2020年11月21日
映画「恐怖の報酬」1977年版 吼えるトラック、命を懸けた男たちの報酬とは
「恐怖の報酬」(Sorcerer ) 1977年アメリカ
監督ウィリアム・フリードキン
脚本ウォロン・グリーン
音楽タンジェリン・ドリーム
キース・ジャレット
原作ジョルジュ・アルノー
撮影ジョン・M・スティーブンス
〈キャスト〉
ロイ・シャイダー ブリュノ・クレメール
フランシスコ・ラバル アミドウ
私の映画好きの原点になったのが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画「恐怖の報酬」(1953年)で、これは当時小学校五年生くらいのころにテレビで放映されていたのを見た覚えがあります(しかも朝の番組)。
ニトロをトラックで運ぶ男たちの話で、その背景となったいきさつはよく分かりませんでしたが、全体を貫く緊張感と、時折り見せるユーモア(二人並んで立ちションをする場面は妙に印象的)、その中でも、油が溜まって沼のようになった道を必死に通り抜けようとする二人の男。
滑るタイヤの下で一人の足が下敷きになり、悲鳴の中でそれを乗り越えてトラックを前進させる鬼気迫る迫力は圧倒的で、映画ファンとなるキッカケを作ってくれた傑作でした。
クルーゾー監督版「恐怖の報酬」からおよそ24年後に撮られたウィリアム・フリードキン監督による「恐怖の報酬」は、クルーゾー監督版のリメイクです。
簡単にあらすじを追ってゆくと。
殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)と、莫大な負債を抱えてフランスから逃亡した銀行員セラーノ(ブリュノ・クレメール)、強盗の末に組織から追われる羽目になったドミンゲス(ロイ・シャイダー)、テロの実行犯で逮捕を逃れたカッセム(アミドウ)たちは、事情が異なりながらも祖国から離れ、吹き溜まりのような南米の村に身を潜めて暮らしています。
故国に帰って元の生活に戻りたいと切望しますが、金は無く、社会の目を逃れている立場としては思うように身動きがとれません。
とにかく金さえ手に入ればなんとかなる、そんな彼らの前に、遠く離れた油井での爆発事故が発生します。
大爆発とともに発生した火災を消すためには爆風によるしかないと専門家は判断。
ニトログリセリンの威力を借りて火災を消すことになりますが、遠く離れた油井まで、少しの振動でも爆発するような危険なニトロをどうやって運ぶのか。
空からの輸送も考えられましたが、乱気流に巻き込まれる恐れがあると、その意見は却下され、トラックで運ぶことに決定します。
しかし問題は人選で、まかり間違えば一瞬で自分たちが吹き飛んでしまうような恐怖の輸送です。
それでも、高額な報酬とあって何人かが募集に応じて運転の腕前を試された結果、残ったのは、ドミンゲス、ニーロ、カッセム、セラーノの4人。
4トンほどのボロボロのトラック2台に二人一組となって乗り込み、悪路と悪天候の待ち受ける長い道のりを進むことになります。
息を飲むスリルと悪臭も漂ってきそうな南米の村の情景、命を懸けた男たちが挑む、狂気すら孕(はら)んだ死に物狂いの戦い。
「フレンチ・コネクション」(1971年)、「エクソシスト」(1973年)で鬼才と評されたウィリアム・フリードキンが、オレはこういう映画を作りたいんだ! と全霊を込めて作り上げたような作品でしたが、封切り当時は見事に惨敗。
惨敗の理由はなんとなく分かるような気がします。
クルーゾー版「恐怖の報酬」のリメイクということで、どうしてもそちらと比較されてしまいます。これはリメイクの宿命なので仕方がないのですが、サスペンスと同時に当時の社会状況、そこに生きる人間たちのドラマを重厚に扱った53年版と比較して、サスペンス一辺倒で押しまくったフリードキン版「恐怖の報酬」の評価が下がるのはもっともなことです。
それに前半の、それぞれの背景を持った4人が南米へ落ち延びる過程が長過ぎて、ひとつひとつのエピソードは面白いのですが、セリフを極力排しているためか説明不足になっていて、現金強盗の失敗で追われる身となるロイ・シャイダー以外の3人の背景が分かりにくい。
オリジナル完全版は2時間を超えていますが、封切り当時の上映時間が90分ほどとなったのは前半をかなりカットしたためだと思われます。
「大脱走」(1963年)のダイジェスト版(テレビ放映)が、殿様の膳に供された“目黒のサンマ”のように脂っ気を抜かれて味わいのないものであったように、2時間を超える大作をズタズタに切ってしまったのでは惨敗するのが当たり前。
フリードキンの作品として最も好きな「L.A.大走査線/ 狼たちの街」を何度も繰り返して見ているフリードキンファンの私として感じることは、リメイク版「恐怖の報酬」はウィリアム・フリードキンの力量が存分に発揮された映画であるということです。
クルーゾー版「恐怖の報酬」と比較するのは意味のないことです。
前半が説明不足でやけに長い。これも置いておきましょう。
後に公開されたフランシス・F・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)の、むせかえるようなジャングル、アラン・パーカーの「エンゼル・ハート」(1987年)における猥雑なニューヨークやニュー・オーリンズの湿度感。そういった、映画の背景に塗り込められた、巨匠たちが生み出したリアリズムがフリードキン版「恐怖の報酬」には満ちています。
それだけではなく、映画のハイライトと呼んでもいいような、暴風雨の吹き荒れる朽ちた吊り橋をトラックで渡り切ろうとする緊張感と迫力は圧巻。トラックがまるで巨大な猛獣のごとく咆哮しながら、のたうつようにジリジリと進む場面は、まさに最大の見せ場といってもよく、数ある映画の中でも最高にスリリングなシーンのひとつといえます。
主演は「フレンチ・コネクション」(1971年)、「ジョーズ」(1975年)、「2010年」(1984年)などのロイ・シャイダー。
元銀行家のセラーノにフランス俳優ブリュノ・クレメール。
殺し屋ニーロに「太陽はひとりぼっち」(1962年)、「昼顔」(1967年)、そして1984年の「無垢なる聖者」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したフランシスコ・ラバル。
原題は「Sorcerer」(魔術師)。
映画の内容からすれば「魔術師」という題名はピンときませんが、数々の難関を切り抜けて成功する一連の行動が魔術師のようだということでしょうか。
それはさておき、映画の最後に「アンリ=ジョルジュ・クルーゾーに捧げる」と流れたように、クルーゾー版「恐怖の報酬」を念頭に置きながら、サスペンスを存分に盛り込んだフリードキン版「恐怖の報酬」は娯楽映画の醍醐味を十二分に味わえるものだといえます。
監督ウィリアム・フリードキン
脚本ウォロン・グリーン
音楽タンジェリン・ドリーム
キース・ジャレット
原作ジョルジュ・アルノー
撮影ジョン・M・スティーブンス
〈キャスト〉
ロイ・シャイダー ブリュノ・クレメール
フランシスコ・ラバル アミドウ
私の映画好きの原点になったのが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画「恐怖の報酬」(1953年)で、これは当時小学校五年生くらいのころにテレビで放映されていたのを見た覚えがあります(しかも朝の番組)。
ニトロをトラックで運ぶ男たちの話で、その背景となったいきさつはよく分かりませんでしたが、全体を貫く緊張感と、時折り見せるユーモア(二人並んで立ちションをする場面は妙に印象的)、その中でも、油が溜まって沼のようになった道を必死に通り抜けようとする二人の男。
滑るタイヤの下で一人の足が下敷きになり、悲鳴の中でそれを乗り越えてトラックを前進させる鬼気迫る迫力は圧倒的で、映画ファンとなるキッカケを作ってくれた傑作でした。
クルーゾー監督版「恐怖の報酬」からおよそ24年後に撮られたウィリアム・フリードキン監督による「恐怖の報酬」は、クルーゾー監督版のリメイクです。
簡単にあらすじを追ってゆくと。
殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)と、莫大な負債を抱えてフランスから逃亡した銀行員セラーノ(ブリュノ・クレメール)、強盗の末に組織から追われる羽目になったドミンゲス(ロイ・シャイダー)、テロの実行犯で逮捕を逃れたカッセム(アミドウ)たちは、事情が異なりながらも祖国から離れ、吹き溜まりのような南米の村に身を潜めて暮らしています。
故国に帰って元の生活に戻りたいと切望しますが、金は無く、社会の目を逃れている立場としては思うように身動きがとれません。
とにかく金さえ手に入ればなんとかなる、そんな彼らの前に、遠く離れた油井での爆発事故が発生します。
大爆発とともに発生した火災を消すためには爆風によるしかないと専門家は判断。
ニトログリセリンの威力を借りて火災を消すことになりますが、遠く離れた油井まで、少しの振動でも爆発するような危険なニトロをどうやって運ぶのか。
空からの輸送も考えられましたが、乱気流に巻き込まれる恐れがあると、その意見は却下され、トラックで運ぶことに決定します。
しかし問題は人選で、まかり間違えば一瞬で自分たちが吹き飛んでしまうような恐怖の輸送です。
それでも、高額な報酬とあって何人かが募集に応じて運転の腕前を試された結果、残ったのは、ドミンゲス、ニーロ、カッセム、セラーノの4人。
4トンほどのボロボロのトラック2台に二人一組となって乗り込み、悪路と悪天候の待ち受ける長い道のりを進むことになります。
息を飲むスリルと悪臭も漂ってきそうな南米の村の情景、命を懸けた男たちが挑む、狂気すら孕(はら)んだ死に物狂いの戦い。
「フレンチ・コネクション」(1971年)、「エクソシスト」(1973年)で鬼才と評されたウィリアム・フリードキンが、オレはこういう映画を作りたいんだ! と全霊を込めて作り上げたような作品でしたが、封切り当時は見事に惨敗。
惨敗の理由はなんとなく分かるような気がします。
クルーゾー版「恐怖の報酬」のリメイクということで、どうしてもそちらと比較されてしまいます。これはリメイクの宿命なので仕方がないのですが、サスペンスと同時に当時の社会状況、そこに生きる人間たちのドラマを重厚に扱った53年版と比較して、サスペンス一辺倒で押しまくったフリードキン版「恐怖の報酬」の評価が下がるのはもっともなことです。
それに前半の、それぞれの背景を持った4人が南米へ落ち延びる過程が長過ぎて、ひとつひとつのエピソードは面白いのですが、セリフを極力排しているためか説明不足になっていて、現金強盗の失敗で追われる身となるロイ・シャイダー以外の3人の背景が分かりにくい。
オリジナル完全版は2時間を超えていますが、封切り当時の上映時間が90分ほどとなったのは前半をかなりカットしたためだと思われます。
「大脱走」(1963年)のダイジェスト版(テレビ放映)が、殿様の膳に供された“目黒のサンマ”のように脂っ気を抜かれて味わいのないものであったように、2時間を超える大作をズタズタに切ってしまったのでは惨敗するのが当たり前。
フリードキンの作品として最も好きな「L.A.大走査線/ 狼たちの街」を何度も繰り返して見ているフリードキンファンの私として感じることは、リメイク版「恐怖の報酬」はウィリアム・フリードキンの力量が存分に発揮された映画であるということです。
クルーゾー版「恐怖の報酬」と比較するのは意味のないことです。
前半が説明不足でやけに長い。これも置いておきましょう。
後に公開されたフランシス・F・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)の、むせかえるようなジャングル、アラン・パーカーの「エンゼル・ハート」(1987年)における猥雑なニューヨークやニュー・オーリンズの湿度感。そういった、映画の背景に塗り込められた、巨匠たちが生み出したリアリズムがフリードキン版「恐怖の報酬」には満ちています。
それだけではなく、映画のハイライトと呼んでもいいような、暴風雨の吹き荒れる朽ちた吊り橋をトラックで渡り切ろうとする緊張感と迫力は圧巻。トラックがまるで巨大な猛獣のごとく咆哮しながら、のたうつようにジリジリと進む場面は、まさに最大の見せ場といってもよく、数ある映画の中でも最高にスリリングなシーンのひとつといえます。
主演は「フレンチ・コネクション」(1971年)、「ジョーズ」(1975年)、「2010年」(1984年)などのロイ・シャイダー。
元銀行家のセラーノにフランス俳優ブリュノ・クレメール。
殺し屋ニーロに「太陽はひとりぼっち」(1962年)、「昼顔」(1967年)、そして1984年の「無垢なる聖者」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したフランシスコ・ラバル。
原題は「Sorcerer」(魔術師)。
映画の内容からすれば「魔術師」という題名はピンときませんが、数々の難関を切り抜けて成功する一連の行動が魔術師のようだということでしょうか。
それはさておき、映画の最後に「アンリ=ジョルジュ・クルーゾーに捧げる」と流れたように、クルーゾー版「恐怖の報酬」を念頭に置きながら、サスペンスを存分に盛り込んだフリードキン版「恐怖の報酬」は娯楽映画の醍醐味を十二分に味わえるものだといえます。
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