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再出発

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長年、当院の玄関に掲げられていた社団の看板を外しました。

これで大阪府柔道整復師会を去ることになります。 また、

同時に、整骨院を閉院することにしました。


何事にも、始まりがあれば終りがあります。

「人が再出発を決意するのは、

成功体験の繰り返しが失敗に終わったあとである」



長年やってきたから・・・ 

資格がもったいない・・・ 

そんなことより、もっと大切なものがあります。





登山の如く、 危険を承知で登るも勇気、 また、諦めるも勇気。

山に登ったまま、帰ってこれなくなることを 「遭難」 といいますが、

生きていれば、また頂上を目指せる。



秋桜

和泉リサイクル環境公園へ行ってきました。

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ここは、産業廃棄物の最終処分場をリサイクルして作られた公園です。

公園の情報
大阪府和泉市納花町407番地の15
TEL:0725-55-6969  FAX:0725-55-9966
休園日   月曜日
開園時間  8:00〜17:00  入場無料
駐車場    140台(料金無料)

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そうなんですよ、この公園は入場料がタダ!

おまけに駐車場もタダ!

そのうえ、きれいなお花が見れるとなれば、

タダほど安いモノはない!(^−^)

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ラベンダーやバラも沢山ありますので、これからも楽しみですね。

今は、ちょうどコスモスがきれいに咲いています。

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公園のすぐ横には広〜いグランドがあって、運動もできます。

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暇な人は、是非行ってみてください!

暇じゃない人もどうぞ!

自衛隊が憲法違反だというのは本当か?


衆議院の1月解散が噂されています。

最近の動向をみると、一体なんの為の解散なのか? よくわかりませんね。

そう、解散する大義がないんです。

12月の日ロ首脳会談で北方領土返還の成果が出れば絶好のタイミング。とか、

5月に0増6減の区割り案が出るが、その後だと候補者の調整が難しい。

などと、 “国民そっちのけ” のご都合主義のようにも見えます。

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そもそも、解散は内閣総理大臣の専権事項のように思われていますが、実は、

総理大臣に衆議院を解散する権利 “伝家の宝刀” はありません。

憲法第7条には天皇の国事行為が規定されていて「衆議院を解散すること」が

含まれています。それが「内閣の助言と承認」によって行うと定められている

ので、内閣が69条に依らず解散することが許されるという「7条解散論」が

まかり通っているのです。

条文の一部を抜き出して、あたかも解散権があるかのように振舞っているだけ

なのですが、最初にこの屁理屈を使って「抜き打ち解散」を強行したのは、

吉田茂首相で、これが今でも「悪しき慣行」として残っています。

政権与党がこれを悪用して、常に勝てるタイミングで解散すれば、長期に

渡って独裁することだって可能でしょう。



それでは本題に入りますが、

自衛隊が憲法違反だというのは本当か?

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憲法9条を読めば自衛隊違憲論が「素直」で「自然」な解釈だから改憲しよう

と主張する人がいます。

しかし、本当に自衛隊違憲論が「素直」で「自然」な解釈なのでしょうか?

まず、憲法9条には「戦力は、これを保持しない」と規定されていて、いかなる

理由があっても、「戦力」を使った武力行使が禁じられているように読めます。


一方、憲法13条は、「国民の生命、自由、幸福追求の権利は国政の上で最大限

尊重される」と定めています。この条文を素直に読めば、政府は、外国から

武力攻撃があった場合、国民の「生命や自由」を保護する義務を負っています。

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外国からの侵略を阻止するには、武力による実力行使が必要になる場合もある

でしょう。

従って、外国からの侵略を受けた場合は、憲法9条の(戦力による武力行使の禁止)

と、憲法13条の(国民の安全を保護する政府の義務)が、緊張関係になります。

そうすると、どちらの規定が優先されるのか?

憲法の条文同士が衝突したときは、それぞれの帰結を分析することで、どちらの方が

現実的に正当化できるのか? を考えることになります。


常識的に考えて、外国の侵略から国民を守るのは政府の最重要任務ですから、

「憲法9条によって、憲法13条の国民保護義務が解除される」と解釈してしまうと、

“外国からの武力攻撃は甘受すべき” となってしまうので、かなり不自然な帰結

になります。

そこで、外国からの武力攻撃があった場合は、憲法13条が優先されることで、

憲法9条の例外が認められると解釈してきたのです。

勿論、自衛隊が憲法9条に規定する「軍」や「戦力」に当たるのではないかという

議論もありますが、あくまで、自衛隊が憲法13条で認められた範囲を超える武力

行使をしない組織である限り、合憲であると判断してきました。

このように、他国からの武力攻撃排除に必要な武力行使、つまり個別的自衛権の

行使は、合憲だと説明がつきます。しかし、昨年成立した(させた)安保法制に

よる集団的自衛権の行使は、憲法13条で説明がつかないのです

集団的自衛権は外国の防衛を支援する権利ですから、憲法13条は、外国の防衛を

義務付けていないので、集団的自衛権の根拠にはなりません。だから、安保法制は

憲法学者から憲法違反だと言われるのです。



個別的自衛権の行使に限り、武力行使を合憲とする従来の政府解釈は、これまで

広く国民に受け容れられ、支持されてきました。自衛隊が憲法違反であるから

憲法を改正せよというのは、論理的に間違っていますし、それよりも、違憲の

安保法制を撤回せよ! という方が筋が通っています。



日本は諸外国に比して、災害の多い『災害大国』です。

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写真は防衛省HPより転載

先の東日本大震災をはじめ、数々の災害において自衛隊の活躍はめざましく、

国民にとって、なくてはならない存在となっています。


しかし、災害の時には頼るだけ頼っておいて、自衛隊は憲法違反だと言われれば、

反論もせず、擁護しようともしない。 

南スーダンでは、駆けつけ警護や後方支援などの新任務が与えられようとしています。

違憲の安保法制によって、窮地に立たされるかも知れない自衛官を、今度は国民が

守ってあげなければ、一体誰が守ってあげられるのでしょうか?








軍靴の音

先日、アマゾンのFire TV Stickで「二百三高地」の映画をみました。

1980年の作品で、日露戦争の旅順攻囲戦における203高地での

日露両軍の攻防を描いた作品ですが、35年ぶりにみて、改めて感じ

たのは、多くの出演者が、もう、お亡くなりになっていることと、今の

映画では考えられないほど、出演者が豪華であったことです。


仲代達矢さんをはじめ、あおい輝彦 新沼謙治 湯原昌幸 佐藤允

永島敏行 丹波哲郎 三船敏郎 松尾嘉代 愛川欽也 夏目雅子

野際陽子 森繁久彌 天知茂 といった豪華キャストだったんです。

さだまさしの歌う「防人のうた」が心に沁みましたね。


これまで数多くの映画に出演され、最近では「男たちの大和」にも

出演されていた仲代達矢さん(83)は天皇陛下と同い年。

12歳で東京大空襲を経験された時の記事が目に止まりました。

明日をも知れない戦争の悲惨さを実体験されており、それが俳優

仲代達矢の演技に生かされているのだと、つくづく思います。 

全文転載します。


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改憲の動きや秘密保護法、安保法制に対し、折りを見て、反対の意思を表してきました。
「71年間、平和を保ったこの国に今、変な風が吹いています」

いつの世も、戦争をおっぱじめる時に言うのは同じ、「抑止」である。積極的平和主義と最近は言うらしいが、同じことだ。近隣諸国の脅威を煽り、自国だけが美しいと説き、その美しい国を守るために憲法を改正し、国の秘密を保護し、増税し、社会保障をカットする。 

軍靴の音が聞こえてくるようだ。

だが、かつて生活をズタズタにされた国民は、皮膚感覚で知っている。
お上の言っていることを鵜呑みにしてはならない、とんでもないことになる、と
(『未完 仲代達矢』)

忘れられない記憶があります。1945年5月25日、東京・渋谷に住んでいた中学1年の時の「山の手空襲」。
逃げ惑う中、近所の少女を見つけ、手を引いて夢中で走るうち、少女が腕だけになっていることに気づきました。
焼夷弾に直撃されたのです。
恐ろしくて、腕を置いて逃げました。
なぜあの子を弔ってやれなかったのかと今も悔います。

「今日は生き延びられた、明日はどうか。 究極の状況でした。

僕たちに、『日本は神国だ』『一億玉砕だ』と説き、竹やり訓練をさせたおとなたちは8月15日を境に、親米派になっていきました」

「始まるのは簡単だが、なかなかやめられないのが戦争です。
今の政治家は”戦争を知らない子どもたち”。
一番の犠牲者は、命を差し出せといわれる庶民です。
うかうかしていられません」

黒く塗ってもハトはハト

最近、反日、国賊、売国奴などという言葉をよく目にするように

なりました。一体、いつの時代なのか? と思わざるを得ませんが、

いつのまに、この国はこんなに変わってしまったのでしょう?


戦争を望んでいる人などどこにもいないし、誰もが国を守り、

大切な人や家族を守りたいと思っています。

「国を守るために血を流す覚悟をせよ」なんて言う人もいますが、

過剰な自衛意識そのものが戦争を引き起こしてきたと言っても

過言ではなく、歴史がそれを証明しています。


侵略という加害の歴史から目をそむけ、歴史を修正しようとする

人もいれば、護憲論者を“お花畑”とか“平和ボケ”などと嘲笑する

人もいます。

しかし、平和な国で暮らしているからこそ、戦火の悲劇に対する

リアリティに欠け、平和で頭がボケているからこそ、簡単に「血を

流す覚悟」などと言ってしまうのだと思います。

戦争が起こるメカニズムを学ばずに「国を守れ、家族を守れ」と

過度な自衛意識が高まれば、同じ過ちを繰り返すだけではない

のでしょうか?

この頃、政府の動向を見ていると、すでに危険な領域に足を踏み

入れていると感じます。

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違憲の疑いが濃い安保関連法が成立して1年が過ぎ、政府は

自衛隊による他国軍への後方支援などの訓練を始めていますが、

自衛隊員が海外で捕まったときのリスクについて、専門家が強い

懸念を表明しています。

軍法会議を持たない日本の自衛隊員は軍人ではない為、国際法

で認められている捕虜の取り扱いを受けられない可能性がある。

これは、安保法成立前に国会でも質問が出ていた案件ですが、

隊員のリスクについての議論が不十分なまま強行採決されて

しまいました。それが今になって綻びはじめ、憲法解釈と現実

の矛盾点
として現れてきたのです。


そもそも、自衛隊の前身は“警察予備隊”といって警察権の延長

でした。つまり、他国からの侵略を阻止する為の集団という意味で、

自衛隊(JSDF ジャパン・セルフ・ディフェンス・フォース)と

いう名称になっているのです。軍隊のような外観をしていても軍隊

ではなく、法的には自国の防衛に徹する警察権としての存在です。

ハトに黒ペンキを塗って“カラス”だと言っているようなもので、

所詮中身はハトなんです。



ジュネーブ条約という国際法では、軍人に「捕虜」として人道的

な扱いを保証するルールを定めています。

ところが、政府は、自衛隊員が捕らわれても「捕虜」には当たら

ないという見解を示しています。岸田外務大臣は、国会の答弁で

「日本は紛争当事国となることはなく、ジュネーブ条約上の捕虜

になることはない」と述べていますが、当事国にはならないにせよ、

後方支援は戦闘行為に当たるため、真っ先に攻撃目標にされ、

戦闘に巻き込まれて捕まってしまうことも十分に考えられます。


また、岸田外務大臣は、自衛官がもし捕えられたとしても

「こうした拘束は認めない。ただちに解放を求める」と述べています。

しかし、こんな日本独自の論理が海外で通用するとは思えません。

捕まった隊員は、相手国の法で処罰されることになるでしょう。


このように、自衛隊員の人権に関わる問題が解決されないまま、駆け付け

警護や後方支援が強行されようとしているのに、先の国会では自民党議員

が総理の所信演説中に自衛官に対してスタンディングオベーションをして

いました。

自衛官の人権を無視する人達に拍手をしてもらっても、当の自衛官は困惑

するだけだと思います。


もし自衛官が自分の子供だったら、

国会議員は海外へ派遣できるのでしょうか?

世界情勢の変化を理由に憲法改正は、本当に正しいのか?

世論調査によると、「駆け付け警護」をすることに反対の回答は48%で、

賛成の39%を上回っています。これは、安保法制に対する国民の理解が

得られていないことを示しています。

昨年、憲法違反の安保法が成立し、参議院選が終わるまで封印されていた

南スーダンでの自衛隊活動が活発化されるようですが、集団的自衛権の

行使は憲法に違反しているだけでなく、安保法制を成立させる際、政府が

力説していた「抑止力の強化」は事実上、論理破綻しています。

現に、中国機に対する自衛隊のスクランブルは、安保法制成立前より増加し、

北朝鮮のミサイルは確実に日本本土に迫ってきています。つまり、抑止力は

強化されずに低下していて、アメリカとの同盟を強化することで、逆に日本を

危険にさらすことになっています。


アベノミクスは、3年以上が経過した今でも「道半ば」だと強弁し、今後

エンジンを最大限にふかすそうです。 かなり迷惑だと思います。

抑止力についても「まだ道半ばだ」と同じようなことを言っていますが、

一体、いつまで道半ばなのでしょうか?

抑止力や安全保障という言葉だけが独り歩きし、こちらが強くなれば

相手は更に強くなるという、いわば軍拡競争に陥っていることを自覚

しなければならないでしょう。


泥沼化した南スーダンでは、停戦合意もあったものではありません。

その南スーダンで、国民的合意を得られないまま、違憲の安保法制に

よって国連平和維持活動以外に「駆けつけ警護」の任務が与えられる

ことになっています。現憲法下では、自衛隊は他国からの侵略を阻止

する警察権として存在しているので、軍隊としては認められておらず、

日本の司法の中に軍法会議は存在しません。

自衛隊員=軍人ではないのです。他国から見れば、恰好は同じでも

法的には武器を所持した民間人なので、その自衛隊が他国で戦闘

行為を行い、万一、自衛官が捕虜になった場合、軍人ではない自衛隊

の隊員は捕虜としての権利が主張できず、なぶり殺しにされます。

もし、自衛隊に犠牲者が出れば、世論は一気に改憲、9条改正も止むナシ!

という方向へ傾倒してしまうでしょう。

安倍政権は、改憲のためなら自衛官の犠牲も止むナシ! と、犠牲者が

出るのを待ち望んでいるのでは? とさえ思えます。




世界情勢の変化を理由に「改憲しなければ!」

という論理は、本当に正しいのか?



そもそも、憲法と現実にはズレがあるのが当り前です。だから存在意義が

あると言っても過言ではありません。例えば、憲法では「法の下の平等」を

規定していますが、男女差別はなくならないし、障害者や性的マイノリティの

人々は差別を受けています。この現実に憲法を合わせようとすれば、

「少しぐらいの差別は許す」という、とっても変な条文になります。


法律でも、刑法には泥棒すれば刑罰に処す「窃盗罪」という定めがありますが、

現実では泥棒が減ることなどありません。

現実に法律を合わせるのであれば「泥棒は少しくらい許す」と、刑法を変え

なければなりませんが、そんな法律、絶対にあり得ませんね?

それこそ現実的じゃないです。


憲法や法律が理想論だとすれば、現実を理想に近づける努力をするべきで、

安倍総理や改憲論者は

「ちょっとぐらい泥棒してもいいじゃないか」

と言っているようなものですね。

中国脅威論の愚

8月に入ってすぐ、数百隻の中国漁船が尖閣周辺に

押し寄せた。

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日本のメディアは「中国は南沙諸島だけでなく東シナ

海でも強権的な行動に出てきた」という中国脅威論で

あふれかえり、「あれは漁民でなく、訓練を受けた民兵

が乗り組んでる」という流言飛語まで飛び出す始末。


新たな“中国脅威論”が高まりを見せているわけだが、

どうしても中国を悪者に見せたいという意図がミエミエで

ある。確かに、日本へやってくる中国人のマナーは決して

よいとは言えない。

しかし、本当に中国人が日本に敵意を剥き出しにしている

のなら観光になど来ないだろうし、爆買いを当て込んで商売

していたのは、一体どこの誰なのか?


ある元外交官の話はこうだ


日中漁業協定も読んだことがないような記者が、

こういう記事を書いているのでしょうね。

ご承知のように、尖閣については領有権で日中は折り

合わず、従って12カイリの領海、その外側12カイリの

接続水域、さらに200カイリの排他的経済水域に至る

まですべて折り合わない。

しかし、それでは両国の漁民が困るので、97年の日中

漁業協定で『暫定措置水域』を設定して、そこでは両国の

漁船はお互いに、相手国の許可を得ることなく操業でき、

両国の公船は自国の漁船についてのみ取り締まる権限

を持つことにした。

今回の事態は、中国側が設定している禁漁期が8月1日

までなので、待ちかねた中国漁民がドッと押し寄せたと

いうだけの話
です」


そうは言っても、中国公船も大挙押し寄せたではないか。

「それは『金儲けしか考えない漁船が(日本側の主張する

)尖閣領海に乱入するのを取り締まるためだ』と、中国側は

日本側にちゃんと通告してきています。

そういう了解があるから、11日に中国漁船がギリシャ船と

衝突して沈没した時も、海保が淡々と救助し、それに

中国側が謝意を表明するということが起きるのです」

(元外交官のはなし)



現場では、実際にこのような危機回避の申し合わせやメカ

ニズムが機能しているというのに、政府やマスコミは“今にも

中国と軍事衝突しかねない”といった、中国脅威論を煽って

ばかりで、日米韓による中国包囲網を確立しようとしている。

勿論、尖閣諸島は日本固有の領土であることは歴史が証明

しているので、いくら中国が領有権を主張しようとも、差し出す

わけにはいかない。

しかし、アジアの隣人を“仮想敵国”扱いするような過剰な反応

は避けるべきだろう。


今や中国との貿易額は、米国の1.5倍となっている現状を

踏まえた上で、中国脅威論を唱えるとしたら、

それは “愚か” としか言いようがない。

川遊び

和歌山県の紀ノ川へ川遊びに行ってきました。

「たま駅長」で一躍有名になった、わかやま電鉄貴志川線の貴志駅から

そう遠くない 紀ノ川に架かる竹房橋付近の河原です。

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私も知りませんでしたが、貴志駅の駅舎はネコのかたちをしているんですね。

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貴志川線を走る電車は、ネコ好きにはたまrunでしょうな。

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ここは、ちょうど、パラグライダーのスクールが近くにあって、上から

パラグライダーが沢山飛んできます。

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こんな感じで、次々とグライダーが河原に降りてきます。

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川幅は結構ありますが水深も浅くて流れも穏やかなところ。

岩に囲まれて入江状になった安全な場所で遊ばせました。

子どもの安全確保は親の使命ですから。

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いちばん上の兄も、魚すくいに夢中になっています。

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混雑したプールに行くより、遥かにイイですね!

いちばん遊んでたのは、実はお父さんだったりして(笑)



ネコのいたずら

今日の愛ちゃんのまくら。

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なんだか、寝にくそうですが・・・

うちの家では、テレビの画面が突然変わることがあります。 

なぜか?

それはテレビのせいではなく、このお方が原因です。

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微妙な肉球の動きでリモコンを操作するのですが、

番組のちょうどいい場面で電源を切ったり、他の

チャンネルに変えたりしますので、本当に、

イタズラしているように思えます。

線香花火

日曜日に和泉府中イオンの前で、はなちゃんを救う会の募金を

ほんの少しですが、お手伝いしてきました。 

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この活動は、家内の高校時代の同級生が大勢頑張っています。

自分と縁もゆかりもない、見ず知らずの小さな命のために、

これだけの人達が、声を張り上げ、一生懸命に汗を流されている

姿をみて、 感動を覚えずにいられません。

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たったひとり (はなちゃんを救う会共同代表:野口智美さん) の

呼びかけで、多くの同級生が真剣に動いてくれたことを考えると、

同級生って、本当にありがたい存在だと思います。


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はなちゃんと一緒に、 “今この瞬間を共に生きている” という実感と、

人と人との “縁” というものをしみじみ感じます。

そして、 行動することの尊さ


懸命に生きようとしているものの、今、まさにこの世から消えようとしている

小さな命と、それを救おうと、無償でひたすら汗を流す沢山の人々がいて、

見ず知らずの命のために、寄付して下さる慈悲深い人々がいます。


はなちゃんの命は、線香花火のようです。


寄付金が目標額に達するかどうかもわからない。

はなちゃんの命が、手術までもつかどうかもわからない。

手術を受けても、必ず成功するとは限らない。

確かなものなど、何ひとつない状況で、たったひとつの命を救う

希望のために、人はこんなに優しくなれるものなんですね。

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それに比べて、異国の地で拉致され助けを求めている人を

自己責任” だと言って、冷酷に見捨てる国があります。


・他国が集団的自衛権を持っているから、わが国も持つべきだ

・他国は軍隊を持っているから、わが国も軍隊を持たなければならない

・他国が何度も憲法を改正しているから、わが国も改正しなければならない

・他国には緊急事態条項があるから、わが国にも必要だ


自国の独自性を捨てて、他国のサルマネをする必要が、一体どこにあるのか?

先進諸国は、拉致されたジャーナリストの身代金を支払って無事帰還させて

いるというのに、他国に倣うと言うのなら、彼を助けない理由はどこにもない。

命がけで活動してくれる彼らがいなければ、紛争地域で何が起きているか、

真実を知ることができなくなるのだから、そこに自己責任論は通用しない

とち狂った政治家が言うならともかく、一般人がこれを平然とぶちまけるのは、

恐ろしい傾向だと思う。 物見遊山で、紛争地に入ったわけではないのだから。



この国には、過去の戦争について、「自衛のため」 だから正しかった。

「平和を希求し、列強支配からアジアを解放するため」 だった。

などと言う人がいます。

そして、その多くは “戦後教育で誤った自虐史観を植え付けられた” と思って

いるようですが、人が人を殺せば殺人で、国家が扇動した合法的殺人が戦争です。

戦争そのものが理性を欠く愚かな行為で、これに正しいも間違いもない。

戦争(合法的殺人)は全てが過ちなんだから。


いつの世も、戦争には 「平和」 「自衛」 という言葉が悪用される。

争いごとのない状態を平和というのであって、「平和のための戦い」 など

ありゃしない。

この国の総理がいう 「積極的平和主義」 とは、平和を目指して、紛争に自ら

かかわっていくという、いかがわしい言葉だと気付くべきです。


小さな命を懸命に救おうとしている人々の、爪の垢でも飲ませてやりたい。


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