2017年01月13日
よしの837尾木ママへ。
よしの837尾木ママへ。
宗教(しゅうきょう)研究会(けんきゅうかい)を ひとりでやっている 宮崎(みやざき)光子(ひかるこ)ともうします。
じょうほうアップブログを やっています。
https://fanblogs.jp/yoshinohikaruko/
こどもたちや しょうがいの あるひと がいこくのひと にも わかりやすいように ひらがながき しています。
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html
障(しょう)がい者(しゃ)差別(さべつ)解消法(かいしょうほう)
もできましたので、そちらから かんじに ルビを おねがいできないでしょうか、よろしく おねがいします。
さて きのうNHKの ニュースで じけんのことを はなしてあるの ききました。
まだ たいへんな こういしょうで ぜんしんますい で なんども しゅじゅつを しているかたが いらっしゃって そのかたのことは はなすことができない。
と おっしゃってて なんと もうしあげていいのか わからないと おもいました。
わたしも ひどい じけんや じこのことなど かんがえていて なんといっていいのか
わからないことにたいして ブログで じょうほうはっしんしていて こんなので いいのかな もうやめたほうがいいかな とか いつも なやんでいます。
そちらの せいとさんで じこにあい となりのせきのひとが なくなって いっしょうけんめい じこのことなどに たいおうしていた せいとさんが はんとしくらいして うつになられたとか わたし そのかたと おはなししてみたいなあと おもうんですけど メールアドレスとか おしえてもらえないか きいていただけませんか?
-
わたしは ろうどうもんだいなど かんがえていますが バスの うんてんしゅさんも ありますが 原発(げんぱつ)労働(ろうどう)が さいばんになってて くにが まったく ろうさいを みとめない げんじつがあります。
そして 福島(ふくしま)の原発(げんぱつ)爆発(ばくはつ)したのに まだ 安全(あんぜん)とかいって 原発(げんぱつ)輸出(ゆしゅつ)世界一(せかいいち)だそうで たぶん さいしょ30ねん で 廃(はい)炉(ろ)だったのが 40ねんに のびて こんどは60ねん だいじょうぶ とかいうのです。
いままでだって なんでもないときに はいかんがこわれて 熱水(ねっすい)が ふきだしたりの じことかあってます。
原発(げんぱつ)は あつりょくが かかるので はいかんが ボロボロになるのが はやいのだとおもいます。
人間(にんげん)でも 血圧(けつあつ)がたかいと けっかんが もろくなりますよね。
いま 原子力(げんしりょく)規制庁(きせいちょう)の PRW(原子(げんし)炉(ろ)安全(あんぜん)審査(しんさ))の 杉立大和さんと おはなししていたのですが きけんが ましたほうが ろうどうかんきょうが よくなるのか?
下水(げすい)工事(こうじ)で りゅうかすいそが たまりそうな じょうきょうを つくって げすいのなかに かぜおくらないと いけないのに かぜおくらなかったり わざと かんきょうを わるくして しごとを するほうが よいのか とか きいたら なんか そんなようなかんじもあって もう よのなかよくわかりません。
―
ちょうど また ここで 杉立大和さんから でんわがありまして 尾木ママに メールしてること おはなしして 学校の 学って むかしのじは わかんむりのうえに メメって ついて ダメダメみたいなかんじ する なんかもう うちゅうにいかないと いけないきもする みたいなはなししてたら
「わかりました」
なんて いわれました。
藤山寛美です。
http://blogs.yahoo.co.jp/bitabitasan/34111338.html
たいへん しつれいかもしれませんが 尾木ママは 金八先生の モデルと おききして どんなに たくましいかたかと おもっていましたら とても おやさしいかんじで おわらい といいますか そんなものがないと いきぐるしくなって うつびょうになる ようにもおもいます。
わらい とは ひさんなできごと プラス じかん と だれかがいっていましたが なにか はけぐちがないと やりきれないと おもうのです。
わたしのかんじでは よくなくひとは よくわらいます。
これは わたしでもありますが やはり ストレスがあるからだと おもうのです。
その うつびょうになった せいとさんは にちじょうのせいかつと じこの ギャップみたいなのにも くるしまれているだとか。
わたしも にちじょうと ひさんなニュースの もんだいを おもいます。
よく アナウンサーとか ひさんなニュースを しんけんな ひょうじょうでよんで つぎの ばめんで えがおに きりかえて また つぎの ニュースとかも あります。
まだまだ 1ねんくらいでは かなしみも いえないと おもいますが しかし にちじょうせいかつも おくっていかなければなりません。
わたしは なにか しゅうきょうに はいっているわけではありませんが つらいときに イエスさまを おもいまして わたしたちのかわりに なくなられたのだ。
イエスさまの ぶんまで がんばろう とか おもいます。
そして イエスさまは ふっかつされました。
そして イエスさまは しんだひとを いきかえらせたりも できるのです。
創価学会の 池田大作せんせいは 地球は いくつもある とかいってありました。
きっと なくなられたかたは ちがう 地球にうつられたのかもしれないと おもったりします。
なんだか はなしを まとめられませんが おへんじいただけると うれしくおもいます。
また ちがうはなしですが きのうDVDみました。
こうこうせいの おはなしで
PALOALTO
http://paloalto-story.com/
みましたら パーティで みずもってこようか というのを トランスウォーター とか いってたように きこえました。
―
なんだか じだいは マトリックスなのかなあ とか おもうのですが そうすると ろうどうかんきょうもんだい を どうかんがえたらいいのかと おもいます。
いままた 原子力規制庁の杉立大和さんから でんわがありました。
美浜原発の じこ なんにんのかたが どんな 負傷を したのかの しょるいはあるけど なまえの ほうこくはない。
原子力規制庁では 原発で はたらくひとの けんこうのもんだいは たぶん やってない
わたしは 13かげつ 原発うんてんして 3かげつ ていきてんけん とかで てんけんの わりあいは たかいのに そこで はたらくひとの けんこうのことは やってなくて だれが じこにあったのか でんりよくがいしゃから せっきょくてきに じょうほうを とるきもない ということですね そのごの けんこうちょうさとか とか はなしますと それは 厚生労働省ではないか とのことでした。
―
なんだか 武器輸出とかのことも おもいました。
―
わたしは ヘルパーをやってて きのう こしを ぎくっと やりまして たいしたことはないのですが いま すわっていて こしが すこしいたいので きょうは あんせいにして ねることにしました。
いま『誰も知らいな「死刑」の裏側』という ほんを よんでいます。ので これを よみたいとおもいます。
そして 尾木ママの やさしい おへんじメールが くると うれしいなあと おもいます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201701/CK2017011302000131.html
軽井沢のバス事故1年 犠牲の法大・西原さん母手記
2017年1月13日 朝刊
長野県軽井沢町で大学生ら十五人が死亡したスキーツアーバス転落事故から十五日で一年になるのを前に、死亡した法政大三年の西原季輝(としき)さん=当時(21)=の母親=千葉県市川市=が十二日、弁護士を通じて「毎日泣かない日はありません。日に日に悲しみが大きくなっていきます」とするコメントを発表した。
コメントによると、季輝さんは中学、高校でソフトテニスに打ち込み、将来は教員を志望。教育評論家の尾木直樹法政大教授の下で学びたいと進学し、念願がかなって尾木ゼミに入り、ゼミ長も務めた。
母親は「これから社会に羽ばたいて活躍していく、そんなタイミングであの凄惨(せいさん)な事故が起きてしまいました」と無念さを記した。
当日は長野県警の連絡で軽井沢署を訪れ、死亡した人の服装の写真を見せられた。「季輝の洋服がありませんように」と祈りながら書類をめくると、最後のページに、血の付いた季輝さんのTシャツがあった。
遺体に目立った外傷はなく、いつもの寝顔のようだった。「寝てしまうとなかなか起きない子でしたから、起きて恐(こわ)い思いをすることもなかったのかな」と最期に思いをはせた。
「写真を見ると、肉体がもうないんだ、触れられないんだと改めて感じ、自然と涙が出てきてしまいます」と吐露。「悲惨な事故が二度と起きないようにするためにはどうしたらいいのか、世の中すべての人が考えてくれることを望みます」と結んだ。
◆西原さんの母 コメント要旨
コメントの要旨は以下の通り。(表記は原文のまま)
毎日泣かない日はありません。日に日に悲しみが大きくなっていきます。泣いている姿を息子も見たくないだろう、と思いますが、季輝の写真を見ると、肉体がもうないんだ、触れられないんだと改めて感じ、自然と涙が出てきてしまいます。
季輝が使っていたお茶碗やコーヒーカップもそのままになっています。荷物を片付けようとしても、季輝がいた形跡を見る度に季輝を思い出し、手が止まってしまいます。今では、無理に片付けようとはせず、やる気になったときでいいや、と思うようにしています。
季輝はソフトテニスに熱心に打ち込む一方で、教育問題にも強く関心を持ち、念願叶って尾木先生のゼミに入り、ゼミ長まで務めるようになりました。何事にも一生懸命取り組んできました。
当日、事故のニュースを見て、連絡がつかなかったため、いてもたってもいられず軽井沢に向かいました。片っ端から病院を回りながら探していると、警察から、バスの乗客名簿に季輝の名前があったと言われました。
軽井沢警察署に行き、亡くなった人の洋服の写真を見せられました。季輝の洋服がないように祈りながら見ていくと、最後の頁に、血のついた季輝のTシャツが写った写真がありました。遺体安置所に行くと、季輝は棺に入っていました。顔を見るといつもの寝顔と変わりがありませんでした。一旦寝てしまうとなかなか起きない子でしたから、起きて恐い思いをすることもなかったのかなと思いました。
事故の数日前のことです。季輝の手を見て、生命線短いね、なんて話したことを覚えています。今では、それが間違いじゃなかったのかなと思ったりします。
ある日突然大事な人と会えなくなる、それが事故です。会いたくても会えない。家族を失うことは本当に辛いです。大切な人を失う悲しみを想像してみてください。悲惨な事故が二度と起きないようにするためにはどうしたらいいのか、世の中すべての人が考えてくれることを望みます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201601/CK2016012002000116.html
尾木教授、悲痛 「教え子の命が一瞬で…つらい」
2016年1月20日 朝刊
長野県軽井沢町のバス事故で四人のゼミ生を亡くした法政大教授で教育評論家の尾木直樹さんは十九日、東京都内で開かれた学校事故・事件を考える集会に講演者の一人として参加した。十八日夜には重体だった四年生の並木昭憲さん(21)が亡くなり、「一瞬にして理不尽な事件や事故によって教え子やわが子の命が奪われるのは何よりもつらい。初めて経験しました」と沈痛な様子で語った。
講演で尾木さんは、並木さんが五月から一年間、タイで子どもに日本語を教えるボランティアとして活動する予定だったと明かした。間もなく始まる研修を楽しみにしていたといい、「向こうへ行ってから日本のことを子どもたちにしっかり伝えられるようにと、バイクを買って日本一周するんだと話していた。その一歩手前まで来ていたのに」と声を詰まらせた。
講演後の取材で、尾木さんは、並木さんと、十五日に亡くなったいずれも三年生の林晃孝(あきたか)さん(22)、西原季輝(としき)さん(21)の三人が教員を志していたと説明。「林君は行動派で、子どもと一緒にはしゃいで遊べる学生だった。理論派の西原君は論文やリポートのレベルが高く、全国各地の学校を視察したり活動的だった。日本の教育界にとっての宝物を失った」と話した。
ー
ー
コメントに とうこうしました。
尾木ママへ
ブログをやっています。
おへんじいただけると うれしくおもいます。
https://fanblogs.jp/yoshinohikaruko/archive/1108/0?1484277669
よしの837尾木ママへ。
宗教(しゅうきょう)研究会(けんきゅうかい)を ひとりでやっている 宮崎(みやざき)光子(ひかるこ)ともうします。
じょうほうアップブログを やっています。
https://fanblogs.jp/yoshinohikaruko/
こどもたちや しょうがいの あるひと がいこくのひと にも わかりやすいように ひらがながき しています。
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html
障(しょう)がい者(しゃ)差別(さべつ)解消法(かいしょうほう)
もできましたので、そちらから かんじに ルビを おねがいできないでしょうか、よろしく おねがいします。
さて きのうNHKの ニュースで じけんのことを はなしてあるの ききました。
まだ たいへんな こういしょうで ぜんしんますい で なんども しゅじゅつを しているかたが いらっしゃって そのかたのことは はなすことができない。
と おっしゃってて なんと もうしあげていいのか わからないと おもいました。
わたしも ひどい じけんや じこのことなど かんがえていて なんといっていいのか
わからないことにたいして ブログで じょうほうはっしんしていて こんなので いいのかな もうやめたほうがいいかな とか いつも なやんでいます。
そちらの せいとさんで じこにあい となりのせきのひとが なくなって いっしょうけんめい じこのことなどに たいおうしていた せいとさんが はんとしくらいして うつになられたとか わたし そのかたと おはなししてみたいなあと おもうんですけど メールアドレスとか おしえてもらえないか きいていただけませんか?
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わたしは ろうどうもんだいなど かんがえていますが バスの うんてんしゅさんも ありますが 原発(げんぱつ)労働(ろうどう)が さいばんになってて くにが まったく ろうさいを みとめない げんじつがあります。
そして 福島(ふくしま)の原発(げんぱつ)爆発(ばくはつ)したのに まだ 安全(あんぜん)とかいって 原発(げんぱつ)輸出(ゆしゅつ)世界一(せかいいち)だそうで たぶん さいしょ30ねん で 廃(はい)炉(ろ)だったのが 40ねんに のびて こんどは60ねん だいじょうぶ とかいうのです。
いままでだって なんでもないときに はいかんがこわれて 熱水(ねっすい)が ふきだしたりの じことかあってます。
原発(げんぱつ)は あつりょくが かかるので はいかんが ボロボロになるのが はやいのだとおもいます。
人間(にんげん)でも 血圧(けつあつ)がたかいと けっかんが もろくなりますよね。
いま 原子力(げんしりょく)規制庁(きせいちょう)の PRW(原子(げんし)炉(ろ)安全(あんぜん)審査(しんさ))の 杉立大和さんと おはなししていたのですが きけんが ましたほうが ろうどうかんきょうが よくなるのか?
下水(げすい)工事(こうじ)で りゅうかすいそが たまりそうな じょうきょうを つくって げすいのなかに かぜおくらないと いけないのに かぜおくらなかったり わざと かんきょうを わるくして しごとを するほうが よいのか とか きいたら なんか そんなようなかんじもあって もう よのなかよくわかりません。
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ちょうど また ここで 杉立大和さんから でんわがありまして 尾木ママに メールしてること おはなしして 学校の 学って むかしのじは わかんむりのうえに メメって ついて ダメダメみたいなかんじ する なんかもう うちゅうにいかないと いけないきもする みたいなはなししてたら
「わかりました」
なんて いわれました。
藤山寛美です。
http://blogs.yahoo.co.jp/bitabitasan/34111338.html
たいへん しつれいかもしれませんが 尾木ママは 金八先生の モデルと おききして どんなに たくましいかたかと おもっていましたら とても おやさしいかんじで おわらい といいますか そんなものがないと いきぐるしくなって うつびょうになる ようにもおもいます。
わらい とは ひさんなできごと プラス じかん と だれかがいっていましたが なにか はけぐちがないと やりきれないと おもうのです。
わたしのかんじでは よくなくひとは よくわらいます。
これは わたしでもありますが やはり ストレスがあるからだと おもうのです。
その うつびょうになった せいとさんは にちじょうのせいかつと じこの ギャップみたいなのにも くるしまれているだとか。
わたしも にちじょうと ひさんなニュースの もんだいを おもいます。
よく アナウンサーとか ひさんなニュースを しんけんな ひょうじょうでよんで つぎの ばめんで えがおに きりかえて また つぎの ニュースとかも あります。
まだまだ 1ねんくらいでは かなしみも いえないと おもいますが しかし にちじょうせいかつも おくっていかなければなりません。
わたしは なにか しゅうきょうに はいっているわけではありませんが つらいときに イエスさまを おもいまして わたしたちのかわりに なくなられたのだ。
イエスさまの ぶんまで がんばろう とか おもいます。
そして イエスさまは ふっかつされました。
そして イエスさまは しんだひとを いきかえらせたりも できるのです。
創価学会の 池田大作せんせいは 地球は いくつもある とかいってありました。
きっと なくなられたかたは ちがう 地球にうつられたのかもしれないと おもったりします。
なんだか はなしを まとめられませんが おへんじいただけると うれしくおもいます。
また ちがうはなしですが きのうDVDみました。
こうこうせいの おはなしで
PALOALTO
http://paloalto-story.com/
みましたら パーティで みずもってこようか というのを トランスウォーター とか いってたように きこえました。
―
なんだか じだいは マトリックスなのかなあ とか おもうのですが そうすると ろうどうかんきょうもんだい を どうかんがえたらいいのかと おもいます。
いままた 原子力規制庁の杉立大和さんから でんわがありました。
美浜原発の じこ なんにんのかたが どんな 負傷を したのかの しょるいはあるけど なまえの ほうこくはない。
原子力規制庁では 原発で はたらくひとの けんこうのもんだいは たぶん やってない
わたしは 13かげつ 原発うんてんして 3かげつ ていきてんけん とかで てんけんの わりあいは たかいのに そこで はたらくひとの けんこうのことは やってなくて だれが じこにあったのか でんりよくがいしゃから せっきょくてきに じょうほうを とるきもない ということですね そのごの けんこうちょうさとか とか はなしますと それは 厚生労働省ではないか とのことでした。
―
なんだか 武器輸出とかのことも おもいました。
―
わたしは ヘルパーをやってて きのう こしを ぎくっと やりまして たいしたことはないのですが いま すわっていて こしが すこしいたいので きょうは あんせいにして ねることにしました。
いま『誰も知らいな「死刑」の裏側』という ほんを よんでいます。ので これを よみたいとおもいます。
そして 尾木ママの やさしい おへんじメールが くると うれしいなあと おもいます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201701/CK2017011302000131.html
軽井沢のバス事故1年 犠牲の法大・西原さん母手記
2017年1月13日 朝刊
長野県軽井沢町で大学生ら十五人が死亡したスキーツアーバス転落事故から十五日で一年になるのを前に、死亡した法政大三年の西原季輝(としき)さん=当時(21)=の母親=千葉県市川市=が十二日、弁護士を通じて「毎日泣かない日はありません。日に日に悲しみが大きくなっていきます」とするコメントを発表した。
コメントによると、季輝さんは中学、高校でソフトテニスに打ち込み、将来は教員を志望。教育評論家の尾木直樹法政大教授の下で学びたいと進学し、念願がかなって尾木ゼミに入り、ゼミ長も務めた。
母親は「これから社会に羽ばたいて活躍していく、そんなタイミングであの凄惨(せいさん)な事故が起きてしまいました」と無念さを記した。
当日は長野県警の連絡で軽井沢署を訪れ、死亡した人の服装の写真を見せられた。「季輝の洋服がありませんように」と祈りながら書類をめくると、最後のページに、血の付いた季輝さんのTシャツがあった。
遺体に目立った外傷はなく、いつもの寝顔のようだった。「寝てしまうとなかなか起きない子でしたから、起きて恐(こわ)い思いをすることもなかったのかな」と最期に思いをはせた。
「写真を見ると、肉体がもうないんだ、触れられないんだと改めて感じ、自然と涙が出てきてしまいます」と吐露。「悲惨な事故が二度と起きないようにするためにはどうしたらいいのか、世の中すべての人が考えてくれることを望みます」と結んだ。
◆西原さんの母 コメント要旨
コメントの要旨は以下の通り。(表記は原文のまま)
毎日泣かない日はありません。日に日に悲しみが大きくなっていきます。泣いている姿を息子も見たくないだろう、と思いますが、季輝の写真を見ると、肉体がもうないんだ、触れられないんだと改めて感じ、自然と涙が出てきてしまいます。
季輝が使っていたお茶碗やコーヒーカップもそのままになっています。荷物を片付けようとしても、季輝がいた形跡を見る度に季輝を思い出し、手が止まってしまいます。今では、無理に片付けようとはせず、やる気になったときでいいや、と思うようにしています。
季輝はソフトテニスに熱心に打ち込む一方で、教育問題にも強く関心を持ち、念願叶って尾木先生のゼミに入り、ゼミ長まで務めるようになりました。何事にも一生懸命取り組んできました。
当日、事故のニュースを見て、連絡がつかなかったため、いてもたってもいられず軽井沢に向かいました。片っ端から病院を回りながら探していると、警察から、バスの乗客名簿に季輝の名前があったと言われました。
軽井沢警察署に行き、亡くなった人の洋服の写真を見せられました。季輝の洋服がないように祈りながら見ていくと、最後の頁に、血のついた季輝のTシャツが写った写真がありました。遺体安置所に行くと、季輝は棺に入っていました。顔を見るといつもの寝顔と変わりがありませんでした。一旦寝てしまうとなかなか起きない子でしたから、起きて恐い思いをすることもなかったのかなと思いました。
事故の数日前のことです。季輝の手を見て、生命線短いね、なんて話したことを覚えています。今では、それが間違いじゃなかったのかなと思ったりします。
ある日突然大事な人と会えなくなる、それが事故です。会いたくても会えない。家族を失うことは本当に辛いです。大切な人を失う悲しみを想像してみてください。悲惨な事故が二度と起きないようにするためにはどうしたらいいのか、世の中すべての人が考えてくれることを望みます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201601/CK2016012002000116.html
尾木教授、悲痛 「教え子の命が一瞬で…つらい」
2016年1月20日 朝刊
長野県軽井沢町のバス事故で四人のゼミ生を亡くした法政大教授で教育評論家の尾木直樹さんは十九日、東京都内で開かれた学校事故・事件を考える集会に講演者の一人として参加した。十八日夜には重体だった四年生の並木昭憲さん(21)が亡くなり、「一瞬にして理不尽な事件や事故によって教え子やわが子の命が奪われるのは何よりもつらい。初めて経験しました」と沈痛な様子で語った。
講演で尾木さんは、並木さんが五月から一年間、タイで子どもに日本語を教えるボランティアとして活動する予定だったと明かした。間もなく始まる研修を楽しみにしていたといい、「向こうへ行ってから日本のことを子どもたちにしっかり伝えられるようにと、バイクを買って日本一周するんだと話していた。その一歩手前まで来ていたのに」と声を詰まらせた。
講演後の取材で、尾木さんは、並木さんと、十五日に亡くなったいずれも三年生の林晃孝(あきたか)さん(22)、西原季輝(としき)さん(21)の三人が教員を志していたと説明。「林君は行動派で、子どもと一緒にはしゃいで遊べる学生だった。理論派の西原君は論文やリポートのレベルが高く、全国各地の学校を視察したり活動的だった。日本の教育界にとっての宝物を失った」と話した。
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