「こんな夜更けにバナナかよ」という映画が2018年に公開されていましたが、その書籍を書いた渡辺一史さんの本でした
本の帯には、
ほんとうに障害者はいなくなった方がいいですか?
あらためて、障害や福祉の意味を問い直す
こう書かれてありました
この本は5章で構成されています
第1章 障害者は本当にいなくなったほうがいいか
第2章 支え合うことのリアリティ
第3章 「障害者が生きやすい会社」は誰のトクか?
第4章 「障害」と「障がい」表記問題の本質
第5章 なぜ人と人とは支え合うのか
ボランティアの経験や軽度の障害者との交わり、精神的に病名が着く友人との交流は私にもありましたが、それだけではこの本が伝えたい本質的なことへの考えは及ばなかったと思いました
タバコを吸う障害者をどう捉えるかという話では自由について考えさせられ、介助と介護の言葉の違いも書いてあり勉強になりました
今は妊婦のため、つわりの不自由さと重ねたり、生まれた子供や家族の誰かが障害者となったら、ということも思いながら読んでいました
考えさせられることの一例ですが、
筋ジスの人は夜も寝返りを打てずに体の一部が圧迫されてしびれを感じて目を覚ましたり、
鉄板の上に寝ているかのような激痛があるそうで、
この人にとって眠ることは体の痛みとの格闘でもあると書かれていました
私はつわりの一番酷い時期、本当に体の傾け方次第で胃液が上がってきて寝付けなかったり、
体も頭も眠たいのに唾が口から垂れる不快感で目を覚ましたり、
意識を失うようにしか眠れなかった夜がとても怖かったです
今は慣れてきましたが、朝までに三回は目覚めることも含め、夜幸せな気持ちで布団に入れていたことがどれだけ恵みだったのか知りました(赤ちゃんの夜泣きももちろんこれから大変でしょうが)
つわりはいつまでも続くものではないということを思うと、女性は妊娠する限り誰でも多少なりとも痛みや苦痛を感じる機会がありますが、障害者として生まれた人や障害者になった人は、その痛みや苦痛と向き合う時間の長さや重みが違うことを改めて感じました
当たり前に人が受ける恵みをたまたま受けることができない人が、自分から大きな努力をしてしか、健常者が受けている自由を受けられない社会の在り方は、少しずつ変わっているようですが、もっと変わっていくには時間がかかるように感じます(理解ある国民が増えなければ財政難の中、国政も変わらないでしょうし)
相手の立場に立つこと、理解することの大切さというと簡単すぎる言葉ですが、本当に誰かを理解するということを全人類がしていくことがこの世の中を本当に全ての人が生きやすい世界にしていくなあと思いました。
私の家族や親戚、友人にはたまたま重度の障害者はいない人生でしたが、いつどこで誰がどのようになるかわからない中で、私も自分自身が障害者ならどのように他人に接するか、また周りに障害者がいればどのように接するか、そういうことの心の持ち用を変えてくれました