2018年08月16日
お願いごとがあるなら通いましょう
身近にある神様と神社
私は本当に神様はいるのか未だ半信半疑ですが
何か神秘的な不思議な力があるのは間違いなさそうですし
神様がいても不思議ではない
そんな思いをもっています。
私たちは何か困ったり願い事があると
お願いをします。
神社に参拝します。
私は心理面から考えてもこうした行動は
意味があると思います。
神様がいるいないにかかわらず
神様に願いが届くか届かないか別にしても
願い事がかないやすくなる
システムを作れると思っています。
私は仕事柄、感覚が鋭くなると
人の思っていることが
マンガのふきだしのように
頭の上に見えるイメージを持ちます。
相手の考えていることが声として聞こえるということは
ないのですが、その人の目の動きとか
姿勢とか態度とかとリンクして
なんか今の感情を掴むことができるのかと思います。
お正月の神社などに行くと
たくさんの人がたくさんのことを思っています。
それも「お金が欲しい」「健康に」「うまく行きますように」
と色々な願いが頭の上にふきだしが乗っているような感じです。
感情の強さもありますが
特にお正月などは
なんとなく願っている人が多いと感じます。
客観的にみて
神様が仮にいると仮定してみると
この小さな願いをひとつひとつ叶えてくれるのだろうか?
という疑問を強く持ちます。
神様側の視点で考えるならその中でも
特別強い意志が感じられるもの
それと知っている顔でないと
なかなか救い上げてくれないだろうと思うのです。
なので願い事があるなら
なんとなくお正月とかに一回行くのではなく
日頃から神社に言って
顔を売ることが大事なんだろうなと
思います。
もちろんこれは非科学的な思いではありますが
心理学的な科学的なアプローチからも
「通う」ということで
自分の願いに対するシステムが構築されていく
そんな効果があるのでしょう。
お願いを言語化して願うことで
その願いに自分が自然と向っていく
「自己成就予言」というシステムが
あるのです。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7998568
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック