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2019年01月10日
義務教育
私がこれまで運営してきた教室は、「小中学生」のみを対象としてきました。
義務教育期間。私が一番こだわっているところでした。
私の教室には「高等部」は設置しませんでした(当初、検討をしたこともありましたが、一旦やめました)。
なぜなら私は、高等課程以上は「探究心を持って勉強に励みたい者だけが進むべき課程である」と考えたからです。中学卒業までに、いかにその探究心を呼び起こすかが、私の仕事だと思ったからです。
私は、縁あって地元の小学校で「学習支援指導員」として、皆さんが小学課程の履修内容を習得できるよう、お手伝いもさせて頂いてまいりました。
私の教室に来ていない、今どきの小学生の生の声が聞ける貴重な場でもありました。
その中で、私が小学生当時思っていたことと、今どきの小学生が思っていることとほぼ同じだなと思ったことがあります。それは・・・、
「なんで勉強しないといけないの?」
「めんどくさい」
「将来、3.14なんてどんな時に使うんだろう?」
などといったことでした。
私は、小学5年生だったあの頃から、約30年ちょっと経過しました。
高校、大学を卒業して就職し、会社勤務でいろいろな経験をして、学習塾を開きました。
そんな私が、改めて小中課程のカリキュラムを見て思いますのは、
「計算の順序や3.14、π、関数、相対度数、図形の証明・・・なんてものは勉強するときぐらいにしか目にしなくても、『その問題を解くときに考える力』は実生活で非常に役に立つ」
ということでした。
例えば、使ったお皿を洗うとき、皿を使うごとに洗剤を付けて洗って水で流して、また別の皿を使ったら、また洗剤を付けて洗って水で流す・・・。非効率ですよね。
ある程度使うお皿の量が決まっていれば、ある程度使った皿を溜めたところで、一気にそれらに洗剤を付けて洗って水で流す。
これは、算数の「分配法則・結合法則」に似ていませんか?
6×6×3.14―2×2×3.14
=36×3.14−4×3.14
=(36−4)×3.14
3.14という、めんどくさい計算を2回やるよりも、1回で片づけましょ、というものです。
中学に至っては、もっと楽になりますね。32にπをくっつければいいだけですから。3.14をかけなくて済むのです。
もう少し良い例えが見つかれば良かったのですが、とりあえず私が申し上げたかったことは、算数でこういったことを鍛えておけば、実生活でも「こう考えたらいいんじゃない?」というヒラメキがたくさんあるのではないかと思うのです。
(これは、私説になりますが、おそらく円周率が中学ではπになるのは、考え方がわかっていればいいのではないか。だからいつまでも、3.14を使わなくてもいいのではないか。小学で3.14を使うのは、小数の計算を苦手に思っている子が多いから、訓練のためにさせているのではないか、と勝手ながら思っています。)
このように、実生活や仕事で活きるヒントの数々が、「義務教育期間」で学ぶことに含まれているのではないかと思ったのです。(とても奥が深いですねぇ。。。)
私は、これまでそんなに気にもしていなかった「義務教育期間」というものを、真剣に考えるようになりました。
調べてみますと、「義務教育」そのものには様々な考え方があり、きっちりと定義するのが難しいものであることを知りました。
しかし少なくとも、小中学計9年間が一般的に「義務教育期間」と言われている以上、中学を卒業したあとでも、一人の社会人として恥ずかしくない必要最低限度の知識と教養を持ち合わせ、自分の力で生き抜く気概を持った人格を作る大切な期間だと、私は考えています。
例えるならば、生まれたてのメダカは、おなかに養分を持っていて、それを摂取しながら社会性を身に付けて、おなかの養分が無くなる頃、成魚として一人前のメダカになる過程に似ていると思います。このおなかの養分こそが「義務教育期間」であり、子どもたちにとって、勉強をはじめ、社会性を身に付けて人格形成していくことが、一つの「務め」なのではないかと思うのです。
そこで、私は先ほどのような疑問を持つ小学生には、次のように答えてきました。
「今やっていることが、将来のいつどんな時に役に立つかはわからない。だからこそ、どんなことがあっても対応できるように、今、いろんな訓練をしているんだよ。人生の修行だよ。」
これを、どこまで彼らの心に届けることができたかはわかりません。
でも、こういった疑問をぶつけて、このように私が答えた男の子のうちの1人が、ある日、分数の計算を出来るようになりたいのに、なかなか出来なくて、涙を流している様子を見ました。私は「とにかく、もがき苦しめ!そしてガンバレ!」と強く思いました。「それが修行だ」と・・・。
その後もこの子は、
「先生、ここまでわかったんですけど、これがわかりません」
「ここは、どうやってやったらいいんですか?」
と言った具合に、しきりに「自分を変えたい」というアピールをしてきてくれました。
この子は、学校の中だけでのお付き合いでしたが、どんどん自分を成長させていってほしいと今でも強く願っています。
彼らは、学校生活を通じて人格形成をすることが「務め」、私はそれをお手伝いすることが「務め」でした。
同じ「義務教育期間」で、それぞれの「務め」を全うすることが、それぞれの目線に立った「仕事」なのかな・・・、と振り返っております。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
義務教育期間。私が一番こだわっているところでした。
私の教室には「高等部」は設置しませんでした(当初、検討をしたこともありましたが、一旦やめました)。
なぜなら私は、高等課程以上は「探究心を持って勉強に励みたい者だけが進むべき課程である」と考えたからです。中学卒業までに、いかにその探究心を呼び起こすかが、私の仕事だと思ったからです。
私は、縁あって地元の小学校で「学習支援指導員」として、皆さんが小学課程の履修内容を習得できるよう、お手伝いもさせて頂いてまいりました。
私の教室に来ていない、今どきの小学生の生の声が聞ける貴重な場でもありました。
その中で、私が小学生当時思っていたことと、今どきの小学生が思っていることとほぼ同じだなと思ったことがあります。それは・・・、
「なんで勉強しないといけないの?」
「めんどくさい」
「将来、3.14なんてどんな時に使うんだろう?」
などといったことでした。
私は、小学5年生だったあの頃から、約30年ちょっと経過しました。
高校、大学を卒業して就職し、会社勤務でいろいろな経験をして、学習塾を開きました。
そんな私が、改めて小中課程のカリキュラムを見て思いますのは、
「計算の順序や3.14、π、関数、相対度数、図形の証明・・・なんてものは勉強するときぐらいにしか目にしなくても、『その問題を解くときに考える力』は実生活で非常に役に立つ」
ということでした。
例えば、使ったお皿を洗うとき、皿を使うごとに洗剤を付けて洗って水で流して、また別の皿を使ったら、また洗剤を付けて洗って水で流す・・・。非効率ですよね。
ある程度使うお皿の量が決まっていれば、ある程度使った皿を溜めたところで、一気にそれらに洗剤を付けて洗って水で流す。
これは、算数の「分配法則・結合法則」に似ていませんか?
6×6×3.14―2×2×3.14
=36×3.14−4×3.14
=(36−4)×3.14
3.14という、めんどくさい計算を2回やるよりも、1回で片づけましょ、というものです。
中学に至っては、もっと楽になりますね。32にπをくっつければいいだけですから。3.14をかけなくて済むのです。
もう少し良い例えが見つかれば良かったのですが、とりあえず私が申し上げたかったことは、算数でこういったことを鍛えておけば、実生活でも「こう考えたらいいんじゃない?」というヒラメキがたくさんあるのではないかと思うのです。
(これは、私説になりますが、おそらく円周率が中学ではπになるのは、考え方がわかっていればいいのではないか。だからいつまでも、3.14を使わなくてもいいのではないか。小学で3.14を使うのは、小数の計算を苦手に思っている子が多いから、訓練のためにさせているのではないか、と勝手ながら思っています。)
このように、実生活や仕事で活きるヒントの数々が、「義務教育期間」で学ぶことに含まれているのではないかと思ったのです。(とても奥が深いですねぇ。。。)
私は、これまでそんなに気にもしていなかった「義務教育期間」というものを、真剣に考えるようになりました。
調べてみますと、「義務教育」そのものには様々な考え方があり、きっちりと定義するのが難しいものであることを知りました。
しかし少なくとも、小中学計9年間が一般的に「義務教育期間」と言われている以上、中学を卒業したあとでも、一人の社会人として恥ずかしくない必要最低限度の知識と教養を持ち合わせ、自分の力で生き抜く気概を持った人格を作る大切な期間だと、私は考えています。
例えるならば、生まれたてのメダカは、おなかに養分を持っていて、それを摂取しながら社会性を身に付けて、おなかの養分が無くなる頃、成魚として一人前のメダカになる過程に似ていると思います。このおなかの養分こそが「義務教育期間」であり、子どもたちにとって、勉強をはじめ、社会性を身に付けて人格形成していくことが、一つの「務め」なのではないかと思うのです。
そこで、私は先ほどのような疑問を持つ小学生には、次のように答えてきました。
「今やっていることが、将来のいつどんな時に役に立つかはわからない。だからこそ、どんなことがあっても対応できるように、今、いろんな訓練をしているんだよ。人生の修行だよ。」
これを、どこまで彼らの心に届けることができたかはわかりません。
でも、こういった疑問をぶつけて、このように私が答えた男の子のうちの1人が、ある日、分数の計算を出来るようになりたいのに、なかなか出来なくて、涙を流している様子を見ました。私は「とにかく、もがき苦しめ!そしてガンバレ!」と強く思いました。「それが修行だ」と・・・。
その後もこの子は、
「先生、ここまでわかったんですけど、これがわかりません」
「ここは、どうやってやったらいいんですか?」
と言った具合に、しきりに「自分を変えたい」というアピールをしてきてくれました。
この子は、学校の中だけでのお付き合いでしたが、どんどん自分を成長させていってほしいと今でも強く願っています。
彼らは、学校生活を通じて人格形成をすることが「務め」、私はそれをお手伝いすることが「務め」でした。
同じ「義務教育期間」で、それぞれの「務め」を全うすることが、それぞれの目線に立った「仕事」なのかな・・・、と振り返っております。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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2019年01月09日
命の誕生とその使い道
私は、昨年12月まで約6年間、地元で小中学生を対象にした個別学習塾を営んでおりました。
私事の都合で、今年からまたサラリーマン生活を送ることになりました。
個別学習塾を営んできたこの6年間は、私にとって非常に貴重な時間でございました。
個別学習塾を開講したのは6年前、つまり息子の誕生と同時にスタートしたものでございました。
今回は、そのあたりを振り返りたいと思います。
思い返せば6年前、息子は元気な産声を上げて、私と妻の間に生まれてきてくれました。
まるで小さい体全身から吐き出すような元気な産声。
私が名前を呼び掛けると、目が開かない状態でありながら、「ん?」といった具合で、泣き止んで、耳をこちらに向けたのです。
実は、息子が妻のお腹にいる時から、しきりに声を掛けていたのです。おそらく、その声の主を覚えてくれていたのだと思います。
新生児たちの居る部屋に、息子も抱えられ、身体測定をして頂きました。生まれて初めての体重計、生まれて初めての身長測定、生まれて初めての血液検査&絆創膏・・・。
その当時の出産直後の写真は、今でも私の携帯電話の待ち受け画像です。
今では、6歳になった息子も、この待ち受け画面を見てはニコニコしています。
私の教室には、毎日元気よくたくさんの生徒様が通ってくれました。
みんな、それぞれがあのようにして生まれてきて、ここまで元気に成長してきたんだよね。
この子たち一人一人にも、それぞれご両親がいる。
そして、それぞれ形は違えど愛されている。
この子たちのためにも、家族のためにも、自分の教室を大切に育てていきたい、少し気持ちが滅入りそうになっとき、携帯画面を見て、初心に返って教室を運営してまいりました。
私がいつも心掛けていることは、個性を受け入れて、そこでの最大限の努力をしていく姿勢を鼓舞することでした。
おかげさまで、お母様方からもそういったことに対する感謝のお言葉を頂戴し、大変嬉しかったです。
私は、生徒様たちのメンタル的なフォローもさせて頂きたいと思い、「青少年ケアストレスカウンセラー」の資格を取得しました。
勉強に限らず、少しでも生徒様の心に寄り添えるようにしてまいりました。
せっかく、「この同じ時間を生きている『命』同士だから」そんな気持ちで取り組んできました。
次の仕事でも、そういった経験を活かして頑張れそうです。
これらの経験は、育児にもこれからの仕事にも、どんどん活かしていきたいと思います。
私事の都合で、今年からまたサラリーマン生活を送ることになりました。
個別学習塾を営んできたこの6年間は、私にとって非常に貴重な時間でございました。
個別学習塾を開講したのは6年前、つまり息子の誕生と同時にスタートしたものでございました。
今回は、そのあたりを振り返りたいと思います。
思い返せば6年前、息子は元気な産声を上げて、私と妻の間に生まれてきてくれました。
まるで小さい体全身から吐き出すような元気な産声。
私が名前を呼び掛けると、目が開かない状態でありながら、「ん?」といった具合で、泣き止んで、耳をこちらに向けたのです。
実は、息子が妻のお腹にいる時から、しきりに声を掛けていたのです。おそらく、その声の主を覚えてくれていたのだと思います。
新生児たちの居る部屋に、息子も抱えられ、身体測定をして頂きました。生まれて初めての体重計、生まれて初めての身長測定、生まれて初めての血液検査&絆創膏・・・。
その当時の出産直後の写真は、今でも私の携帯電話の待ち受け画像です。
今では、6歳になった息子も、この待ち受け画面を見てはニコニコしています。
私の教室には、毎日元気よくたくさんの生徒様が通ってくれました。
みんな、それぞれがあのようにして生まれてきて、ここまで元気に成長してきたんだよね。
この子たち一人一人にも、それぞれご両親がいる。
そして、それぞれ形は違えど愛されている。
この子たちのためにも、家族のためにも、自分の教室を大切に育てていきたい、少し気持ちが滅入りそうになっとき、携帯画面を見て、初心に返って教室を運営してまいりました。
私がいつも心掛けていることは、個性を受け入れて、そこでの最大限の努力をしていく姿勢を鼓舞することでした。
おかげさまで、お母様方からもそういったことに対する感謝のお言葉を頂戴し、大変嬉しかったです。
私は、生徒様たちのメンタル的なフォローもさせて頂きたいと思い、「青少年ケアストレスカウンセラー」の資格を取得しました。
勉強に限らず、少しでも生徒様の心に寄り添えるようにしてまいりました。
せっかく、「この同じ時間を生きている『命』同士だから」そんな気持ちで取り組んできました。
次の仕事でも、そういった経験を活かして頑張れそうです。
これらの経験は、育児にもこれからの仕事にも、どんどん活かしていきたいと思います。
2019年01月08日
人の器量とは
私は、日本の歴史モノがとても大好きです。とりわけ東北の雄、伊達政宗公が大好きです。
私が中学生の頃、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」が放送されておりまして、それを毎週楽しみに見ていました。
その中で、今回私が心に残っていることの一つをご紹介したいと思います。
物語によりますと、政宗公の嫡子・忠宗公には異母兄の秀宗公がおられました。
忠宗公がお生まれにならなければ、秀宗公が伊達宗家を継ぐはずでした。
忠宗公が伊達宗家の家督を継ぐことになり、秀宗公は、伊予宇和島藩の初代藩主になられました。
秀宗公の実の母、飯坂局(いいざかのつぼね)様は、
自分が側室であるがゆえに、何故、殿の血を同じく分けながら、
自分の息子が伊達宗家を継ぐことができないのか。
と嘆いたそうです。
そこで、ご正室の愛姫(めごひめ)様は、飯坂局様に対し、このようにお話しをなさいます。
私は、秀宗も忠宗同様、自分の実の息子として育ててきたつもりです。
秀宗と忠宗とは身分が違うのではない。宿命(さだめ)が違うだけです。
こればかりは、神仏がお決めになったことなので、どうしようもないこと。
むしろ、宿命(さだめ)をいかに切り開くかが、人の器量ではないでしょうか。
思えば、自分の周りを見渡しても、似たタイプはあれど、人が10人いれば、10通りの性格があり、個性があります。今、自分の現状を見据えて、そこから自分を成長させたいという強い気持ちを持つことこそが、その人の器量を大きくしていくものだと思うのです。
私自身も、これからもたくさん経験して自分の器量を大きくしていかなければなりません。
同時に、自分の息子にもそういった強い心を持ってた強い心を持って、自分の器量を大きくして行ってほしいと思います。
私が中学生の頃、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」が放送されておりまして、それを毎週楽しみに見ていました。
その中で、今回私が心に残っていることの一つをご紹介したいと思います。
物語によりますと、政宗公の嫡子・忠宗公には異母兄の秀宗公がおられました。
忠宗公がお生まれにならなければ、秀宗公が伊達宗家を継ぐはずでした。
忠宗公が伊達宗家の家督を継ぐことになり、秀宗公は、伊予宇和島藩の初代藩主になられました。
秀宗公の実の母、飯坂局(いいざかのつぼね)様は、
自分が側室であるがゆえに、何故、殿の血を同じく分けながら、
自分の息子が伊達宗家を継ぐことができないのか。
と嘆いたそうです。
そこで、ご正室の愛姫(めごひめ)様は、飯坂局様に対し、このようにお話しをなさいます。
私は、秀宗も忠宗同様、自分の実の息子として育ててきたつもりです。
秀宗と忠宗とは身分が違うのではない。宿命(さだめ)が違うだけです。
こればかりは、神仏がお決めになったことなので、どうしようもないこと。
むしろ、宿命(さだめ)をいかに切り開くかが、人の器量ではないでしょうか。
思えば、自分の周りを見渡しても、似たタイプはあれど、人が10人いれば、10通りの性格があり、個性があります。今、自分の現状を見据えて、そこから自分を成長させたいという強い気持ちを持つことこそが、その人の器量を大きくしていくものだと思うのです。
私自身も、これからもたくさん経験して自分の器量を大きくしていかなければなりません。
同時に、自分の息子にもそういった強い心を持ってた強い心を持って、自分の器量を大きくして行ってほしいと思います。
2019年01月07日
ブログスタートします。
はじめまして。あんとんと申しますm(__)m
今日から、ちょくちょくブログをはじめます。
6年前、愛しい息子を授かりました。
それと同時に、新しい仕事をスタートしました。
そして、6年後の今、また新しい節目を迎えました。
1児のパパとしてこれからも頑張りたいと思います。
これまでの6年を振り返ったり、日ごろ思ったことなんかをつづってまいります。
私からの一歩的な目線ではありますが、趣味や好きなものにも触れていきたいなと思います。
お読みいただける方のお気を害する表現がないように、十分心がけてまいるつもりですが、万一そういう記事がございましたら、サラリと読み流して頂けますと幸いでございます。
つたない文章になりますが、どうぞ末永くお付き合いくださいませm(__)m
今日から、ちょくちょくブログをはじめます。
6年前、愛しい息子を授かりました。
それと同時に、新しい仕事をスタートしました。
そして、6年後の今、また新しい節目を迎えました。
1児のパパとしてこれからも頑張りたいと思います。
これまでの6年を振り返ったり、日ごろ思ったことなんかをつづってまいります。
私からの一歩的な目線ではありますが、趣味や好きなものにも触れていきたいなと思います。
お読みいただける方のお気を害する表現がないように、十分心がけてまいるつもりですが、万一そういう記事がございましたら、サラリと読み流して頂けますと幸いでございます。
つたない文章になりますが、どうぞ末永くお付き合いくださいませm(__)m