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2020年03月10日
社会的成功者の男と手先が器用な男。
(A)
仕事上成功者とみなされる会社社長、その職を息子に譲り、その後会長職も引退しても尚会社に通い続ける。
席だけは、社長室の一角に設けてもらっている。
実際の仕事は無し。
かつて親しんだ、会社の取引先の身分が同様な人脈との付き合いのゴルフ行きなどが日課。
あるいは、会社の取引先の人脈の取り持ち役など。
退職金、株など潤沢に保持している。
年齢的には持病も持ち合わせている。
家庭では、殆ど何もしない。
IT機器の活用は不得意。
従って私的な年賀状等の整理や作成、発送などもできないし、しないので全て妻任せ。
かと言って妻もIT機器に強いわけではないので、外部の力頼み。
(B)
一方、社会的な仕事としてはあまり恵まれず、転職も重ねて定年退職時期を迎えたが、潤沢な年金とは言えない老後生活を営む男性とその妻。
自動車の修理などもでき、器用さということでは、家屋のメンテナンス・修理などは自分でこなす。
自宅は古いが、修理すべき箇所はどんな箇所でも自分で直し、リフォーム的なこともできる。
健康面は大丈夫で今の所持病無し。
IT機器に強くて、上記(A)妻と姉弟関係にあり年賀状制作等請け負っている。
(A)妻のIT機器の緊急事態時には解決に関わる。
結果アルバイト的な収入になる。
こういう対照的な男性二人を知って、世の中にはその中間のような男性もいると思うが、実際どちらが生活力があるのだろうと考えてしまう。
(A)の男性は自力でできないことは経済力で解決できることは多い。
(B)の男性は経済力で不足する分は身に付けた器用さで補える。
世の中の一般的な男性はある程度の管理職クラスで引退する時期を迎え、適度な退職金と生活できる程度の年金で
老後生活を賄うのが平均的ではないだろうか。
その後の生き方は千差万別だ。
経済力と健康と、老後の目的意識をしっかりと保持して前向きに生きている人はいる。
しかし、意識を持っても不意の病に倒れることもある。
人生100年時代と言われる現代をバランスよく渡って行ける(今回は)男性とはどんな人なのだろう。
本当の”生活力”って何だろう?と妻たちとの関係性とも考えながら思う。
どちらかがどちらかに持たれっぱなしではなく、お互いに不足して来る領域を補い合えるスキルを持ち、
助け合って暮らしていけるのが理想なのではないかと思うのだが、現役引退後の男性は如何なものでしょうか?
追記:
こういうことを考える時、「ポツンと一軒家」に登場する男性も女性も、山奥で自給自足の生活を送る中、
年中が、季節季節が、一日が、全て生活するための時間になっていて、その為のスキルこそ生きるためのものであって、
感心させられることが多い。
便利な生活に慣れれば慣れる程、私達は元々持っている生きるスキルを放棄してしまっているのかもしれない・・・・。
仕事上成功者とみなされる会社社長、その職を息子に譲り、その後会長職も引退しても尚会社に通い続ける。
席だけは、社長室の一角に設けてもらっている。
実際の仕事は無し。
かつて親しんだ、会社の取引先の身分が同様な人脈との付き合いのゴルフ行きなどが日課。
あるいは、会社の取引先の人脈の取り持ち役など。
退職金、株など潤沢に保持している。
年齢的には持病も持ち合わせている。
家庭では、殆ど何もしない。
IT機器の活用は不得意。
従って私的な年賀状等の整理や作成、発送などもできないし、しないので全て妻任せ。
かと言って妻もIT機器に強いわけではないので、外部の力頼み。
(B)
一方、社会的な仕事としてはあまり恵まれず、転職も重ねて定年退職時期を迎えたが、潤沢な年金とは言えない老後生活を営む男性とその妻。
自動車の修理などもでき、器用さということでは、家屋のメンテナンス・修理などは自分でこなす。
自宅は古いが、修理すべき箇所はどんな箇所でも自分で直し、リフォーム的なこともできる。
健康面は大丈夫で今の所持病無し。
IT機器に強くて、上記(A)妻と姉弟関係にあり年賀状制作等請け負っている。
(A)妻のIT機器の緊急事態時には解決に関わる。
結果アルバイト的な収入になる。
こういう対照的な男性二人を知って、世の中にはその中間のような男性もいると思うが、実際どちらが生活力があるのだろうと考えてしまう。
(A)の男性は自力でできないことは経済力で解決できることは多い。
(B)の男性は経済力で不足する分は身に付けた器用さで補える。
世の中の一般的な男性はある程度の管理職クラスで引退する時期を迎え、適度な退職金と生活できる程度の年金で
老後生活を賄うのが平均的ではないだろうか。
その後の生き方は千差万別だ。
経済力と健康と、老後の目的意識をしっかりと保持して前向きに生きている人はいる。
しかし、意識を持っても不意の病に倒れることもある。
人生100年時代と言われる現代をバランスよく渡って行ける(今回は)男性とはどんな人なのだろう。
本当の”生活力”って何だろう?と妻たちとの関係性とも考えながら思う。
どちらかがどちらかに持たれっぱなしではなく、お互いに不足して来る領域を補い合えるスキルを持ち、
助け合って暮らしていけるのが理想なのではないかと思うのだが、現役引退後の男性は如何なものでしょうか?
追記:
こういうことを考える時、「ポツンと一軒家」に登場する男性も女性も、山奥で自給自足の生活を送る中、
年中が、季節季節が、一日が、全て生活するための時間になっていて、その為のスキルこそ生きるためのものであって、
感心させられることが多い。
便利な生活に慣れれば慣れる程、私達は元々持っている生きるスキルを放棄してしまっているのかもしれない・・・・。
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2020年03月09日
生活力って何?
知能指数 IQ と心の知能指数 EQ
知能指数 IQ (Intelligence Quotient) は、20 世紀初頭にフランスの心理学者アルフレッド・ビネーによって考案され、その後アメリカで手を加えられました。
IQ を判定するための知能検査では、バラバラに出される色々な問題を制限時間内に解いていきます。
これらの問題は、ある年齢になると解けるとされるものが多数組合わせられており、成績を以下のように分析すると知能の働きの程度として、IQ を割出すことができます。
知能年齢 / 生活年齢 * 100
10 歳の子供が、15 歳の子供であれば解ける問題のほとんどに正解すれば、IQ 150 になります。
アインシュタイン・ガリレオ・ゲーテの IQ は、それぞれ 173, 145, 185 だったそうです。
しかし、IQ は人間の資質を表すものではなく、訓練や体調により上がったり下がったりします。
そのため、最近では普通学級の授業について行けるか、という知能の遅れを判断するために利用されることが多くなっており、原則として結果は児童に開示していません。
IQ に代わって、脳の働きの指標として心の知能指数 EQ (Emotional Quotient) が考案されました。
IQ と対比するため EQ の名称がよく用いられますが、EI (Emotional Intelligence) と呼ばれることもあります。
アメリカのピーター・サロヴェイとジョン・メイヤーたちが提唱し、研究を進めたダニエル・ゴールマンが「EQ こころの知能指数」を著したことで世界中に普及しました。
EQ は、5 つの能力で構成されます。
•自己認識力
•自己統制力
•動機付け
•共感能力
•社会的スキル
仕事上の成功には、IQ と EQ が 1 : 3 くらいの割合で関係していると言われます。
EQ を高めるには、日常の小さな出来事にも目を向け、感動する習慣を付けることが有効です。
上記引用
最近、本当の?生活力って何だろうとよく考える。
世間でもよく話題になる定年後の夫婦の問題にぶち当たることが多いからだ。
経済力?それとも日常生活を上手く運営していく能力?
どちらも必要には違いない。
どちらも、定年後になってやり直すのは難しい。
現役時代から定年後を見定めて計画しないでいると老後時代を”健やかに”暮らすのは難しい問題を抱えることになりかねない。
何故IQとEQが気になったかというと、老後の生活に必要なことはEQの方だと思うからだ。
きちんとその意味を知っておきたいと思ったからだ。
EQが仕事上の成功には必要となっているけれど、それだけではない。
EQ は、5 つの能力で構成されます。
•自己認識力
•自己統制力
•動機付け
•共感能力
•社会的スキル
となっているけれど、これって仕事上だけではない、引退してからの社会生活には家庭の中でも必要なことだと思うのだ。
引退したから家庭での諸々のことは全てパートナーに任せてのんびり暮らそうではパートナーは今まで以上の責を負担することになる。
だから、「夫原病」なる言葉が生まれるのだ。
夫が家に居る、何もしないで家に居ることによって妻の不満は増大する。
夫が家庭内をも社会の一単位と考えて社会的スキルを持とうとしたら、社会的スキルを存分に成長させてきた(多分)
妻と同等に家庭内の運営を賄うことができる筈なのだが、そのスキルが無い退職者が多いのだ。
これについて、身近な例を次回に挙げてみたい。
知能指数 IQ (Intelligence Quotient) は、20 世紀初頭にフランスの心理学者アルフレッド・ビネーによって考案され、その後アメリカで手を加えられました。
IQ を判定するための知能検査では、バラバラに出される色々な問題を制限時間内に解いていきます。
これらの問題は、ある年齢になると解けるとされるものが多数組合わせられており、成績を以下のように分析すると知能の働きの程度として、IQ を割出すことができます。
知能年齢 / 生活年齢 * 100
10 歳の子供が、15 歳の子供であれば解ける問題のほとんどに正解すれば、IQ 150 になります。
アインシュタイン・ガリレオ・ゲーテの IQ は、それぞれ 173, 145, 185 だったそうです。
しかし、IQ は人間の資質を表すものではなく、訓練や体調により上がったり下がったりします。
そのため、最近では普通学級の授業について行けるか、という知能の遅れを判断するために利用されることが多くなっており、原則として結果は児童に開示していません。
IQ に代わって、脳の働きの指標として心の知能指数 EQ (Emotional Quotient) が考案されました。
IQ と対比するため EQ の名称がよく用いられますが、EI (Emotional Intelligence) と呼ばれることもあります。
アメリカのピーター・サロヴェイとジョン・メイヤーたちが提唱し、研究を進めたダニエル・ゴールマンが「EQ こころの知能指数」を著したことで世界中に普及しました。
EQ は、5 つの能力で構成されます。
•自己認識力
•自己統制力
•動機付け
•共感能力
•社会的スキル
仕事上の成功には、IQ と EQ が 1 : 3 くらいの割合で関係していると言われます。
EQ を高めるには、日常の小さな出来事にも目を向け、感動する習慣を付けることが有効です。
上記引用
最近、本当の?生活力って何だろうとよく考える。
世間でもよく話題になる定年後の夫婦の問題にぶち当たることが多いからだ。
経済力?それとも日常生活を上手く運営していく能力?
どちらも必要には違いない。
どちらも、定年後になってやり直すのは難しい。
現役時代から定年後を見定めて計画しないでいると老後時代を”健やかに”暮らすのは難しい問題を抱えることになりかねない。
何故IQとEQが気になったかというと、老後の生活に必要なことはEQの方だと思うからだ。
きちんとその意味を知っておきたいと思ったからだ。
EQが仕事上の成功には必要となっているけれど、それだけではない。
EQ は、5 つの能力で構成されます。
•自己認識力
•自己統制力
•動機付け
•共感能力
•社会的スキル
となっているけれど、これって仕事上だけではない、引退してからの社会生活には家庭の中でも必要なことだと思うのだ。
引退したから家庭での諸々のことは全てパートナーに任せてのんびり暮らそうではパートナーは今まで以上の責を負担することになる。
だから、「夫原病」なる言葉が生まれるのだ。
夫が家に居る、何もしないで家に居ることによって妻の不満は増大する。
夫が家庭内をも社会の一単位と考えて社会的スキルを持とうとしたら、社会的スキルを存分に成長させてきた(多分)
妻と同等に家庭内の運営を賄うことができる筈なのだが、そのスキルが無い退職者が多いのだ。
これについて、身近な例を次回に挙げてみたい。
2020年03月08日
ウィークデイの動物園。
動物園方面に用事があった。
何かそのまま帰宅するのが勿体ない程の好天だった。
空は澄み渡って真っ青だし、風が強いといっても、看板が舞うような凄さでもない。
とに角、寒くも無く、暑くも無く、外で何かしないと勿体ないという好天なのだ。
最近、チョコチョコと、
「動物園に行こう〜!」
と、考えていた。
子供達を連れていって以来行ってないのに何故か行かなくちゃと思い続けていたのだ。
もう、いつ決行するかだけだった。
もう、何十年か振りになる。
動物園もリニューアルしているようなので一度行ってみたいと思っていた。
帰宅してやらなければならない事は一応済ませてきてるし、暖かい時間帯だし、また延ばしてこんな好天に恵まれるだろうか考えた。
一旦、帰路に走ったが、Uターンした!
これが決心だった、今日だ!という。
歩き疲れるかと思ったが、坂を上ったり下ったりはあったが順路に添って展示動物を見ながらなのでゆっくりと観て回ることができた。
屋外に出ていたインド象。↓
よく躾けられているらしく、”身体検査”中だったらしく前足、後ろ足を台に載せて
飼育係に見せていた。
その後、ご褒美の果物や野菜などが与えられていた。
道路の勾配を利用したキリンの顔が近くに見れる展示。↓
木の枝をムシャムシャ食べていたので、
「こんなに堅い物を食べるんだ〜。」
と、初めて知った。
屋外で気持ち良さそうだった。
北極熊をプールの地下から泳ぐ様子が見れる。↓
見ている間ずっと、
”水中から出て背中から飛び込んで回転して出る”を繰り返していた。
私の気持ちは痛かった。
2頭展示。
ジャガー。屋内のガラス越しでの一頭展示。↓
屋外に出る通路もあるらしく、天井部分をジャガ━が歩くのを下から見ることもできるが、泥や糞が落ちてくることに注意と書かれていた。
することがないのか部屋の隅から隅ををグルグル、グルグル歩き回っていた。
1頭のみで寂しそうに感じた。
飼われるというより閉じ込められているように思った。
やっぱり痛い。
レッサーパンダ。一頭展示。↓
人間が見易いような工夫もされているがパンダは退屈そうに毛繕い。
仲間が見えなかったので家で飼われているペットの方がまだ幸せではないかと、
屋内の施設でもあったので、可哀想に思えた。
触れ合い展示場には山羊、羊が一緒に居て彼等は仲間がいて、屋外で気持ち良く
過ごせそうだったけれど、全体に、
「動物園て何だろう?」
と疑問に思った。
人間側の傲慢そのものじゃないかと。
私は、珍しい動物を見て、有難いとは思ったけれど、こんな風に動物を閉じ込めて
いなければならないのなら、動物園そのものは要らないと思った。
世界中の動物園の中には、広大な場所で動物や鳥類が自然に近い環境を作って生息させて、
人間がそっとそこに入らせてもらうような施設造りをしている所もあるようだ。
それくらいの配慮があって動物が生きられるのなら動物にとってはこういう展示館内に閉じ込められるよりはいいかもしれない。
だから、いくつかの展示場を回って、傾斜地である園内を歩いたことは気持ちがよかったけれど、
動物の生活そのものを考えると、彼等に申し訳ない気持ちになった。
自分があの動物達だったら・・・、一生ストレスの中での暮らしなんだろうと。
動物園って何だろう?
私は、彼等を解放してあげたいとしか思えなかった。
もう、こんな風に生き物、多分気持ちをも持ち合わせている生き物をいつまでも
閉じ込めて展示する時代じゃないと思っている。
何かそのまま帰宅するのが勿体ない程の好天だった。
空は澄み渡って真っ青だし、風が強いといっても、看板が舞うような凄さでもない。
とに角、寒くも無く、暑くも無く、外で何かしないと勿体ないという好天なのだ。
最近、チョコチョコと、
「動物園に行こう〜!」
と、考えていた。
子供達を連れていって以来行ってないのに何故か行かなくちゃと思い続けていたのだ。
もう、いつ決行するかだけだった。
もう、何十年か振りになる。
動物園もリニューアルしているようなので一度行ってみたいと思っていた。
帰宅してやらなければならない事は一応済ませてきてるし、暖かい時間帯だし、また延ばしてこんな好天に恵まれるだろうか考えた。
一旦、帰路に走ったが、Uターンした!
これが決心だった、今日だ!という。
歩き疲れるかと思ったが、坂を上ったり下ったりはあったが順路に添って展示動物を見ながらなのでゆっくりと観て回ることができた。
屋外に出ていたインド象。↓
よく躾けられているらしく、”身体検査”中だったらしく前足、後ろ足を台に載せて
飼育係に見せていた。
その後、ご褒美の果物や野菜などが与えられていた。
道路の勾配を利用したキリンの顔が近くに見れる展示。↓
木の枝をムシャムシャ食べていたので、
「こんなに堅い物を食べるんだ〜。」
と、初めて知った。
屋外で気持ち良さそうだった。
北極熊をプールの地下から泳ぐ様子が見れる。↓
見ている間ずっと、
”水中から出て背中から飛び込んで回転して出る”を繰り返していた。
私の気持ちは痛かった。
2頭展示。
ジャガー。屋内のガラス越しでの一頭展示。↓
屋外に出る通路もあるらしく、天井部分をジャガ━が歩くのを下から見ることもできるが、泥や糞が落ちてくることに注意と書かれていた。
することがないのか部屋の隅から隅ををグルグル、グルグル歩き回っていた。
1頭のみで寂しそうに感じた。
飼われるというより閉じ込められているように思った。
やっぱり痛い。
レッサーパンダ。一頭展示。↓
人間が見易いような工夫もされているがパンダは退屈そうに毛繕い。
仲間が見えなかったので家で飼われているペットの方がまだ幸せではないかと、
屋内の施設でもあったので、可哀想に思えた。
触れ合い展示場には山羊、羊が一緒に居て彼等は仲間がいて、屋外で気持ち良く
過ごせそうだったけれど、全体に、
「動物園て何だろう?」
と疑問に思った。
人間側の傲慢そのものじゃないかと。
私は、珍しい動物を見て、有難いとは思ったけれど、こんな風に動物を閉じ込めて
いなければならないのなら、動物園そのものは要らないと思った。
世界中の動物園の中には、広大な場所で動物や鳥類が自然に近い環境を作って生息させて、
人間がそっとそこに入らせてもらうような施設造りをしている所もあるようだ。
それくらいの配慮があって動物が生きられるのなら動物にとってはこういう展示館内に閉じ込められるよりはいいかもしれない。
だから、いくつかの展示場を回って、傾斜地である園内を歩いたことは気持ちがよかったけれど、
動物の生活そのものを考えると、彼等に申し訳ない気持ちになった。
自分があの動物達だったら・・・、一生ストレスの中での暮らしなんだろうと。
動物園って何だろう?
私は、彼等を解放してあげたいとしか思えなかった。
もう、こんな風に生き物、多分気持ちをも持ち合わせている生き物をいつまでも
閉じ込めて展示する時代じゃないと思っている。
2020年03月07日
カートに載るの大好き!
私は散歩中のワンコも買い物中のワンコもその場で会うとどうしても声を掛けたくなってしまう。
そして、触らせてもらいたくなるのだ。
だから、飼い主さんに声を掛ける。
「すみません、可愛いわんちゃんですね。触らせてもらえますか?」と。
今回のワンコはこの子、ノーフォークテリアだそうだ。
歩いていた彼の犬フォルムが格好良かったのだ。
ホームセンターで買い物中にパチリ!
男の子で結構気カン坊君で、名前が何と「銀次郎」だと言う。
イギリス原産の犬なのに、
「ウワー、超和名じゃないですか〜!」
と、飼い主さんと笑ってしまった。
因みに、この子の前のワンコは「シンジ」だったそうで、原産国に拘らず和名を付けるそうだ。
実を言うと、「銀次郎」君が幹線道路の歩道の信号で止まっていて、飼い主さんとのやりとり
(声は聴こえないが、きちんと指示を受けていたのが分かった)を、いい雰囲気だな、と車の中から遠目に見ていたのだ。
その後ホームセンターに寄ったら、嬉しいことにペット専用のカートに載っていたので、
これは声を掛けさせてもらうしかないと、上記行動に出たというわけなのです。
その上、彼はこうしてカートに載るのが大好きなのだと教えてくれた。
ノーフォークテリアは元々狩猟犬なので気が強く、運動量も必要で、体毛の管理が難しいのだそう。
触らせてもらうと、結構堅い体毛で表面の下に、柔らかい毛があって、その為表面の硬い毛を一本一本抜いて管理する位なのだそう。
こうしていろんなワンコと出会って、飼育方法を伺うと、流石飼い主さん達はワンコ本来の特徴を理解した上で大切に飼われている。
初対面同士なのに、”犬好き”(勿論猫も)同士が話を始めると、飼い主さんは凄く喜んでくれて、写真も快く撮らせてくれる。
こうして私の”出会ったワンココレクション”が増えていく。
後で振り返って、
「あの子はどうしてるかな〜?」
なんて想像するのが楽しいし、また会えるかな〜、なんて思い出すのも楽しい。
何か、ワンコの散歩スタイルで飼い主さんとペットの関係性が見えるようで、とに角
散歩中のワンコ達から目が離せないのです。
「銀次郎」君はお別れする時、可愛がってくれた人と別れたくなくて、
「行かないで、行かないで!」
という意味を込めて啼くのだそうで、私に向かって、
「ワン!ワン!ワン!」
と、名残惜しそうにしてくれた。
嬉しい〜!
また会おうね!
そして、触らせてもらいたくなるのだ。
だから、飼い主さんに声を掛ける。
「すみません、可愛いわんちゃんですね。触らせてもらえますか?」と。
今回のワンコはこの子、ノーフォークテリアだそうだ。
歩いていた彼の犬フォルムが格好良かったのだ。
ホームセンターで買い物中にパチリ!
男の子で結構気カン坊君で、名前が何と「銀次郎」だと言う。
イギリス原産の犬なのに、
「ウワー、超和名じゃないですか〜!」
と、飼い主さんと笑ってしまった。
因みに、この子の前のワンコは「シンジ」だったそうで、原産国に拘らず和名を付けるそうだ。
実を言うと、「銀次郎」君が幹線道路の歩道の信号で止まっていて、飼い主さんとのやりとり
(声は聴こえないが、きちんと指示を受けていたのが分かった)を、いい雰囲気だな、と車の中から遠目に見ていたのだ。
その後ホームセンターに寄ったら、嬉しいことにペット専用のカートに載っていたので、
これは声を掛けさせてもらうしかないと、上記行動に出たというわけなのです。
その上、彼はこうしてカートに載るのが大好きなのだと教えてくれた。
ノーフォークテリアは元々狩猟犬なので気が強く、運動量も必要で、体毛の管理が難しいのだそう。
触らせてもらうと、結構堅い体毛で表面の下に、柔らかい毛があって、その為表面の硬い毛を一本一本抜いて管理する位なのだそう。
こうしていろんなワンコと出会って、飼育方法を伺うと、流石飼い主さん達はワンコ本来の特徴を理解した上で大切に飼われている。
初対面同士なのに、”犬好き”(勿論猫も)同士が話を始めると、飼い主さんは凄く喜んでくれて、写真も快く撮らせてくれる。
こうして私の”出会ったワンココレクション”が増えていく。
後で振り返って、
「あの子はどうしてるかな〜?」
なんて想像するのが楽しいし、また会えるかな〜、なんて思い出すのも楽しい。
何か、ワンコの散歩スタイルで飼い主さんとペットの関係性が見えるようで、とに角
散歩中のワンコ達から目が離せないのです。
「銀次郎」君はお別れする時、可愛がってくれた人と別れたくなくて、
「行かないで、行かないで!」
という意味を込めて啼くのだそうで、私に向かって、
「ワン!ワン!ワン!」
と、名残惜しそうにしてくれた。
嬉しい〜!
また会おうね!
2020年03月06日
吹っ飛んだ?花粉症!
新型コロナウィルス感染拡大阻止対策の真っ只中の現在、例年なら花粉症対策の話題で持ち切りになっている筈だ。
私も、もう何十年と花粉症には悩んでいて、今年も症状には悩まされている。
その症状には波があって、あまり酷くない日と、くしゃみ、鼻水、目の痒みと一斉に襲ってきてティッシュが手離せない日とがある。
最近では雨で湿り気のある日の方が症状が出て、晴れている日の方が過ごし易いように思えるのですが。
しかし、こんな個人の症状は、本当に千差万別なのだと思うので人様には何も得るものは
ない症例だと思います。
と、いうことで、今年も”買えないマスク”の陰で、”花粉症のためのマスク”も足りなくて困っている方も
多い事だろうと推測しているのです。
全国の方大半がマスクをしている昨今なので、目的は勿論コロナウィルスでしょうが、
それと同時に花粉症対策をしている方もおられることと思います。
毎日毎日、コロナウィルス対策のニュースが流れるのは、何としても終息させたいという
全国民の望みなのだから当然です。
それにしても、今年の花粉症はあってないが如く、何処かへ吹っ飛んで行ってしまったのかと思う程話題にすらなっていない。
それだけ、コロナウィルス対策は命に関わる事態を引き起こすということで何よりも最優先で解決
させなければならない事項なのですよね。
花粉症が可愛く感じるなんて言ったりしたら非難されてしまいそうですが如何なものでしょうか?
花粉症で苦しんでおられる方がいましたらごめんなさい。
私も、もう何十年と花粉症には悩んでいて、今年も症状には悩まされている。
その症状には波があって、あまり酷くない日と、くしゃみ、鼻水、目の痒みと一斉に襲ってきてティッシュが手離せない日とがある。
最近では雨で湿り気のある日の方が症状が出て、晴れている日の方が過ごし易いように思えるのですが。
しかし、こんな個人の症状は、本当に千差万別なのだと思うので人様には何も得るものは
ない症例だと思います。
と、いうことで、今年も”買えないマスク”の陰で、”花粉症のためのマスク”も足りなくて困っている方も
多い事だろうと推測しているのです。
全国の方大半がマスクをしている昨今なので、目的は勿論コロナウィルスでしょうが、
それと同時に花粉症対策をしている方もおられることと思います。
毎日毎日、コロナウィルス対策のニュースが流れるのは、何としても終息させたいという
全国民の望みなのだから当然です。
それにしても、今年の花粉症はあってないが如く、何処かへ吹っ飛んで行ってしまったのかと思う程話題にすらなっていない。
それだけ、コロナウィルス対策は命に関わる事態を引き起こすということで何よりも最優先で解決
させなければならない事項なのですよね。
花粉症が可愛く感じるなんて言ったりしたら非難されてしまいそうですが如何なものでしょうか?
花粉症で苦しんでおられる方がいましたらごめんなさい。
2020年03月05日
痛みは皆で分ける!
とうとう、私の通うジムも2020/03/03から2週間以上の閉鎖が通達された。
全国展開している大きなジムではなく、基本企業の社員のための福利厚生施設なので、
通う人数も小規模でお互いの顔も見知っているという安心な場所となっている。
使用するためには、日付と入退所時刻と氏名をきちんと記入することが規定されているので
人の動きも管理されている。
しかし、それでも、感染拡大させないためには協力することが大事だと思うので、致し方ないと思った。
普段でも、私は手袋をして器具を使用することが習慣となっていたが、他の全員がそうしているわけではないので、
感染拡大阻止の措置には我慢するしかない。
通達の一斉メールが入った時点からLINEやメールで驚きと戸惑いの連絡が入り、
「再始動の日まで元気で過ごしてね!」
と、暫く会えない挨拶文が入り乱れた。
運動不足にならないように何を自分に課すか第一の問題なので、この2週間以上の
”運動計画”を改めて考えようと思っている。
全国一斉の学校休校や、企業でのテレワーク化や、イベントの中止や、無観客スポーツ試合など、
皆でできることを今こそ頑張ろうとしている日本列島の現状はいろんな痛みを受け止めつつ、始まっている。
大きな痛み、小さな痛みとあるだろうが、痛みは痛みなのだからみんなで分け合って乘り切りたいですね!
頑張りましょう!
全国展開している大きなジムではなく、基本企業の社員のための福利厚生施設なので、
通う人数も小規模でお互いの顔も見知っているという安心な場所となっている。
使用するためには、日付と入退所時刻と氏名をきちんと記入することが規定されているので
人の動きも管理されている。
しかし、それでも、感染拡大させないためには協力することが大事だと思うので、致し方ないと思った。
普段でも、私は手袋をして器具を使用することが習慣となっていたが、他の全員がそうしているわけではないので、
感染拡大阻止の措置には我慢するしかない。
通達の一斉メールが入った時点からLINEやメールで驚きと戸惑いの連絡が入り、
「再始動の日まで元気で過ごしてね!」
と、暫く会えない挨拶文が入り乱れた。
運動不足にならないように何を自分に課すか第一の問題なので、この2週間以上の
”運動計画”を改めて考えようと思っている。
全国一斉の学校休校や、企業でのテレワーク化や、イベントの中止や、無観客スポーツ試合など、
皆でできることを今こそ頑張ろうとしている日本列島の現状はいろんな痛みを受け止めつつ、始まっている。
大きな痛み、小さな痛みとあるだろうが、痛みは痛みなのだからみんなで分け合って乘り切りたいですね!
頑張りましょう!
2020年03月04日
タラッタラ〜、タラッタラ〜!
「タラッタラ〜、タラッタラ〜!」
と、走ってくる猫の跳ねるような足音が聴こえる。
既に寝ている私の元へ走ってくる様子が窺える。
ダッシュで走る音と違う微妙にセーブしているけれど、ちょっとリズムを付けて走ってくる。
そして、私の寝ているベッドに飛び乗る。
もう、18歳なので、以前は水吞み場として洗面所に溜めた水を飲みにジャンプしていたが、
そのジャンプを躊躇するようになってからはお風呂場に専用の洗面器に水を溜めておくようになって、安心して飲んでいる。
と、言う具合にジャンプ力は落ちているが、ベッド位だとまだまだ簡単に乗り降りしている。
ベッドに乗ってからザワザワと自分の居心地のいい場所を探してから丸くなって、私の右肩の下辺りで寝る。
私が、それに気づく程深く寝ていない時は猫用に用意してある小型の毛布を掛けてあげる。
すると同時に、
「ゴロゴロ、ゴロゴロ・・・・。」
と、喉を鳴らす音が聴こえてきて、安心している様子がわかる。
私も、改めて猫を撫でて、
「よく来たね、おりこうだね。」
という意味を込めて触る。
すると、
「やっぱり、お布団の中に入る〜!」
と、いうように毛布を振り払って羽毛布団の襟の辺りに上がってきて頭から入りUターンして
こちらを向いて、私の脇にピッタリと寄り添う。
何故か、同時に前足を私の身体に掛ける。
その前足のソフトなタッチが堪らなくて、つい触ってしまう。
すると、その前足を引っ込める。
そしてまた、
「ゴロゴロ、ゴロゴロ・・・・。」
と喉を鳴らしている。
「タラッタラ〜、タラッタラ〜!」
と、走ってくるのは、私が猫を置いて先に寝てしまうからだ。
猫は夕飯の後リビングでゆっくりする私の傍でまったりして毛布を掛けて寝てしまう。
だから、起こすのも可哀想でそのままにして、私が先に寝室に移ってしまうからだ。
そして暫くすると、私を追って寝室に向かってくるのだ。
そんな一日の終わりのシーンがずっと続いている日常だ。
ただの日常、されど日常で、彼と一緒に居るようになって、”猫が居る”のが当たり前に
なっているけれど、始まりがあったわけで、終わりもあるのだろう。
猫を飼うという希望も予定もあったわけではないが、息子が連れて来て離れられなくなった猫。
猫もここに居たいという態度を表明していているようになった猫。
きっと、強い”縁”が取り持ってくれたのだろう。
18年経ったけど、このままずっと一緒に暮らしたい。
いや、居なくなったらなんて考えたくない彼の存在感。
彼が健康で、一日でも長く一緒に暮らせることを願いつつ、こんな毎晩の何気ないシーン
を大切に大切にして、当たり前の幸せを猫の前足をそっと触りながら感謝している。
と、走ってくる猫の跳ねるような足音が聴こえる。
既に寝ている私の元へ走ってくる様子が窺える。
ダッシュで走る音と違う微妙にセーブしているけれど、ちょっとリズムを付けて走ってくる。
そして、私の寝ているベッドに飛び乗る。
もう、18歳なので、以前は水吞み場として洗面所に溜めた水を飲みにジャンプしていたが、
そのジャンプを躊躇するようになってからはお風呂場に専用の洗面器に水を溜めておくようになって、安心して飲んでいる。
と、言う具合にジャンプ力は落ちているが、ベッド位だとまだまだ簡単に乗り降りしている。
ベッドに乗ってからザワザワと自分の居心地のいい場所を探してから丸くなって、私の右肩の下辺りで寝る。
私が、それに気づく程深く寝ていない時は猫用に用意してある小型の毛布を掛けてあげる。
すると同時に、
「ゴロゴロ、ゴロゴロ・・・・。」
と、喉を鳴らす音が聴こえてきて、安心している様子がわかる。
私も、改めて猫を撫でて、
「よく来たね、おりこうだね。」
という意味を込めて触る。
すると、
「やっぱり、お布団の中に入る〜!」
と、いうように毛布を振り払って羽毛布団の襟の辺りに上がってきて頭から入りUターンして
こちらを向いて、私の脇にピッタリと寄り添う。
何故か、同時に前足を私の身体に掛ける。
その前足のソフトなタッチが堪らなくて、つい触ってしまう。
すると、その前足を引っ込める。
そしてまた、
「ゴロゴロ、ゴロゴロ・・・・。」
と喉を鳴らしている。
「タラッタラ〜、タラッタラ〜!」
と、走ってくるのは、私が猫を置いて先に寝てしまうからだ。
猫は夕飯の後リビングでゆっくりする私の傍でまったりして毛布を掛けて寝てしまう。
だから、起こすのも可哀想でそのままにして、私が先に寝室に移ってしまうからだ。
そして暫くすると、私を追って寝室に向かってくるのだ。
そんな一日の終わりのシーンがずっと続いている日常だ。
ただの日常、されど日常で、彼と一緒に居るようになって、”猫が居る”のが当たり前に
なっているけれど、始まりがあったわけで、終わりもあるのだろう。
猫を飼うという希望も予定もあったわけではないが、息子が連れて来て離れられなくなった猫。
猫もここに居たいという態度を表明していているようになった猫。
きっと、強い”縁”が取り持ってくれたのだろう。
18年経ったけど、このままずっと一緒に暮らしたい。
いや、居なくなったらなんて考えたくない彼の存在感。
彼が健康で、一日でも長く一緒に暮らせることを願いつつ、こんな毎晩の何気ないシーン
を大切に大切にして、当たり前の幸せを猫の前足をそっと触りながら感謝している。
2020年03月03日
コロナウィルス感染の余波、こんな所にも。
TV、ネット他あらゆる分野で伝わってくるニュースで新型コロナウィルス感染予防の対策が講じられている。
とうとう全国小・中・高校の一斉休校が2020/03/02(各県、市町村で違いはある。)から春休み
まで休校ということになった。
人が集まる形をとるものはイベント、スポーツ界での開催、結婚式などまで中止にするような
傾向になってきている。
今が一番感染拡大を止められるか否かという時期だと政府は判断したようだ。
丁度、受験時期、卒業式、終業式の時期で児童生徒、教育関係者の多くは戸惑いの中にいて、いろんな意見もある。
しかし、大方は政府の判断に従わざるを得ない恰好だ。
そんな”人が接触する”という観点から”休みように”とのお達しが出た業界がある。
友人が嘆くその業界が”音楽業界”だ。
子供達に音楽教育を提供している大手の音楽教室だ。
彼女はレッスンを受け持つ音楽教師だ。
生徒とは個人レッスンを受け持ち、其々の時間帯を決めてレッスンするという教師だ。
取り敢えずは2月末から3月の一週目を全て休みとするというお達しらしい。
教師たちも細かく決められたレッスン割り当てに添って進めているところを、予定が全く崩れ、
その欠けた時間を後で埋める手立てが必要になるということだ。
生徒の人数が多くなればなるほど修正が難しくて、その決定に悲鳴を上げていると聞いた。
実際に彼女と会って話を聞いたので、
「何をしていいのか分からない。どうしよう?」
と憔悴しているのを見て、
「ああ、こんな場所にもコロナ感染の余派が迫っていたんだ。」
と、何と励ましていいものやら言葉が出なかった。
日本国民は、ある程度の理解は示すものの、各家庭での環境もあって、この時期をどう乗り切るのか暗中模索しているようだ。
何とか収束に向かうことを願うしかない。
とうとう全国小・中・高校の一斉休校が2020/03/02(各県、市町村で違いはある。)から春休み
まで休校ということになった。
人が集まる形をとるものはイベント、スポーツ界での開催、結婚式などまで中止にするような
傾向になってきている。
今が一番感染拡大を止められるか否かという時期だと政府は判断したようだ。
丁度、受験時期、卒業式、終業式の時期で児童生徒、教育関係者の多くは戸惑いの中にいて、いろんな意見もある。
しかし、大方は政府の判断に従わざるを得ない恰好だ。
そんな”人が接触する”という観点から”休みように”とのお達しが出た業界がある。
友人が嘆くその業界が”音楽業界”だ。
子供達に音楽教育を提供している大手の音楽教室だ。
彼女はレッスンを受け持つ音楽教師だ。
生徒とは個人レッスンを受け持ち、其々の時間帯を決めてレッスンするという教師だ。
取り敢えずは2月末から3月の一週目を全て休みとするというお達しらしい。
教師たちも細かく決められたレッスン割り当てに添って進めているところを、予定が全く崩れ、
その欠けた時間を後で埋める手立てが必要になるということだ。
生徒の人数が多くなればなるほど修正が難しくて、その決定に悲鳴を上げていると聞いた。
実際に彼女と会って話を聞いたので、
「何をしていいのか分からない。どうしよう?」
と憔悴しているのを見て、
「ああ、こんな場所にもコロナ感染の余派が迫っていたんだ。」
と、何と励ましていいものやら言葉が出なかった。
日本国民は、ある程度の理解は示すものの、各家庭での環境もあって、この時期をどう乗り切るのか暗中模索しているようだ。
何とか収束に向かうことを願うしかない。
2020年03月02日
かかりつけ医院で…。
定期的にお薬を出して貰いに行くかかりつけ医院でのできごとでした。
診察が終わった初老の男性が、
受診前に脱いで、診察室手前の長椅子に重ねてあった洋服を着始めた。
その人の次で待って隣にいた私には、嫌でも仕草が目に入った。
初老といっても、背中は伸びているし、足腰もしっかりしているように見受けられた。
その方が受診前に何故洋服を脱いでいたのかが徐々にわかり始めることとなった。
下着の上に、前ボタンのシャツ、それから毛糸のベスト、それからジャケットの上着、と続いた。
「何枚着るのだろう?」
と、興味が湧いて(?)きているところに、最後に厚手のコートを羽織った。
「うわっ!こんなに着て窮屈じゃないのかしら?」
と、暑いのでは?と思う前に動きにくくない?と勝手な心配をした。
当日は特に寒かったわけではないし、比較の対象にならないかもしれないが、
私はタートルネックのTシャツに上着は薄手のダウンで十分といういで立ちだった。
診察室ではTシャツ一枚で、衣服の着脱の用意などする手間もいらない。
その方は医師の前に行ってからこの枚数を脱ぎ始めたら、相手を待たせてしまうと
考えて、多分手前の待合スペースで”受診準備”をしたのだろう。
そんな気持ちは理解できるし、多分そうなのだろうと思った。
でも、申し訳ないが、
「これってコント?」
と思えてしまうような出来事で途中からは、
「おいおい、何枚着るんだよ!まだ着るのかい?」
と突っ込みたくなるような情景だったのだ。
何故なら、その方はそれが当然というやり方で、丁寧に一枚一枚重ねていったのです。
多分、多分・・ですが、優しい優しいおばあちゃんかお母さんに大事に大事に育てられて
沢山の衣類を重ねて重ねて着るような習慣になったのではないかと想像した。
現代社会は外が寒くても、屋内はエアコンが効いていてそんなに厚着は要らないようになっているので、
却って厚着して汗をかいて風を引くなんてこともある。
だから、内外の温度に適応しやすい服装をする傾向にあるのではないか。
何だか、その方の子供時代が想像できるような光景を目の前にして、暖かいような、
可笑しい(失礼!)ような気分になってしまったのです。
ご本人様失礼しました。
診察が終わった初老の男性が、
受診前に脱いで、診察室手前の長椅子に重ねてあった洋服を着始めた。
その人の次で待って隣にいた私には、嫌でも仕草が目に入った。
初老といっても、背中は伸びているし、足腰もしっかりしているように見受けられた。
その方が受診前に何故洋服を脱いでいたのかが徐々にわかり始めることとなった。
下着の上に、前ボタンのシャツ、それから毛糸のベスト、それからジャケットの上着、と続いた。
「何枚着るのだろう?」
と、興味が湧いて(?)きているところに、最後に厚手のコートを羽織った。
「うわっ!こんなに着て窮屈じゃないのかしら?」
と、暑いのでは?と思う前に動きにくくない?と勝手な心配をした。
当日は特に寒かったわけではないし、比較の対象にならないかもしれないが、
私はタートルネックのTシャツに上着は薄手のダウンで十分といういで立ちだった。
診察室ではTシャツ一枚で、衣服の着脱の用意などする手間もいらない。
その方は医師の前に行ってからこの枚数を脱ぎ始めたら、相手を待たせてしまうと
考えて、多分手前の待合スペースで”受診準備”をしたのだろう。
そんな気持ちは理解できるし、多分そうなのだろうと思った。
でも、申し訳ないが、
「これってコント?」
と思えてしまうような出来事で途中からは、
「おいおい、何枚着るんだよ!まだ着るのかい?」
と突っ込みたくなるような情景だったのだ。
何故なら、その方はそれが当然というやり方で、丁寧に一枚一枚重ねていったのです。
多分、多分・・ですが、優しい優しいおばあちゃんかお母さんに大事に大事に育てられて
沢山の衣類を重ねて重ねて着るような習慣になったのではないかと想像した。
現代社会は外が寒くても、屋内はエアコンが効いていてそんなに厚着は要らないようになっているので、
却って厚着して汗をかいて風を引くなんてこともある。
だから、内外の温度に適応しやすい服装をする傾向にあるのではないか。
何だか、その方の子供時代が想像できるような光景を目の前にして、暖かいような、
可笑しい(失礼!)ような気分になってしまったのです。
ご本人様失礼しました。
2020年03月01日
「面倒臭い・・」が口癖の人。
バラエティ番組等や、親しい間柄などで、よく使われる
「面倒臭!」などと発せられる言葉には裏返すと親近感がある。
「あなた、そんなことにいちいち拘る必要なんてないんだよ〜!」
とか、
「そんなことに神経質にならなくたっていいんじゃない?」
とか、言いたい時に、一言で、
「面倒臭い人ねエ〜。」
と言わず、
「面倒くさ!」
で表せる仲は、笑い飛ばせる一言になる。
その一方で、何かのこれから行動に対して、
「面倒くせ〜なあ」
とか、
「面倒じゃん!」
とか発している人がいる。
私は、ちょっと引っ掛かる。
面倒臭いから後回しにする、とか挙句、放り出すなんてこともある。
「面倒臭い。」と、言いながら放り出すならまだいい方かもしれない。
何故なら、そんなことさえ言わず放り出したままの人もいるわけだから。
日々の生活の中には「面倒臭い」ことはいっぱいあるのは確かだ。
自分の仕事、人間関係、細々とした些細なことまで、みんな面倒臭いことだらけだ。
でも、目の前にあることを一つずつ片付けていかなかったら些細なこともどんどん積み重なって大量の
「面倒臭い」ことの塊になってしまう。
だから、「面倒臭そう」なことは早く片付けてしまおうと、私は思う。
それに、「面倒くせ〜!」という言葉はどんどん自分の脳が感じて、何でも先ず「面倒臭い」と思うようになる。
そうなると何に対しても「負担な気持ち」を抱えるようになる。
だから、何かをしようと思う時、負担になりそうなことを調べて、自分のその負担を和らげて、
「負担はないよ」と言い聞かせて行動する。
だから、とっとと動く。
すると達成感というご褒美が付いてきて、またちょっと負担になりそうなことでも、
「やってみよう!」という気になる。
だから、人との会話の中で、
「そこに行くの面倒臭そうだね。」
とか、
「行ったことないから・・・。」
とか、
「やったことないから・・・。」
と、言い出されると、勿体ないと思ってしまう。
人生初ならやらないで、未経験で終わらせてしまうの?と思うのだ。
大小に拘わらず未経験のことが目の前にあるなんて凄い機会じゃないかって。
だから、私は大きなことをするわけではないが、「ふと思いついた事」はやってみようと思って暮らしているつもりなんです。
だから、「面倒臭い」が聴こえると、なんて勿体ないと心の内で思っている。
「面倒臭がり度チェック」がありました。参考程度に・・・・。
http://fujifilmmall.jp/conversion/column/018dvd-mendo.html
「面倒臭!」などと発せられる言葉には裏返すと親近感がある。
「あなた、そんなことにいちいち拘る必要なんてないんだよ〜!」
とか、
「そんなことに神経質にならなくたっていいんじゃない?」
とか、言いたい時に、一言で、
「面倒臭い人ねエ〜。」
と言わず、
「面倒くさ!」
で表せる仲は、笑い飛ばせる一言になる。
その一方で、何かのこれから行動に対して、
「面倒くせ〜なあ」
とか、
「面倒じゃん!」
とか発している人がいる。
私は、ちょっと引っ掛かる。
面倒臭いから後回しにする、とか挙句、放り出すなんてこともある。
「面倒臭い。」と、言いながら放り出すならまだいい方かもしれない。
何故なら、そんなことさえ言わず放り出したままの人もいるわけだから。
日々の生活の中には「面倒臭い」ことはいっぱいあるのは確かだ。
自分の仕事、人間関係、細々とした些細なことまで、みんな面倒臭いことだらけだ。
でも、目の前にあることを一つずつ片付けていかなかったら些細なこともどんどん積み重なって大量の
「面倒臭い」ことの塊になってしまう。
だから、「面倒臭そう」なことは早く片付けてしまおうと、私は思う。
それに、「面倒くせ〜!」という言葉はどんどん自分の脳が感じて、何でも先ず「面倒臭い」と思うようになる。
そうなると何に対しても「負担な気持ち」を抱えるようになる。
だから、何かをしようと思う時、負担になりそうなことを調べて、自分のその負担を和らげて、
「負担はないよ」と言い聞かせて行動する。
だから、とっとと動く。
すると達成感というご褒美が付いてきて、またちょっと負担になりそうなことでも、
「やってみよう!」という気になる。
だから、人との会話の中で、
「そこに行くの面倒臭そうだね。」
とか、
「行ったことないから・・・。」
とか、
「やったことないから・・・。」
と、言い出されると、勿体ないと思ってしまう。
人生初ならやらないで、未経験で終わらせてしまうの?と思うのだ。
大小に拘わらず未経験のことが目の前にあるなんて凄い機会じゃないかって。
だから、私は大きなことをするわけではないが、「ふと思いついた事」はやってみようと思って暮らしているつもりなんです。
だから、「面倒臭い」が聴こえると、なんて勿体ないと心の内で思っている。
「面倒臭がり度チェック」がありました。参考程度に・・・・。
http://fujifilmmall.jp/conversion/column/018dvd-mendo.html