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2020年01月30日

「散歩行かな〜い!」

猫、朝イチの散歩拒否。

私は散歩の準備を全て済ませ、猫が玄関に来るのを待っていたにも拘らず、遠巻きにしていて、

挙げ句暖かいだろう場所に移動。

屋外11,4℃、屋内15,1℃。

そうだ、寒いから嫌だということなのだろう。

雨も降っている。


一日に一度は外の空気や人の行き交う様子を感じるのもいいかなと毎日、毎朝続けている散歩も、たま〜に、

「行かな〜い!」

と、振られてしまうことがないわけではない。


猫にも何かの理由があって

「休みたいな〜。」

と、言う日があるのだろう。


そんな日は、

「分かったよ、行かないにしようね。」

と、猫の気持ちを優先する。


ご近所で、家屋の建て替え工事を始めて、重機が入ってきて大きな音が響いている時も

あまり出たがらない。

工事関係者が大勢いて、大きな声が飛び交う時なども行きたくないらしい。


最近のぐずついたお天気で、寒く雨が降ったりしていると、一旦出ても超スピード散歩して

「もう、家に入る〜!」

と、玄関ドアーの前に陣取って、お散歩終了のアピールをする。


年齢的なこともあるのだろう、18歳だもの外で緊張するのも嫌なのだろう。


だから、行くのも帰るのも、行かないのも、彼の気持ちに添っていてあげようと思っている。


結局、そのままホットカーペットの上にぺた〜っと寝そべって毛布を被ってぬくぬくとしていた。

DSC_0018.JPG


ちょっと前足の先が出ているが安心しきっている。





2020年01月29日

名前で呼ぶこと。

苗字でなく下の名前で呼ばれていますでしょうか?


全国的に多い苗字の「鈴木」「佐藤」「高橋」さんなどは同じクラスに何人もの同じ苗字

の生徒がいる場合は下の名前で呼ばれていたという人が結構いるようだ。


それでも、慣れるまではお互いに苗字で呼び合ったりしているものだ。

「鈴木さん」がもう一人の「鈴木さん」を「鈴木さん」と呼ぶ。


でも、そんな中でも、

「呼びにくいな〜。どっちかすぐわかってくれるかな?」

なんて思いながら呼んでいることもあるのだろう。


私も、どちらかというと多い苗字の内に入るので、どんなグループにいる時も結構下の名前

で呼ばれる確率が高い。


だから、慣れもあるかもしれないけれど、他の人よりもいつの間にか下の名前で呼ばれている。

反面、いつまでも苗字で、という人もいるけれど、それはそれで普通の事だと気にもしていない。

私との関係性の上で好きなように呼んでもらっていい。


そんな中、気付くと早い内から下の名前で呼んでくれていたのがジムのインストラクターの方だった。

すると、何だか関係性が柔らかくなっているように感じ、親しみも湧き易い。

フランクに話ができる。


そして、先日お互いの連絡先を交換しようという人がいて、もう何年もジムで会うようになってるからいいかな、とLINEの交換をした。


その時に、

「いつまでも、苗字で呼ぶのも親しみやすくないから、下の名前で呼んでもいいかな?」

と、言われた。

多分、インストラクターの方と同じような意味合いからだと思う。

私は下の名前で呼ばれることが多かったので、苗字が苗字なので今までそうだったことを

説明して、

「どうぞ、どうぞ、私も、その方が嬉しいです。」

と賛成した。


その後、まだお互いに慣れてはいないけれど、気を遣うことなく周りの方からも

下の名前で呼ばれるようになったら嬉しいなと思っている。


こういうことって、クラスの先生の呼び方でクラス中に浸透したりするので、誰かが使い方を

貫いていくと名前もニックネームもあだ名もいつの間にか本人と同化してしまうものなんですよね。



外国風に言えば、「ファーストネーム」苗字の中でもその中の個人を指す名前。

外国に行けば「ファーストネーム」以外では呼ばれない。


日本でも、下の名前を意識してもらう方が個人としては嬉しい。


15283079263_cb594bec82_z[1].jpg



こんな記事もあったので添付します。↓

「ファーストネーム(first name)とラストネーム(Last name)の意味と使い方」

https://eigo-support.com/first-name-last-name/
























2020年01月28日

何故いつまでも道路工事?

「昨年の道路事情と今年のと。」

2019/12/20に投稿した記事。

2018/11月にも感じていたイライラを2019年にも感じていたと書いた。

2020/1月にまだ感じていている。

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158_158_1_ffffff[3].jpg


一体何の工事なのか?と確かめる気さえなくなり、早く迂回路を回って

走り去りたい。


自宅に帰り着いた、と思った場所で、

「その先を左折するだけです。」

と、警備の人と話すと、

「そこは左折できません。」だと。


毎日毎日昼間の工事だ。


幹線道路の工事中も多い。

国道を走っていると、100m位先で旗が振られている「左車線に寄れ」と。

2車線あるところでは左車線のみ通行可能になっても、それで迂回しなければならないのではない。

通行中の車は少しずつ左車線の車の間に入れてもらうことを譲り合って通過する。


しかし、住宅街の一方通行の道路が多い場所では完全に「迂回」するしかない。

自宅が見えている場所でもだ。


「またか!いつまで工事してるの?」

と、苛立つ。


夕方には一旦?片付いて、また日中になるとお店を出すかの如く工事を始める。


「通行禁止」なら、従うしかないが、日本中こんなやり方がまかり通っているのかと疑って

しまうほど、道路工事のやり方は変だ。







2020年01月27日

名の無い家事。

炊事、洗濯、掃除などだけを家事だと思っている家族は多いことだろう。

特に共働きの家庭の主婦は大きい声で叫びたいだろう。

「家事はそれだけじゃない!子供の学校関係への出席、町内会の仕事、その他にもっと

ある!」と。


それが、「名の無い家事」だ。


現役を退いて毎日家にいる夫を抱えた主婦はもっと大きな声で叫びたい。

「今まで通りで家が回っていくと思わないで欲しい!」と。


何か頼むと、そのものがどこにあるか訊いてくる。

先ずそこから教えないと事は進まない。


「初期設定」家中の物の収納場所が分からない退職後夫たち。(特に妻が専業主婦だった場合全て引き受けていたので)

今まで全てのことを妻に任せっきりで働いていた夫達の場合。


家に居られる時間を確保できたなら、妻と同じように家事はして欲しい。

”できる家事”をして欲しい。


例えば・・・・。

電池の入れ替え。

洗濯機がする洗濯。

洗濯洗剤の残りを見て次の洗剤の準備。

庭の水遣り。

ティッシュボックスの交換。

トイレットペーパーの交換。

風呂用のシャンプー類の詰め替え。

石鹸の準備。

新聞、古紙の整理。

風呂掃除等々・・・。

台所の準備品ときたら夫族には想像もできないだろう。

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趣味が忙しいという人でも、上記のことくらいできるだろう。


しかし、男性でもできることはまだまだある。

器用な人なら家の修理、メンテナンスなどもできる人はいるだろう。


私は今回、お布団のカバーの交換をしてもらうことにした。

何故か?頭を捻って苦心するのだ。

でも、いい、時間がかかってもいい、最後までやってもらうことにした。


掛布団の羽毛布団のカバー交換なんていったら、もっと頭を捻っていた。

でも、いい、苦戦してもいい、これは「脳」を使う作業だからだ。


予想と段取りと作業が一致しないとカバーを装着できないのだ。

端で覗いてみて、

「ああ〜、脳トレになるな〜!」

と、確信した。


羽毛布団の掛カバーには内側に布団から出ている”輪っか”に留める紐がついている。

両方を結んでカバーの中で布団が丸まってしまったりするのを防ぐためだ。


だから、作業はカバーの裏側からする、布団も裏側から始めるとやり易い。

裏同士を合わせて作業開始。

裏と裏を合わせて最後に包むようにひっくり返す。

で、表側が出てくるという作業だ。


そういうことが設定できないのだ。

主婦だって誰に教わるのでもない、自分で考えるのだ。



結局どうなったかというと、紐と輪っかはお構いなしで、袋に布団を投げ込むように

入れてあった。

自分で使ってみるといい!と思った。

怒りと共に。


見るに見かねてやり直したけれど、それで、普段主婦のやっていることを想像できたかどうかは分からない。



上記に書いた諸々の家事も一部品物を目の前に置いて、

「はい、交換しておいてね!」

と、促すも、その日の内にできることはほぼない。


夫でも妻でも子供でも、一家のメンバーであるならば、目の前にある家事はするべきだと

思う。

ゴミがあっても、拾わない、誰かがやるだろうという人がいる。

私はいつも言う、

「ゴミを跨がないでね!」と。

これ、名もない家事を引き受けるという精神の代表であり、基本精神なのです。


と、いうことで、脳トレを兼ねた夫へ家事トレーニング真っ最中です。

(やらないよりは、やはり効果が出るようです。)








2020年01月26日

優先順位。

息子の家でも猫を飼っている。

家が留守になる間、猫の面倒を見て欲しいと要請があった。

我が家にも猫がいるので、連れてくるわけにいかない。

彼の家は保護猫を引き取って、3匹いる。


何があっても「猫ファースト」なので、勿論引き受けた。


普段の日常の中に、彼の家との往復と作業(トイレの掃除と餌の補給と水替え)

と、人間が寄り添っているという安心感を持って貰うために少し遊びの時間を入れると、1時間半強の時間は必要だ。


私の日々のルーティーンの中にその時間は結構きつい。

でも、生き物である猫のことを思うとお腹を空かせさせるわけにはいかない。


そんなことで、下見がてら餌の収納場所やトイレの砂の保管場所、扱い方等々、説明を受けてきた。


抱っこを嫌がらない猫もいるし、顔が合っただけで、逃げていってしまう猫もいる。

3匹とも性格は其々のようだ。


私は彼等の環境を整えてあげればいい、いつも通りに安心して過ごせるようにしてあげたいだけだ。


休日で家にいた息子と久し振りにじっくり話ができた。

最近の仕事や日々の諸々のことに話は広がり、夫と話すよりも話は弾む。

そんな中で、私と時間に対する考え方が一緒だと思う箇所に驚いた。


時間の使い方についてだ。


大まかに言えば、晴れている時に外ですること、雨の時に家の中でできること、今頃の季節ならば太陽が出ていて

暖かい内にするべきこと、陽が沈んで辺りが暗くなったら家でできることは何か、と其々個人の仕事量を如何に配分して

一日を、一週間を、一か月を過ごすかと常に考えているかということだ。

日々の中での優先順位だ。


誰かと約束した時間と、次にやりたいことがあって、丁度その間に隙間の時間ができたら

何かできること、しなくてはならないことがあったかな?と、そんな時間もきちんと利用したい。


彼もそうだが、私もで、どうもじっとしていられない。

動いていないと死んでしまう「マグロ」のようだと言われることもある。


「マグロ」でも、「カツオ」でもいいのだ、ぼ〜っとして時間を過ごしたくないのだ。

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彼もよく動く、人のためにも良く動く。


動く人程、一つの事にかかる時間を予想して上手く時間を使うようになる。


よく言われることが、「仕事を頼む時は忙しい人に頼め」ということがある。

成程!と納得した。

忙しい人は時間を上手く管理して動くからだろう。


忙しいからといって飼い猫や、飼い犬や、鳥など、の世話を放り出すなどのことがあってはならない。

忙しさの中でも、自分の時間がやりくりできない時は今回のように、できる人に依頼しておくことも時間の使い方だ。


まあ、こういうことで、お互いの考え方が似ていることを発見できて、何だか嬉しかった。























2020年01月25日

今朝も定点観測?

いつもの時間に飛行機が今朝も見える。

猫の散歩していると、どちらかというと猫の背中、つまり下ばかり見ることが多い。

猫は草を食べたり、外猫さんの匂いを嗅いだりに夢中だ。


私は傍らでストレッチしながら猫の様子を見ている。

そんな時首の運動も兼ねて上を向いたりする。

お天気のいい日は朝の空は真っ青だ。

2017-12-29冬空.JPG

すると、機体を反射させながら飛行機が北東の方角に飛んでいるのが目に入る。


そういえば、いつもこの時間だ。

午前8時10分だ。


散歩と、居場所は日々のことだから少しは変化しているが、空は広い、多分どこからでも

見ることはできる筈だ。


でも、この飛行機を見る場所はだいたい、お隣の裏庭にいる時だ。

(お隣の住人には許可を頂いている。隣人も殆ど使わない庭。)


雲っている日は見えないが、こうなると定点観測に近い。

散歩が通常通り行われているか、逆に飛行機は何のトラブルもなく通常通りに

飛んでいるか。

どちらから見ても(飛行機は関知していないが)、定点観測だと、勝手に思って

飛行機を見送る。







2020年01月24日

「ウィンドウズ7」のサポート終了。

2020/01/20の新聞のコラム欄から。

「以下引用」


 日常生活でパソコンを使うといえば、インターネット上のサイトを閲覧したり、メールをやり取りしたり、

文書や表を作成したり、ゲームや映像を楽しんだりというのが主な使い方ではないだろうか


 ▼それぞれ専用のアプリケーションソフトを起動する。そうしたアプリを土台で支えるのが基本ソフト(OS)といわれる。

機器とアプリを結びつけ、入出力の制御やファイルの管理などさまざまな機能を果たしているそうだ


 ▼広く普及しているOSは「ウィンドウズ」シリーズ。そのうちの「ウィンドウズ7」のサポートが終了した。

これまでセキュリティー上の欠陥を修正するプログラムがメーカー側から提供されてきたが、今後はなくなる


 ▼そのため、パソコンがウイルスに感染し、乗っ取られてサイバー攻撃に悪用されたり、個人情報が盗み取られたりするなどの

危険が生じるとされる。ウィンドウズ7を搭載するパソコンは国内にまだ約1390万台残っているとみられるという


 ▼サポート終了には納得できないという人もいようが、犯罪やトラブルに巻き込まれたら大変だ。発売開始から10年余。

OSにも消費期限があると考え、最新OSの「ウィンドウズ10」に移行した方がいいだろう。ただし、

古いパソコンの場合は買い替えが必要になるかもしれない


 ▼もっともメールの送受信や動画の鑑賞ならスマホやタブレットで十分だ。初心者には難しいが別のOSに乗り換える方法もある。

まずは安心できる使用環境を整えたい。ウイルス対策なども十分に行っておく必要がある。

K0001203484[1].jpg



友人が悩んでいた問題がコラム欄にあって驚いた。

上記の内容の話をしたばかりだった。


「ウィンドウズ7」のサポートが終了したから、ノートパソコンのOSをアップデートできるのか、

それともPC自体を買い替えようかと悩んでいるという話を聞いたばかりだった。

その人はデスクトップPCと併用しているので外出時のノートパソコンのことで悩んでいた。


サポート終了とは、カスタマーセンターなどで困った時のサポートなのだと認識していた私は、

これまでセキュリティー上の欠陥を修正するプログラムがメーカー側から提供されてきたが、今後はなくなるということだと知った。

サポートがあるということは、いつもアップデートされて不具合のない状態で使っていられるということなのだ。


そうでなければ文中で言われているように、

「パソコンがウイルスに感染し、乗っ取られてサイバー攻撃に悪用されたり、個人情報が盗み取られたりするなどの

危険が生じるとされる。」

状態で使うことになるのだ。


怖い。


私のOSは「ウィンドウズ10」だが、いずれサポート終了という日も来る筈だ。

その時はまた、PC買い替えか次のOSにアップデートできればするのだろう。


SNS時代のPCもスマホも便利には違いないが、現在の機種が永久に使えるわけではない。

スマホなど、電池が無くなり易くなれば、本体の機種変更するしかない。


以前のガラ携時代は電池を替えれば本体の機種を替える必要もなかった。

何か、消費者ってメーカー側のシステムに乗るしかなくて弱い立場にいるんだなと思う。


PCも、スマホも買い替え時は、いろいろとストレスを抱える。

使うのは便利だけれど、環境を整える時のことを考えると憂鬱になる。











2020年01月23日

アクションとリアクション。

最近「人」の一生について、よく考えるようになった。

若い頃は「生きるとは何か」なんて哲学的な本をかじったりして将来を夢のように考えたりしていた頃もあった。

頑張れば結果が付いて来るとか、目標を持ってそれに近づくようにしようなんて青臭いことを真面目に思ったりした。


それからウン十年。

祖父母、両親、叔父さん叔母さん、従兄弟、同級生、親友、等々が亡くなった。

「人」の一生の最期まで見せて頂いてきたということだ。


あの人の生き方、あんな生き方をした方の死に方、最期の様子などに接してきて、単純に

「人は誰でも死ぬんだ」と、普通に生きてきた人がいなくなることを実感し続けた。


自分の人生も残りの日々の方が少なくなっていることを意識する。


そんな中で感じることは、人生って意外なことが起こると思うことだ。


結構、上手く人生が回っていたと思われてきた人が、人生後半になってまさかと思うような病気になって

苦しまれたり、前半、途中は上手く回らなかったが、後半にはその人には想像できなかった優秀な孫に恵まれたり、

或いは資産形成が上手くてこれからそれを遣うのだろうと思われた人が一晩の内に亡くなられたり、といろいろある。



想像通り、思い通りにならない、びっくりするような、ドラマのような、いやそれ以上のことが起こるのが人生?

と我が身、周囲を振り返ってしまう。



そんなことと、令和時代が始まって、平成時代をバッシングする内容が徐々に知られるようになっていることも頭をよぎる。

(主に皇室の問題ではあるが。)



そんなこんなを思っていると、デジタル時代にはない、時計の振り子が想いうかぶ。

我が家の壁には機械的にはデジタルだが、外装は昔のままの柱時計の代表だった振り子時計が毎日その振り子を振り続けている。

(当時のものはネジ巻式で振り子は連動して動いた筈。現在のは独立している。)

「アクションとリアクション」の繰り返しが、時間が刻まれて行くことを表現し続けている。


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参考:

2018/08/04記事「電波時計が狂った」


正しいと思って行動したとして、そのアクションの反動として同じ位の揺れのリアクションが

起こる。

当然だ。



何だか、人生100として前半50後半50、前半の50の中には自己認識がない時期もある。

しかしだからと言ってそこだって含みたい。


生まれながらにして人間は平等ではないからだ。


ではその不平等は一生変わらないのかというと、マイナス分だけプラスとなってリアクション

されるような気もするのだ。

逆に、プラスが多い場合はその分マイナスとなってリアクションとなるのかも。


その時期は、そのキッカケということが人生の中で、どこかにあるのだろう。



自分はどう生きてきただろうか?どう生きているだろうか?

と、常に自省することが必要なのではないかと思うのです。



アクションしていることを考えていたならば、その反動、リアクションがどんなものなのか

想像できるように思うのです。



健康に留意していなければ、健康面でその結果がいずれ出るかもしれない。

自分本位で暮らしていれば、どこかに迷惑を掛けていたことが自分に跳ね返ってくるかもしれない。


よく、ブーメランとなって自分に戻ってくると表現されることもある。


人生上手く回っている時こそ有頂天にならず、その真意を考えたい。


いろんな人にお世話になっていて上手くいっているかもしれないし、日頃の行動が

幸運を運んでくれているのかもしれない。

運もあるだろう。

その運も、その前にしていた行動のリアクションであるかもしれない。


そんなことを考えていると、今起こっているいろんな問題の疑問が解けるような気がするのだ。


長いようで短い人生ウン十年なんてあっという間だ。

50の位置にいればもうリアクションを受ける位置なのだ。


辛く苦しく楽しいことなんかなかったという50までだったとしたら、それを耐えて、乗り越えて

生き抜いてきた知恵や体験が後半の50に生きてくることだろう。

体力がなくなっても、充実した気力は益々発揮できるのではないかと思う。


何も苦しいことも、辛いこともなかった50までだとしたら、その間に学ぶこともなく、体得したこともなく、

体力が落ちていく中で工夫する技術もなく不満ばかり感じるかもしれない。


よく、自分だけ得をしたい、得をしたと喜ぶ人を見かける。

「本当に得なのかな?」

と、端から見ていた。


意地悪かもしれないが、そんな人のこれから先がどんななのか注目されるだろう。

一生を終わる時にしかわからないのかもしれないが、生き方死に方を見せてくれた人々

をも思い浮かべて、私は学びたいと思っている。



アクションにはリアクションがある。

そう考えると日々の些細な行動も大切に思えてくる。

人生は些細な出来事の積み重ねだと思うから。









2020年01月22日

ひふみんのニャンぶらり。

「ひふみんのニャンぶらり」


8月5日(月)〜9日(金)[BSプレミアム]前7:00〜7:14


ネコを愛し、ネコの気持ちを察する“ひふみん”こと将棋棋士の加藤一二三さんが、愛猫家のお宅を訪ねて、

ネコと飼い主のお悩みを伺います! さらに各地の“会えるネコ”を紹介する「ネコ紀行」も。

ナレーションは池田伸子アナウンサーと、ネコ好きで有名な声優・神谷浩史さんです。


加藤一二三さん コメント

ロケでは、私が考えた「ネコと仲良くするための心得」を実践しました。

@ 名前を何度も呼んであげる A 姿勢を低くして近づく B 赤ちゃんことばで呼びかける

C 無理に近づかず、ネコが来るまで待つ D クラシック音楽を聴かせる

特に音楽を聴かせるのが効果的で、15年ほど前、ネコにクラシックを聴かせた時は涙を流して感動していました。

飼い主とネコそれぞれに悩みがあり、お互いが助け合って生きているのだと実感しました。

ネコ好きな私にとってはとても楽しいロケばかりでした。ぜひ見てください!

上記引用


現在は、午前7:45からの15分程の時間になっているようです。

猫散歩の前にちょこっと観てますが、お悩みの参考になるのかならないのか?位のゆる〜い気持ちで、

ひふみんの猫への接し方を楽しんでます。


この時間帯は岩合光昭さんの「猫歩き」になったりいろいろ変動しますが、こんなロケもしてる

元?将棋棋士のひふみんの早口なんだか話下手なんだか分からない(失礼!)番組になってます。


取り敢えず、いろんな猫が紹介されるので、どの猫にもその子のストーリーがあって興味深く、可愛い。

DSC_1543.JPG

3匹とも保護猫家族。


DSC_1542.JPG

お悩みの家族のお宅でのひふみん。


スマホに収録されたクラシック音楽を、猫に聴かせる。

ちょっとゆる〜いこんな番組もNHKが作ってるんだな〜と、掲載してみました。






2020年01月21日

猫就寝スタイル・冬。

猫就寝スタイルが安定している。

嬉しいのは必ず私のお布団の中か上で朝まで寝ていることだ。

彼が安定しているのは私も安心できる。


私の就寝準備が整うと、リビングで寝ていた筈の猫が、いつの間にか寝室に来ていて

ベッドの脇をウロウロして、ベッドに飛び乗ろうとしている。

「さあ、寝ようね。」

と、声を掛けると、一目散にベッドに乗って、

「寝る?寝る?」

と、また、ベッドの上でそわそわする。

私がベッドに入ると、安心したように足元に落ち着く。


暫くして、スタンドの灯りを消すと、枕元に向かって猫が向かってきて、私が掛布団の端を上げると

当然のように入ってきて中で方向転換して私の脇にピタッと張り付いた形で寄り添う。


この瞬間が嬉しくて、消した灯りを点けて猫の表情を確かめる。

目を細めてうっとりとしている。

「安心してるんだね?暖かいね〜。」

と、猫に話しかける。

猫はうんともすんとも言わずじっとしてる。

DSC_0154.JPG


私が撫でたり、摩ったりしてると鼻先を手に押し付けて来て、

「これが好きなんだよ〜。」

をアピールする。


私が寝付くまで何度も繰り返し、満足すると一旦外に出て、また入ってくる。

しかし、お布団の上の方が寝やすいのかそこに落ち着くので、用意してあるブランケットを、

全身を包むように掛けてあげる。



私の方は猫に乗られる分重たい。

寝返りも気を遣う。


でも、猫の方も掛布団が引っ張られたりする時も、様子を窺うと、

「ん?大丈夫だよ。落ちないよ。」

と、いうようにこちらを見ている。


掛布団の上の猫は少々重たいが、一晩中近くにいてくれて、寒くないようにブランケットの中に

いてくれるので安心して眠れるのだ。


「猫就寝スタイル・冬」はお互いの体温を感じて”あったか〜い”のだ。

ずっとずっと長生きしてね!








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