2015年05月17日
仙台ぐらし 伊坂幸太郎
ソファーに腰痛をかばいながらうつ伏せで本をてにとる。
すると、目の前のサイドテーブルの埃がだいぶ溜まってることに気づいて、そのまま拭き掃除をする。
ウェットタイプのお掃除シートが残り少なくなっている事に気づいて、近くの薬局がセールをしてる事を思い出し、他に買うものがあったのでそのまま出かける。
忘れた頃に、またその本を手に取る。
集中力がないとき、そんな軽い気持ちで本を読みたい。
そんな一冊だ。
時間があって、なにかの合間に読みやすい。例えばパスタを茹でながら。
そんな手軽な本が最近、手もとに一冊ないとどこか心もとない。
あまり、読書するぞ!という鼻息荒めでドストエフスキーとか小難しい本を選ぶとやたら時間がかかって、内容が頭に残らない。
そんな感じで、本屋で探してたら、10秒くらいで本書を見つけて、立ち読み込みで1分以内にはレジに並んでた。
冒頭のタクシーの話は、ちょうど小泉政権下、規制緩和とか郵政民営化とかやってた時代のタクシー運転手との会話集なのだが、運転手にもそれぞれの感じ方や人間味が紡がれてて、妙にホッコリする。
それぞれの、タイトルが、.......が多すぎる、で統一された著者の不安や、不満を、つらつらと時系列で記している。
そして、東日本大震災の人々に残した傷跡から、まさに予兆という不安まで、エッセイという形ではあるが、どこかフィクションのようでもある。
被災をしたあと著者は、しばらく小説も読めなかったし、音楽も聴けなかった。娯楽というのは不安の生活の中では全く意味をなさない。
著者はいう。「理不尽な出来事に巻き込まれた人には、その当時者にならないとわからないことがたくさんあるに違いない。想像力はとても大事なことだけど、安易に使ってはいけない言葉のように感じてきた。」
著者の作品は、こういう不安や謙虚さややさしさの土台でつくられているのだなと、感じられるエッセイだ。
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