても私はここの息子について話をしたんです。その日一日は何もおこりませんでしたが。  最終日の夜、部屋に戻ってお風呂に入ろうとベットの上に用意していた下着を見ると中に何か白いものが・・・・。あの息子からの手紙でした。封を開けると写真と自分の想いが書いてありました。そんな事よりも下着に挟んであった事がショックでこの下着を触ったんだっと言う不愉快な気分と恐怖がまた甦りました。ますます逃げたくなったのですが、この日が最終日、明日になれば永遠にお別れです。   次の日ダイニングルームに行くのも怖かった気がします。そこに昨日会った元アナウンサーとその友達がいたので、この数日の出来事を部屋でじっくり話しました。初めから経緯を話すと、「えーそれって家族ぐるみですよねぇ。でも私この人タイプだなー私がこの手紙もらったらここに残るかもラブ」“えっはてな”「どうしたら良いんでしょうか・・」「好きじゃなかったら無視か、せめてありがとうのメッセージでも書いておいたらいいと思いますよ。」私も自分で考えればいいのについ人の意見に左右され結局メッセージを書くことにしました。実際それを見たかどうかわかりませんが・・・  その日の朝、初日にあった日本人の二人組みに会い「息子が私たち皆を駅まで送ってあげるって言ってたけど“シノブはどこにいるの?”って聞かれたんで、“先に行ったかも”って言ったらどこかに行ったよ、結局私たちはどうでも良かったんですね」と言うんです。“これは大変だ早く逃げないと!”奥さんにお金を払いお礼を言って足早にウィンダミアの余韻も感じることができずにそこを後にしたのです・・・。  

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