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2016年10月25日

フランス絶対王政‐文学部史学科‐西洋史概説リポート







フランス絶対王政‐文学部史学科‐西洋史概説リポート

 フランス絶対王政成立の原因を考えると、絶対王政以前のフランスは封建社会だった。

封建社会では法王の権力が絶対である。

しかし、法王の権力が衰退していき、それに代わり国王の権力が増長していった。

古くは国王フリップ四世(1268〜1314)は三部会という身分制議会を開き広く国民の支持を得て法王の権力を削ぐことに成功した。

三部会は封建国家と絶対主義国家の間の変革期に成立した身分制国家と言える。


 16世紀になると新教徒が勢力を伸ばし、旧教徒と対立し抗争を繰り広げた。そして、サン・バルテルミの大量虐殺事件が起こった。

もはや、法王の権力は絶対ではなくなった。これに加え、この時代イタリア・ルネサンスの影響、長引く宗教戦争による経済の混乱、凶作やペストの流行などがあり、時代は大きく変わろうとしていた。

そして、国内の混乱を沈めるために強い権力を持った国王の出現を国民は待望したと思われる。


 このような混乱の時代にアンリ四世(1553〜1610)が国王に即位する。アンリ四は国内の混乱を押さえるため旧教に改宗した。

これはフランスでは、旧教徒の信者は新教徒より人数が多いためだと思われる。また、新教徒に対してはナントの勅令により、信仰の自由を許し不満を解消させた。そして、国内を平和に導き国家財政の再建に努め、農業振興政策を押し進めていった。

こうして、アンリ四は国民の信頼を得て権力を強めていった。かれは絶対王政の基礎を作ったと言えるだろう。


 つぎにフランスの王位に就いたのがルイ13世1604〜1643)である。

ルイ13世は宰相にリシュリュウーを任命して政治を行った。

リシュリュウーは中央集権国家の建設を目指した。国内では帯剣貴族の決闘を禁止し、禁を犯したものを処刑するなどの厳しい態度で貴族と接した。

また新教徒に対してはナントの勅令のもと信仰の自由は認めたが、政治的に分離独立する事は許さず、ユグノーの本拠地を武力により征服して勢力を縮小させた。地方では地方監察官を派遣して貴族の力を押さえ込んだ。

しかし、地方監察官は治安、司法、財政にわたる大幅な権限を持つこととなり、逆に地方監察官が地元の利害と結びついた自分に都合のよい政治をするという弊害もでてきた。

そして、権力を持っていた高等法院の権力を制限することにも成功した。

対外的には対ハプスブルグ政策を打ち出し30年戦争や対スペイン戦などに参加した。

長引く戦争で戦費不足に陥り、そのため国民の同意なしに課税を行い反対するものに対しては徹底的に弾圧した。

結果として王権の絶対主義化は進んだ。


 その後、ルイ14世(1638〜1715)が幼くして即位し、マザラン(1602〜1661)が宰相となり政治を主に行った。

この時代高等法院や旧貴族を中心としたフロイド乱が発生したが鎮圧に成功し、絶対王政がより進行した。

そして、マザラン死後ルイ14世の親政が始まる。

ルイ14世の政治は華やかで独裁制を極め「朕は国家なり」という言葉はよく当時の状況を表している。

ルイ14世により、絶対王政は最高潮に達する。政治の内容は特に文化政策に力を入れた。

また、低い身分の者でも才能があれば国王や諸公の保護を受けることができた。国の人事は大貴族などの自分の権力を阻害するような者たちは、外して、国王の恩恵によってのみ権力行使を許される新興貴族を重要して国の人事を大幅に変更した。

その他、コルベール(1619〜1683)重用して、重商主義政策を推し進めていった。

そして、ルイ14世は壮大なヴェルサイユ宮殿を本拠地とした。ヴェルサイユ宮殿はパリの中心から外れていて、いわば隔離された空間であった。

そして、ヴェルサイユ宮殿のなかで貴族たちは監視され、国王からの恩恵と金によって飼い慣らされていった。

対外的には自国の軍備を増強し、ネーデルラント戦争、オランダ戦争、ファルツ継承戦争、スペイン王位継承戦争などたくさんの戦争を行った。

結果領土の拡張には成功したが長引く戦争は国力の疲弊につながった。

そして、晩年になるとナントの勅令を破棄し新教徒を弾圧していった。

新教徒の国外逃亡は禁止されたが、豊富な資金力を持つ者や、優秀な技術を持つ者などは外国へ逃れた。

貴重な人材が流失し、産業の遅れにつながった。


 その後、国力自体は衰えたにもかかわらず王族、貴族、僧侶の贅沢な暮らしはかわらず、ついにはルイ16世(1754〜1793)の時代にフランス革命が勃発した。これにより絶対王政は崩壊した。

 そして、ブルジョワを中心としたフランス革命により、身分と貧富の差が激しく、君主の専横がまかりとおり、権力を持った人間が絶対という時代が壊され、近代国家の始まりとなった。


 絶対王政は封建国家から近代国家に成長する時代の変革期にあたるというのが定説である。

しかし別の角度から歴史を見ると絶対王政は封建制末期の三部会に見られる身分制国家の市民国家成立の流れを断ち切り、そして、絶対王政崩壊後は混乱を沈めたナポレオンによる、より強力な中央集権国家ができあがる。このことを考えると絶対王政時代はまだ貴族たちは地方に広大な領土を持っている状態での独裁制でいわば中途半端な中央集権であった。

だから、絶対王政は封建制の地方分立から、より強力な独裁制を持った中央集権国家に成長する変革期だったとも言えるだろう。


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