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タリバンに売られた娘

アフガニスタンのひどい話ってのはもう気が滅入るだけでもういい加減にして下さいという感じなのだが、これも性懲りも無く売られていく娘達を丁寧に追ったドキュメンタリー。

生活苦の為、畑や羊、お金などと引き換えに自分の娘を嫁に出す親がいる。

嫁いだ先で虐待に会い、殺されたり自殺したりする者もいる。

そんな彼女達を救う為の救済センターなんかもある。そこに逃げ込んだ一人の女性。義父やセンターの人達と巧妙な作戦を練り、夫を逮捕するに至る。

ところが親族からの報復の危険はまだ残り、問題は解決したとは言えない。

更には女性の妹(まだローティーン)も既に嫁ぎ先が決まっており、義父は対価を受け取ってしまっている。

妹を手放したくない女性。

おびえる妹。

苦悩する義父。

ただ泣くだけの母親。

結局妹は嫁に出され、母と義父は他の町に移り住み、女性はセンターに戻っていく。

まったく救われない話。

特にまだあどけない妹が怯えながら嫁いでいかなくてはならない現実は心臓にドーンとなまりを落とされたように重苦しい。

もう本当いい加減にして下さい。


毛沢東によって都市部の若者が辺境に送られた「下放」。

その若者達は使命に燃え、「知識青年」と称えられた。

だがしかし、現実はただの人減らしという側面もあった事は否めない。

教育を受けることなく辺境で激務に殉じて来た彼らは経済発展の流れに乗る事ができず、いわば見捨てられた存在となった。

主人公はそんな同士達への保証を求め、知識青年の全国大会を企画する。

経済的に成功した知識青年達を巻き込んで大会開催へ向け順調に進んでいるかと思いきや、政府を恐れる関係者によって徐々に大会の目的が軟化していく。

結局ただの同窓会的なシンポジウムに落ち着いてしまう事になり、主人公は落胆するが、当日蓋を開けてみると、参加した一部の知識人が政府を痛烈に批判する。

結果当初の目的に少しだけ戻った形で大会は終了し、主人公は確かな一歩を確信するのであった。

という中々ドラマティックな作品でしたよ。

多かれ少なかれどの国でも国家の政策に翻弄され、裏切られ、惨めな思いをしてきた人達がいる。

だからと言って無視するのではなく、現代の発展の影にある犠牲にもスポットを当てそこに向き合う事は贖罪という意味だけでなく、今後の発展に対し安易な決定をしない為の良き教訓となる。

冤罪から救出せよ

「無実プロジェクト」なるアメリカの民間団体が実際に冤罪を晴らしていくドキュメンタリー。

なんとなく内容が想像できたんだが、見始めたら引き込まれてしまった。

基本的には想像通り警察、検察のずさんな捜査を新たな証拠で覆して無罪を勝ち取るって話なんだが、リアルに何十年も投獄されていた人達が出てくる事で冤罪って本当こえなと改めて感じつつ、取調べの可視化は必須という思いを強めた。

更には死刑執行された後に無実が証明された例も飛び出し、「この事件を知って尚死刑制度に賛成する事はできない!」と語る政治家だかなんだかの人の言葉にうなずく限り。

作品中語られる「1人の冤罪を防ぐ為に10人の罪人を取り逃がす事になったとしても構わないという精神。」という言葉に説得力があり、安易な重罰化や死刑制度存続論は本当に改めるべきなのだ。

こういう事言うと、「無罪を主張してる人だけ死刑にしないで裁判続けたらいい。自白した人は少なくとも重罪、死刑でもいいだろ!」とか短絡的な事言う人いるけど、そんな制度にしたらほとんどの人が無罪を主張するのは目に見えている。

自白した方が裁判で有利の現状の方がまだ真実解明に近づける。

また、「明らかにこいつは悪党(例えば光市母子殺害事件の犯人)ってやつは死刑でいいだろ!」とかもっと低レベルな事言う人がいるけど、そんなもんどうやって判断するんだって話。

裁判でも事実解明は難しいのに、マスメディアからの情報だけで「こいつは悪党!」と判断しているようではあまりに稚拙。
更にはそんないい加減な民意によって量刑が左右される雰囲気がある現状は法治国家として未熟すぎるのだ。

「due process of law」、日本の憲法にも「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と存在する概念を小学生位からきっちり実践を通して学ぶべきなのだ。
以前はゴミを引き取り、そのゴミを漁るのを生業としている人達がいたのだが、それを一掃しちゃったから街にゴミがえらい事になっててどうしましょという話。

以前も今もどっちもヒドイ状況なのでもうなんだかよくわからない事になってた。

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という感想を書いた後に革命が起こった。

やっぱりそれだけの負のエネルギーが溜まっていたんだね。

番組中に漂う「一体なんなんだ?」感はそのまま統治者の傲慢によるものであったのだな。

あの革命は実に見事かつ感動的で、世界に非暴力民主革命という光を照らしたわけだが、この先のエジプトは番組中のゴミ溜めのようにぐしゃぐしゃで混乱を極めるだろう。

それでも尚後に革命が否定される事がないよう前に進む事を祈りつつ、今後のエジプト情勢に注目したい。
世界一危険な都市と言われたボゴダを二人の市長が変革させて行くという話。

一人はユニークな方法で市民の考え方から変革しようと試み、一人は強引に都市計画を進めて問題を解決しようとする。

なかなか面白く観たのだが、振り返ってみると「まあそんな事もありましたよ。」程度の事なのかなと。

というのも割りと表面的に市長の功績を追っていくので、当然あるであろう変革故の歪や矛盾はあまり語られない。

という事で、決して世界中の都市が抱える問題を解決するヒントにはならなかったのが残念。
オーストラリアに広がる広大な砂漠。

極端に乾燥したこの土地で農作物を大量生産してしまおうって話。

単なる大規模農業の多くは環境へのダメージが大きく、作物そのものも栄養価だ農薬だと色々問題があるものだ。

今回の話はちょっと違ってて、自然の摂理を活かしながらいかに効率よく水や土地を使って作物を育てるかって話。

この先益々深刻になるだろう食糧不足に向け、砂漠を持続可能な農地に変える事は有意義であり、オーストラリアの経済を支える柱の一つになるだろうという事だね。

まあ人類の知恵はまだまだ捨てたもんじゃないですよと言ったところか。

こういう前向きなドキュメンタリーも意味はあるよね。
イギリスの能天気な活動家が15000個のサッカーボールをアフリカ各地を周りながら配る話。

崇高な大志があるわけではなく、割とシンプルに「ささやかな贈り物」と称して配り歩いていく。

当然もらった子供達は大喜びするわけだが、ただそれだけっちゃあそれだけの話。

立ち寄る先々の現状にショックを受けたり子供の笑顔に元気付けられたりしながら、活動の意味を少しずつ深めていく。

最終的には他の必要な支援とコラボするような形に発展する可能性を示して終わる。

思慮の浅い支援ってのはなんとなく嫌な感じがする事もあるが、これは難しい事は考えずシンプルに行ってもいいのかもと思わせる実直さと純情さがあった。

ラストの締めのセリフがそれをうまく物語っている。

「僕達がこの旅を通して学んだ事は、間違いを犯すのはいつも大人で、犠牲になるのはいつも子供という事。僕達の活動はそんな子供達に希望を取り戻すためのささやかな試みです。15000の笑顔がその成果です。」

ジェニンの心




パレスチナガザ地区ジェニンで一人の少年がイスラエル軍の誤砲により死亡した。

その父親はその後誰もが驚く行動を取り、世界中に大きなインパクトを与えた。

その誰もが驚く行動とは、少年の心臓を含む5つの臓器を5人のイスラエル人(イスラエル国籍のアラブ人含む)の移植希望者に提供するというものであった。

なぜ父親はそのような行動をとったのか、動機が作品を通じて明らかにされていく。

この父親はかつて活動家で、テロまがいの事を行って投獄された事もある。

しかしその後あらゆる経験によってそれでは状況は変えられないと悟り、最愛の息子の死を無駄にしまいと考え抜いた末の行動であった。

この行動は抵抗運動、攻撃の一種でもあったのだ。

これは実に重要なメッセージだと思う。

憎しみを消す事は無理でも、攻撃を暴力ではない形に変える事はできるという一例である。

臓器提供を受けたイスラエル人家族は、イスラエル人によって殺された憎むべきアラブ人の子供に命を助けられ、その子供の臓器が我が子の体内にあるのである。

「連中は私が自爆テロをしてくれた方がよかったと思ってるハズだ。」と語る父親。

果たして自分の息子が殺されて、この決断に至れるのかと自問した上で、心底この父親の行動に感動した。

臓器提供を受けた側のユダヤ人とこの父親が対面するシーンではお互いが憎しみを抑え、静かに会話する。
しかしながら笑顔は全く無く、一食触発、手に汗握る緊張感があった。

ワイドショーで晒される殺人犯を見て「こんな奴同じ目に合わせてやれ!」と叫ぶ思慮の浅い人達に是非見せたい作品。


なんとなく内容が想像できたのであるが、実際には想像以下で、なんだかとっても「どうでもよい」作品であった。

「ダウン症である」という事に意味を持たせたいのであれば、ダウン症に関連する社会問題や本人達の苦悩がクローズアップされてこそ意味がある。

しかしこの二人の親はどうやらめったやたら金持ちのようで、マイアミの高級住宅地に結婚後も親と同居してこれといって不自由の無い生活を送っている。

「私達がいなくなった後の事が心配です。」
とか泣きながら親が訴えていたが、いやいや十分金あるんだからいい施設に入って平均よりずっと良い暮らしができるじゃんか。
としか思わない。

本人達の苦悩と言っても誰でも持ってる程度のレベルしか出てこない。

ダウン症である事の社会問題を端的に言えば教育や就業、意識など、社会の受け入れ態勢が十分で無い事であるが、金さえあれば教育も受けられるし、就業も切実ではないし、意識的な差別があっても貧乏人よりはるかに良い生活を送れる。

ダウン症に無知な人が見れば「彼らも私達とあまり変わらない感情があるんだね。」って事がわかるっていうような作りなのかもしれないが、そんなのって失礼な話で、ダウン症の人達が結婚する事自体はなんら特別な事じゃない。

そんな例はいくらでもあるし、「少ない」とするならそれを阻害している社会問題にこそ焦点をあてるべき。

今回のこの人達は幸運にもそういう問題の中にはいない人達だ。


韓国の母子家庭ドキュメンタリー。

7歳の娘と5歳の息子を抱える母親はガンに侵されていた。

それだけで泣ける話である事は分かりきっていて嫌だったのだが、やっぱり泣かされる。

子供がまあ健気にがんばるんだ。

抗がん剤治療に苦しむ母親を思ってマッサージしたり、夜遅くまで働く母親に心配かけまいと身の回りの事全部やったり。

かわいそうでかわいそうで。。

とまぁ、前半は非常にいいんです。

でもこれはドキュメンタリーな訳で、様々な周辺情報が気になる。

明かされる情報はどうやら旦那とは離婚したらしいって位で、こんな状況で母親が働かなきゃいけないって事は生活保護とかの制度が整っていないって事?とか旦那からの養育費は?とか、親族の助けは?友達は?とか全く見えてこない。

それが描かれないって事はそういうのが「全部無い」という非常にかわいそうな状況の人達なのかなと、かわいそう度が増して行き、母親が死んだ後の子供達はどうなるのかが最も気になってくる。

がしかし、母親は病状が悪化して行き、仕事ができなくなるが、特に変わらず生活をする。

あれ?じゃあやっぱり生活保護ないしは養育費とかあったの?

じゃあなんで無理して働いてたの?

というモヤモヤした気持ちになってきて、更には母親がまだ元気なうちに撮影をやめ、亡くなる事もその後の子供達の事も、テロップで済ませてしまう。

しかも子供達は「姉夫婦に引き取られた」だそうである。

がっくりである。

姉夫婦いるんじゃん。。

じゃあその人達も出してよ。ドキュメンタリーでしょうよ。

リアルな状況をしっかりと提示した上で、母親がどういう決断をし、どういう行動を取っていくのか、それが間違っていようが正しかろうが問題ではなく、そういうリアルこそが様々な事を考えさせる事になるのでは?

結局そういうのを全部隠す事で意図的にかわいそう度をまして行き、ただのカタルシスドラマ風になってしまっている。

しかもこの母親が美人なんです。あ、そうか、韓流ドラマなのか。。

ちゃんと周辺情報も描いてくれれば非常に良質なドキュメンタリーになったと思われるだけに、残念です。

これじゃあ「かわいそう。」以外に何も思いようが無い。
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