2019年12月14日
映画「死刑台のエレベーター」- 二組の男女が織り成す愛の結末
「死刑台のエレベーター」
(Ascenseur pour l'échafaud) 1957年 フランス
監督ルイ・マル
脚本ロジェ・ニミエ
ルイ・マル
原作ノエル・カレフ
撮影アンリ・ドカエ
音楽マイルス・デイヴィス
〈キャスト〉
モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー ヨリ・ベルタン
1957年ルイ・デリュック賞受賞(ルイ・マル)
濡れたようにしっとりと潤んだ瞳、挑発的で退廃的な唇、フランスを代表する名女優ジャンヌ・モローのクローズアップで始まるこの映画は、甘く湿った緊張感と共に一気に映画の世界に引き込まれます。
世界映画界に衝撃を与えた若干25歳のルイ・マル監督のデビュー作として名高い本作ですが、同時に、本作以降ヌーベルバーグの立役者として存在感を発揮することになる名手アンリ・ドカエの冴えわたる撮影が素晴らしい効果を発揮しています。
「もう耐えられない、…愛してるわジュリアン」
社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)は、電話の相手ジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)にささやきかけます。
愛人関係にあるフロランスとジュリアンは、フロランスの夫でジュリアンが勤める会社の社長であるサイモン・カララ(ジャン・ウォール)を殺そうと計画しています。
計画は実行に移され、自分のオフィスから社長室に忍び込んだジュリアンはサイモンを射殺。
拳銃を握らせて自殺に見せかけます。
計画は成功し、ジュリアンは会社を出ようとしますが、社長室に忍び込むために使ったロープがそのままになっていることに気づきます。
あわてて会社に引き返し、エレベーターに乗ったジュリアンでしたが、終業時間をとっくに過ぎていることもあり、保安係によってエレベーターの電源が落とされます。
真っ暗になったエレベーターの中に閉じ込められることになったジュリアン。
一方、会社の外では花屋の店員ベロニク(ヨリ・ベルタン)と恋人のルイ(ジョルジュ・プージュリー)が路上に放置されているジュリアンの車を見つけ、反抗心むき出しの不良のルイが車に乗り込み、二人はジュリアンの車を盗んでドライブに出かけてしまいます。
約束の時間を過ぎても現れないジュリアンに不審を抱き、彼を探そうと夜のパリをさまよい歩くフロランス。
そして事件は意外な方向へと発展してゆきます。
ベロニクとルイはモーテルでドイツ人夫婦と知り合いになり、シャンパンと葉巻で一夜を過ごすのですが、ドイツ人のスポーツカーを盗もうとしたルイが見つかり、ジュリアンの拳銃でドイツ人を射殺してしまいます。
一夜が明け、ようやくエレベーターから解放されたジュリアンでしたが、彼を待っていたのはドイツ人殺しの容疑でした。
社長の自殺死体も発見され、シェリエ警部(リノ・ヴァンチュラ)が捜査に乗り出します。
ジュリアンの車が盗まれ、助手席に乗る花屋のベロニクを目撃していたフロランスは、ドイツ人殺しは二人の仕業だと警察に通報。
ルイは逮捕されますが、フロランスとジュリアンの関係を怪しいとみたシェリエは、社長殺しは計画されたものではないかと疑念を持ちます。
ジュリアンとの関係を否定したフロランスでしたが…。
完全犯罪として計画された殺人は、なんなく成功するように思われたのですが…。
こんな場面があります。
社長を射殺したジュリアンがふと顔を上げると、窓の外を黒猫がゆっくりと歩いている。完全犯罪が失敗に終わるであろうことを暗示させる場面だと思われます。
世の中、そううまくいかないもの。どこかに落とし穴が潜んでいるものですが、ジュリアンの場合は社長室へ忍び込むために使ったロープが命取りになりました。
しかしこのロープ、先端に引っ掛けるためのかぎが付いているシロモノで、事を成したあと、ジュリアンはふたたびこのロープで下へ降りているのですから、殺人を計画したときにロープの回収をどうするかということは考えなかったのかな、という疑問が生じます。
下へ降りてしまえばロープは回収できませんし、ロープを外して下へ落とせば自分が戻れない。
しかも、ジュリアンがエレベーターに閉じ込められているあいだにロープはいつの間にか会社の外に落ちてしまっている。
一見、脚本のミスなのか、編集上の手違いなのかと思われるこのロープ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を裏返しにしたような、ひとりの人間の運命を左右する魔性の小道具のようにも思われます。
フロランス・カララに「雨のしのび逢い」(1960年)、「突然炎のごとく」(1962年)のジャンヌ・モロー。
ジュリアン・タベルニエに「太陽がいっぱい」(1960年)、「鬼火」(1963年)のモーリス・ロネ。
不良青年ルイに「禁じられた遊び」(1952年)の名子役ジョルジュ・プージュリー。
その恋人ベロニクに「修道女」(1996年)のヨリ・ベルタン。
事件を追うシェリエ警部に「モンパルナスの灯」(1958年)、「冒険者たち」(1967年)のリノ・ヴァンチュラ。
全編をおおう緊張感の中に退廃的でけだるいムードを醸し出すジャズの帝王マイルス・デイヴィスのトランペット。
とりわけ、夜のパリをさまようフロランスの心情を見事に表現したように流れる曲は映画音楽史上に残る名曲といえます。
完全犯罪がもろくも崩れ去るラストの暗室に浮かび上がるフロランスとジュリアンの幸福感あふれる現像写真。
見事な幕切れで、犯罪を証明したような証拠写真でありながら、それを見つめるフロランスの表情には愛しい時代を懐かしむような幸せそうな笑みがこぼれているのが、むしろ見ているほうが切なくなるようなラストでした。
原作はノエル・カレフの推理小説で、こちらは金目当ての殺人なのですが、ルイ・マルは男女の愛に置き換え、道ならぬ不倫関係のフロランスとジュリアン、無軌道な青春像のベロニクとルイという二組の恋人たちが織り成す破滅的な恋の結末を描いています。
1950年代、フランス映画が輝いていたころの傑作です。
(Ascenseur pour l'échafaud) 1957年 フランス
監督ルイ・マル
脚本ロジェ・ニミエ
ルイ・マル
原作ノエル・カレフ
撮影アンリ・ドカエ
音楽マイルス・デイヴィス
〈キャスト〉
モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー ヨリ・ベルタン
1957年ルイ・デリュック賞受賞(ルイ・マル)
濡れたようにしっとりと潤んだ瞳、挑発的で退廃的な唇、フランスを代表する名女優ジャンヌ・モローのクローズアップで始まるこの映画は、甘く湿った緊張感と共に一気に映画の世界に引き込まれます。
世界映画界に衝撃を与えた若干25歳のルイ・マル監督のデビュー作として名高い本作ですが、同時に、本作以降ヌーベルバーグの立役者として存在感を発揮することになる名手アンリ・ドカエの冴えわたる撮影が素晴らしい効果を発揮しています。
「もう耐えられない、…愛してるわジュリアン」
社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)は、電話の相手ジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)にささやきかけます。
愛人関係にあるフロランスとジュリアンは、フロランスの夫でジュリアンが勤める会社の社長であるサイモン・カララ(ジャン・ウォール)を殺そうと計画しています。
計画は実行に移され、自分のオフィスから社長室に忍び込んだジュリアンはサイモンを射殺。
拳銃を握らせて自殺に見せかけます。
計画は成功し、ジュリアンは会社を出ようとしますが、社長室に忍び込むために使ったロープがそのままになっていることに気づきます。
あわてて会社に引き返し、エレベーターに乗ったジュリアンでしたが、終業時間をとっくに過ぎていることもあり、保安係によってエレベーターの電源が落とされます。
真っ暗になったエレベーターの中に閉じ込められることになったジュリアン。
一方、会社の外では花屋の店員ベロニク(ヨリ・ベルタン)と恋人のルイ(ジョルジュ・プージュリー)が路上に放置されているジュリアンの車を見つけ、反抗心むき出しの不良のルイが車に乗り込み、二人はジュリアンの車を盗んでドライブに出かけてしまいます。
約束の時間を過ぎても現れないジュリアンに不審を抱き、彼を探そうと夜のパリをさまよい歩くフロランス。
そして事件は意外な方向へと発展してゆきます。
ベロニクとルイはモーテルでドイツ人夫婦と知り合いになり、シャンパンと葉巻で一夜を過ごすのですが、ドイツ人のスポーツカーを盗もうとしたルイが見つかり、ジュリアンの拳銃でドイツ人を射殺してしまいます。
一夜が明け、ようやくエレベーターから解放されたジュリアンでしたが、彼を待っていたのはドイツ人殺しの容疑でした。
社長の自殺死体も発見され、シェリエ警部(リノ・ヴァンチュラ)が捜査に乗り出します。
ジュリアンの車が盗まれ、助手席に乗る花屋のベロニクを目撃していたフロランスは、ドイツ人殺しは二人の仕業だと警察に通報。
ルイは逮捕されますが、フロランスとジュリアンの関係を怪しいとみたシェリエは、社長殺しは計画されたものではないかと疑念を持ちます。
ジュリアンとの関係を否定したフロランスでしたが…。
完全犯罪として計画された殺人は、なんなく成功するように思われたのですが…。
こんな場面があります。
社長を射殺したジュリアンがふと顔を上げると、窓の外を黒猫がゆっくりと歩いている。完全犯罪が失敗に終わるであろうことを暗示させる場面だと思われます。
世の中、そううまくいかないもの。どこかに落とし穴が潜んでいるものですが、ジュリアンの場合は社長室へ忍び込むために使ったロープが命取りになりました。
しかしこのロープ、先端に引っ掛けるためのかぎが付いているシロモノで、事を成したあと、ジュリアンはふたたびこのロープで下へ降りているのですから、殺人を計画したときにロープの回収をどうするかということは考えなかったのかな、という疑問が生じます。
下へ降りてしまえばロープは回収できませんし、ロープを外して下へ落とせば自分が戻れない。
しかも、ジュリアンがエレベーターに閉じ込められているあいだにロープはいつの間にか会社の外に落ちてしまっている。
一見、脚本のミスなのか、編集上の手違いなのかと思われるこのロープ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を裏返しにしたような、ひとりの人間の運命を左右する魔性の小道具のようにも思われます。
フロランス・カララに「雨のしのび逢い」(1960年)、「突然炎のごとく」(1962年)のジャンヌ・モロー。
ジュリアン・タベルニエに「太陽がいっぱい」(1960年)、「鬼火」(1963年)のモーリス・ロネ。
不良青年ルイに「禁じられた遊び」(1952年)の名子役ジョルジュ・プージュリー。
その恋人ベロニクに「修道女」(1996年)のヨリ・ベルタン。
事件を追うシェリエ警部に「モンパルナスの灯」(1958年)、「冒険者たち」(1967年)のリノ・ヴァンチュラ。
全編をおおう緊張感の中に退廃的でけだるいムードを醸し出すジャズの帝王マイルス・デイヴィスのトランペット。
とりわけ、夜のパリをさまようフロランスの心情を見事に表現したように流れる曲は映画音楽史上に残る名曲といえます。
完全犯罪がもろくも崩れ去るラストの暗室に浮かび上がるフロランスとジュリアンの幸福感あふれる現像写真。
見事な幕切れで、犯罪を証明したような証拠写真でありながら、それを見つめるフロランスの表情には愛しい時代を懐かしむような幸せそうな笑みがこぼれているのが、むしろ見ているほうが切なくなるようなラストでした。
原作はノエル・カレフの推理小説で、こちらは金目当ての殺人なのですが、ルイ・マルは男女の愛に置き換え、道ならぬ不倫関係のフロランスとジュリアン、無軌道な青春像のベロニクとルイという二組の恋人たちが織り成す破滅的な恋の結末を描いています。
1950年代、フランス映画が輝いていたころの傑作です。
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