2008年08月12日
突発性難聴A 発症
前回に続き、突発性難聴について書こうと思います。
前回記事 → 突発性難聴
今回は私の実体験です。
少しでも多くの方に突発性難聴について
知っていただきたいと思って書いています。
前回記事で少しふれましたが、
私は2年前に突発性難聴を発症しました。
完治せず、片耳の聴力を失ったほか、
後遺症が残っています。
〜2006年8月7日〜
昼寝から起きたら、右耳が聞こえなくなる。
左耳に指を入れて、右耳だけで聞こうとしても、
まったく聞こえず。テレビのスピーカーに
耳を近づけても聞こえず。
こんなこともあるのかな、と放置。
〜2006年8月8日〜
右耳がまだ聞こえず。
突然聞こえなくなったのだから、
また急に聞こえるようになるのかなと
あまり気にしないようにしていた。
主人がネットで少し調べてくれて、
「耳鳴りがあるか」と聞かれたが、
耳鳴りはしていなかった。
主人は、メニエール病を疑っていた。
ネット画面を見せてもらうと、
関連情報に突発性難聴という文字が
目についた。その症状が自分の症状と
そっくりだった。
1週間くらい様子をみようと思っていたが、
翌日病院へ行くことを決めた。
〜2006年8月9日〜
主人が夕方早く帰宅してくれ、娘を預けて、
花粉症でかかっている、耳鼻科(個人院)へ
行った。
聴力検査の後、診察を受けた。
最近、飛行機に乗ったり、肩が凝ったり、
耳鳴りがしていたか、と聞かれたが、
いずれもなかった。
いつもは明るい先生だが、とても真剣な顔で
突発性難聴の説明を受けた。
2週間以内に治療を始めないと治らないと
言われた。
個人院でちょうど、お盆休みに入るので、
市民病院へ紹介状を書いてくれ、明日から
毎日点滴通院をするように言われる。
その日もさっそく点滴を受け、帰宅した。
この時、娘は生後2か月弱、主人と相談して、
私が通院の間、私の母に娘をお願いしてみようと
いうことになった。
母に電話をしたら、さっそく、翌日から
通ってくれることを快く承諾してくれた。
〜2006年8月10日〜
午前4時半ごろ、授乳時間で娘が泣いたため、
ミルクをあげようと起き上がろうとした瞬間、
ひどいめまいで、起き上がれなかった。
なんどか起きようとしたが、そのたびに
体が宙に浮いてぐるぐる回されているような
めまいに襲われ、吐き気もした。
仰向けに寝ていれば、何ともなかったので、
大声で別室の主人を起こし、娘にミルクをあげてもらった。
救急車を呼ぶしかないね、と話をした。
仰向けなら、意識もはっきりしていて、話もできる。
が、少しでも頭を横に動かすと、激しいめまいと
吐き気に襲われる。
記憶がないが、おそらくウトウトと
寝ていたと思う。
昨日の晩母へ連絡をしていたが、救急車で
病院へ行くため、母へ早く来てくれるように
電話をした。主人は仕事の準備をする。
母が家に着く時間が確定し、主人がそれまで
家にいることができることになったので、
救急車を呼んでもらう。
5分くらいで、サイレンの音が聞こえてきた。
あの音が家の前で止まって運ばれるんだと
冷静に考えたりしていた。
救急員が家に到着し、血圧を測ったり、
ちょっとした質問に答えたりして、
運ばれる準備が始まる。
担架ではなく、大きなシートにのせて、
地面と階段を滑らすように運びますと言われる。
揺れを少なくするため? 3階だったから?
運び出される瞬間、隣でベッドに寝ていた娘の
高く上げた小さな足が見えたのを今でも覚えている。
3階の自宅から救急車までの間、めまいがひどく、
目を開けていられず、何度も嘔吐した。
病院へ着き、診察室らしきところへ運ばれる。
動かされるたびに嘔吐した。
あまりにめまいがひどく、どんな診察を受けたか
覚えていないが、「入院してもらいますから」、
「○○医院で突発性難聴と言われたんだね」と
先生に聞かれたのは覚えている。
病室へ運ばれた。最初に「トイレは?」と聞かれた。
そうだ、トイレへ行きたいと思った。
どうするんだろうと思ったら、”おまる”をおしりの
下へ入れられ、ズボンを脱がしてくれて、
終わったらナースコールを、と言われた。
はじめての体験。正直、嫌だったが、これなら
めまいに襲われることはない。終わると、ちゃんと
ティッシュで拭いてくれ、ズボンをはかせてくれた。
気がついたら、主人がベットの横にいた。
眠っていたみたい。
ちょうどお昼すぎだったと思う。
結局主人は仕事を休んだらしい。
少し話をして、寝たり起きたりしているうちに、
個室へ移された。
こうして、通院する予定が、入院になってしまいました。
次回は入院生活について書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
前回記事 → 突発性難聴
今回は私の実体験です。
少しでも多くの方に突発性難聴について
知っていただきたいと思って書いています。
前回記事で少しふれましたが、
私は2年前に突発性難聴を発症しました。
完治せず、片耳の聴力を失ったほか、
後遺症が残っています。
〜2006年8月7日〜
昼寝から起きたら、右耳が聞こえなくなる。
左耳に指を入れて、右耳だけで聞こうとしても、
まったく聞こえず。テレビのスピーカーに
耳を近づけても聞こえず。
こんなこともあるのかな、と放置。
〜2006年8月8日〜
右耳がまだ聞こえず。
突然聞こえなくなったのだから、
また急に聞こえるようになるのかなと
あまり気にしないようにしていた。
主人がネットで少し調べてくれて、
「耳鳴りがあるか」と聞かれたが、
耳鳴りはしていなかった。
主人は、メニエール病を疑っていた。
ネット画面を見せてもらうと、
関連情報に突発性難聴という文字が
目についた。その症状が自分の症状と
そっくりだった。
1週間くらい様子をみようと思っていたが、
翌日病院へ行くことを決めた。
〜2006年8月9日〜
主人が夕方早く帰宅してくれ、娘を預けて、
花粉症でかかっている、耳鼻科(個人院)へ
行った。
聴力検査の後、診察を受けた。
最近、飛行機に乗ったり、肩が凝ったり、
耳鳴りがしていたか、と聞かれたが、
いずれもなかった。
いつもは明るい先生だが、とても真剣な顔で
突発性難聴の説明を受けた。
2週間以内に治療を始めないと治らないと
言われた。
個人院でちょうど、お盆休みに入るので、
市民病院へ紹介状を書いてくれ、明日から
毎日点滴通院をするように言われる。
その日もさっそく点滴を受け、帰宅した。
この時、娘は生後2か月弱、主人と相談して、
私が通院の間、私の母に娘をお願いしてみようと
いうことになった。
母に電話をしたら、さっそく、翌日から
通ってくれることを快く承諾してくれた。
〜2006年8月10日〜
午前4時半ごろ、授乳時間で娘が泣いたため、
ミルクをあげようと起き上がろうとした瞬間、
ひどいめまいで、起き上がれなかった。
なんどか起きようとしたが、そのたびに
体が宙に浮いてぐるぐる回されているような
めまいに襲われ、吐き気もした。
仰向けに寝ていれば、何ともなかったので、
大声で別室の主人を起こし、娘にミルクをあげてもらった。
救急車を呼ぶしかないね、と話をした。
仰向けなら、意識もはっきりしていて、話もできる。
が、少しでも頭を横に動かすと、激しいめまいと
吐き気に襲われる。
記憶がないが、おそらくウトウトと
寝ていたと思う。
昨日の晩母へ連絡をしていたが、救急車で
病院へ行くため、母へ早く来てくれるように
電話をした。主人は仕事の準備をする。
母が家に着く時間が確定し、主人がそれまで
家にいることができることになったので、
救急車を呼んでもらう。
5分くらいで、サイレンの音が聞こえてきた。
あの音が家の前で止まって運ばれるんだと
冷静に考えたりしていた。
救急員が家に到着し、血圧を測ったり、
ちょっとした質問に答えたりして、
運ばれる準備が始まる。
担架ではなく、大きなシートにのせて、
地面と階段を滑らすように運びますと言われる。
揺れを少なくするため? 3階だったから?
運び出される瞬間、隣でベッドに寝ていた娘の
高く上げた小さな足が見えたのを今でも覚えている。
3階の自宅から救急車までの間、めまいがひどく、
目を開けていられず、何度も嘔吐した。
病院へ着き、診察室らしきところへ運ばれる。
動かされるたびに嘔吐した。
あまりにめまいがひどく、どんな診察を受けたか
覚えていないが、「入院してもらいますから」、
「○○医院で突発性難聴と言われたんだね」と
先生に聞かれたのは覚えている。
病室へ運ばれた。最初に「トイレは?」と聞かれた。
そうだ、トイレへ行きたいと思った。
どうするんだろうと思ったら、”おまる”をおしりの
下へ入れられ、ズボンを脱がしてくれて、
終わったらナースコールを、と言われた。
はじめての体験。正直、嫌だったが、これなら
めまいに襲われることはない。終わると、ちゃんと
ティッシュで拭いてくれ、ズボンをはかせてくれた。
気がついたら、主人がベットの横にいた。
眠っていたみたい。
ちょうどお昼すぎだったと思う。
結局主人は仕事を休んだらしい。
少し話をして、寝たり起きたりしているうちに、
個室へ移された。
こうして、通院する予定が、入院になってしまいました。
次回は入院生活について書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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