2021年04月07日
「82年生まれ、キム・ジヨン」を観ました
ユーネクストで配信が始まってすぐに観ました。
ずっと気になっていた映画なので…
(原作の本も気になっていたけど、まだ読んでいない…)
韓国の映画はあんまり見慣れていないので…
どっちかというと、あまり好きな方ではないです。
なのですが、この映画は良かったです。
どことなく、懐かしい感じがするし、(昔の大映ドラマのような空気)
主演の女優さんが美しい…。
旦那さん役の俳優さんも、優しさとカッコよさが自然でステキでした。
内容は、重いので、一気に見るのはしんどくて、3回に分けてみました。
字幕だし、仕事しながら観れないということもある…。
ジヨンの元同僚の女性たちが良かったなぁ。元女性上司も。
多分、韓国ではめっちゃ上手で有名な俳優さんたちなんだろうなぁ。
韓流ドラマのまったく良さがわからない私のような人も
韓国にはいっぱいいるんだよー、ということにも何となく気づきました。
世の中の当たり前に、違和感を抱いて
周りに誰も味方がいないという孤独な感じ…。
ジヨンはまったく孤独というわけではありません。
優しい旦那様はいつでもジヨンに寄り添ってくれている。
実母も優しい人だし、元同僚も、
ジヨンのことを思いやってくれている人たちばかり。
(義母は厚かましいけど…それくらいは仕方ないこと)
高校生のときにバスでチカンにあいそうになったときも
見知らぬ女性が助けてくれました。
ジヨンは賢いし美しいし、かわいい娘も生まれた。
何を悩むことがあるというの…?
という環境で生きています。
でも、だからこその苦しみがある、きっとある、という
映画なのだと感じました。
誰かにいじめられた、とか親が毒親だとか
旦那がモラハラ、だとか、ママ友のボスが支配する、とか
そういうことは一切、無い。
ただ、自分が空虚であるということの悲しみ。
仕事の中に自分を見出す人もいるし、
子育てとかにやりがいを感じる人もいる。
私は、子どもが欲しいと思ったことがないし、
結婚もするつもりがないので
必然的に、「仕事」が自分の中心となるのですが…。
でも、だったらええやん、と一言では片づけられない。
でも…。
私は、これを「選んだ」んですよね。
それは間違いない。
だから、全然後悔がないし、
空虚さも、それほど無いのです。
子育てを選んだ人って、本当に「選んだ」のでしょうか・
選んだつもり、でも、「選ばされた」のではないでしょうか。
ジヨンのように、周りの空気を読み過ぎてしまう
賢く美しい女性って
周囲の期待を背負い過ぎてしまう。
しかし、私の生きるこの世界では、
「結婚しました」とか「妊娠しました」とか
「第2子妊娠しました」とかいう
ご報告には、「おめでとう」と言うしか他無いのですよね。
「本当に、それ、自分が選んだこと?」と
問う資格は自分には無い。
私自身だって、一生一人で漫画を描き続ける人生が
正解なのかは、わからないし。(私自身はこれでいいと思っていますが)
人に自分の価値観を押し付けることはできない。
と、いう気持ちがいつでもあります。
だから、仕事について、結婚について、子育てについて
本当に悩んでいる人に対して
力になりたい、とは思う。本当に思うけど
それは「よけいなお世話」である場合が多いので
何もできない。
愚痴があるのなら、それを聞くだけでもいいのなら…
とも、思う。
でもそれもどうなんだろう。と、迷う。
それって上から目線のような気がするから。
過去には「子なし、独身」を「負け犬」と呼ぶことが
流行りましたが、
そう呼んでもらうことのほうがラクだからです。
私が負け犬だから〜あはは〜、と自虐しておくことで
無駄な神経使わずに今やることに集中できますから。
しかし、自虐するという逃げ道がない人は…
つらいかも。
私は、専業主婦をしている女性と対立したくない、本当は。
でも、どうしても距離をおいてしまう。
それはなぜかというと、
結婚した人には
「どう、新婚生活は」とか、
「ご飯作ってあげてるの」など、
反吐が出そうなセリフを吐かなければいけないからだ。
子ども産んだ人、しかも赤ちゃん連れてきた人には
ひたすら「かわいい〜かわいい〜」と連発しなければいけないからだ。
そういう自分は、自分ではなくなる。
それがつらい。
私は、専業主婦になって赤ちゃん産んだ人に対しても、
その人、本人との会話を、したい。
妻としてのその人ではなく
赤ちゃんの母としてのその人ではなく、
女性としての
その人、そのものと向き合いたいと、
心から思っているのです。
ずっと気になっていた映画なので…
(原作の本も気になっていたけど、まだ読んでいない…)
韓国の映画はあんまり見慣れていないので…
どっちかというと、あまり好きな方ではないです。
なのですが、この映画は良かったです。
どことなく、懐かしい感じがするし、(昔の大映ドラマのような空気)
主演の女優さんが美しい…。
旦那さん役の俳優さんも、優しさとカッコよさが自然でステキでした。
内容は、重いので、一気に見るのはしんどくて、3回に分けてみました。
字幕だし、仕事しながら観れないということもある…。
ジヨンの元同僚の女性たちが良かったなぁ。元女性上司も。
多分、韓国ではめっちゃ上手で有名な俳優さんたちなんだろうなぁ。
韓流ドラマのまったく良さがわからない私のような人も
韓国にはいっぱいいるんだよー、ということにも何となく気づきました。
世の中の当たり前に、違和感を抱いて
周りに誰も味方がいないという孤独な感じ…。
ジヨンはまったく孤独というわけではありません。
優しい旦那様はいつでもジヨンに寄り添ってくれている。
実母も優しい人だし、元同僚も、
ジヨンのことを思いやってくれている人たちばかり。
(義母は厚かましいけど…それくらいは仕方ないこと)
高校生のときにバスでチカンにあいそうになったときも
見知らぬ女性が助けてくれました。
ジヨンは賢いし美しいし、かわいい娘も生まれた。
何を悩むことがあるというの…?
という環境で生きています。
でも、だからこその苦しみがある、きっとある、という
映画なのだと感じました。
誰かにいじめられた、とか親が毒親だとか
旦那がモラハラ、だとか、ママ友のボスが支配する、とか
そういうことは一切、無い。
ただ、自分が空虚であるということの悲しみ。
仕事の中に自分を見出す人もいるし、
子育てとかにやりがいを感じる人もいる。
私は、子どもが欲しいと思ったことがないし、
結婚もするつもりがないので
必然的に、「仕事」が自分の中心となるのですが…。
でも、だったらええやん、と一言では片づけられない。
でも…。
私は、これを「選んだ」んですよね。
それは間違いない。
だから、全然後悔がないし、
空虚さも、それほど無いのです。
子育てを選んだ人って、本当に「選んだ」のでしょうか・
選んだつもり、でも、「選ばされた」のではないでしょうか。
ジヨンのように、周りの空気を読み過ぎてしまう
賢く美しい女性って
周囲の期待を背負い過ぎてしまう。
しかし、私の生きるこの世界では、
「結婚しました」とか「妊娠しました」とか
「第2子妊娠しました」とかいう
ご報告には、「おめでとう」と言うしか他無いのですよね。
「本当に、それ、自分が選んだこと?」と
問う資格は自分には無い。
私自身だって、一生一人で漫画を描き続ける人生が
正解なのかは、わからないし。(私自身はこれでいいと思っていますが)
人に自分の価値観を押し付けることはできない。
と、いう気持ちがいつでもあります。
だから、仕事について、結婚について、子育てについて
本当に悩んでいる人に対して
力になりたい、とは思う。本当に思うけど
それは「よけいなお世話」である場合が多いので
何もできない。
愚痴があるのなら、それを聞くだけでもいいのなら…
とも、思う。
でもそれもどうなんだろう。と、迷う。
それって上から目線のような気がするから。
過去には「子なし、独身」を「負け犬」と呼ぶことが
流行りましたが、
そう呼んでもらうことのほうがラクだからです。
私が負け犬だから〜あはは〜、と自虐しておくことで
無駄な神経使わずに今やることに集中できますから。
しかし、自虐するという逃げ道がない人は…
つらいかも。
私は、専業主婦をしている女性と対立したくない、本当は。
でも、どうしても距離をおいてしまう。
それはなぜかというと、
結婚した人には
「どう、新婚生活は」とか、
「ご飯作ってあげてるの」など、
反吐が出そうなセリフを吐かなければいけないからだ。
子ども産んだ人、しかも赤ちゃん連れてきた人には
ひたすら「かわいい〜かわいい〜」と連発しなければいけないからだ。
そういう自分は、自分ではなくなる。
それがつらい。
私は、専業主婦になって赤ちゃん産んだ人に対しても、
その人、本人との会話を、したい。
妻としてのその人ではなく
赤ちゃんの母としてのその人ではなく、
女性としての
その人、そのものと向き合いたいと、
心から思っているのです。
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