アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年01月20日

散歩していたワンちゃんは?

連休の一日、風は冷たかったが晴天に恵まれた。

家の中にいるのが勿体なくて散歩に出掛けた。

独りの白髪の女性に出会った。

ウァーキングスティックを持ってゆっくりと歩いていた。

すれ違う前から以前コリー犬を連れて散歩されていた方ではないかと拝見していた。

一旦すれ違ったけれど、どうもそのことが確かめたくて声を掛けさせてもらった。


「失礼ですが、よくコリー犬を散歩させていた方ではないですか?」

すると、笑顔で、

「ああ、そうです。よく散歩してましたよ。」

と、返ってきた。

訊きたいことはワンちゃんのことなのでズバリ訊いてみた。

「あの時のワンちゃんはどうされてますか?」

「ああ、あの子は最後は歩けなくなって、5年程?前に亡くなりました。」


この方をどうして覚えているかというと散歩の仕方が精力的で、運動量が多そうなコリーに合わせて

しっかりした歩き方をしていて、散歩の範囲も広範囲なのか、いろんな場所でお見かけしたからだ。

「よくお散歩されてるな〜。」

と、感心していたのだ。

Bn3i76VxwzBM3zGQvHqFqBWiqf47H3k_YCyHsfwqQ5Xs8eMUIFNT3hgEOdFkwOlslpKIoTM59ecVu6Z91.K.aIqpDPLFMYl6MfhduINmXy_Dx4V6uuuiWrwE60r2CGTBeE1J.iKV8Ua56daScuZhsYwM3vYQ[1].jpg


その方は84歳になったとのことだ。

70代の頃はシャキシャキした感じだったが少し歩き方が衰えたようにお見受けした。


それでも、スティックを持っていれば歩けるのでこうして散歩しているのだと言う。

その後は近所で生まれた兄弟の猫を引き取って、今は猫と暮らしていると話してくれた。


暫く会えなかったワンコは亡くなっていることが多い。


やはり高齢の女性と散歩して我が家の前で私を見つけると寄ってきてくれてた日本犬の「モモちゃん」も

何度か手術をした後の身体だったりしたが、矢張り亡くなったようだ。

家に寄ってくれないのが寂しい。

人間も、ペットも高齢化には抗えない。


でも、あのコリー犬も、モモちゃんも、最期まで彼等の健康状態に合わせてお散歩してもらっていた。

幸せなペット人生?だったと思う。


私の記憶の中に元気な、人懐っこい姿は今でも残っている。

















2020年01月19日

失った時間に。

2020/01/17に投稿した記事「女性にとって輝く時間とは?」と関連して考えた。


昨年5月1日より皇后さまとなられた雅子様のことだ。

2019年6月9日、天皇皇后両陛下は、ご成婚26周年を迎えられました。

1993年結婚。

img_ce7991444b9b49f857683c9f0507a185473468[1].jpg


今年お誕生日を迎え天皇陛下60歳、皇后陛下56歳になられる。

33歳と29歳で結婚されて26周年。

その後10年目の2003年から雅子様適応障害で療養に入られる。

16年間であった。

御代替わりで令和になってから、皇室内のことがバッシングされている。

どの記事が正しくて、誰が書いた記事が正しいのか、その判断は個人の自由だ。

しかし、療養して命を守られた雅子様の失った時間はどうだったのだろうか?


才能豊かで美しく、皇后として輝いておられる雅子様が療養されていた16年間を想うのだ。

健全な環境の中で、その才能を日本のために使われていたなら、

ファッションリーダーであっただろうし、女性の尊敬すべき憧れの象でもあっただろう。

海外の国々との外交でも活躍されたであろう。


その「失われた時間」は戻らないのだ。

雅子様の「女性にとって輝く時間」だった筈だ。


しかし、雅子様は命を守られた。

その時間はそれでよかったのだと思う。

療養されてよかった。


平成がどんな時代だったかは、いずれ歴史となった時に明らかになることだろう。

あの皇室という環境の中で、ご自分をしっかりと持たれていた雅子様のこれからのご活躍を確信しております。


私は「時間」が一番大切だと日頃思っている。

掴み取らなければ、未使用のまま過ぎていってしまう。


だから、敢えて、

「女性にとって輝く時間とは?」を考えた時、平成に閉じ込められた雅子様のことをどんなに”勿体ない”ことだったかと

思わずにいられなくなったのです。


世界中を眺めてみれば、女性蔑視の国などまだまだある。

でも、このSNSの時代には正も不正も明らかになっていくだろう。


それでも、今までのように世界は流れて行く。


きちんと、時間を掴み取って自分の時間を”使用”しないことは”勿体ない”と意識して生きて行きたいのです。


令和の皇后雅子様のご活躍を願って止みません。




































































2020年01月18日

こんな日があってもいい。

ジムに行く日である。

しかし、月曜日が祭日になって、その日に予定していたことが火曜日にしわ寄せされてしまった。

中途半端な時間の使い方となってしまいジムは諦めて、普段できなかったことをまとめてやろうと決めた。

一応メンバーの一人にメールをしておいた。


先ず銀行業務。

クレジット払いの請求金額が分かったので引き落とし用の入金を早目にやってしまうこと。

今月分の家計費を引き出すことも同時に、そして毎月引き落としされる口座に其々必要な

入金を済ますこと。

小さな家計だけれど、分配には気を遣う。


それで安心して外出ついでにレストランでランチを取ることにした。

何かの時に普段と違うことをするのがちょっとしたストレス発散になる。


ランチにはコーヒーも付いていて、周りはお昼休みのサラリーマンが多数の中で飲むと

忙しく働く人達の日常に取り込まれたような気分になった。


まだ、暖かい時間帯だ。

そうだ、あの美術館を訪ねる予定が、今日なら果たせそうだ、と車を走らせる。


2019/11/24投稿した、

「もう一度会いたかった…。」

と、いう記事の先生の美術館だ。

私財を投じて造られた、私設美術館だ。

幹線道路から奥まった竹林を切り開いて、その斜面に添って床が張られている自然を生かした土地の形状が優先の建物だ。

DSC_1537.JPG

DSC_1536.JPG

その後の活動が気になって、平日ならばと行ってみたが、発想は逆だった。

会館日は「土日祝日のみ」となっていた。


どなたかお弟子さんが引き継いでくれているのだろう。

でも、当時からの渋さと、”侘び寂の佇まい”は変わっていなかった。

手水鉢?の南天の枝は先生の好みの風情そのものだった。


竹林に囲まれた美術館は健在だった。

誰の気配もなかったが、その静けさの中で当時の先生の仕事中の姿を思い浮かべた。

お会いしておけばよかった。


帰途、付近の注文家具屋さんや輸入家具屋さんに寄ってみたが、輸入家具屋さんのオーナーも昨年亡くなられたそうで、

お店はひっそりと閉じていた。

店内の少しの照明が私を引き寄せたのだが、扉が開くことはなかった。


そんな風に寂しくなった界隈の話を注文家具屋さんで聞いたのだ。


でも、気にかかっていた場所を訪ねてみて、”諸行無常”を感じたが、いつまでも変わらないのも有り得ないので、

変化していることを受け入れつつ、先生の版画人生の最盛期に巡り会えたことに感謝した。


一週間を変化なくルーティーンに添って、やるべきことをこなして送っているが、

こんなイレギュラーな日があってもいいなあと思えた一日でした。











2020年01月17日

女性にとって輝く時間とは?

2020/01/11に「サワコの朝」という番組を観た。

後藤久美子さんがゲストだった。


後藤 久美子(ごとう くみこ、1974年3月26日[2] - )は、日本のモデル、タレント、女優。愛称はゴクミ[1]。

東京都杉並区出身。スイス・ジュネーブ在住。オスカープロモーション所属。

45歳。

2男1女の母。


という現在の彼女は寅さんの映画出演の為に2か月間(?)滞在中でした。


21歳の時に結婚(事実婚・フランスでは珍しくない)して25年の間に20歳から小学校高学年(12歳くらい?)

までのお子様を設けて現在に至るそうです。


彼女は自身のことを専業主婦だと言う。


年に何回かのペースで日本で仕事はするらしいが。


でも、軸は家庭にあり、専業主婦が主な暮らしだという。


まだ、末っ子はママが恋しいらしいが、時間ができたのでこれからは大学に行きたいと言う。


誰もがそんな風にできないのが今の時代だ。

しかし、彼女はこの25年間を自分で選び、自分で決定して、(先のことは解らないが)

その決定のままに生きてきた。


子供を産み、子育てができる時期にそれをやってきたということだ。


もし、彼女が女優の仕事に拘り、そちらを優先していたらどうだっただろう。

仕事の結果は残ったかもしれないけれど、2男1女の母にはなってなかっただろう。


今45歳の彼女、日本に来る時は元カーレーサーのご主人に家庭を任せて来るという。

ご主人も仕事があるので、不在の時は彼の母や、それなりのお手伝いの方にお願いしたりもするそうだ。

yjimageK9GGC8U1.jpg


一般人の私達が家を留守にする時にする準備と変わらない。

(お手伝いさんは雇えないが)


彼女を見ていて思った。

仕事か結婚、出産の時期を悩むのは女性の人生にはつきものだ。

そして、現代社会は結婚後も夫だけの収入では家庭を支えきれない時代になっている。

だから、子供を持って家庭を運営していくのは本当に難しい時代だと思う。


だから、結婚をしない男女、結婚が晩婚化する事実、結果出産適齢期に子供を産むことが

できず不妊治療をして子供を設ける率は高くなる。


彼女にとっては結果論かもしれないけれど、21歳から33歳くらいの間に出産をしたということになる。

女性の身体が出産に適している時期に出産育児をしたのではないだろうか。


でも、先に書いた。

「誰もがそんな風にできないのが今の時代だ。」と。

「女性にとって輝く時間とは?いつなんだろうか?」と、思わされた。


彼女はこれから大学にも行きたい、自分がやるべきだと思えれば仕事もしたい、という。

彼女はこの人と思った人が外国人だろうが、仕事よりその人と一緒にいることが自分の人生だと

決めて自分の選択に正直に生きてきた。

今の環境が将来あるかどうかも保証されていたわけでもないのに。


今の環境は結果に過ぎないけれど、日々の積み重ねの結果ではある。

彼女が自ら得たもの、獲得したものだ。


外国での出産、子育て、教育、楽な事ではないだろう。

多分、芯の強い人なんだろう。

自分に自信のある人なんだろう。

自分のしたいことがはっきりと明確な人なんだろう。


人生を計算した、計画した訳(計画出産はできなくもないが)でもなく自分に正直だったのだろう。


女性が思春期を経て、身体が出産準備ができる時期、恋愛感情が芽生える。

これは身体的に”種の保存”に適した時期だという。

”一緒にいたい、この人が好きだ”という時期は人生の中ではそんなに長くない。


実際、夫婦になっても、”この人の子供を欲しい”という時期はほんの短いものだと思う。

これは神が男女をそう造られたとも聞いたことがある。


だから、自分の感情と身体の準備とが整った時、女性は男性を好きになる。

その逆も然り。


話は長くなったが、彼女の話を聞いていて以上のことがすんなり思えた。

彼女は「輝く時間」を正直に手にしていたのではないだろうか?


全て、個人の意見ですが、彼女はこれからもっと人生の意味を、深く、違う味としても味わうことができると思います。


子供が一個の成人した人間になることの素晴らしさは育ててみて初めて教えられることだと思います。

これからも楽しみですね。




















2020年01月16日

縁起物。

旧年中、我が家を見守り続けてくれた縁起物を神社に納める習慣がある。

新年の初詣の際、干支の置物を納め忘れてしまった。


ゴミとして捨てるのは考えられないので、初詣の神社でなくても、納められる神社があれば

納めさせてもらいたいと考えながらも日にちは経っていく。


そんな中、他の用事で行った先が時々お参りする神社だったので、初詣のつもりでお参りすることにした。


参道の脇の駐車場を後にした途端、「縁起物集積所」のテントが目に入った。

「え?まだ受け付けているの?」

と、驚くやら嬉しいやらで、近づいてみた。

「1月13日迄受付」

と書かれている。


「ああ、成人の日の祝日までだ。」

でも、その縁起物は自宅に置いたままだ。



「これは、何かの縁だ!(勝手に)」

と、期日までに持ち込むぞ〜、と決めた。


翌日は良く晴れた。

善は急げとばかりに、午前中に神社に走った。


昨日、

「縁起物納めさせて頂きます。」

と、心の内でお願いしてお賽銭を置いてきた。


その集積所では有料ではないらしく、簡単な賽銭箱のような箱があったが、誰もが

何某かを納めていくようでもなかったが、私は気持ち程度のお礼をして昨年の縁起物を納めめさせて頂いた。


周りを見ると、中身は「縁起物」らしい袋を持った人が次々とテントに向かって歩いていた。

私よりも余裕を持って納めに来ているような雰囲気なので、

「そうだ、この神社は毎年昔から言われている小正月、15日まで旧縁起物をまとめて厄払いして

焼くなどの形をとってくれてるのだろう」

と理解した。

縁があってよかった。


空の色と同じ様に気持ちがすっきりとして感謝の気持ちが湧いた。

DSC_1531.JPG


今年はこの神社に縁がありそうなので、何かの折には訪ねよう。


この神社は毎月末「骨董市」が開かれる筈だ。

忙しさに紛れて暫く来てなかったが、今年はもっと意識して来たいと思った。

ありがとうございました。







2020年01月15日

選択。

いつもはあまり行かない大型ショッピングセンターに行った。


同じ方向に用事があったのと、お正月の混雑からは静かになっただろうということで、

時間があったので観察がてら寄ってみた。


このショッピングセンターは駐車場が広くて、停めたフロアーと場所を確認しておかないと

自分の車を広範囲に探さなくてはなりかねないのであまり好きではない。


実際に探している人を見たことがある。

そして、食料品の売り場を売りにしていないので食料品の種類が少ないのであまり利用しない。

しかし、フードコートは広く、小売り店舗の種類は多く、「ZARA」とか、「H&M」とか「ユニクロ」、「無印」など、

有名な店舗が入っている。

th[1].jpg


だから、この時期SALEしていることもあって若い女性などは熱心に品物選びしていた。


その中の「ユニクロ」も「無印」も他のショッピングセンター内の店舗より広くて品数が多い。


私は他店舗の「ユニクロ」も「無印」も頻繁に覗いている。


だから、広さがあると、違いは何だろうと観察した。

だいたいいつも見ている商品なので、別に新鮮でもない。


気付いたことは種類でなくて、量が多いだけなのだ。

その分、店内を見て回るのが疲れる。


それと、陳列されている場所がいつもとは違う(当たり前)なので、お気に入りの商品に辿り着くまでに時間がかかる。


だから、誰かが言っていた法則が頭をよぎった。

「大量のキャンデーの中から二つだけ好きなものを選びなさいと言われたら相当迷う。

しかし、10個位のキャンデーの中から二つを選ぶのならさっさと選べるだろう。」

というようなことだ。


いつもの「ユニクロ」、いつもの「無印」なら”選択し易い”のはきっとそんな法則なのかもしれない。

「広ければ、大量に品物があれば、良いってことでもない。」

と、広い店内に立って、

「でも、商品の種類は変わらないなあ・・・。」

と眺めた。














2020年01月14日

年賀状2020#4「作品」

私の人生の中で物作りという分野がある。

絵を描くことが好きだったことから(独学ですが)美術館や展示会場には分野を問わず出掛けて行っていた。

そんなことから制作者本人や、いろんなグループ活動をしている人達との出会いがあった。


2019/11/24投稿した、

「もう一度会いたかった…。」

という記事にも書いたが、木版画の先生との出会いで生徒として教えて頂いたこともある。


また、それより以前、やはり絵を他の方法で表現したいと模索していた頃「銅版画」という手法を勧められて習ったこともある。

銅板に薬品を塗りその上から細い線を表現できるのが絵を描くことに近かったので自由工房という美術館の一部屋で、

同じ想いの人が集まって作品作りした。


私にとっての銅版画の欠点(というより日常から離れているというべきか)は薬品を確保できる場所と

大きなプレス機が不可欠ということだった。


どんなに小さな作品でも畳1畳分はある機械の塊であるプレス機は不可欠だ。

何とか個人でもプレス機を持っていたアーティストの方に習ったりしたが、そのご本人が作品制作だけでは

生活が成り立たないということで、中々継続的に教えて頂けなくなって、自然消滅してしまった。


長々と前説を書いてしまったが、それでも続けている人がいる。

写真の仕事をする傍ら銅版画を続けている若い女性だ。


一時期は一緒に作品作りをしたので彼女の個展には遠くても必ず出掛けていた。

そんな関係だからか、彼女の年賀状は1枚1枚気持ちを込めて制作した作品なのだ。


綾さん手紙.png


岩科綾.png


葉書より小ぶりな作品だ。

貴重な1枚だ。


そんな作品を、毎年毎年送ってくださる。

お仕事の合間に作品作りをしている彼女の姿勢に頭が下がる思いだ。


制作することの難しさ、大変さが解るからこそ、頂いた1枚は貴重な「作品」なのだ。

手元には6枚が保存されている。

それ以前は葉書だったのかもしれない。

遡って整理した年賀状を調べてみなくてはいけない。


個展の時には1枚の作品として会場を飾る作品なのだ。

そんな、封書に大切にしたためられて送られてくる年賀状を心待ちにしている自分がいる。

2020年の初め、今年も届きました。


大切な作品を本当にありがとうございます。

大切に大切に保存していますが、もう、作品ごとに額装するべきだと思っています。


額装するのも楽しみになってきているのです。

本当に嬉しい春です。











2020年01月13日

初ジム。

2020年が明けて初めてのジム行きとなった。

2020/01/07からだ。


相変わらずのメンバーが一緒だった。

お互いに、

「いつも変わらない(変わり映えのしない)メンバーが揃ったね。」

と、冗談が行き交う。


本当に、ジム内は貸し切り?と思われるほど、いつものメンバーなのだ。


そして、お正月の過ごし方を紹介し合い、また今年も元気に筋トレに励もうと、確認し合った。


ジムのトレーニングは、個人的なもので、みんな其々使う器具も違うし、鍛える箇所も

其々だ。


周3回と決めて、上腕部、脚、背中などと、それぞれの日に違う箇所をトレーニングすると決めている人もいるし、

バイクやウォーキングを中心に体力キープに重点を置く人もいる。


私は体力キープ組なので、身体全体を平均的に使うようにしている。


初ジムだからといって昨年と変わらない佇まいだが、私から見ると驚いたことがあった。


昨年の大晦日にも、元旦にもジムの利用者はいるのだ。


利用者は受付で必ず日付、氏名、入退出の時間を記入が義務付けられているので、

そんなことが明らかなのだ。


管理者は休暇中でも、個人の責任でジムは利用できるようになっている。

だからお正月と言えども、利用者はいたのだ。


まあ、

「正月は暇だ。」

と、いう人はいるので、通常通り体調を変化させたくないとトレーニングするのだろう。


でも、暮れから正月の忙しさ半端ではない主婦の私のような者からすると、羨ましいような、

新年という切り替えがなくて寂しいような、微妙な気分ではあった。


旧年に感謝し、新年に新たな希望を持って神社に参拝したからこそ「初ジム」という新しい気持ちも持てるので有難いようには思った。


皆さんと新年のご挨拶を交わし、新しい気持ちでトレーニングを始めました。

150827_162400.jpg





2020年01月12日

猫とのバトル。

猫は草を食べて吐く習性がある。

散歩の時は繊維のありそうな草を選んで食べている。

家の庭でも食べている。

DSC_0587.JPG


そして、暫くすると、身体全体を大きく揺らせて、あるいは「お〜!」という声を発声して

食べた草を吐く。

それで、終わりではない、必ず2度目がある。

2回吐くとスッキリした様子を見せ、何事もなかったようにまた散歩を始める。

こうした、屋外で吐くのは習慣として受け入れて後で掃除しておけばよい。


しかし、これを家の中でもやるのだ。

ベランダに置いてあるプランターに生えている草もその標的なのだ。

背伸びしておあつらえ向きの草を選んでムシャムシャ。


その時は後何分かしたら吐くぞ〜!と身構えて猫の口元にティッシュを準備する。

すると、

「邪魔だな〜!」

みたいな様子を見せながらもそこに吐いて事なきを得る。

この時も2回目まで準備する。

しかし、いつもうまくいくとは限らない。



猫も邪魔されるのが嫌なのだろう、逃げる。

「うっ、うっ」

と吐きそうになりながらも逃げる。

「勝手に吐かせてよ〜!」

とでもいうように逃げまくる。




こちらは、後の始末が大変なので追う。

それでも猫は逃げる。



追いかけっこなのだ。



猫ももう我慢できないと立ち止まるのでティッシュを口元に用意する。

吐いてもらえば、それでいい。

習性なのだから。



だけど、…以上のようなことを私の知らぬ間に、絨毯の上にとか、階段の途中にとか、

ソファーの裏側に、とかされると、気持ちは萎える。

「あ〜あ。」

という気持ちになる。



サッシ戸の敷居にしてあったのを見つけた時は、(餌を食べた後でその内容物も含まれていた時)

「これは、大事のお掃除になるぞ〜!」

と、覚悟を決めたこともある。


とに角、猫は吐く。

それで、猫の体調がいいのなら、といつも受け入れているけれど、巷の猫の飼い主さんはそんなことは

感じていませんでしょうか?



我が家の猫が異状なら心配ですが、よく言われることは、

「猫は自分で毛繕いするので、その毛を吐くために、草を食べる。」

らしいので、それだと思っているのですが、家の中では少々辛いです。








2020年01月10日

年賀状2020#3「アイデア」

アイデアに笑った年賀状!NO.1

2020アイデア年賀.png


笑ったというより、一気に読む人を楽しませる年賀状に、

「わっ!素敵!」

と、差出人を確かめた。

もう、何年?何十年?とお会いしてない、元水泳のインストラクターの男性だ。


いつでも、独りでも、できる趣味の一つとして数人で個人的に水泳を習った。

絶対にクロールを泳げるようになりたい!と習った。


本当に、丁寧に教えて頂いて、その後思惑通り独りでもプールに行って泳いだり、

泳げる人に誘われてプールに行ったりと生活の幅が広がるキッカケを作ってくれた水泳の

先生なのだ。


今は遠く離れた都市で、健康に関する講師などされているとのことだが、楽しく頭を使われて

いることが伝わってくる。


こうなると、年賀状ひとつとっても、

「面倒だ」

などと捉えない、

「いかに楽しもうか」

と、頭をひねって?いる先生の様子が想像できる。

じ〜んと伝わる温かさがいいな〜!

ありがとうございました〜!











ファン
検索
<< 2021年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。