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2019年01月14日

自燈明・法燈明

自燈明(じとうみょう)・法燈明(ほうとうみょう)。
これは、私の大好きな大河ドラマ「独眼竜政宗」で、政宗公の師である虎哉(こさい)禅師が説かれた話の時に、よく出てきたお言葉です。
私の教室も、これが1つの大きなテーマでした。

ドラマでは、政宗公がまだ幼名「梵天丸(ぼんてんまる)」だったころ、虎哉禅師が、将来、政宗公の家臣となる片倉小十郎、鬼庭(茂庭)綱元、小原縫殿助を前に、この言葉の意味を説きました。「決して他人を当てにしてはならぬ。自らを拠り所となし、自らを燈明となせ。これが自燈明じゃ。とはいっても、まだ自分ではこの世を照らす燈明をもっておらん、そんな場合は、法燈明を拠り所とせよ。法とはこの天地の自然、宇宙の真実じゃ。他人を頼らず修行を重ねれば、やがては自燈明となり、あたりが良く見えるようになる。己こそ、己の主である。他にいかなる主があろうと、拝むなら自分を拝め。自燈明、法燈明。」

「独眼竜政宗」が、歴代の大河ドラマでも絶大な人気を誇る理由の1つとしては、戦国武将としての政宗公を描いたほかに、武将としての辛い宿命を背負い、時にはそれを周りの家臣や人生の師匠に教えを乞う中で、人間としての成長を見事に描いたところがあると思います。
ともすれば、見ている側の自分も、普段の生活で経験するかもしれない事象とも被ることがあり、主人公目線で物語を見ていくことを出来たのが、このドラマの素晴らしいところではないでしょうか。
その基軸となるキーワードが、この「自燈明、法燈明」だと思うのです。

戦国武将の道は地獄への道。
地獄を通らなければ極楽へは行けない。
人をあやめ、城を奪い、己も狙われ、裏切りにおののき、悪夢にうなされ続ける。
これが武将の宿命である。

お家の存続を守りぬくためには、白いものを黒いと言わなければいけないときもある、人を裏切らなくてはならないときもある。虎哉禅師は、そんな地獄の道を歩む政宗公に、事あるごとにこの「自燈明・法燈明」を説き、戦国武将としての道を歩む中での慈悲の心を説いていかれました。

戦国武将の葛藤は、私達の人生にも多かれ少なかれ、相通じるところがあると思います。だからこそ、地獄の道を地で行った戦国武将たちは、今でも私たちのヒーローとして語り継がれているのでしょう。

我が息子も、最後は自分を頼みとしなくてはならないことが、これからも多々あることでしょう。そのためには、たくさんの経験をしなくてはなりません。特に試験には1人で立ち向かわなければなりません。自信をもって立ち向かうには、鎧や兜を身に付けて、たくさんの武器を備えなければなりません。ここで培う自信こそがそれぞれの自燈明であり、私がご提供することは法燈明でありたいと思います。









posted by あんとん at 00:58| 育児・教育
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あんとん
2018.12まで6年間、小中学生を対象にした個別学習塾を営んでおりました。 一身上の都合により、サラリーマン生活に戻ることになりましたが、6歳児の息子の育児はまだまだこれから。 この6年の器量な経験を振り返りつつ、これからを真剣に生きていきたいと思っているところです。
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