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2018年01月31日

ひかる503−1“優生保護法”


ひかる503−1“優生保護法”
https://www3.nhk.or.jp/news/netnewsup/static/03021724.html
News Up 見過ごされてきた“優生保護法”の実態
3月2日 17時24分
「優生保護法」という法律をご存じですか?

「不良な子孫の出生を防ぐ」という目的で、障害者の子どもを産み育てる権利を奪っていた法律です。終戦直後の昭和23年に施行され、わずか20年ほど前の平成8年まで存在していました。

この法律に基づいて遺伝性とされた疾患のほか、精神障害や知的障害がある人は、医師の診断と行政の審査を経て不妊手術を受けさせられました。その際、本人の同意は必要ないとされました。
これによって不妊手術を受けさせられた人は、確認できただけでも1万6000人以上に上っています。

最近、この法律が注目される出来事がありました。

ことし2月22日、日弁連=日本弁護士連合会が、優生保護法で行われた不妊手術はみずからの意思で出産や子育てを決めるという憲法で保障された権利を侵害していたと指摘し、国に対して謝罪や補償などを求める初めての意見書を出したのです。

「人権を無視した法律が本当にあったの?」と思う人もいるかもしれません。しかし、実際に手術を受けさせられ、今も苦しみ続けている人がいます。「優生保護法」のもとで障害のある人やその家族はどのような状況に置かれていたのか。

関係者の証言や新たに見つかった資料からその実態に迫ります。
人生奪われた障害者の女性の叫び

「自分の人生を奪った手術が本当に憎いです…。ずっと苦しみが続いています」
こう証言するのは、宮城県に住む70歳の女性、飯塚さん(仮名)。

飯塚さんは、16歳の時に、優生保護法に基づいて、軽度の知的障害を理由に何も説明されないまま不妊手術を受けさせられました。

退院後、両親の会話を聞いて、初めて自分が手術を受けたことを知った飯塚さんは、その衝撃をこう振り返ります。
「子どもを産むことができない体にされたと知って、そこから私の苦しみが始まりました。もとに戻ることができるなら戻してほしい」

優生保護法の不妊手術では、本人の同意がなくても手術できましたが、一方で、家族などの同意が必要なケースもありました。

飯塚さんの場合も、父親が娘の不妊手術に同意していたことが後にわかりました。

父親が亡くなる直前に飯塚さんに残した1通の手紙には、手術に同意した当時の苦しい胸の内がつづられていました。
手紙には「やむなく印鑑押させられたのです。優生保護法にしたがってやられたのです」(原文ママ)と。

なぜ、父親は娘に何も知らせずに子どもを産めないようにする手術に同意したのか。

取材を進めると、「優生保護法」のもとで障害者やその家族が置かれた社会的な状況が見えてきました。
優生保護法を生んだ戦後の社会情勢
「優生保護法」は戦後すぐの昭和23年に施行されました。

戦前にも「国民優生法」という優生思想に基づく法律がありましたが、その思想をさらに強める形で「優生保護法」はスタートしました。

終戦直後の日本は、戦地からの大量の引き揚げ者や出産ブームによる「人口爆発」が大きな社会問題になっていました。

人口の“量”を抑えつつ、“質”を上げる必要性が国家的な課題として叫ばれる中で、「優生保護法」は超党派の議員立法で成立、施行されました。

この法律には、刑法で禁止されていた「人工妊娠中絶」を認めて“量”を抑制すると同時に、優生学的に劣っているとされた障害者の出生を防止し、“質”を向上させるという明確な狙いが示されていました。

優生学の歴史に詳しい東京大学大学院の市野川容孝教授は、当時は、医学的に十分な根拠がないまま親の障害や疾患が遺伝すると考えられていたとしたうえで、優生保護法には「過剰な人口問題と、それに由来する貧困をどうやって防ぐかということ、それと同時に、国民の“質”を高めるということ、この2つの目的がセットとなって入っていた」と指摘しています。

では、手術はどのように行われたのでしょうか?

優生保護法では、4条と12条で、本人の同意がなく不妊手術を行うことができると規定されました。

まず、医師が診断し、遺伝性の疾患のほか、知的障害や精神障害などを理由に手術が必要だと判断した場合に、各都道府県の審査会に不妊手術の申請を行います。

審査会のメンバーは医師や裁判官、民生委員などで、手術を行うことが適当かどうかを判断し、適当となれば病院で不妊手術が行われました。

実は、昭和28年に、強制的な不妊手術をするうえで、当時の厚生省が各都道府県の知事に対して、次のような通知を出していました。
「真にやむを得ない限度においては、身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される」

つまり、手術をする際に、やむをえない事情があれば、欺罔、だますという手段を使ってもよいとされていたのです。

こうした状況の中で法律が施行されていた半世紀で、実に1万6000人以上が強制的に不妊手術を受けさせられたことがわかっています。
当時何が? 取材に応じた関係者は…
今回、手術に関わった精神科医や産婦人科医から話を聞こうと探しましたが、なかなか見つからず、見つかったとしても多くを語ろうとしなかったり、すでに亡くなっていたりして難しい取材になりました。

そうした中で、みずからが受け持っていた障害者に不妊手術が必要だと判断した経験のある1人の精神科医が取材に応じました。
「今の人権意識でいえば、当然問題だが、当時は、優生保護法は全然問題にならなかったし、疑問の声も上がらなかった。昔の自分がしたことを合理化するような形になるが、当時は私も何の疑いも持たずに障害のある人が不妊手術の対象だと考えた」と打ち明けました。

この精神科医は、のちに手術に疑問を感じ、声を上げましたが、周囲から賛同する意見は出なかったと振り返っています。
手術記録の多くが破棄された可能性が…
多くの関係者が口を閉ざす中、私たちは、自治体の記録から優生保護法の実態を調べようとすべての都道府県に取材しました。

ところが、誰が手術を受けたのかを特定できる記録が一部でも庁舎の中に残っていた自治体は、47都道府県のうち、わずか5つしかないことがわかりました。

多くの自治体はすでに資料を廃棄したと見られています。
廃棄したこと自体は、特に法律や法令違反にあたるわけではありません。

ただ、今後、国などが実態を調査しようと思っても困難なのではないかというのが私たちの実感です。
見つかった新資料から見えたもの
私たちは、自治体の庁舎内だけでなく、各地にある公文書館などにも広げて探し続けました。

そして、神奈川県で新たな資料を見つけました。

資料の中には、医師の診断書のほか、その障害者の家系図まで残されていました。

疾患の詳しい状況や障害が遺伝しているかどうかなどが何代にもさかのぼって調べ上げられていたこともわかりました。

資料の中には、両親や兄姉がどのような思いで手術に同意していたのかがわかる記述もありました。

こうした記述を読み進めていくと、さまざまな理由で手術を希望していた家族もいた状況が見えてきました。

「たとえ子どもができても自分のことすら何もできない状態では育児は不可能なので手術を行うよう決心」
「両親が病弱で本人の将来を考えて手術を希望」
「一般社会の人にも迷惑がかかることを心配。母親や兄弟全員が手術に賛成している」

障害のある家族に対する複雑な心境を語る言葉や周囲の目を必要以上に気にする言葉が並んでいました。

手術を希望するという家族の状況について、優生保護法の歴史に詳しい東京大学の市野川教授は「当時は、障害がある人たちが子どもを産んで育てられる環境が整っていなかったので、不妊手術が本人のためだと考えられていました。障害者は子どもを産んでも育てられないとの思い込みが周囲の善意としてあって、この優生保護法を存続させた側面があります」と指摘します。
不妊手術を受けさせられた飯塚さんは
20代で結婚した飯塚さん。
子どもが出来ないことなどが理由で離婚したといいます。

さらに、手術の後遺症などによって、50年が経った今も心身の不調が続いています。

飯塚さんは「障害者だから何をしてもいいという権利は誰にもないです。私たちが受けた強制的な不妊手術について誰かが言葉にして訴えていかないと、闇に葬られてしまいます」と話していました。
求められる国の対応
こうした飯塚さんたちの訴えを国はどう受け止め、対応していくのか。

厚生労働省は、「優生保護法」のもとで不妊や中絶などの手術が行われたことについて、あくまで合法的に行われたとして謝罪や補償をしないという方針を取っています。

日弁連から出された意見書については、「優生保護法は、不良な子孫の出生を防止するという優生思想に基づく部分が障害者に対する差別となっていることなどにかんがみ、改められたと承知しており、厚生労働省としてもこうした趣旨を踏まえて対応している。いずれにせよ、人ひとりの命の重さは、障害があるか否かによって少しも変わるものではなく、すべての人々がお互いの人格と個性を尊重し合いながら共生できる社会を実現していきたい」とコメントしています。

同じように強制的な不妊手術を行っていたドイツやスウェーデンでは、調査を行い、謝罪や補償を行っています。

確かに当時は合法でしたが、今の人権感覚で著しい人権侵害にあたるのならば謝罪や補償をすべきではないか、日本だけがそれをできない理由はないように思えます。

というのも、ハンセン病患者に対しては、当時は合法的に行われていた強制的な隔離政策について、国は誤りを認めているからです。

さらに、国連の規約人権委員会や女性差別撤廃委員会も、日本政府に被害者の補償を行うよう勧告しています。

まずは実態調査を行い、何ができるか、具体的な対応策を検討する必要があると思います。

長年、人権問題を取材してきたルポライターの鎌田慧さんは「優生保護法の価値観はなかなか払拭(ふっしょく)されておらず、その歴史はずっとつながっている」と指摘し、法律の根底にあった差別意識は、去年7月に起きた神奈川県相模原市の障害者殺傷事件やヘイトスピーチなど、さまざまな形で社会に色濃く残っていると指摘しています。

優生保護法が存在した当時の社会状況と今とは、人権意識も大きく変わったといえます。

しかし、障害のある人に対して「かわいそうな境遇だ」と考えた時など、無意識に「自分とは違う」という“区別”をしていることはないでしょうか。

そうした“区別”の意識は、行き過ぎてしまうと“差別”の意識につながることもあるのではないでしょうか。

優生保護法の歴史はその怖さを示しているように感じます。

そして、この優生保護法の歴史についても、「障害者をめぐるかつての法律であり、自分とは関係ない」などと区別して考えてしまうことはないでしょうか。

私たちは、わずか20年ほど前までこの法律が存在していたという事実に無関心でいるのではなく、しっかりと向き合って考える必要があると、取材を通じて感じました。

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