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2017年01月20日

ビクトル・メサ インタビュー わたしはキューバで生きていく

victor mesa.jpg

CubaSí、2017年1月20日、Giusette León García記者

ビクトル・メサ : キューバで働いている

歌うこと、踊ること、キューバで何かを成すための動名詞は流行になっている。またテレビは我が国の音楽や芸術を正当に促進している。あらゆる予想に反してキューバで働き続けている人たちのことを語ることも、私には当然のことのように思える。

キューバ社会のすべての領域の個人やキャラクターを含むひとつのシリーズとなるかもしれない。医者や教師、スポーツ選手、あらゆる仕事や職業の男女。彼らのなかに、あらゆる種類の情熱にめざめたひとりの男がいる。ビクトル・メサ(Víctor Mesa)だ。

キューバリーグでの王座制覇の可能性がなくなった直後、同僚のジャーナリスト、ジョエル・ガルシア(Joel García)によれば「落ち着き、正直に話す用意のある」穏やかな一人の男は、記者会見の場に現れ、こう述べた。「もう監督しない、とは私は言うつもりはない。なぜなら私はキューバ野球に奉仕する立場だからだ。」。

ビクトル・メサは約1年前にマイアミで、「私は決して国を出ることはない」と宣言した男だ。それは、むかし盗塁をし、いま試合を戦うときと同じエネルギーを持って、南フロリダのジャーナリストたちに向けて厳格になされた。ビクトル・メサは、別の発言を期待したマイアミの人たちにとっても、物議を醸す、論争的な人物であるに違いない。

あるインタビューで私は彼に、キューバのことを考えて初めに頭に浮かぶものは何かと尋ねた。彼は答えた。「自分がキューバで生まれたという満足感。私は外国には行きたくない。すると人は言うかもしれない。ああ、なるほど、きみは全部持っているからね、と。いや私は普通だ。すべて持ってなんかいない。私には必要な機械の電池さえ足りない。でも私はキューバが好きだ。キューバを愛している。ここで私は幸せだ。落ち着ける。ここは世界で最も安全な国だ。多くのものを私たちは得ているが、それがとても重要なことだ。泥棒がいない、殺人がない、とは私は言わない。でも私たちの国は世界でもっとも安全な国だ。」

フィデル・カストロ(Fidel Castro)の死去という困難な日々のなか、キューバTVでのインタビューで彼は答えた。「私はキューバや家族、妻に恵まれ、フィデルと知り合う機会に恵まれ、ラウルと知り合う機会に恵まれ、参加した国際イベントでキューバを擁護する機会に恵まれた。私はキューバを擁護し続けるし、私はこちら側だけの人間だ。われわれはこっちもあっちもと両方の側にいることはできない。私はキューバ側の人間であり、いまがそれを言うべきときだ。世界に向けて知らせるために。」

「ビクトル・メサはフィデルを信じ、革命を信じ、いまキューバにいる。マイアミに行く機会もあったが、もう行くことはない。決して行かない。私はキューバで死ぬ。なぜなら、最終的に私は、これまで生きてきたことや、これまで夢見てきたことや、いま生きていることや、これから生きていくことを、裏切ることはできないからだ。」

さきほどフェイスブックに私の意見を投稿した。「確かな野球の試合」による楽しみを捨てられなかったという友人たちへのコメントだ。ビジャ・クララ全体が敗れたとき、ビジャ・クララの人はいかに幸せでいられるか、と私は自問した。まず、県チームが破れ、そのあと、かつてこの地域に最大の栄光を与え、マタンサスとキューバにも与え続けているひとりのスポーツ選手まで。飛び交っている噂のためにわかっていない人たちがいるあいだは、ビクトル・メサはキューバで働きながら中傷者を集めることになる。

おそらく私はビジャ・クララ地域を代弁し、その地域に定住し信頼を注いでいるすべてのキューバ人について話しているに違いなかった。

Víctor Mesa: trabajando en Cuba
http://www.cubasi.cu/cubasi-noticias-cuba-mundo-ultima-hora/item/59810-victor-mesa-trabajando-en-cuba



posted by vivacuba at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol

サンティアゴ・デ・クーバで交通事故、死者2名、負傷者28名

accidente trafico en santiago.jpg

Granma、2017年1月20日、Eduardo Palomares Calderón記者

今週水曜日(1月18日)の正午12時過ぎ、サンティアゴ・デ・クーバの高速道から18.5km離れた地点で、乗客を乗せた個人営業のトラックと、バラ積みの食品を積んだトラックの間で起きた大規模な交通事故により、2名の女性が亡くなり、28名が負傷した。負傷者のうち1名は重体である。

この衝突事故により、イミルシ・レジェス・レジェス(Imirci Reyes Reyes、48歳、サン・ルイスのリオ・グランデ在住)と、ユスマイレン・カブレラ・マトゥレル(Yusmailen Cabrera Maturell、19歳、サンティアゴ・デ・クーバのカレテーラ・デ・シボネイ、ラス・グアシマス在住)の2名が現地で即死した。

負傷者は、食品運搬トラックの2名以外は、乗客運搬のトラックで移動していた人たちだが、そのうち、リサルド・ヤネット・ロマーン(Lizardo Yanet Román、40歳、サン・ルイス在住)が重体で、サンティアゴ・デ・クーバのサトゥルニーノ・ローラ県病院に運ばれた。多くの負傷者がサン・ルイスのアルベルト・フェルナンデス・モンテス・デ・オカ病院で介護を受けている。

県交通警備隊のヨアンドリ・ロドリゲス・ゴンサーレス(Yoandri Rodríguez González)第一警部補が本紙に説明したところによれば、事故は、エデル・ロドリゲス・エスティウ(Edel Rodríguez Estiú)が運転する個人営業のトラックが乗客を降ろすために右側に停車していたとき、ラウル・パドロン・ガルシア(Raúl Padrón García)が運転する食品運搬のトラックがその後部に衝突して起きた。

グジェン(Guyén)と呼ばれている場所の入り口で起きたこの激しい衝突事故により、両方の車は前方に投げ出され、トラックは数メートル後ろに転覆し、食品バラ積み運搬会社のトラックを急ターンさせた。

共産党中央委員会委員のLázaro Expósito Canto県第一書記は、すぐに事故現場にかけつけた。サン・ルイス市の幹部たちも、公共保健の緊急医療システムの発動について確認するために現場に向かった。治安当局も同様であった。

内務省と交通省の専門家、および、サン・ルイスのドス・カミーノス地区入り口に近いこの区間の自由な交通を確保するために働いていた" izaje de Cubiza"のグループで構成された内務省専門家チームが、事故原因を調査する。

Dos fallecidos y 28 lesionados en accidente en Santiago de Cuba
http://www.granma.cu/cuba/2017-01-20/dos-fallecidos-y-28-lesionados-en-accidente-en-santiago-de-cuba-20-01-2017-00-01-07



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