2019年11月05日
眉村ジュブナイル 美少女軍団の全て(再録)
あまり語られてないようだが、眉村ジュブナイルには、やたらと美少女が登場する。眉村卓のSF小説の美少女といえば「ねらわれた学園」の高見沢みちるが真っ先にあげられそうな感じもするが、実際には、「ねらわれた学園」は映像化されて知名度が高いというだけの話に過ぎず、他の眉村小説には、高見沢みちるをも圧倒するような美少女や美人がわんさかと出てくるのである。
その中でも、トップの美少女といえば、まずは「まぼろしのペンフレンド」の本郷令子あたりであろうか。彼女は、異次元の無機生命体が作ったアンドロイドなので、ひたすら美人であったとしても、最初からそのように作られた訳なのだから、当然と言えば当然の話である。その美しさは、主人公の少年の心にトラウマを残してしまうほどなのだ。
「年は明彦よりひとつかふたつ上だろうか、目のさめるような美しい顔だちだった。」(「まぼろしのペンフレンド」)
「花のような微笑をうかべたまま、ゆっくりと首を横にふった。」(同)
「こんなに美しい顔をした少女の口から、そんなつめたいことばが出てくるとは、まったく信じられなかった。」(同)
「エレベーターのような小さな室の青い光に照らされたその令子の顔を、明彦はこの世にまたとない美しいものに思った。」(同)
同じように、その美貌で、主人公の少年をとりこにしてしまった美少女としては、「闇からきた少女」の大森由美子がいる。彼女の場合は、単に70年先の時代から来ただけの未来人なのだが、それでも、これほどの美少女なのだ。
「知らない少女だった。が、その長い黒い髪をたらした顔は、まるで彫刻のようにととのっていたのである。どこをさぐっても欠点のなさそうな、すばらしい美少女なのであった。」(「闇からきた少女」)
「少女はそっと微笑してみせた。笑うと、そのまま花のような感じだった。」(同)
「それがまた髪のながーい、ぞっとするようなきれいな女の 子でね」(同)
「由美子は強い風に髪をなびかせながらうたうような調子でいった。日光を受けたそのひとみや鼻すじやくちびるは、おどろくほど優雅で、きゃしゃにみえる。」(同)
「由美子は靖子のお古を借りて着ているので、ふつうの少女とかわらないかっこうになっていた。が、それだけに、いよいよ美しさが目だつ結果になっていた。」(同)
基本的に、眉村ジュブナイルに登場する未来人の女性は美少女・美人と表現されている場合が多い。タイムマシンで未来から来た少女であっても、未来を舞台にした物語においてもである。たとえば、「泣いたら死がくる」に出てくる近未来の悪の組織・暗黒連合の女幹部キャラもあっさり美人と書かれている。
「横に立っていた美しい車掌が、ほおえみながら呼びかけた。」(「泣いたら死がくる」)
「キャラは、美しいが、ひややかなほほえみを走らせた。」(同)
「侵された都市」に出てきた、侵略宇宙人と戦う未来の地下運動の女リーダー、イワセ・マユミにしても同様である。
「声をかけたのは、腕を組んでいたひとりである、中央の女だった。色が白くて澄んだひとみ、くっきりと通った鼻筋、すばらしくきれいな人だった。」(「侵された都市」)
「イワセ・マユミが微笑した。はじめて見る微笑だったが、 おどろくほど美しかった。」(同)
「さすらいの終幕」の橘英子も、20世紀育ちの未来人なのだが、はっきりと美少女とは書かれていない。しかし、彼女の母親に関しては「若く美しい妻」と表現されているので、その血をひく英子も、きっと、それなりの美少女だったはずであろう。
「英子はかすかに微笑していたのだ。まるで仲間を見つけたといわんばかりのほほえみなのだが、それは思いもかけずかわいらしい。まるで花のような感じだったのである。」(「さすらいの終幕」)
「真紅のかさを高くかざし、レインシューズに水をけたてな がら上気した顔でこちらへ走ってくる。たしかに雨の中に、ぱっと花が開いたようなながめといえないこともない。」(同)
とにかく、未来人イコール美少女なのである。「時間戦士」に出てくるエキストラの未来少女たちさえ、こんな風に描写されている。
「少女らは、ひどく優美だった。それはかれがなんどか複製で見たことのある、昔の名画の女神たちを思いださせた。もっとも、そうはいっても、少女らが画の女神たちにそっくりだったというわけではない。彼女らは、もっとしなやかで、ほっそりしていた。」(「時間戦士」)
とうとう、主人公の少年より一世代だけ先の未来少女までもがカワイコちゃんとなってしまう。「少女」に出てきた、主人公の少年と深い関わりを持つ未来少女については、こんな感じだ。
「へんな女の子がいたのだ。年は、伸一郎と同じくらいだろう。とてもかわいい顔だちをしている。だが、着ているものがいけなかった。テルテル坊主のようなス カートともねまきともつかないかっこうで、おまけに、パッと燃えあがりそうな赤さなのである。」(「少女」)
「還らざる城」に出てくるカラリンコも、40世紀と言う超未来から来たので、もちろん美少女である。
「やっぱりきゃしゃな――とてもかわいい顔だちだ。どう見ても、敏夫と同じぐらいの年の、それにしてはからだつきはほっそりしすぎていたが――少女である。」(「還らざる城」)
「そういえば、カラリンコだって、線は細いが、なかなかきれいなのだ。」(同)
しかし、カラリンコの場合は少し損をしている。と言うのは、「還らざる城」には、もう一人、戦国時代の少女シノと言うのが登場し、彼女もそこそこの美少女だからだ。この美少女対決では、主人公の少年はシノの方に軍配をあげてしまうのである。カラリンコが文明社会的美少女なのに対して、シノはこんな感じの野性的美少女だ。
「少女は、お化粧をしているわけでもなければ、きれいな着物を着ているわけでもない。はっきりいえば、ひどくみすぼらしいといってもいいぐらいなのだが、その全身には生気が満ちあふれている感じだった。目が大きく、とてもあいらしい。」(「還らざる城」)
未来人のバリエーションと考えてもよいのだろうか。眉村ジュブナイルにおいては、異次元から来た女性もひたすら美人揃いだ。「テスト」に出てくるカヌンは、体色が我々地球人とは異なる亜人類なのではあるが、それでも美人である事には変わりない。
「青年よりもまだ若い。たぶん二十歳にはなっていないだろう。ぬけるような色白の、ひじょうな美人だ。」(「テスト」)
「緑色の髪の美人」(同)
「それぞれの遭遇」に出てきた多次元都市ビュロウに住むワリター・レイスも、一連の眉村ジュブナイル特有の美少女表現で描写されているので、見た目はきれいな少女だったのであろう。
「整った、きゃしゃな顔立ちなのだ。少年は、高い声で何かいった。」(「それぞれの遭遇」)
「ワリター・レイスの顔立ちがきゃしゃで、声も高いのは、 女とすれば納得できる。」(同)
「現われて去るもの」の小西佐夜子に至っては、ただの異次元の日本での反体制組織のメンバーの一人に過ぎないので、別に美少女じゃなくてもよさそうな気もするのだが、それでも、かなりハイクラスの美少女である。
「青ざめた髪はみだれているものの、上品で知的な顔だちをしたその少女が着ているのは、まぎれもなくあの服だったのである。」(「現われて去るもの」)
「おじが買ってきた既成服は、おどろくほど少女にあっていた。というより、少女自身がきれいなので服のほうが引きたって見えるのかもしれない。」(同)
「なぞの転校生」も異次元人が出てくる作品だが、物語の中心となる異次元人は山沢典夫という美少年である。しかし、山沢典夫が美少年だと言う事は、そのまま、彼の同族である異次元少女たちも皆、美少女だという事になるのだ。
「髪も、ひとみも黒かったが、ととのった顔だちといい、ひきしまった筋肉といい、まるでギリシア彫刻を思わせるような美少年だったのである。」(「なぞの転校生」)
「一、三年の列のいちばんうしろには、典夫にまさるともおとらない美少女がひかえている。」(同)
「ねじれた町」の花巻千恵子も、異次元の住人の一種だと考えてよいのかもしれない。彼女の描写の仕方が面白い。美少女じゃないと否定しているにも関わらず、何やら、すごく魅力的な少女らしいのだ。
「その少女というのが、おやっと思うほどチャーミングだったからだ。それも、いわゆる美少女というタイプではない。小麦色の膚をして、ひきしまった顔には黒い大きな目が輝いている。第一、プロポーションが、抜群だった。」(「ねじれた町」)
異次元人らしき存在ならば、たとえショートショート小説に出てくる女性キャラであっても、眉村ジュブナイルでは美人として扱われる。ショートショート連作集「ふつうの家族」内の一編「みぞれ」に出てくる女性も、正体は異世界からの使者らしいのだが、こんな風に表現されている。
「彼の母よりはだいぶ若い、きれいな女の人が、傘の柄を持って、ついて来ている。」(「みぞれ」)
「見知らぬきれいな人は、前を見たままで、やさしくいった。」(同)
同じく、ショートショート小説「花を見ない?」(作品集「一分間だけ」に収録)に出てくる女性も、幽霊みたいな存在なのだが、どうも美人であるらしい。
「門のところに、とても目のきれいな女の人が立って、サツキをみているのであった。何となく、引き込まれそうな感じの人なのだ。」(「花を見ない?」)
超能力を身に付けたエスパーやミュータントたちも、未来人や異次元人たちの同類と見なしてよいのであろう。彼らは、そもそも人類とは別の種族なのだから、眉村ジュブナイルの世界においては、美形・美人で当たり前のような扱われ方をする。
ミュータントが現人類を滅ぼして、新秩序を打ち立てた未来世界を描いた「地球への遠い道」には、セネアという美少女ミュータントが登場した。しかし、彼女の住むミュータント社会では、彼女クラスの美少女がぞろぞろいるみたいな雰囲気である。
「たしかに少女なのだ。十四、五歳くらいの・・・どきりとするような美しい顔だち、ととのったプロポーションの、少女だったのである。」(「地球への遠い道」)
「セネアは美しい眉をひそめた。」(同)
「かわいい少女の姿をしているくせに・・・船長や首席パイ ロットでも足もとにおよばないような知識を持っているなんて」(同)
「わかっているわよ。あんなにきれいな人なんだもの」(同)
「だれもかれもがスタイルがよく、顔だちもととのってはいるようだが・・・」(同)
「闇からのゆうわく」の松葉先生も、何やら、ものすごい美人だ。それもそのはず、彼女はセネアのご先祖さまとも言うべき現代人のミュータントだからであ る。
「はっとするくらい、きれいな人だったのである。それも、ただの美しさではない。どこか、とぎすました刃物を思わせるような、さえざえとした美しさなのだ。」(「闇からのゆうわく」)
「長い黒い髪。雑誌の表紙にでもなりそうな顔だち。すらりと伸びた足。」(同)
「きれいであればあるほど、まるで鬼女でも見ているような 威圧感を受けるのだった。」(同)
ちなみに、「闇からのゆうわく」には、「ミス石塚中学」と呼ばれる、普通人の美少女、白川ミミも登場して、松葉先生相手に、こんなシーンを展開したりも する。
「フランス人をおかあさんに持つという白いほおをまっかにして、松葉先生を見返した。 どちらも抜群の美しさなのだから、壮観といいたいところだが、」(「闇からのゆうわく」)
「天才はつくられる」で超能力を手に入れた女生徒、井戸崎玲子も美少女だったのであろうか。こんな風に描写されている。
「そのつめたくととのった顔だちの小がらな女生徒は、じっとこちらを見つめていたのである。」(「天才はつくられる」)
同じく、「ねらわれた学園」の高名なるエスパー、高見沢みちるも、すごい美少女だと言いたいところである。しかし、意外に聞こえるかもしれないが、原作小説内において、高見沢みちるは一言も美少女とは表現されていないのだ。彼女に関する描写は次のようなものである。
「ふたりの斜め前を、背の高い女生徒が過ぎてゆくところだった。どちらかといえば青白いまでの顔で、しかし、意志の強そうな切れ長の目は、まっすぐ前に向けられている。なぜだか理由はわからないが、耕児は、その女生徒から、奇妙な圧迫を受けるように思った。」(「ねらわれた学園」)
しかし、眉村卓は、代わりに、高見沢みちるには次のような特徴を与えているのだ。
「高見沢みちるは微笑した。それが・・・耕児がはっとしたほど、魅力的な微笑だったのである。」(「ねらわれた学園」)
確かに、生粋のエスパーやミュータントならば、天然の美少女なのかもしれない。しかし、訓練や学習を通して、普通人から超能力者に成り上がった少女たちに関しては、眉村卓はストレートに美少女扱いしたがらない傾向があるみたいである。
たとえば、「地獄の才能」には、宇宙人の英才教育で天才となった少年少女たちが次々に登場するが、明確に美男呼ばわりされているのは富士見和男だけだ。 あとから、天才少女の列に加わる小田中明子については「目をくりくりさせて」程度の表現が見つかるのみだし、同じく天才少女入りした桜井多美子にしても「古風な制服だが、多美子にはそれがよく似あっていた。」ぐらいの描写しかなく、美少女なのかどうかは判断が難しい。
「天才はつくられる」のヒロイン、橋本敬子は、途中からテレパシー能力を身に付けてしまうが、彼女に対しての一番の褒め描写もこんな感じである。
「これから(テニス部の)練習が始まるのだろ う。ほかの部員と並んで、同じように短いスカートをはき、手にラケットを持っている。史郎はまぶしいものでも見るように、そうした敬子の姿をながめた。」(「天才はつくられる」)
「つくられた明日」で、別の時間流のタイムパトロールメンバーに加わる杉森あかねにしても、登場人物の一人が「杉森あかねなんてカッコいい女の子」と言っているだけで、 実際に彼女がどの程度の美少女だったのかは、まるで分からない。ストーリー中盤より、普通の少女から特殊な存在に昇格する女性キャラについては、ほとんどがこんな感じなのである。
とは言え、少しでも描写してもらえるならば、まだいい方なのだ。実は、眉村ジュブナイルにおいては、普通人のヒロインに関しては、可愛い子なのかどうかも全く説明されてない場合の方が一般的なのである。「とらえられたスクールバス」(のちに「時空の旅人」に改題)は、文庫三巻にも及ぶ長編にも関わらず、 そのヒロイン、早坂哲子の容姿説明については皆無に等しい。映画やドラマでは、すっかり高見沢みちると双璧の美少女扱いにされている「ねらわれた学園」のヒロイン、楠本和美にしても同様である。ほとんどの作品の普通人ヒロインは、全く相手にもされていないのだ。
だから、最後に、一部の例外として、普通人の少女であるにも関わらず、かろうじて美少女として描写されている女の子たちの事を紹介しておく事にしよう。
まずは、「押しかけ教師」に出てきた中塚こずえだ。
「チャーミングで、しかも快活な彼女は、クラスの花形なのである。」(「押しかけ教師」)
次に、「闇からきた少女」の目黒和子の描写である。
「和子はにっこりした。その瞬間、白い歯がちらりとのぞく。克雄が今まで知らなかったかわいらしい表情だった。」(「闇からきた少女」)
目が大きい事や色白な事も、美少女の表現の一つに加えてもよいのだろうか。それならば、「まぼろしのペンフレンド」の伊原久美子にも、「久美子の大きい目」「白い顔」などのささやかな描写がある。
「侵入を阻止せよ」の荒木千映子も、こうした「控えめな美少女描写」を与えられている普通人ヒロインの一人だ。彼女の描写の引用で本コラムは締めくくる事としたい。いつの日か、新たな眉村ジュブナイル美少女に出会える事を願いつつ。
「千映子は、演劇部長である。派手な顔立ちで目も大きい。陵北高校の男生徒の中には、彼女のファンもすくなくないようだ。」(「侵入を阻止せよ」)
その中でも、トップの美少女といえば、まずは「まぼろしのペンフレンド」の本郷令子あたりであろうか。彼女は、異次元の無機生命体が作ったアンドロイドなので、ひたすら美人であったとしても、最初からそのように作られた訳なのだから、当然と言えば当然の話である。その美しさは、主人公の少年の心にトラウマを残してしまうほどなのだ。
「年は明彦よりひとつかふたつ上だろうか、目のさめるような美しい顔だちだった。」(「まぼろしのペンフレンド」)
「花のような微笑をうかべたまま、ゆっくりと首を横にふった。」(同)
「こんなに美しい顔をした少女の口から、そんなつめたいことばが出てくるとは、まったく信じられなかった。」(同)
「エレベーターのような小さな室の青い光に照らされたその令子の顔を、明彦はこの世にまたとない美しいものに思った。」(同)
同じように、その美貌で、主人公の少年をとりこにしてしまった美少女としては、「闇からきた少女」の大森由美子がいる。彼女の場合は、単に70年先の時代から来ただけの未来人なのだが、それでも、これほどの美少女なのだ。
「知らない少女だった。が、その長い黒い髪をたらした顔は、まるで彫刻のようにととのっていたのである。どこをさぐっても欠点のなさそうな、すばらしい美少女なのであった。」(「闇からきた少女」)
「少女はそっと微笑してみせた。笑うと、そのまま花のような感じだった。」(同)
「それがまた髪のながーい、ぞっとするようなきれいな女の 子でね」(同)
「由美子は強い風に髪をなびかせながらうたうような調子でいった。日光を受けたそのひとみや鼻すじやくちびるは、おどろくほど優雅で、きゃしゃにみえる。」(同)
「由美子は靖子のお古を借りて着ているので、ふつうの少女とかわらないかっこうになっていた。が、それだけに、いよいよ美しさが目だつ結果になっていた。」(同)
基本的に、眉村ジュブナイルに登場する未来人の女性は美少女・美人と表現されている場合が多い。タイムマシンで未来から来た少女であっても、未来を舞台にした物語においてもである。たとえば、「泣いたら死がくる」に出てくる近未来の悪の組織・暗黒連合の女幹部キャラもあっさり美人と書かれている。
「横に立っていた美しい車掌が、ほおえみながら呼びかけた。」(「泣いたら死がくる」)
「キャラは、美しいが、ひややかなほほえみを走らせた。」(同)
「侵された都市」に出てきた、侵略宇宙人と戦う未来の地下運動の女リーダー、イワセ・マユミにしても同様である。
「声をかけたのは、腕を組んでいたひとりである、中央の女だった。色が白くて澄んだひとみ、くっきりと通った鼻筋、すばらしくきれいな人だった。」(「侵された都市」)
「イワセ・マユミが微笑した。はじめて見る微笑だったが、 おどろくほど美しかった。」(同)
「さすらいの終幕」の橘英子も、20世紀育ちの未来人なのだが、はっきりと美少女とは書かれていない。しかし、彼女の母親に関しては「若く美しい妻」と表現されているので、その血をひく英子も、きっと、それなりの美少女だったはずであろう。
「英子はかすかに微笑していたのだ。まるで仲間を見つけたといわんばかりのほほえみなのだが、それは思いもかけずかわいらしい。まるで花のような感じだったのである。」(「さすらいの終幕」)
「真紅のかさを高くかざし、レインシューズに水をけたてな がら上気した顔でこちらへ走ってくる。たしかに雨の中に、ぱっと花が開いたようなながめといえないこともない。」(同)
とにかく、未来人イコール美少女なのである。「時間戦士」に出てくるエキストラの未来少女たちさえ、こんな風に描写されている。
「少女らは、ひどく優美だった。それはかれがなんどか複製で見たことのある、昔の名画の女神たちを思いださせた。もっとも、そうはいっても、少女らが画の女神たちにそっくりだったというわけではない。彼女らは、もっとしなやかで、ほっそりしていた。」(「時間戦士」)
とうとう、主人公の少年より一世代だけ先の未来少女までもがカワイコちゃんとなってしまう。「少女」に出てきた、主人公の少年と深い関わりを持つ未来少女については、こんな感じだ。
「へんな女の子がいたのだ。年は、伸一郎と同じくらいだろう。とてもかわいい顔だちをしている。だが、着ているものがいけなかった。テルテル坊主のようなス カートともねまきともつかないかっこうで、おまけに、パッと燃えあがりそうな赤さなのである。」(「少女」)
「還らざる城」に出てくるカラリンコも、40世紀と言う超未来から来たので、もちろん美少女である。
「やっぱりきゃしゃな――とてもかわいい顔だちだ。どう見ても、敏夫と同じぐらいの年の、それにしてはからだつきはほっそりしすぎていたが――少女である。」(「還らざる城」)
「そういえば、カラリンコだって、線は細いが、なかなかきれいなのだ。」(同)
しかし、カラリンコの場合は少し損をしている。と言うのは、「還らざる城」には、もう一人、戦国時代の少女シノと言うのが登場し、彼女もそこそこの美少女だからだ。この美少女対決では、主人公の少年はシノの方に軍配をあげてしまうのである。カラリンコが文明社会的美少女なのに対して、シノはこんな感じの野性的美少女だ。
「少女は、お化粧をしているわけでもなければ、きれいな着物を着ているわけでもない。はっきりいえば、ひどくみすぼらしいといってもいいぐらいなのだが、その全身には生気が満ちあふれている感じだった。目が大きく、とてもあいらしい。」(「還らざる城」)
未来人のバリエーションと考えてもよいのだろうか。眉村ジュブナイルにおいては、異次元から来た女性もひたすら美人揃いだ。「テスト」に出てくるカヌンは、体色が我々地球人とは異なる亜人類なのではあるが、それでも美人である事には変わりない。
「青年よりもまだ若い。たぶん二十歳にはなっていないだろう。ぬけるような色白の、ひじょうな美人だ。」(「テスト」)
「緑色の髪の美人」(同)
「それぞれの遭遇」に出てきた多次元都市ビュロウに住むワリター・レイスも、一連の眉村ジュブナイル特有の美少女表現で描写されているので、見た目はきれいな少女だったのであろう。
「整った、きゃしゃな顔立ちなのだ。少年は、高い声で何かいった。」(「それぞれの遭遇」)
「ワリター・レイスの顔立ちがきゃしゃで、声も高いのは、 女とすれば納得できる。」(同)
「現われて去るもの」の小西佐夜子に至っては、ただの異次元の日本での反体制組織のメンバーの一人に過ぎないので、別に美少女じゃなくてもよさそうな気もするのだが、それでも、かなりハイクラスの美少女である。
「青ざめた髪はみだれているものの、上品で知的な顔だちをしたその少女が着ているのは、まぎれもなくあの服だったのである。」(「現われて去るもの」)
「おじが買ってきた既成服は、おどろくほど少女にあっていた。というより、少女自身がきれいなので服のほうが引きたって見えるのかもしれない。」(同)
「なぞの転校生」も異次元人が出てくる作品だが、物語の中心となる異次元人は山沢典夫という美少年である。しかし、山沢典夫が美少年だと言う事は、そのまま、彼の同族である異次元少女たちも皆、美少女だという事になるのだ。
「髪も、ひとみも黒かったが、ととのった顔だちといい、ひきしまった筋肉といい、まるでギリシア彫刻を思わせるような美少年だったのである。」(「なぞの転校生」)
「一、三年の列のいちばんうしろには、典夫にまさるともおとらない美少女がひかえている。」(同)
「ねじれた町」の花巻千恵子も、異次元の住人の一種だと考えてよいのかもしれない。彼女の描写の仕方が面白い。美少女じゃないと否定しているにも関わらず、何やら、すごく魅力的な少女らしいのだ。
「その少女というのが、おやっと思うほどチャーミングだったからだ。それも、いわゆる美少女というタイプではない。小麦色の膚をして、ひきしまった顔には黒い大きな目が輝いている。第一、プロポーションが、抜群だった。」(「ねじれた町」)
異次元人らしき存在ならば、たとえショートショート小説に出てくる女性キャラであっても、眉村ジュブナイルでは美人として扱われる。ショートショート連作集「ふつうの家族」内の一編「みぞれ」に出てくる女性も、正体は異世界からの使者らしいのだが、こんな風に表現されている。
「彼の母よりはだいぶ若い、きれいな女の人が、傘の柄を持って、ついて来ている。」(「みぞれ」)
「見知らぬきれいな人は、前を見たままで、やさしくいった。」(同)
同じく、ショートショート小説「花を見ない?」(作品集「一分間だけ」に収録)に出てくる女性も、幽霊みたいな存在なのだが、どうも美人であるらしい。
「門のところに、とても目のきれいな女の人が立って、サツキをみているのであった。何となく、引き込まれそうな感じの人なのだ。」(「花を見ない?」)
超能力を身に付けたエスパーやミュータントたちも、未来人や異次元人たちの同類と見なしてよいのであろう。彼らは、そもそも人類とは別の種族なのだから、眉村ジュブナイルの世界においては、美形・美人で当たり前のような扱われ方をする。
ミュータントが現人類を滅ぼして、新秩序を打ち立てた未来世界を描いた「地球への遠い道」には、セネアという美少女ミュータントが登場した。しかし、彼女の住むミュータント社会では、彼女クラスの美少女がぞろぞろいるみたいな雰囲気である。
「たしかに少女なのだ。十四、五歳くらいの・・・どきりとするような美しい顔だち、ととのったプロポーションの、少女だったのである。」(「地球への遠い道」)
「セネアは美しい眉をひそめた。」(同)
「かわいい少女の姿をしているくせに・・・船長や首席パイ ロットでも足もとにおよばないような知識を持っているなんて」(同)
「わかっているわよ。あんなにきれいな人なんだもの」(同)
「だれもかれもがスタイルがよく、顔だちもととのってはいるようだが・・・」(同)
「闇からのゆうわく」の松葉先生も、何やら、ものすごい美人だ。それもそのはず、彼女はセネアのご先祖さまとも言うべき現代人のミュータントだからであ る。
「はっとするくらい、きれいな人だったのである。それも、ただの美しさではない。どこか、とぎすました刃物を思わせるような、さえざえとした美しさなのだ。」(「闇からのゆうわく」)
「長い黒い髪。雑誌の表紙にでもなりそうな顔だち。すらりと伸びた足。」(同)
「きれいであればあるほど、まるで鬼女でも見ているような 威圧感を受けるのだった。」(同)
ちなみに、「闇からのゆうわく」には、「ミス石塚中学」と呼ばれる、普通人の美少女、白川ミミも登場して、松葉先生相手に、こんなシーンを展開したりも する。
「フランス人をおかあさんに持つという白いほおをまっかにして、松葉先生を見返した。 どちらも抜群の美しさなのだから、壮観といいたいところだが、」(「闇からのゆうわく」)
「天才はつくられる」で超能力を手に入れた女生徒、井戸崎玲子も美少女だったのであろうか。こんな風に描写されている。
「そのつめたくととのった顔だちの小がらな女生徒は、じっとこちらを見つめていたのである。」(「天才はつくられる」)
同じく、「ねらわれた学園」の高名なるエスパー、高見沢みちるも、すごい美少女だと言いたいところである。しかし、意外に聞こえるかもしれないが、原作小説内において、高見沢みちるは一言も美少女とは表現されていないのだ。彼女に関する描写は次のようなものである。
「ふたりの斜め前を、背の高い女生徒が過ぎてゆくところだった。どちらかといえば青白いまでの顔で、しかし、意志の強そうな切れ長の目は、まっすぐ前に向けられている。なぜだか理由はわからないが、耕児は、その女生徒から、奇妙な圧迫を受けるように思った。」(「ねらわれた学園」)
しかし、眉村卓は、代わりに、高見沢みちるには次のような特徴を与えているのだ。
「高見沢みちるは微笑した。それが・・・耕児がはっとしたほど、魅力的な微笑だったのである。」(「ねらわれた学園」)
確かに、生粋のエスパーやミュータントならば、天然の美少女なのかもしれない。しかし、訓練や学習を通して、普通人から超能力者に成り上がった少女たちに関しては、眉村卓はストレートに美少女扱いしたがらない傾向があるみたいである。
たとえば、「地獄の才能」には、宇宙人の英才教育で天才となった少年少女たちが次々に登場するが、明確に美男呼ばわりされているのは富士見和男だけだ。 あとから、天才少女の列に加わる小田中明子については「目をくりくりさせて」程度の表現が見つかるのみだし、同じく天才少女入りした桜井多美子にしても「古風な制服だが、多美子にはそれがよく似あっていた。」ぐらいの描写しかなく、美少女なのかどうかは判断が難しい。
「天才はつくられる」のヒロイン、橋本敬子は、途中からテレパシー能力を身に付けてしまうが、彼女に対しての一番の褒め描写もこんな感じである。
「これから(テニス部の)練習が始まるのだろ う。ほかの部員と並んで、同じように短いスカートをはき、手にラケットを持っている。史郎はまぶしいものでも見るように、そうした敬子の姿をながめた。」(「天才はつくられる」)
「つくられた明日」で、別の時間流のタイムパトロールメンバーに加わる杉森あかねにしても、登場人物の一人が「杉森あかねなんてカッコいい女の子」と言っているだけで、 実際に彼女がどの程度の美少女だったのかは、まるで分からない。ストーリー中盤より、普通の少女から特殊な存在に昇格する女性キャラについては、ほとんどがこんな感じなのである。
とは言え、少しでも描写してもらえるならば、まだいい方なのだ。実は、眉村ジュブナイルにおいては、普通人のヒロインに関しては、可愛い子なのかどうかも全く説明されてない場合の方が一般的なのである。「とらえられたスクールバス」(のちに「時空の旅人」に改題)は、文庫三巻にも及ぶ長編にも関わらず、 そのヒロイン、早坂哲子の容姿説明については皆無に等しい。映画やドラマでは、すっかり高見沢みちると双璧の美少女扱いにされている「ねらわれた学園」のヒロイン、楠本和美にしても同様である。ほとんどの作品の普通人ヒロインは、全く相手にもされていないのだ。
だから、最後に、一部の例外として、普通人の少女であるにも関わらず、かろうじて美少女として描写されている女の子たちの事を紹介しておく事にしよう。
まずは、「押しかけ教師」に出てきた中塚こずえだ。
「チャーミングで、しかも快活な彼女は、クラスの花形なのである。」(「押しかけ教師」)
次に、「闇からきた少女」の目黒和子の描写である。
「和子はにっこりした。その瞬間、白い歯がちらりとのぞく。克雄が今まで知らなかったかわいらしい表情だった。」(「闇からきた少女」)
目が大きい事や色白な事も、美少女の表現の一つに加えてもよいのだろうか。それならば、「まぼろしのペンフレンド」の伊原久美子にも、「久美子の大きい目」「白い顔」などのささやかな描写がある。
「侵入を阻止せよ」の荒木千映子も、こうした「控えめな美少女描写」を与えられている普通人ヒロインの一人だ。彼女の描写の引用で本コラムは締めくくる事としたい。いつの日か、新たな眉村ジュブナイル美少女に出会える事を願いつつ。
「千映子は、演劇部長である。派手な顔立ちで目も大きい。陵北高校の男生徒の中には、彼女のファンもすくなくないようだ。」(「侵入を阻止せよ」)
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