2017年12月27日
今年最後に語る 答えがない人生をどう生きるか
今年最後の雑談では、「どう生きる」をテーマにします。
FXの話題は一切でてきません、私の独り言なので、お好きな方だけ、お耳を傾けて頂ければ嬉しいです。
プルチック「感情の輪」
感情の輪
アメリカの心理学者ロバート・プルチック氏により提案された「感情の輪」
基本感情は怒り、嫌悪、悲しみ、驚き、心配、信頼、喜び、期待の8つがあるといいます。
感情の輪の見方は3つあります。
@輪の内側にいくほど感情が強く、外側にいくほど弱くなります。
基本感情の「怒り」で例えるなら、弱ければ「苛立ち」強れば「激怒」になります。
A2次感情。
これは、2つの感情が合体して生じる別の感情で、「嫌悪」と「悲しみ」が重なると「自責の念」が生まれます。
B「喜び」の反対は「悲しみ」というように、その感情と相反する感情が、このモデルでわかります。
30年も生きていると、輪の内側にあるような強烈な感情を持つことが幾度かあります。
最初に家族が亡くなったとき、あれはまさに「悲観」でした。
大切な人を亡くしたのは、これが初めてだったので目の前が真っ白になりました。
数か月して「悲観」は「悲しみ」に移り、9年経った今でも、想い出すと「感傷的」になりますが、どんなに強い感情も、時間とともに薄れていくものです。
思い切って人生をリセットしようと、無職になりましたが、いざ無色となると「恐怖」「悲観」「憎悪」の感情が一気に押し寄せてきて、頭がおかしくなりそうでした。
行き場のない感情を、「激怒」や「憎悪」といった恨み節にしてぶつけましたが、それも、すぐに疲れてしまいました。
そして、いつの間にか、その反対にある、自分を許す「容認」や、自分をもう一度信じる「信頼」へと意識を向けてました。
空いた時間を利用し、愛犬と戯れたり、読書をしてみたり、自然とそうしていましたが、今から思えば、それで正解だったんだと思います。
世界は感情で動いている
世界も相場も感情で動いています。
人間は非論理的な種族であり、無感情な種族ではありません。
映画「スタートレック」に出てくるバルカン人は感情を押さえ込む修行を積みますが、人間の感情は抑え込もうとすれば、より意識されてしまいます。
あなたの内側にある感情を、一旦外側に出すには、友達の不満話を喫茶店で聞くようなイメージで、テーブルを挟んだ向かいの椅子の上に置いてみることです。
もし、今、あなたが、ネガティブで強い感情を持っているなら、あえて、その逆サイドの感情を持つための行動をとることをお勧めします。
悲しみに囚われている最中、喜ぶなんて無理だ!と思うのはもっともですが、そのひとつ手前にある「安らぎ」なら何とかなるかもしれません。
感情を逆サイドに振るのは、現実逃避ではなく、別の現実を始める一歩目になります。
トレードでも、急に動き出したロウソク足に「動揺」してエントリーしてしまったが、すぐに逆行、損切り、こんなとき、「悲しみ」と「嫌悪」が合体した奇妙な気分になります。
自分を責めるか、相場を責めるか、どっちを責めるべきかよくわからない感情です。
トレードという競技において、その基本姿勢は「信頼」や「容認」の感情を軸とすることではないでしょうか。
そのために、どう考え行動すべきなのか、それだけです。
信じない、受け入れない、認めない、この心境で臨んでも、対面の「嫌悪」が強まるだけです。
知識や手法、テクニックは、あなたのなかに「容認」と「信頼」という軸をもち続けるための要素にすぎません。
感情は1秒でシフトできる
幸福感に満ちた状態とは、感情の輪でいう「愛」のある状態なんだと思います。
それには「信頼」や「喜び」という基本感情を持ち、「嫌悪」「悲観」からなるべく離れたところにいないといけません。
幸せになるためのスタートは「容認」と「安らぎ」からです。
今あるものを、どうやって、受け入れ、許し、今あるもので、どうすれば安らげるのか、そこを考えればいいわけです。
社会人時代の私は、正義感をもって上司にも意見していましたが、今考えれば、自分とはまるっきり信念の違う相手に「憎悪」のパワーをぶつけていたにすぎません。
正義感の仮面を剥がせば、大概、怒りや嫌悪が現れます。
それと戦い続ける限り、いつまでも「憎悪」の感情に囚われ続け、疲れ果てるだけで、相手をギャフンと言わせたところで何も変わりません。
退社したことで、退路が断たれスッキリしました。
縁を断ったことで自分の時間が持て、感情も嫌悪から容認へと変化しました。
すると、「転機に違いない、運命に逆らうよりも、受け入れよう」
私は人生をもう一度楽しめるチャンスを得た。
そう思えるようになりました。
家族が亡くなった時の「悲観」も、「悲しみ」よりも一緒に過ごせた「喜び」を強く感じるようになりました。
ちょっとした気づきで、瞬間的に感情シフトは起こります。
負けトレードを悔しい感情だけで終わらせずにノートに記録するのは、「嫌悪」から「容認」への転換作業になっているからです。
私が、この8つの基本感情のなかで、もっとも意識しているのは「信頼」、とくに自己信頼です。
その前提として「容認」とくに自分を許すというスタンスでいます。
それを軸に生きることを心がけています。
ネガティブな感情が悪いのではなく、その感情に囚われ、支配されたまま、行動してしまうことが問題なだけです。
ロックミュージシャンが「やすらぎ」を求めたら終わりです。
ロックの原動力は「怒り」「嫌悪」「悲しみ」であって、これらの感情がなければ名曲がつくれません。
感情に自分自身を喰われてしまう人と、自己表現の武器にできる人がいるだけです。
アーティストのように考えて行動する
相対と絶対
中学生の頃、あまりにも成績が悪く、いつも50点辺りを彷徨っていたので、稀に平均点より高い点数をとると、母が大そうよろこびました。
母はいつも「普通の少し上」が一番いいんだと言ってました。
日常はすべて相対の世界です。
いつも、なにかとなにかを比べては、その「差分」で一喜一憂しています。
相対世界は、上には上があるし、下には下があるので、比べてらキリがありません。
それでも、比較するものがないと落ち着かないようで、多くの人は、中流とか平均とかいうゾーンに、自分が入っているのを感じて安堵します。
トレードはアート
絶対世界は、上も下も右も左もなく、比べる対象がないということです。
相対世界にあって、絶対性を持つもの、それが芸術なのでしょう。
自分は芸術家ではないから、絶対的なものなんかつくれない…私はそんなことはないと思ってます。
絶対的な視点を持てば、その瞬間から敵はいなくなりますし、競争にも巻き込まれません。
相対世界を意識しだすと、周りに振り回され、踊らされて疲れます。
だから、絶対世界で生きるアーティストとして考え行動すればいいんです。
トレードはアートだという人がいます。
私もそう思いますが、アートとしての視点をもって行動すれば、ビジネス、生き方、なんでもアートになります。
相場は負ける人がいて、勝つ人が成り立っている相対世界なので、勝負に勝つには、相対する側の気持ちになって考えるべきですが、うっかり気を抜くと相対世界に飲まれます。
そうならないように「錨」を下す必要があります、それが聖杯なのかもしれません。
アートの世界は、絶対と本質の追求で成り立っています。
これは、相対と現象を重視する経済の世界とは真逆で、どちらかといえば、アートは科学寄りです。
トレードを始めた頃、だれしもが手を出す「聖杯探し」も、もっと楽で確実に儲かる方法はないかという相対視点の行為です。
絵の描き方が無限にあるのと同じで、トレードのやり方も無限です。
やはり、やり方よりも在り方。
その在り方でいるためのやり方を探す、こういう視点が大事です。
お笑い芸人「西野亮廣」の絵本は0.3ミリのボールペン1本ですべてを描きます。その世界観は絶対的です。
相場も仕事も人生も、無限のキャンバスに「納得解」を描けばいいだけです。
あなたが、この世の中で唯一無二の絶対的存在であることに疑う余地はありません。
その絶対的存在が、ついつい相対的なモノの見方をしてしまいます。
他人の答えは、自分の答えにはなりません。
無限にある「誰かの答え」を並べて比べるよりも、自分の在り方にもとづいた「納得解」を見つけるのに頑張ったほうが、楽しく、満足できます。
「無」が前提の時代が来る
産業革命の再来
今から数十年後、AIと量子コンピュターにより、劇的なテクノロジーの進化が予想されています。
「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」といわれますが、
今までSF扱いされていたようなことが、いよいよ現実のものになるかもしれません。
NTTは、量子コンピューター開発のための研究をすすめているようです。
量子コンピューターを使えば、数光年離れた場所へ情報をテレポテーションさせることが可能だそうです。
量子コンピューターは、今までのように、2進法で0か1しかないビット単位で扱うものと違います。
量子ビットは波なので、重ね合わせて表現でき、1でも0でもあるような曖昧なものを表現できるそうです。
量子コンピューターは人工知能を加速化させるので、おそらく50年後には、人体や脳にチップを埋め込み、映画マトリクスのように飛行機の操縦をわずか数秒でインストールできるような時代がくるでしょう。
まさにSF世界です。
「信じるか信じないかはあなた次第」とずっと言われてきましたが、ここ数年で一気に現実的な考えとなってきています。
約200年前、英国で起こった産業革命により工業化がすすみました。
「マッキンゼー・グローバル・インスティテュート」によれば、人工知能がもたらす社会の変化は、英国の産業革命と比べて、速度は10倍、規模は300倍、インパクトは約3000倍になるそうです。
速度10倍ということは、今からおよそ20年もあれば、世界の常識が覆されるということです。
人工知能に仕事を奪われることを心配する人もいますが、産業革命が始まったころの英国でも同じことが起こりました。
それまで手作業で織物を作っていた手工業者・労働者たちが失業のおそれを感じ、その元凶である機械を破壊し、資本家に使用を止めさせる運動を起こして大きな社会問題となりました。
これは「機械問題」とよばれ、機械に仕事を奪われると思っていたわけです。
人工知能のIQは10,000にもなるといいます。
人間なら頭のいい人でも150程度なので、生身の医者より、AIドクターにまかせるほうが、膨大なデータベースから一瞬で最善な治療法を選び出してくれるはずです。
確かに人間がすることがなくなる部分は多く出てくるでしょう。
しかし、規模が300倍ということは、それに伴った、新たなニーズが生まれ、そこに新しいビジネスチャンスがでてくることでしょう。
「無」はなにでできているのか
今までの物理学は「在る」ことが前提の実在物理学でしたが、新しい物理学は「無い」ことが前提の非実在物理学です。
地動説を唱えたコペルニクス以来のパラダイムシフトで、全ては「無」から始まり、宇宙ですら、見るまでは存在しないということになります。
なにやら胡散臭い話ですが、現代となって、少し事情が変わってきているようです。
この「無」の存在を、大昔から認知している人がいました。
老子は、完全な空の状態こそが、すべてのモノの始めと終わりをつくっていることを知り、これを「タオ」と名づけ、お釈迦様は「空」と名付けました。
人の意識が介在すると、「無」が「有」になることは実証されました。
しかし、そもそも「無」は何でできているのか?
その辺のことが科学的に証明され、誰の目にも、それが事実となる日は近いかもしれません。
為替チャートも「無」の世界。
チャートの原動力は人の意識で、それを電気信号化したのがチャートです。
そこにあるように見えるが、物理的にはない。
動いてはいるが、ひとつにとどまらない。
カタチのない流れ(波)を予測しながら、今という「粒」を見る。
チャートが老子の「タオ」やお釈迦様の「空」を、具象化しているように感じます。
まとめ
もし、「無」が始まりで、源だとするなら、過去に囚われることなく、今すぐにでも未来を変え始めることができるということです。
私はどんな人にも3つの未来が存在すると思っています。
今より良い未来、今より悪い未来、現状維持の未来
そして、多くの場合、現状維持を選び、現状を維持するための行動をします。
そうすることが一番、心地よく、楽な選択だからです。
それを選ばないのはドン底の人だけです、それが楽ではないからです。
現状維持コースを選ぶのは、人間の体温がいつも36.5度を保っているようなもので「機能」です。
体や脳の機能なので、別に、あなたが怠けているせいではありません。
「心が変われば行動が変わる」→「 行動が変われば習慣が変わる」→「 習慣が変われば人格が変わる」→「 人格が変われば運命が変わる」
習慣は、未来を良くも悪くもできる、パワフルなツールです。
過去の悪魔は、失敗や後悔の感情を、今あるかのごとくリアルに感じさせます。
現在の悪魔は、今のままでいいじゃんとリスクをとる勇気を奪います。
未来の悪魔は、どうせうまくいきっこないと未来に不安を抱かせます。
そして、あなたは、とんでもなく希少価値の高い、絶対的存在なのにも関わらず、その特異性を活かせない相対世界の価値観に振り回されます。
人生もトレードです。
無職になった私は失うものがなくなり、どん底を一度経験しました。
おかげで、何をやっても今より良くなるしかないと思えました。
借金もなく、健康なので、完璧なるリセットです。
人と同じ道を選んだら、普通かそれ以下にしかならないと感じたのでトレードを選びました。
ギャンブルで生活できるわけないという人もいましたが、家族や親には不思議と反対されませんでした。
趣味でも仕事でも、真剣に取り組めば、多くを学べます。
損切りはリスクをとることの意味、リスクをコントロールすれば怖くないことを教えてくれました。
いつまでも底でいることもなければ、天井にいることもない、急騰すれば急落する、押してから上がる。
こんな不確実な相対世界で、容認と信頼から、唯一の納得解を求める。
まさに相場は人生そのものです。
今年も一年お疲れさまでした。
良いお年をお迎えください。
FX会社ランキング
FXの話題は一切でてきません、私の独り言なので、お好きな方だけ、お耳を傾けて頂ければ嬉しいです。
プルチック「感情の輪」
感情の輪
アメリカの心理学者ロバート・プルチック氏により提案された「感情の輪」
基本感情は怒り、嫌悪、悲しみ、驚き、心配、信頼、喜び、期待の8つがあるといいます。
感情の輪の見方は3つあります。
@輪の内側にいくほど感情が強く、外側にいくほど弱くなります。
基本感情の「怒り」で例えるなら、弱ければ「苛立ち」強れば「激怒」になります。
A2次感情。
これは、2つの感情が合体して生じる別の感情で、「嫌悪」と「悲しみ」が重なると「自責の念」が生まれます。
B「喜び」の反対は「悲しみ」というように、その感情と相反する感情が、このモデルでわかります。
30年も生きていると、輪の内側にあるような強烈な感情を持つことが幾度かあります。
最初に家族が亡くなったとき、あれはまさに「悲観」でした。
大切な人を亡くしたのは、これが初めてだったので目の前が真っ白になりました。
数か月して「悲観」は「悲しみ」に移り、9年経った今でも、想い出すと「感傷的」になりますが、どんなに強い感情も、時間とともに薄れていくものです。
思い切って人生をリセットしようと、無職になりましたが、いざ無色となると「恐怖」「悲観」「憎悪」の感情が一気に押し寄せてきて、頭がおかしくなりそうでした。
行き場のない感情を、「激怒」や「憎悪」といった恨み節にしてぶつけましたが、それも、すぐに疲れてしまいました。
そして、いつの間にか、その反対にある、自分を許す「容認」や、自分をもう一度信じる「信頼」へと意識を向けてました。
空いた時間を利用し、愛犬と戯れたり、読書をしてみたり、自然とそうしていましたが、今から思えば、それで正解だったんだと思います。
世界は感情で動いている
世界も相場も感情で動いています。
人間は非論理的な種族であり、無感情な種族ではありません。
映画「スタートレック」に出てくるバルカン人は感情を押さえ込む修行を積みますが、人間の感情は抑え込もうとすれば、より意識されてしまいます。
あなたの内側にある感情を、一旦外側に出すには、友達の不満話を喫茶店で聞くようなイメージで、テーブルを挟んだ向かいの椅子の上に置いてみることです。
もし、今、あなたが、ネガティブで強い感情を持っているなら、あえて、その逆サイドの感情を持つための行動をとることをお勧めします。
悲しみに囚われている最中、喜ぶなんて無理だ!と思うのはもっともですが、そのひとつ手前にある「安らぎ」なら何とかなるかもしれません。
感情を逆サイドに振るのは、現実逃避ではなく、別の現実を始める一歩目になります。
トレードでも、急に動き出したロウソク足に「動揺」してエントリーしてしまったが、すぐに逆行、損切り、こんなとき、「悲しみ」と「嫌悪」が合体した奇妙な気分になります。
自分を責めるか、相場を責めるか、どっちを責めるべきかよくわからない感情です。
トレードという競技において、その基本姿勢は「信頼」や「容認」の感情を軸とすることではないでしょうか。
そのために、どう考え行動すべきなのか、それだけです。
信じない、受け入れない、認めない、この心境で臨んでも、対面の「嫌悪」が強まるだけです。
知識や手法、テクニックは、あなたのなかに「容認」と「信頼」という軸をもち続けるための要素にすぎません。
感情は1秒でシフトできる
幸福感に満ちた状態とは、感情の輪でいう「愛」のある状態なんだと思います。
それには「信頼」や「喜び」という基本感情を持ち、「嫌悪」「悲観」からなるべく離れたところにいないといけません。
幸せになるためのスタートは「容認」と「安らぎ」からです。
今あるものを、どうやって、受け入れ、許し、今あるもので、どうすれば安らげるのか、そこを考えればいいわけです。
社会人時代の私は、正義感をもって上司にも意見していましたが、今考えれば、自分とはまるっきり信念の違う相手に「憎悪」のパワーをぶつけていたにすぎません。
正義感の仮面を剥がせば、大概、怒りや嫌悪が現れます。
それと戦い続ける限り、いつまでも「憎悪」の感情に囚われ続け、疲れ果てるだけで、相手をギャフンと言わせたところで何も変わりません。
退社したことで、退路が断たれスッキリしました。
縁を断ったことで自分の時間が持て、感情も嫌悪から容認へと変化しました。
すると、「転機に違いない、運命に逆らうよりも、受け入れよう」
私は人生をもう一度楽しめるチャンスを得た。
そう思えるようになりました。
家族が亡くなった時の「悲観」も、「悲しみ」よりも一緒に過ごせた「喜び」を強く感じるようになりました。
ちょっとした気づきで、瞬間的に感情シフトは起こります。
負けトレードを悔しい感情だけで終わらせずにノートに記録するのは、「嫌悪」から「容認」への転換作業になっているからです。
私が、この8つの基本感情のなかで、もっとも意識しているのは「信頼」、とくに自己信頼です。
その前提として「容認」とくに自分を許すというスタンスでいます。
それを軸に生きることを心がけています。
ネガティブな感情が悪いのではなく、その感情に囚われ、支配されたまま、行動してしまうことが問題なだけです。
ロックミュージシャンが「やすらぎ」を求めたら終わりです。
ロックの原動力は「怒り」「嫌悪」「悲しみ」であって、これらの感情がなければ名曲がつくれません。
感情に自分自身を喰われてしまう人と、自己表現の武器にできる人がいるだけです。
アーティストのように考えて行動する
相対と絶対
中学生の頃、あまりにも成績が悪く、いつも50点辺りを彷徨っていたので、稀に平均点より高い点数をとると、母が大そうよろこびました。
母はいつも「普通の少し上」が一番いいんだと言ってました。
日常はすべて相対の世界です。
いつも、なにかとなにかを比べては、その「差分」で一喜一憂しています。
相対世界は、上には上があるし、下には下があるので、比べてらキリがありません。
それでも、比較するものがないと落ち着かないようで、多くの人は、中流とか平均とかいうゾーンに、自分が入っているのを感じて安堵します。
トレードはアート
絶対世界は、上も下も右も左もなく、比べる対象がないということです。
相対世界にあって、絶対性を持つもの、それが芸術なのでしょう。
自分は芸術家ではないから、絶対的なものなんかつくれない…私はそんなことはないと思ってます。
絶対的な視点を持てば、その瞬間から敵はいなくなりますし、競争にも巻き込まれません。
相対世界を意識しだすと、周りに振り回され、踊らされて疲れます。
だから、絶対世界で生きるアーティストとして考え行動すればいいんです。
トレードはアートだという人がいます。
私もそう思いますが、アートとしての視点をもって行動すれば、ビジネス、生き方、なんでもアートになります。
相場は負ける人がいて、勝つ人が成り立っている相対世界なので、勝負に勝つには、相対する側の気持ちになって考えるべきですが、うっかり気を抜くと相対世界に飲まれます。
そうならないように「錨」を下す必要があります、それが聖杯なのかもしれません。
アートの世界は、絶対と本質の追求で成り立っています。
これは、相対と現象を重視する経済の世界とは真逆で、どちらかといえば、アートは科学寄りです。
トレードを始めた頃、だれしもが手を出す「聖杯探し」も、もっと楽で確実に儲かる方法はないかという相対視点の行為です。
絵の描き方が無限にあるのと同じで、トレードのやり方も無限です。
やはり、やり方よりも在り方。
その在り方でいるためのやり方を探す、こういう視点が大事です。
お笑い芸人「西野亮廣」の絵本は0.3ミリのボールペン1本ですべてを描きます。その世界観は絶対的です。
相場も仕事も人生も、無限のキャンバスに「納得解」を描けばいいだけです。
あなたが、この世の中で唯一無二の絶対的存在であることに疑う余地はありません。
その絶対的存在が、ついつい相対的なモノの見方をしてしまいます。
他人の答えは、自分の答えにはなりません。
無限にある「誰かの答え」を並べて比べるよりも、自分の在り方にもとづいた「納得解」を見つけるのに頑張ったほうが、楽しく、満足できます。
「無」が前提の時代が来る
産業革命の再来
今から数十年後、AIと量子コンピュターにより、劇的なテクノロジーの進化が予想されています。
「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」といわれますが、
今までSF扱いされていたようなことが、いよいよ現実のものになるかもしれません。
NTTは、量子コンピューター開発のための研究をすすめているようです。
量子コンピューターを使えば、数光年離れた場所へ情報をテレポテーションさせることが可能だそうです。
量子コンピューターは、今までのように、2進法で0か1しかないビット単位で扱うものと違います。
量子ビットは波なので、重ね合わせて表現でき、1でも0でもあるような曖昧なものを表現できるそうです。
量子コンピューターは人工知能を加速化させるので、おそらく50年後には、人体や脳にチップを埋め込み、映画マトリクスのように飛行機の操縦をわずか数秒でインストールできるような時代がくるでしょう。
まさにSF世界です。
「信じるか信じないかはあなた次第」とずっと言われてきましたが、ここ数年で一気に現実的な考えとなってきています。
約200年前、英国で起こった産業革命により工業化がすすみました。
「マッキンゼー・グローバル・インスティテュート」によれば、人工知能がもたらす社会の変化は、英国の産業革命と比べて、速度は10倍、規模は300倍、インパクトは約3000倍になるそうです。
速度10倍ということは、今からおよそ20年もあれば、世界の常識が覆されるということです。
人工知能に仕事を奪われることを心配する人もいますが、産業革命が始まったころの英国でも同じことが起こりました。
それまで手作業で織物を作っていた手工業者・労働者たちが失業のおそれを感じ、その元凶である機械を破壊し、資本家に使用を止めさせる運動を起こして大きな社会問題となりました。
これは「機械問題」とよばれ、機械に仕事を奪われると思っていたわけです。
人工知能のIQは10,000にもなるといいます。
人間なら頭のいい人でも150程度なので、生身の医者より、AIドクターにまかせるほうが、膨大なデータベースから一瞬で最善な治療法を選び出してくれるはずです。
確かに人間がすることがなくなる部分は多く出てくるでしょう。
しかし、規模が300倍ということは、それに伴った、新たなニーズが生まれ、そこに新しいビジネスチャンスがでてくることでしょう。
「無」はなにでできているのか
今までの物理学は「在る」ことが前提の実在物理学でしたが、新しい物理学は「無い」ことが前提の非実在物理学です。
地動説を唱えたコペルニクス以来のパラダイムシフトで、全ては「無」から始まり、宇宙ですら、見るまでは存在しないということになります。
なにやら胡散臭い話ですが、現代となって、少し事情が変わってきているようです。
この「無」の存在を、大昔から認知している人がいました。
老子は、完全な空の状態こそが、すべてのモノの始めと終わりをつくっていることを知り、これを「タオ」と名づけ、お釈迦様は「空」と名付けました。
人の意識が介在すると、「無」が「有」になることは実証されました。
しかし、そもそも「無」は何でできているのか?
その辺のことが科学的に証明され、誰の目にも、それが事実となる日は近いかもしれません。
為替チャートも「無」の世界。
チャートの原動力は人の意識で、それを電気信号化したのがチャートです。
そこにあるように見えるが、物理的にはない。
動いてはいるが、ひとつにとどまらない。
カタチのない流れ(波)を予測しながら、今という「粒」を見る。
チャートが老子の「タオ」やお釈迦様の「空」を、具象化しているように感じます。
まとめ
もし、「無」が始まりで、源だとするなら、過去に囚われることなく、今すぐにでも未来を変え始めることができるということです。
私はどんな人にも3つの未来が存在すると思っています。
今より良い未来、今より悪い未来、現状維持の未来
そして、多くの場合、現状維持を選び、現状を維持するための行動をします。
そうすることが一番、心地よく、楽な選択だからです。
それを選ばないのはドン底の人だけです、それが楽ではないからです。
現状維持コースを選ぶのは、人間の体温がいつも36.5度を保っているようなもので「機能」です。
体や脳の機能なので、別に、あなたが怠けているせいではありません。
「心が変われば行動が変わる」→「 行動が変われば習慣が変わる」→「 習慣が変われば人格が変わる」→「 人格が変われば運命が変わる」
習慣は、未来を良くも悪くもできる、パワフルなツールです。
過去の悪魔は、失敗や後悔の感情を、今あるかのごとくリアルに感じさせます。
現在の悪魔は、今のままでいいじゃんとリスクをとる勇気を奪います。
未来の悪魔は、どうせうまくいきっこないと未来に不安を抱かせます。
そして、あなたは、とんでもなく希少価値の高い、絶対的存在なのにも関わらず、その特異性を活かせない相対世界の価値観に振り回されます。
人生もトレードです。
無職になった私は失うものがなくなり、どん底を一度経験しました。
おかげで、何をやっても今より良くなるしかないと思えました。
借金もなく、健康なので、完璧なるリセットです。
人と同じ道を選んだら、普通かそれ以下にしかならないと感じたのでトレードを選びました。
ギャンブルで生活できるわけないという人もいましたが、家族や親には不思議と反対されませんでした。
趣味でも仕事でも、真剣に取り組めば、多くを学べます。
損切りはリスクをとることの意味、リスクをコントロールすれば怖くないことを教えてくれました。
いつまでも底でいることもなければ、天井にいることもない、急騰すれば急落する、押してから上がる。
こんな不確実な相対世界で、容認と信頼から、唯一の納得解を求める。
まさに相場は人生そのものです。
今年も一年お疲れさまでした。
良いお年をお迎えください。
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