2019年11月28日
映画「グラン・トリノ」− 「人を殺す気持ちを知りたいのか? 最悪だ」
「グラン・トリノ」(Gran Torino) 2008年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本ニック・シェンク
撮影トム・スターン
原案デヴィッド・ジョハンソン
ニック・シェンク
音楽カイル・イーストウッド
マイケル・スティーヴンス
〈キャスト〉
クリント・イーストウッド ビー・ヴァン
アーニー・ハー クリストファー・カーリー
人付き合いが悪く、頑固で片意地、自分が生きた時代に誇りを持ち、どんなに時代が移り変わろうと自分の信念のよりどころを見失わない男。
親戚にそんな人がいたとしたら、煙ったい存在として敬遠されるような男をクリント・イーストウッドが好演。
ラストの意表を突いた展開と、少数民族であるモン族との交流を通してたどる男の生きざまを描いた秀作です。
ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は50年間勤めたフォードの工場を退職し、愛犬とともに自宅のポーチにゆったりと座り、缶ビールを飲むのを楽しみにしています。
妻に先立たれたウォルトはますます頑固になっているせいか、息子たちとも折り合いが悪く、隣に住むモン族の一家に対しても“コメ食い虫”と嘲(あざけ)り、オレの芝生を汚すな、と不平の毎日を送っています。
そんなウォルトが大切にしているのが72年型の愛車、フォード製“グラン・トリノ”です。
デカくて優雅ですが燃費があまりよくないため、翌年の1973年から始まったオイルショックのあおりを受けてアメリカの自動車産業が燃費のすぐれた日本車にとってかわられる分岐点ともなった1972年。
そんな最後の輝きを放つグラン・トリノをウォルトは愛し、ピカピカに磨いて自宅の車庫に保管しています。
いわば歴史の貴重品ともなったウォルトの愛車グラン・トリノを、隣に住むモン族の少年タオ(ビー・ヴァン)が盗みに入ります。
タオ自身は車に興味はなく、盗みはイヤなのですが、いとこでストリートギャングのリーダーであるフォン(ドゥア・モーア)に脅(おど)され、盗みに入ったのです。
ガレージの不審者に気づいたウォルトはタオに銃口を向け、追い払います。
内気なタオは人生に迷っています。
自分の人生に自信が持てなくて悩んでいるのです。そんな気弱な性格からフォンたちに目をつけられ、ギャングの仲間に引き入れられようとしているのですが、姉のスー(アーニー・ハー)は、ウォルトの車を盗もうとしたタオに腹を立て、タオを引き連れてウォルトに謝罪に出かけ、罪滅ぼしのため、身の回りの用事をタオにさせるようウォルトに頼みます。
最初は断ったウォルトでしたが、スーの意見を聞き入れ、タオにいくつか用事をさせながら、それが機縁となって、タオやモン族一家との交流が生まれてゆきます。
ウォルトは心に重荷を負っています。
1950年に始まった朝鮮戦争に出兵したウォルトは、戦争とはいえ、年の若いアジア人を殺した罪悪感に苛(さいな)まれ、帰国後はそのために意固地になっていったともいえます。
贖罪を願うウォルトですが、亡き妻と親しかったヤノビッチ神父(クリストファー・カーリー)とは打ち解けず、現在にいたるまで罪の意識に苦しめられています。
しかしまたウォルトには、それほど遠くない将来に自分の人生に終止符が打たれるであろうことも自覚し始めています。体調が思わしくないこともあって、それまで行く気のなかった病院での検査の結果が判明。
死期が迫っていることを悟ります。
そんな中、執拗にスーたちにからむフォンをリーダーとするギャングたちがタオを傷つける事件が発生。
激怒したウォルトは、二度とタオに手出しをすることのないようフォンたちを痛めつけますが、このことがかえってギャングたちの反感を生み、タオの家に銃弾を浴びせるとともに、スーをさらい、暴行を加えた上でレイプに及び、スーは悲惨な体で自宅に送り返されます。
姉の姿を見たタオはフォンたちに復讐するべく自宅を飛び出しますが、一連の出来事が自分の行いから始まったことを悔いたウォルトはタオを自宅の地下に監禁し、ただひとり、ギャングたちのもとへ乗り込んでゆきます。
心に染みこむ余韻を残す素晴らしい映画で、中でも極めてユニークなのがモン族の存在。
元々はタイやラオス、中国の山岳地帯に住む民族集団ですが、現在のシリアにおけるクルド人と同じく、彼らはアメリカの政策に翻弄された歴史を持ちます。
第一次、第二次のインドシナ戦争を経て、ベトナム戦争へと突入すると、アメリカ・CIAは共産軍との戦いのために多くのモン族を雇い、兵士としての訓練を始めます。その任務の主なものは敵の補給ルートを絶つためのものだったようですが、やがて泥沼化した戦争からアメリカは撤退。モン族は置き去りにされ、見捨てられます。
その後、モン族の多くは、ベトナムやラオスの共産軍によって虐殺の憂き目にあい、難民化した彼らはやがてアメリカやオーストラリアなどに移住することになります。
「グラン・トリノ」は贖罪の映画としての一面を持ちます。
ウォルト・コワルスキーは朝鮮戦争でアジア人を多数殺した罪の意識を抱え、贖罪を願っていますが、それを大きく投影させたのが、アメリカが負うべきモン族への贖罪です。
変わり果てた姉・スーの姿を見たタオは復讐のために家を飛び出しますが、ウォルトはそれをおしとどめ、こう言います。
「人を殺す気持ちを知りたいのか? 最悪だ。もっとひどいのは、降参する哀れな子どもを殺して勲章をもらうことだ。それがすべてだ。
…お前くらいの年のおびえたガキさ。
ずっと昔、お前がさっき持ったライフルでガキの顔を撃った。
そのことを考えない日はない。
お前にそんな風になってほしくない」
ウォルトはタオを自宅の地下に監禁して、単身、ギャングたちのもとへ向かうのですが、このウォルトの人物像は、引退したハリー・キャラハンを思わせる雰囲気を持っているため、ギャングたちに対峙したウォルトは派手な銃撃戦でもやらかすのかと思わせますが、死期を悟っていたウォルトは自分の命を犠牲にして、タオを殺人者にすることなく、ギャングたちに重罪を負わせます。
これはアメリカが負うべきモン族への贖罪をウォルトに投影させたと考えることもできます。
さらにウォルトの遺書によって、愛車“グラン・トリノ”はタオに譲られることになるのですが、ひとつの時代を象徴し、古びてもなおその輝きを失わないガッシリしたフォードのグラン・トリノはウォルトそのものでもあり、一人の少年への魂の贈り物ともいえます。
監督・主演のクリント・イーストウッドの他には目立って有名な俳優のいない中にあって、よく知られている俳優としては、ウォルトの友人で少しだけ登場するジョン・キャロル・リンチ。
大柄でいかつい風貌なので、多くの映画で強い印象を残していますが、個人的には「ファーゴ」(1996年)の物静かな画家ノーム役がとても印象に残っています。
人生に迷っている少年と、数々の修羅場をくぐり抜けてきた百戦錬磨の老人。
老人との出会いが少年に夢と希望を与えるという、表面的にはよくある話ながら、そのスケールと奥行きの深さは群を抜いています。
海岸線を流れるように走るグラン・トリノと、それにかぶさるように流れる音楽。
味わい深い余韻を残す素晴らしいラストシーンでした。
監督クリント・イーストウッド
脚本ニック・シェンク
撮影トム・スターン
原案デヴィッド・ジョハンソン
ニック・シェンク
音楽カイル・イーストウッド
マイケル・スティーヴンス
〈キャスト〉
クリント・イーストウッド ビー・ヴァン
アーニー・ハー クリストファー・カーリー
人付き合いが悪く、頑固で片意地、自分が生きた時代に誇りを持ち、どんなに時代が移り変わろうと自分の信念のよりどころを見失わない男。
親戚にそんな人がいたとしたら、煙ったい存在として敬遠されるような男をクリント・イーストウッドが好演。
ラストの意表を突いた展開と、少数民族であるモン族との交流を通してたどる男の生きざまを描いた秀作です。
ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は50年間勤めたフォードの工場を退職し、愛犬とともに自宅のポーチにゆったりと座り、缶ビールを飲むのを楽しみにしています。
妻に先立たれたウォルトはますます頑固になっているせいか、息子たちとも折り合いが悪く、隣に住むモン族の一家に対しても“コメ食い虫”と嘲(あざけ)り、オレの芝生を汚すな、と不平の毎日を送っています。
そんなウォルトが大切にしているのが72年型の愛車、フォード製“グラン・トリノ”です。
デカくて優雅ですが燃費があまりよくないため、翌年の1973年から始まったオイルショックのあおりを受けてアメリカの自動車産業が燃費のすぐれた日本車にとってかわられる分岐点ともなった1972年。
そんな最後の輝きを放つグラン・トリノをウォルトは愛し、ピカピカに磨いて自宅の車庫に保管しています。
いわば歴史の貴重品ともなったウォルトの愛車グラン・トリノを、隣に住むモン族の少年タオ(ビー・ヴァン)が盗みに入ります。
タオ自身は車に興味はなく、盗みはイヤなのですが、いとこでストリートギャングのリーダーであるフォン(ドゥア・モーア)に脅(おど)され、盗みに入ったのです。
ガレージの不審者に気づいたウォルトはタオに銃口を向け、追い払います。
内気なタオは人生に迷っています。
自分の人生に自信が持てなくて悩んでいるのです。そんな気弱な性格からフォンたちに目をつけられ、ギャングの仲間に引き入れられようとしているのですが、姉のスー(アーニー・ハー)は、ウォルトの車を盗もうとしたタオに腹を立て、タオを引き連れてウォルトに謝罪に出かけ、罪滅ぼしのため、身の回りの用事をタオにさせるようウォルトに頼みます。
最初は断ったウォルトでしたが、スーの意見を聞き入れ、タオにいくつか用事をさせながら、それが機縁となって、タオやモン族一家との交流が生まれてゆきます。
ウォルトは心に重荷を負っています。
1950年に始まった朝鮮戦争に出兵したウォルトは、戦争とはいえ、年の若いアジア人を殺した罪悪感に苛(さいな)まれ、帰国後はそのために意固地になっていったともいえます。
贖罪を願うウォルトですが、亡き妻と親しかったヤノビッチ神父(クリストファー・カーリー)とは打ち解けず、現在にいたるまで罪の意識に苦しめられています。
しかしまたウォルトには、それほど遠くない将来に自分の人生に終止符が打たれるであろうことも自覚し始めています。体調が思わしくないこともあって、それまで行く気のなかった病院での検査の結果が判明。
死期が迫っていることを悟ります。
そんな中、執拗にスーたちにからむフォンをリーダーとするギャングたちがタオを傷つける事件が発生。
激怒したウォルトは、二度とタオに手出しをすることのないようフォンたちを痛めつけますが、このことがかえってギャングたちの反感を生み、タオの家に銃弾を浴びせるとともに、スーをさらい、暴行を加えた上でレイプに及び、スーは悲惨な体で自宅に送り返されます。
姉の姿を見たタオはフォンたちに復讐するべく自宅を飛び出しますが、一連の出来事が自分の行いから始まったことを悔いたウォルトはタオを自宅の地下に監禁し、ただひとり、ギャングたちのもとへ乗り込んでゆきます。
心に染みこむ余韻を残す素晴らしい映画で、中でも極めてユニークなのがモン族の存在。
元々はタイやラオス、中国の山岳地帯に住む民族集団ですが、現在のシリアにおけるクルド人と同じく、彼らはアメリカの政策に翻弄された歴史を持ちます。
第一次、第二次のインドシナ戦争を経て、ベトナム戦争へと突入すると、アメリカ・CIAは共産軍との戦いのために多くのモン族を雇い、兵士としての訓練を始めます。その任務の主なものは敵の補給ルートを絶つためのものだったようですが、やがて泥沼化した戦争からアメリカは撤退。モン族は置き去りにされ、見捨てられます。
その後、モン族の多くは、ベトナムやラオスの共産軍によって虐殺の憂き目にあい、難民化した彼らはやがてアメリカやオーストラリアなどに移住することになります。
「グラン・トリノ」は贖罪の映画としての一面を持ちます。
ウォルト・コワルスキーは朝鮮戦争でアジア人を多数殺した罪の意識を抱え、贖罪を願っていますが、それを大きく投影させたのが、アメリカが負うべきモン族への贖罪です。
変わり果てた姉・スーの姿を見たタオは復讐のために家を飛び出しますが、ウォルトはそれをおしとどめ、こう言います。
「人を殺す気持ちを知りたいのか? 最悪だ。もっとひどいのは、降参する哀れな子どもを殺して勲章をもらうことだ。それがすべてだ。
…お前くらいの年のおびえたガキさ。
ずっと昔、お前がさっき持ったライフルでガキの顔を撃った。
そのことを考えない日はない。
お前にそんな風になってほしくない」
ウォルトはタオを自宅の地下に監禁して、単身、ギャングたちのもとへ向かうのですが、このウォルトの人物像は、引退したハリー・キャラハンを思わせる雰囲気を持っているため、ギャングたちに対峙したウォルトは派手な銃撃戦でもやらかすのかと思わせますが、死期を悟っていたウォルトは自分の命を犠牲にして、タオを殺人者にすることなく、ギャングたちに重罪を負わせます。
これはアメリカが負うべきモン族への贖罪をウォルトに投影させたと考えることもできます。
さらにウォルトの遺書によって、愛車“グラン・トリノ”はタオに譲られることになるのですが、ひとつの時代を象徴し、古びてもなおその輝きを失わないガッシリしたフォードのグラン・トリノはウォルトそのものでもあり、一人の少年への魂の贈り物ともいえます。
監督・主演のクリント・イーストウッドの他には目立って有名な俳優のいない中にあって、よく知られている俳優としては、ウォルトの友人で少しだけ登場するジョン・キャロル・リンチ。
大柄でいかつい風貌なので、多くの映画で強い印象を残していますが、個人的には「ファーゴ」(1996年)の物静かな画家ノーム役がとても印象に残っています。
人生に迷っている少年と、数々の修羅場をくぐり抜けてきた百戦錬磨の老人。
老人との出会いが少年に夢と希望を与えるという、表面的にはよくある話ながら、そのスケールと奥行きの深さは群を抜いています。
海岸線を流れるように走るグラン・トリノと、それにかぶさるように流れる音楽。
味わい深い余韻を残す素晴らしいラストシーンでした。
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