アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年02月29日

人生初!

ちょっと恥ずかしい事です。

「ええ〜、そんなこと〜?」

と言われてしまいそうです。


駐輪場で、上段に自転車を停めたことがなかったのです。

JRの駅近くなどでは平地の駐輪になっていたりするのでたまに停めてもそんな必要がなかったりしてました。


しかし、繁華街に停めるとなると今は駐輪禁止ですし、停めるとなると写真のように

上下2段は当たり前。

私が停める必要になった時、”運悪く”下段は空きがなかった。

さて、どうしようと考えても、上段に載せるしか選択肢はないのだから、

「よし、これも経験だ〜!」

と、近くに貼られた”説明書”通りにやってみることにしました。


自転車受けの部分を引っ張り出して後部車輪をはめ込むように載せる。

乘ってきた自転車が結構重いのだと知る。

「よっこらしょ!」

と載せて、平らに上げて押し込む。

暫くすると防犯機能が働き始めるようで、周囲の前輪のタイヤに鍵が掛かった状態になって

緑のランプが点いている。

「ふ〜ん、これでいいんだ。」とちょっと達成感。

DSC_0120.JPG


さて、帰ろうと自転車を降ろそうとしたらガードされていて動かない。

3時間の無料期限をオーバーしているようで、自動支払機に番号を入力すると

「100円」と表示され、100円玉を投入すると、解除された。


こんな駐輪経験は初めてだったので、いちいちが

「ふ〜ん、そうなんだ〜。」

状態で、実のところ面白かった。

そして、できることが一つ増えて嬉しかったのです。


いつもこの駐輪機を使っているだろうと思われる人がササッと操作しているのを横目に

「次は?ああそうか。」

なんてやっている私は鈍くさい人に映ったかもしれないけれど、自分でやり切って

非情に楽しかったのです。

使い方が分からないからと、この駐輪機を避けなくてよかったと充実した気分を味わえました。

本当に、お恥ずかしい顛末ですが、「人生初の駐輪機操作に挑む!」でした。











2020年02月28日

褒められたこと。

二つ重なったので単純に嬉しくて・・・、残しておきたくなりました。

一つは時計のことです。

ジムでよく話す女性と会話中のことでした。

「今しているその時計何?」

と、ストレートに訊かれた。


ジムでは半袖でいるので、目についたのかもしれないが、もう、数年同じものを着けているのに初めて訊かれたのだ。

スイス製のブランドのものだ。

買うつもりもなく、友人が関係しているイベントを紹介されて出掛けた時計専門店の「時計フェアー」で巡り会った物だった。

”巡り合い”かもしれないと、こんな時計を持ってもいい年齢かもしれないと納得して、それ以来、使い心地と勝手がよくて愛用している。


何故、そんな風にストレートに訊かれたかというと、彼女は今時計が欲しくてたまらないのだと言う。

だから、興味があって調べたり、着けている人の時計が気になっているのだという。


「着けていて、綺麗だな〜、と思った。文字盤もチェーンも綺麗だし、時刻表示に宝石も付いているよね?」

と、細かく観察していたようだ。

私の感覚としては、「○○ブランド」とはっきりわかるようなデザインではなく、時刻がはっきりわかるデザインで、

メーカーの機能性に信頼が置けるもので、派手でなく、時計の機能を十分に果たしてくれるものを選んだつもりだった。


しかし、彼女は言う。

「やっぱり、見ていて違うんですよ。すごく綺麗なんだもの。」と。


「人は見ているようで見ていない。見ていないようで見ている。」

を思い出した。

「ああ、物に対しても、そんなことがあるんだ。」と。


若い男性が有名ブランドの時計を頑張って買って着けるのは、人から受ける対応が違うからだという話も聞きながら、

時計に対する考え方がその人を表すということもあるのだと彼女は言う。

私は車とか宝石とか、時計などをステイタスだとは思っていない。

ステイタスの為に何かを所有するということはない。


しかし、所有するなら、自分の感覚と合うものを、とは思う。

感覚に合わないのなら要らない。

だから、持ったら大切にするし、生活の中で機能やデザインを十分に生かし、味わいたい。

そうして沢山ではないが一つ一つを吟味して自分の生活に合わせて物を選ぶと、一つ一つがしっくりときて日常が豊かになると思っている。


私からだって、

「わあ、素敵なコートを着ている人だな。」

とか、

「全体のトーンを上手くまとめた着方ができる人だな。」

とか、出会う人、男性、女性に拘わらず見ることはある。


家でも、庭のエクステリアなどにも目は行く。

そうしていろんなことを意識して見ていると、それだけで楽しいし、勉強になる。


多分、彼女も時計に対しそんな時期だったのだろう。

でも、選んだものを褒められたことは、単純に嬉しかったのです。



二つ目はインテリアのことです。

インテリアという程のことではなくて、”部屋”を褒められたのです。

玄関先までで、家に上がったことが無かった方がたまたまリビングに上がることになって、

部屋に入った途端、

「素敵なお住まいですね〜。キッチンや他の部屋への動線も動き易そうでいいですね。」

と、リビングを見回して言ったのです。


丁度夕方で、照明類も点いていたので陰影もあったのかもしれません。

広い部屋でも、豪華な物が置かれているわけでもないし、最近のモデルルームのような

最先端の照明が点いているわけでもありません。


ただ、落ち着いた造りに映ったのでしょう。

天井埋め込み式の照明をハウスメーカーから提案されるままに受け入れるのではなく、

照明器具は一つ一つ選んだものをずっと使っていて、それぞれに明るさを調節できる

ように調光器をつけてあるので、ただただ明るいだけという部屋では無い照明を楽しんでいます。

ハウスメーカーの方が照明器具の選び方を心配したほど小さめの器具を選んだりしたのですが、

天井の灯りはたまに使うだけなので、部屋の必要な箇所にはスタンドを置いたり、

壁の照明をメインにしたりして、

「夜は暗いから夜なのだ・・・。」という傾向で過ごしているからなのでしょう。

DSC_0376.JPG


ハウスメーカーさんが暮らすわけでもないのに、担当の方が全部選ぶなんて納得できないので、照明器具は全て自分で選んだので、

日々非常に満足しているのです。

多分そんな暮らし方が落ち着いて映ったのだと思うのです。


以前も、そんな風に褒めて下さった方がいて(ある商品の営業でいろんな家に伺う女性)

「奇麗にしてますね〜、素敵ですね〜。」と。

午前中の掃除が終わった時間だったので、毎日来る日も来る日も家に感謝する気持ちで

掃除してきてよかったなと嬉しかったことがあったのです。


何でもそうですが、

「見る人は見てるし、見えない人には見えない、見ない。」と思います。


でも、人に見せるから何かをするわけでもないし、自分の日々の暮らし方は自然と表われるものなんだと思うとともに、

褒めて下さる方の言葉は小さな自信となって、これからもいろんなことに頑張って向き合おうという

気持ちを与えて貰えたと素直に受け取りました。

ありがとうございました!







2020年02月27日

乳癌を罹患した彼女。

ジムからの帰途、いつもの大型スーパーで買い物中のことだった。

一人の女性が私をじっと見つめて近づいてきた。

私も目を逸らすことができなくて、よく見てみた。

お互いに名前を思い出そうとしていた。

バレエ教室の仲間だった。


お互いに先生から名前で呼ばれていたのを思い出して、

「○○さん?」

「▽◇さん?」

と、呼び合った。


3年前の春辞めることになって以来だ。

よく覚えていてくれて声を掛けてくれた。


彼女から、

「体調を崩してお仕事を休み、また復帰して、今その帰りなんですよ。」

と、その後の状況説明があった。


同じ場所で、やはりバレエ教室の仲間だった女性に声を掛けられ、ロングヘアーだった女性がショートヘアーに変身し、

とっても素敵な雰囲気になっていたことがあった。


そのことも話すと目の前にいる彼女もそのことは知っていて、

「頭にターバンを巻いて、バレエのレッスンを受けていた。」

と話してくれた。


そんな話をする彼女も、頭に手をやり、

「私も、これウィッグなんですよ。まだ、髪の毛が中途半端に伸びているので・・・。」

と言う。


そう言われてみれば、以前は長い髪をシニョンに結ってまとめていた。


「自分の顔が、やっぱり以前とは違うなと思うんですよ。」

と、言われると、眉毛も抜けるという癌治療の影響は少し残っていたかもしれない。


でも、毎年乳癌検診を受け(普通は2年間に一回でよしとされている。)、結果自分でシコリを発見して治療に進んだそうだ。

その彼女が言う、

「毎年毎年検診しても、癌になる時はなるんだよね。」と。

「そういうことなんだろうね。」と、私。


因みに私は行政から案内がくると必ず検診を受け、2年に一回、マンモグラフィー検査とエコー検査と両方受けている。

エコー検査結果を外科医から受けて異状がないと、医師に言われる。

「また、2年後にしっかりと検査を受けて下さいね。」と。


二人に一人が癌に罹患するという時代、他人事ではない。

私だって明日のことはわからない。


でも、こうして縁あって知りあった人達の現実を前にすると、やはり初期段階での発見

と、その現実を受け入れて生きることが大切なんだと教えられる。


彼女、

「一緒だった先生の教室は辞めざるをえなかったけど、初歩の教室で小学生たちとも一緒にやってる時間帯でまた始めたの。」

と笑顔を見せてくれた。

ballet-2688571_1280-1060x704[1].jpg


治療に埋もれないで、生きる目的もしっかりと持っている彼女たち、やっぱり自分のやりたいことを意識し、

手放さないで生存のみでなく”生きる”ということを考えさせられ、自分の生き方を振り返る機会になっていると思ったのです。


乳癌罹患者のお二人、大好きなバレエ続けていて素敵です!





2020年02月26日

「町中華の名店」だった中華料理屋さん。

2019/10/05「寂しい・・・。」を投稿しました。


ご夫婦で営業されていた小さなレストランが一軒、二軒となくなっていく。

始めは、「臨時休業」からだ。


キッチンを担っているご主人の体調が良くないということで「臨時休業」から始まる。

それでも、営業時間や営業日を減らしながらお店を開いてくれていた。

それが、「休業日」が続くようになる。


「お店大丈夫かな?」

と、心配しているところで、スーパーなどで奥様にお会いして近況を窺うと、

「もう少し、来月には再開できるかな?」

等と聞き再開を待っても「臨時休業」は続く。


他のお店でも、

「ねえ、主人(キッチン担当)がもう、疲れててね、歳なんですよ〜。」

とか返ってくる。

そして、風の便りで閉店したようだと聞く。


そして、2019/10/05「寂しい・・・。」に投稿した中華料理のお店は完全に閉店となった。

ご夫婦で経営されていた奥様が亡くなられたと分かった。


マンションの一画のお店だったので、掃除をしていた管理人のような人にはっきりと

お聞きしたのだ。

病気されても、快復されたらと一縷の望みを持っていたが、それは叶わないものとなった。


ご主人(キッチン担当)は早朝、私が猫の散歩する時間にはお店に通って来られ、奥様は午前10時頃お店に向かう姿をよく見かけていた。

中華料理のお店によく見られる、油っぽさや汚れが全くなく什器から店内隅々までピカピカに綺麗にされていたので、

料理も美味しかったけれど、その清潔感が大好きだった。


奥様はお客さんが食べられなくなる程よく話しかけてくる人で、ニュース性のある話題が

好きなようだった。

その人が突然痩せられて、お店からいなくなり、お店が締まり、ご主人の通う姿も見られなくなった。

定休日以外は昼間からお店の看板ネオンが点いていて住宅街のお店だったので、その明るさが辺りを元気に照らしていてくれた。

だから、その辺りに目が行くと、いつも静まり返ったままで寂しい一角になってしまっている。


ご主人はどうされているだろう?

料理人としての腕を持っているのに、もうお仕事を辞めてしまったのだろうか?

そんなことも心配になる。


そんなこの3軒に共通していることが、後継者がいなかったことだ。

子供さんを持たれなかったご夫婦だった。


誰の人生にだって、必ず終わる日は来る。

特に店舗経営者さんは、その時をどうするかと考えておられただろうと思う。


しかし、突然の病まで想像できたかどうかは分からない。

”手に職を持った”料理人の方の引き際はパートナーの不在はとてつもなく大きな理由に

なってしまうのだとつくづく思い知らされる。

贔屓していたお客さんは多い。

皆さん、残念に思っていることだろうし、あの味をもう味わえないと思うと大きな損失とさえ

思うことだろう。


中華料理屋さんの「回鍋肉」はどこのお店のより美味しかった。

もう一度食べたい・・・・、美しい回鍋肉だった。

OIPRS34ZJ9K.jpg


ご主人がキッチンから、奥様はホールで、

「ありがとうございました!お気をつけて!」

と、送り出してくれたあの光景を幻のように感じる。


閉店が惜しまれる「町中華の名店」でした。

奥様を思い出して、ご冥福をお祈りいたします。






2020年02月25日

続・ナイトライト事情。

2020/02/17に「ナイトライト事情」を投稿した。

2Fの廊下が明るくなり、周囲の暗さに反応して放っておいても適度な明るさが保てている。

使い勝手がよくて、もっと使える箇所がないか吟味して再度買いした。


階段の1F上がり口のフットライトの照度が落ちてきているのでそこにと思ったら、

コンセントの差し込み口がない照明だった。

これは本体を替えるしかないので使えない。


それでは、ということで一番近くにある階段の対面にある差し込み口に目を付けた。

再度買いナイトライトを差し込んでみた。

「うん、いい!」階段の方の照度落ちを補える。

中々明るい。

それも、人の動きを感知するし、

廊下はそれはそれで照明は設置してあるが、いちいちそれを点けるより、いつも足元が照らされていれば間に合うのだ。


DSC_0075.JPG

実際はもっと明るいのだが、暗い中で写真を撮る時はフラッシュが作用してこのような明るさになってしまう。

明るさを感知するというのもこんな時は厄介だ。

埋め込み式のナイトライトは感知しないので、取り敢えず点灯中。


これは屋外にも取り付けられるので中々便利そう。

家の中でも玄関等も暗くなるのを感知点灯してくれるので帰宅が遅くなる時など防犯にも良さそう。

猫がお留守番する時など、どこかの電気をつけて出掛けていたりしたのがこれなら自動点灯で便利だと、もう一つ買いを企んでいる。


玄関ポーチは新築当時から、自動点灯だったが今程多様だったかどうか、それに今は本当に価格が嬉しいことになっている。






2020年02月24日

映画「1917命をかけた伝令」

「1917命をかけた伝令」

https://1917-movie.jp/introduction

8V66_FP_00035A-1-e1581311405215[1].jpg


「全編ワンカット映像」

重要なミッションを与えられた若きイギリス人兵士2人の“一日”を壮大なスケールで描く。兵士たちの息遣い、砂埃舞う塹壕、
四方を飛び交う弾丸…
まるで自分が戦場にいるかのような臨場感で没入し、予測不能のタイム・サスペンスに一瞬たりとも目が離せない。
全編を途切れることなくひとつながりの映像で見せる【ワンシーン ワンカット】。登場人物の感情の流れや
臨場感を表現する<長回し>として多くの監督が【ワンシーン ワンカットの撮影】を取り入れてきた。
本作では、2人の主人公たちの行動に寄り添い、究極の没入感を表現するため、約2か月の撮影期間を経て
【全編を通してワンカットに見える映像】を創り上げた。


「時間が最大の敵」

第一次世界大戦真っ只中の1917年のある朝、若きイギリス人兵士のスコフィールドとブレイクにひとつの重要な任務が命じられる。
それは一触即発の最前線にいる1600人の味方に、明朝までに作戦中止の命令を届けること。
進行する先には罠が張り巡らされており、さらに1600人の中にはブレイクの兄も配属されていたのだ。
戦場を駆け抜け、この伝令が間に合わなければ、兄を含めた味方兵士全員が命を落とし、イギリスは戦いに敗北することになる―
刻々とタイムリミットが迫る中、2人の危険かつ困難なミッションが始まる・・・。


「アカデミー賞受賞キャスト&スタッフが集結」

若き伝令兵を演じるのは、『はじまりへの旅』のジョージ・マッケイと「ゲーム・オブ・スローンズ」の
ディーン=チャールズ・チャップマン。さらにベネディクト・カンバーバッチ、コリン・ファース、マーク・ストロングなど、
演技派俳優が脇を固める。
またスタッフも、『アメリカン・ビューティー』でアカデミー賞レジスタードマーク受賞監督のサム・メンデスを筆頭に、
『ブレードランナー2049』で撮影賞のロジャー・ディーキンス、『ダンケルク』で編集賞を獲得したリー・スミスなど、
アカデミー賞レジスタードマークに輝いた実力者が集まった。


「異次元の没入体験を生み出したサム・メンデス監督」

解禁された約11分間に及ぶ本映像では、第一次世界大戦を体験した祖父の話をきっかけに初の脚本執筆に挑んだという
サム・メンデス監督による本作の題材・ストーリー、そしてワンカット撮影という技法を選んだ想いについて明かすところから始まる。
続けて、スタッフだけでなくカメラに追い回されるキャストの動きも重要となる独特な撮影のなかで主演に大抜擢された
ジョージ・マッケイとディーン=チャールズ・チャップマンが登場し、ジョージが「舞台の芝居と同じ。
間違えたとしても演じ続けなきゃならない。」、ディーンが「実際に台詞が被ることもあった」と明かすように
トラブルが起きても芝居と撮影を続行したというワンカット撮影ならではのエピソードとその実際の本編映像が明かされ、
本年度アカデミー賞で撮影賞を受賞した巨匠ロジャー・ディーキンスが、自身の撮影にかけたポリシーについて
熱く語る姿も映し出されていく。


上記引用。


映画については公式HPから引用しました。

アカデミー賞受賞と聞いた時点で「観たい!」と思っていた。

公開されて予定など調べたら近くのシネコンではたった4日間の公開だった。


最後の日に間に合うように予定を立てた。

最優先順位にいれた。


戦争の臨場感がすごい、と宣伝されていたけれど、あまり気にせずに映画は始まった。


映像は、

「細部に至るまでの徹底したこだわりは、俳優の演技にも大きな影響を与えたようで、主人公のスコフィールドを演じた
ジョージ・マッケイは、「塹壕のリアルさに刺激を受けたよ。」、ブレイクを演じたディーン=チャールズ・チャップマンは
「役と場面に没頭できた。」と明かしており、さらにディーンは「塹壕の撮影は屋外だったから雨を遮るものはなかった。
大雨が降ってきたときに、ふと大勢のエキストラたちを見ると、彼らは軍服を着たまま、少しでも雨をよけようと小さなメタルの下に密集していた。そのときに”100年前もまさに同じ光景だったんだ”と痛感した」と撮影時のエピソードを明かしている。


「観客が体験できるセットよ。実際に塹壕にいるかのように錯覚する。」とこれまでサム・メンデス監督のプロダクションで
様々な作品に参加してきた製作のピッパ・ハリスが自信を覗かせるように、ワンカット映像による撮影のみならず、
美術の細部に至るまでリアルタイムにこだわられた本作の圧巻の映像体験を、ぜひとも大きなスクリーンで体感していただきたい!」


と、公開されているように、自分も泥道を歩くようなリアルな体感があった。

そして、ドイツ軍の残した密室が爆破するシーンは突然で、私は椅子の上で飛び上がったくらいだ。

空中戦で独対英の飛行機の独軍の飛行機が落ちてきてからの一瞬は自分も逃げる!という気分にさえなった。

まだまだ、スコフィールドの伝令は続くが彼の疲労感と責任感がどこまでも続く映像は観客をも休ませない。

突然鉄砲の玉は「ピーン!ピーン!」という高音で襲ってくる。

どこから狙われているのかも分からない中でだ。



書けば書くほど「ネタバレ」になってしまうのでこの辺で止めるが1時間50分はあっと言う間だった。


現代のようにインターネットがない時代、電話線を切られてしまえば伝達の方法はなかった。

最前線の1600人を救うために、たった二人で任務を遂行する。

ブレイクは兄に会えなかったが、スコフィールドはブレイクの遺品の指輪をしっかりと兄に手渡した。

全編、何故こんなに辛い目に合うのに前へ、前へと進むスコフィールドの気持ちに移入して

頑張ってることと、責任感に涙が溢れそうになった。

感動が高まっていったのだ。


メイキングの話を知るとよくここまでできると結集したスタッフの力に感服する。

映画技術者が集まるとここまで凄い映画ができるのだと、やっぱり見逃してはいけないと思った自分を褒めてあげたい。

”映画館で観るべきだ!”と決めて実行して本当に良かった。

今まで観た映画の中で、本当に凄い”臨場感”だった。


スコフィールドが”目を開ける”から始まって、”目を閉じて”終わるシーンが印象的だった。







2020年02月23日

定例の食事会。

またまた一か月が過ぎ、食事会の日がやって来た。

よく飽きないものだと思われるかもしれないのですが飽きないのです。

日常は主婦として毎日毎日基本は3度の食事を作る。


朝は簡単に、とか夕食はご主人の都合で食べないと連絡があれば独りで簡単にとか、ある。

昼食は3度の食事の中にしっかり組込まれている家庭はそれも用意すると言う。

いずれにしても、日に最低でも一回は食事をつくることになるだろう。

そんな毎日を何十年も続けてきた夫婦にとって、日常から離れた”食事を作ってもらう”という

機会がどんなに嬉しいものか夫族に理解できるだろうか?

私達メンバーは堂々と楽しむ!


お店の近くの商店街の例の洋服と雑貨のお店で買い物を楽しむ。

今は冬物が値下がりしていてテンションは跳ね上がる。


お互いに、批評家になってああだこうだと言い合うのも楽しい。

丁度ピッタリの物があって値下げの金額を見て、余計にはしゃぎ合う。

独りでの買い物はそれはそれでいいが、こんな時間も意外と女性同士では楽しいものなのだ。


そうして気分も高揚している中でお食事が待っていてくれる。

夫達のことは完全に頭にはない。

それでいいのだ。

DSC_0088.JPG

季節の前菜三品盛り合わせ


DSC_0090.JPG

海老とれんこん入り里芋団子白だし山葵葛あんかけ


DSC_0091.JPG

〆の特選にぎり鮨


DSC_0096.JPG

場所を変えての「ライムジュース」でさっぱりと。


また来月の予約があると思うと、それまで日々を頑張れるのだ。








2020年02月22日

お雛様の季節。

お食事をしに行ったお店にこんな可愛い雛人形が飾られていた。


ケースに入った4段飾りだ。

内裏雛から始まって、三人官女、五人囃子、と其々がツンとすましていなくて、

みんな三頭身(失礼!)で、一体一体が愛嬌たっぷりだ。

これまた、失礼!

DSC_0092.JPG


三頭身が違和感無く、親しみ易く、和やかな空気感なのだ。

お道具もよく見ると、本物のミニサイズで、手を抜いていない。


店主のお家の持ち物で、ご自宅から運んできたと説明される。

上部右隅に見える”ぼんぼり”に灯りが点いたら素敵だろうなと、

「このぼんぼり点くんですか?」

と、訊くと、

「LEDのちっちゃいのが入るかなと思ったんだけど床に固定されていて動かないみたい。」

と、店主。


毎年ご自宅で飾られるそうだけど、今年はお店に飾ったということで、2月の中旬から

3月3日までできちっと片付けるとのこと。

お嬢さんがいらっしゃるので、

「嫁に行けなくなっちゃうからね。」

と笑顔で話す。


サイズを測ってないので、申し訳ないのですが、大人の大きな男性なら抱え込んで運べる位です。


幼稚園の生徒さん達が揃ってお澄まししてるみたいで、

「おりこうさんですね〜!」

と、声を掛けたくなるような、抱き上げてしまいたくなるような可愛さなのです。


美しい、凛とした雛人形には出会ったことがあるけれど、こんなに可愛らしい

御一同様には会ったことがなかった。


店主さんは”物を見る目”にセンスが溢れているので雛人形の選び方も彼独特なのだ

と感心した次第です。








2020年02月21日

『フジファブリック』のB&G志村 正彦さん。

志村正彦さん。

10年前に29歳でこの世を去った。

NHKTV2020/02/11「ひとモノガタリ」で知った。

medium[1].jpg


概要は以下のようだ。

フジファブリックのボーカルとして活躍したミュージシャン・志村正彦さんが亡くなって10年。
志村さんが残した曲を支えに今を生きる人たちがいる。
彼と同年代の人たちは「失われた世代」と呼ばれ、就職氷河期の中、社会に出て生きてきた。
志村さんの曲は彼らに何を残したのか?


「志村正彦の死因と考えられる病気には何がある?」

志村正彦さんの死因は、突然の死だったという事を考えると、心疾患や脳血管疾患が原因だったのではないかとされています。

特に可能性が高いのは、心室細動や心室頻拍といった致死性不整脈だと言われています。致死性不整脈は、意識不明状態になり、緊急の処置をしなければ、そのまま亡くなってしまう可能性の高い不整脈です。

過度のストレスなどで起こる可能性もあり、忙しすぎたり睡眠時間をまともにとれなかった事や、自宅で倒れていた事から考え、死因は致死性不整脈の可能性が高いと言われています。


「志村正彦は栄養失調だったという説も?」

志村正彦さんは栄養失調だったのでは、とも言われています。フジファブリックのツアーの途中でも作曲をしていた志村正彦さんは、フリスクが主食とも言われていました。

他にも、作曲中に飯を買いに行くのは集中力が切れると本に掲載されていたそうです。また、食べていた時もコンビニ弁当にコーラといったもので、食生活に関しては健康的ではなかったとされています。

そのため、必要な栄養素がしっかりとれていなく、栄養失調で倒れた、栄養失調が原因となり死に至ったのではないかという説もあります。


「志村正彦はパニック障害?精神状態がヤバかった?薬が原因説も」

他にも志村正彦さんは電車に乗ると気分が悪くなるといった情報もあり、パニック障害などだったのではないかとも言われています。

また、睡眠不足で精神的に不安定だったのでは、とも言われています。精神状態が普通ではなかったため、安定剤などの薬を飲み過ぎたのが死因となったという説も出ています。

中には麻薬が原因で、致死性不整脈などに繋がったのでは、という説も出てきていました


上記は、以下のサイトからの抜粋です。

https://career-find.jp/archives/252688



私はこのグループの事は知らなかった。

グループ発足当時からの仲間の思いを中心に「ひとモノガタリ」は語られていた。

しかし、ミュージシャンが29歳で亡くなったと言うことに衝撃を受けた。

それで、いろいろ調べてみた。

気になったのが、

「過度のストレスなどで起こる可能性もあり、忙しすぎたり睡眠時間をまともにとれなかった事や、自宅で倒れていた事から考え、

死因は致死性不整脈の可能性が高いと言われています。」

と、

「必要な栄養素がしっかりとれていなく、栄養失調で倒れた、栄養失調が原因となり死に至ったのではないかという説もあります。」

と、

「睡眠不足で精神的に不安定だったのでは、とも言われています。精神状態が普通ではなかったため、安定剤などの薬を飲み過ぎ

たのが死因となったという説も出ています。」

という部分でした。


規則正しい生活でないことで、上記のような状態は生まれてしまう可能性はあります。


一般人が旅行をたまにする時にも、日常とは異なるので、支度やら時間の変化は多少の緊張を生んだりする。

たったそれだけでも、身体に変化は与えるだろう。


彼等ミュージシャンは、曲を作り、ツアーをやり、という生活をしていたら、規則正しい生活などできる筈がない。

しかし、そういうハードな生活が日常となっているだろう。

ハードな生活も慣れてしまえばハードと感じなくなってしまうのかもしれなくて、それが

怖い事だと思うのです。


だけど、人生で望む好きなミュージシャンの道と健康維持の生活を天秤にかけて、

その、どちらを選択するかは本人なのです。


彼は彼の望む人生を選択したのだろう。

健康であっても、彼の望む道で生きられなかったら彼はあくまでも望む道で成功することを

求め続けたのだろうと想像する。


彼の仲間が、沢山のファンが今でも彼のこと、彼の曲を忘れないでいる。





2020年02月20日

5時間半。

彼女と会うのは約3か月振りだ。

お互いにいろいろと溜まった頃どちらからともなく(今回は私)声を掛けて、

「もう、溜まった頃だよね〜、いつが都合いい?」

と、お互いの都合を詰めて日時を決める。


場所は、ファミレス、ドリンクバー付きが最重要なので、決めてある。

ランチ時は駐車場が満杯になるので、開店と共に入店と決めてある。


食事の内容より、お喋りとそれに、必須なドリンク類なのだ。

hp_menu_c2_011_190912[1].png


食事をしながらも、お喋りの内容はどんどん変わっていく。

お喋りが途切れるのはドリンク類を補充する時とトイレのみ。

あとは、”気まずくシーンとした空気が流れる”なんてことは一切なく、どちらかが喋り、どちらかが聞く。


徹底的に話す日、気付けば5時間半経過。

開店、入店と共に周りにいた他のお客様もすっかりいなくなり、ぽつぽつと2席くらいのみになっている。

店内を撮影し続けて、早回ししたら、私達の席のみ、全く回転していないだろう。


お互いに、多少の愚痴があるのも仕方ない。

しかし、「グチグチ」と続けない。

それを肴に笑い飛ばす!


家事の、買い物、掃除、料理、日常の健康管理、家族の様子など、次々に話は発展する。

お互いの偏らない話の内容と、テンポと、反応に、いい具合のバランスを持って話せるのだ。


テンションがあまりにも違ったり、生活レベルが極端に違って理解できない範囲だったりすることもなく、お互いを理解できる同士。

聞かされるだけでなく、話すだけでなく、会話のキャッチボールを楽しめる相手なのだ。


だから、気付くと、5時間半経っていたのだ。

数か月の間の報告もあるし、理不尽な事への怒りや愚痴もある。

そんな溜まったものを爆発的に発散できるランチタイム併用、ティータイムなのだ。

これだけお喋りするとスッキリしてまた其々の家庭に戻って行けるのだ。


放っておいてくれたお店のスタッフさん、ありがとうございました。









ファン
検索
<< 2021年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。