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2020年03月30日
首都圏一円の外出自粛と、負けないイタリア人。
3月末の週末の首都圏一円の外出自粛に関して、新聞のコラムにも。
以下引用。
「伝家の宝刀」とは代々家宝として伝わる名刀。転じて、いよいよという時以外にはみだりに使用しない、とっておきの物や手段などを指す(広辞苑)。
新型コロナウイルス感染症の拡大に備えた特別措置法改正案の審議で、担当相が何度も特措法を指した言葉だ。
移動や集会の自由にかかわる緊急事態宣言など特措法の措置に関し、最悪の事態に至るまで、
適用は慎重に行うという姿勢を示したかったのだろう。
感染拡大を防ぐには人と人が接点を持たないことが一番。それには個人の移動制限が有効だ。
新型コロナでは欧米各国も緊急事態や非常事態を宣言した。
本来は個人の自由や権利を尊重してきた国でも、強権的な移動制限をしている場合がある。
そうした仕組みがあるのは、戦争などの危機に何度も直面してきたからなのか。
元首らトップからも「私は戦時下の大統領」「われわれは戦争状態にある」などの発言が出ている。
国民から目立った反発がないのは政治に理解と信頼があるからかもしれない。
自粛という形で事実上移動を制限しようとする動きは国内でも始まった。
首都圏一円の知事が今週末の外出を控えるよう一斉に呼び掛けた。
都内の感染者が増加、爆発的患者急増の恐れが高まっているためだ。
政府も特措法に基づく対策本部を設置した。
宝刀の柄に手が伸びた状態ともいえよう。ただこの刀、3日の審議で成立。
審議が十分ではないという声があり、付帯決議からも課題が見えてくる。
その刀を抜かずに済ませるには一人一人の危機意識と慎重な行動が欠かせない。
以上引用。
そんな記事を読みながら、ニュースで伝わってくる海外の外出自粛の様子を見た。
イタリアで、ベランダに電子ピアノを持ち出して演奏を始めた男性がいた。
すると、それに応えてサックスで演奏参加した人が出てきた。
その頃には、建物が取り囲む中心にある広場の周りのベランダからは住人がみんな出てきてその演奏を聴き、
終わると大きな拍手が響き渡った。
その時住人達の心は一つになったとナレーションは締めくくっていた。
上記文章の中に、強権的な移動制限を指して、
「そうした仕組みがあるのは、戦争などの危機に何度も直面してきたからなのか。」
と書かれていた部分があった。
戦争などの危機の時でも、ヨーロッパの人々の耐える生活の仕方がいろんな小説や映画となっている。
だからニュースの映像からも、そんな様子、
「どんな時でも、楽しむ方法はあるんだよ!」
と、映画さながらに実行している人々がいるのだ。
ストレスが溜まる〜、と考えるよりも、どんな事態になっても、この時間をどうして楽しもうか
と考える人々って凄い!と感動したのだ。
その光景から、私はこの映画を連想したのです。
『ライフ・イズ・ビューティフル』(日本語訳:人生は美しい、原題:La vita è bella、英題:Life Is Beautiful)は、
1997年のイタリア映画。ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演作品。第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)を、
ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品である。
第51回カンヌ国際映画祭(1998年)で審査員グランプリを受賞。
第71回米国アカデミー賞(1999年)で作品賞ほか7部門にノミネートされ、そのうち、主演男優賞、作曲賞、外国語映画賞を受賞した。
また、トロント国際映画祭の観客賞やセザール賞の外国映画賞も受賞している。
イタリア人を見習って、私達も頑張りたいですね。
以下引用。
「伝家の宝刀」とは代々家宝として伝わる名刀。転じて、いよいよという時以外にはみだりに使用しない、とっておきの物や手段などを指す(広辞苑)。
新型コロナウイルス感染症の拡大に備えた特別措置法改正案の審議で、担当相が何度も特措法を指した言葉だ。
移動や集会の自由にかかわる緊急事態宣言など特措法の措置に関し、最悪の事態に至るまで、
適用は慎重に行うという姿勢を示したかったのだろう。
感染拡大を防ぐには人と人が接点を持たないことが一番。それには個人の移動制限が有効だ。
新型コロナでは欧米各国も緊急事態や非常事態を宣言した。
本来は個人の自由や権利を尊重してきた国でも、強権的な移動制限をしている場合がある。
そうした仕組みがあるのは、戦争などの危機に何度も直面してきたからなのか。
元首らトップからも「私は戦時下の大統領」「われわれは戦争状態にある」などの発言が出ている。
国民から目立った反発がないのは政治に理解と信頼があるからかもしれない。
自粛という形で事実上移動を制限しようとする動きは国内でも始まった。
首都圏一円の知事が今週末の外出を控えるよう一斉に呼び掛けた。
都内の感染者が増加、爆発的患者急増の恐れが高まっているためだ。
政府も特措法に基づく対策本部を設置した。
宝刀の柄に手が伸びた状態ともいえよう。ただこの刀、3日の審議で成立。
審議が十分ではないという声があり、付帯決議からも課題が見えてくる。
その刀を抜かずに済ませるには一人一人の危機意識と慎重な行動が欠かせない。
以上引用。
そんな記事を読みながら、ニュースで伝わってくる海外の外出自粛の様子を見た。
イタリアで、ベランダに電子ピアノを持ち出して演奏を始めた男性がいた。
すると、それに応えてサックスで演奏参加した人が出てきた。
その頃には、建物が取り囲む中心にある広場の周りのベランダからは住人がみんな出てきてその演奏を聴き、
終わると大きな拍手が響き渡った。
その時住人達の心は一つになったとナレーションは締めくくっていた。
上記文章の中に、強権的な移動制限を指して、
「そうした仕組みがあるのは、戦争などの危機に何度も直面してきたからなのか。」
と書かれていた部分があった。
戦争などの危機の時でも、ヨーロッパの人々の耐える生活の仕方がいろんな小説や映画となっている。
だからニュースの映像からも、そんな様子、
「どんな時でも、楽しむ方法はあるんだよ!」
と、映画さながらに実行している人々がいるのだ。
ストレスが溜まる〜、と考えるよりも、どんな事態になっても、この時間をどうして楽しもうか
と考える人々って凄い!と感動したのだ。
その光景から、私はこの映画を連想したのです。
『ライフ・イズ・ビューティフル』(日本語訳:人生は美しい、原題:La vita è bella、英題:Life Is Beautiful)は、
1997年のイタリア映画。ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演作品。第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)を、
ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品である。
第51回カンヌ国際映画祭(1998年)で審査員グランプリを受賞。
第71回米国アカデミー賞(1999年)で作品賞ほか7部門にノミネートされ、そのうち、主演男優賞、作曲賞、外国語映画賞を受賞した。
また、トロント国際映画祭の観客賞やセザール賞の外国映画賞も受賞している。
イタリア人を見習って、私達も頑張りたいですね。
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2020年03月29日
これも?赤瀬川原平流?
このマンション2棟の前を通ると気になっていた。
何が?というと20軒分の部屋数と16軒分の部屋数に対してどう見ても空き部屋が多いように見受けられるのだ。
これが20軒分のマンション。
この右側、方角でいうと東側に4階建ての似たようなマンションが並んで建っている。
南向きの陽当たりのいいマンションだ。
1階の同じ向きに数台の駐車スペースもある。
このマンションの入居率は2割、隣のマンションは2割5分、あまり変わらない。
見た目には綺麗だし、住んでいる人もいるようだ。
なのに20世帯分の内4世帯しか使われていないようだ。
赤瀬川流に言えば、用途が不明とは言えないだろうが、住めるのに必要とされていない感があるのだ。
何故、こんな事態になっていて、このオーナーはこんな入居率で保有するのは大変なのではないか?と他人事ながら心配してしまうのだ。
いやいやお金持ちのオーナーだとしたら、そんなことは心配に及ばないということかもしれないが、庶民からするといろいろ心配になる。
それに、5階に住んでいる入居者はエレベーターなど付いているのかどうかも心配だ。
JRの駅に近い物件なのに、多分家としての機能部分が今風から取り残されたような仕様なのかもしれない、と勝手に想像したりする。
他人が関わることではないが、南向きで燦燦と太陽を浴びて建っているこのマンションの前を通るといつも同じ気持ちになる。
何が?というと20軒分の部屋数と16軒分の部屋数に対してどう見ても空き部屋が多いように見受けられるのだ。
これが20軒分のマンション。
この右側、方角でいうと東側に4階建ての似たようなマンションが並んで建っている。
南向きの陽当たりのいいマンションだ。
1階の同じ向きに数台の駐車スペースもある。
このマンションの入居率は2割、隣のマンションは2割5分、あまり変わらない。
見た目には綺麗だし、住んでいる人もいるようだ。
なのに20世帯分の内4世帯しか使われていないようだ。
赤瀬川流に言えば、用途が不明とは言えないだろうが、住めるのに必要とされていない感があるのだ。
何故、こんな事態になっていて、このオーナーはこんな入居率で保有するのは大変なのではないか?と他人事ながら心配してしまうのだ。
いやいやお金持ちのオーナーだとしたら、そんなことは心配に及ばないということかもしれないが、庶民からするといろいろ心配になる。
それに、5階に住んでいる入居者はエレベーターなど付いているのかどうかも心配だ。
JRの駅に近い物件なのに、多分家としての機能部分が今風から取り残されたような仕様なのかもしれない、と勝手に想像したりする。
他人が関わることではないが、南向きで燦燦と太陽を浴びて建っているこのマンションの前を通るといつも同じ気持ちになる。
2020年03月28日
こんな時節柄だからこそ。
恒例の食事会をしました。
お店の方の様子を心配しながら伺がったら、
「大丈夫です。お待ちしています。」
との返事で安心して出かけました。
いつもよりも多目のお客様もいらしていて賑やかな雰囲気でした。
私達はいつもの個室に通されて、思いっきり勝手なお喋りができました。
このお店は5室程ある個室がメインで4〜5名以上になると、その個室群の中央にあるホールが使われる。
今回はそのホールに先客がいらしていて既にお食事は始まっていてシェフも忙しそうでした。
「海老とれんこん入り里芋団子白だし山葵あんかけ」
「江戸前穴子とアボカド」
「木の実とフランボワーズのタルト苺を添えて」
私はれんこん入り里芋団子のあんかけが大好きで里芋の中のれんこんの食感が堪らない。
この他にも「めかじきのムニエル」も初めて提供されて、そのソースがおいしかったのでシェフに伝えたら、喜んでもらえました。
次回からまた頻繁に提供されたら嬉しい一品でした。
今回もちょっと洋服屋さんを覗いてお買い物をし、そこの店主さんに
「これからお食事ですか?いつも楽しそうで羨ましいですよ〜!」
と言われましたが、実際月に一回だけれど、非日常を楽しむ機会を作ってあることをメンバーお互いに感謝しているのです。
次回の予約もしっかりとして、二次会のカフェでもお喋りは盛り上がりました。
今回も美味しく、楽しい時間でリフレッシュできました。
皆さんありがとう!
お店の方の様子を心配しながら伺がったら、
「大丈夫です。お待ちしています。」
との返事で安心して出かけました。
いつもよりも多目のお客様もいらしていて賑やかな雰囲気でした。
私達はいつもの個室に通されて、思いっきり勝手なお喋りができました。
このお店は5室程ある個室がメインで4〜5名以上になると、その個室群の中央にあるホールが使われる。
今回はそのホールに先客がいらしていて既にお食事は始まっていてシェフも忙しそうでした。
「海老とれんこん入り里芋団子白だし山葵あんかけ」
「江戸前穴子とアボカド」
「木の実とフランボワーズのタルト苺を添えて」
私はれんこん入り里芋団子のあんかけが大好きで里芋の中のれんこんの食感が堪らない。
この他にも「めかじきのムニエル」も初めて提供されて、そのソースがおいしかったのでシェフに伝えたら、喜んでもらえました。
次回からまた頻繁に提供されたら嬉しい一品でした。
今回もちょっと洋服屋さんを覗いてお買い物をし、そこの店主さんに
「これからお食事ですか?いつも楽しそうで羨ましいですよ〜!」
と言われましたが、実際月に一回だけれど、非日常を楽しむ機会を作ってあることをメンバーお互いに感謝しているのです。
次回の予約もしっかりとして、二次会のカフェでもお喋りは盛り上がりました。
今回も美味しく、楽しい時間でリフレッシュできました。
皆さんありがとう!
2020年03月27日
コロナの気持ち?野望?
池上彰さんの番組から抜粋
朝日新聞
新型コロナウイルスは夏に終焉すると言われているが、現時点では新型であり何も情報がないという。エボラ出血熱は、
およそ50年前から流行しており、その致死率はなんと平均50%前後にもおよぶという。
また、世界に広がっていない理由に、池上は「致死率が高いから」とし、解説を行った。逆に、インフルエンザなど軽症
の方が、流行する可能性が高く、新型コロナは感染力が強いから毒性は弱いと専門家は分析しているという
インフルエンザ
インフルエンザで大騒ぎしなくなったのは、薬ができたからだった。
今回の新型コロナウイルスは、治療薬がないことがパニックになっている。
薬は簡単にはできず、リレンザやタミフルが使用開始になったのも、およそ20年前。インフルエンザも、
薬がない時代は怖い病気であった。インフルエンザの迅速検査キットができたのも、実は最近のことであった。
学校の予防接種を受けたか、受けてないか年齢によって違うのは、実は1994年までだった。
学校の予防接種がなくなったのは、熱が出たり、具合が悪くなるなど国を訴える裁判が起きてきた。
予防接種を受けても、インフルエンザにかかるのは、毎年インフルエンザは形をかえており、ワクチンを変える必要もある。
WHOは、毎年流行るであろうインフルエンザを予想し、ワクチンをつくっている。
つまり、ズバリ当たることもあれば、外れることもあるのだという。
2009年、関西では大阪府や兵庫県が休校し、更にマスク不足になり、世界各国で渡航制限がなされた。
状況は、今似ている。しかし、2009年は一部しかパニックにならなかったのが、既に効く薬が存在していたからだった。
新型ウイルスのワクチンは、早ければ半年後に臨床試験を開始する。
日本の対策が遅れているという印象を与えているのはクルーズ船の感染者数が多いことから来ていると話す。
日本の感染者数が少ない理由の一つに、PCR検査の実施件数が少ないこともあげられる。
新型コロナウイルスが終息する時期について、専門家の多くは季節性のウイルスとして定着するという意見が多いという。
いずれは共存しないといけない時代がくるかもしれないとした
流行しやすいインフルエンザよりも、新型コロナウイルスは感染力が強いという。
更に、無症状でも感染し、場合によっては治るまで症状がでない人もいるという。
新型であるがゆえに、現時点ではわからないことだらけだという。
中国で発生したSARSは、29の国と地域に拡大したが、日本では感染者がいなかった。
SARSは発生からおよそ8ヵ月で終息。その理由に、中国国内で封じ込めることに成功したからだった。
SARSと違い、新型コロナウイルスが広がった理由に、新型コロナウイルスは無症状でも感染することから、
SARSのそれよりも隔離などをし封じ込めることが簡単ではないと解説。
厚生労働省
日本では、毎年インフルエンザにより感染する人は1000万人おり、うち1万人が亡くなっている。
インフルエンザと風邪の違いは、風邪は微熱が続くが、インフルエンザは急に高熱が出るといった違いがある。
インフルエンザは新型コロナウイルスよりも感染者も多く、死者も多いのに、ここまでパニックになっているのだろうか?
その理由の一つは「新型」という点が挙げられる。インフルエンザウイルスを初めて分離できたのが1933年だった。
ラクダ
2012年MERSがサウジアラビアで発生、その後27の国と地域に感染が拡大した。
MERSはまだ終息を迎えていないが、感染が拡大しない理由に、インフルエンザに比べて感染力が弱いからだった。
続いて、終焉しない理由は、ラクダは中東では重要な存在であり、皆殺しにすることはできないからだった。
また、MERSにワクチンがない理由について、中東の限られた地域だけで感染、世界で感染していないので、
ワクチンをつくっても儲けにならないという理由だった。
上記池上彰さんの番組からの抜粋です。
新型ウィルスは感染力が強い、しかし感染しても治るまで気付かない人もいる。
このウィルスって、エボラ出血熱のように感染したら致死率が高いものではない。
感染者が死亡してしまうと、感染原が無くなっていく。
変な言い方かもしれないけれど、「ウィルスの気持ち」になってみると死亡させない感染者を増やして、
「もっともっと広げたいのだ〜!終息はさせないぞ〜!インフルエンザのように残りたい!」
と言っているようなウィルスだと言えないだろうか?
ラクダに感染したMERSもまだ終息していない。
インフルエンザも、こうしてみると終息はしていないのだ。
だから、結局、コロナウィルスはインフルエンザのようになって、終息しないで、ワクチンが開発されて、
医療対応ができるウィルスとして残るのではないのかと思ってしまったのだ。
感染母体が死亡しないくらいの毒性が弱ければ感染者はどんどん増えてくれるという
「ウィルスの気持ち」が見えてしまったように思うのですがどうなんでしょうか?
全くの個人の見解です。
朝日新聞
新型コロナウイルスは夏に終焉すると言われているが、現時点では新型であり何も情報がないという。エボラ出血熱は、
およそ50年前から流行しており、その致死率はなんと平均50%前後にもおよぶという。
また、世界に広がっていない理由に、池上は「致死率が高いから」とし、解説を行った。逆に、インフルエンザなど軽症
の方が、流行する可能性が高く、新型コロナは感染力が強いから毒性は弱いと専門家は分析しているという
インフルエンザ
インフルエンザで大騒ぎしなくなったのは、薬ができたからだった。
今回の新型コロナウイルスは、治療薬がないことがパニックになっている。
薬は簡単にはできず、リレンザやタミフルが使用開始になったのも、およそ20年前。インフルエンザも、
薬がない時代は怖い病気であった。インフルエンザの迅速検査キットができたのも、実は最近のことであった。
学校の予防接種を受けたか、受けてないか年齢によって違うのは、実は1994年までだった。
学校の予防接種がなくなったのは、熱が出たり、具合が悪くなるなど国を訴える裁判が起きてきた。
予防接種を受けても、インフルエンザにかかるのは、毎年インフルエンザは形をかえており、ワクチンを変える必要もある。
WHOは、毎年流行るであろうインフルエンザを予想し、ワクチンをつくっている。
つまり、ズバリ当たることもあれば、外れることもあるのだという。
2009年、関西では大阪府や兵庫県が休校し、更にマスク不足になり、世界各国で渡航制限がなされた。
状況は、今似ている。しかし、2009年は一部しかパニックにならなかったのが、既に効く薬が存在していたからだった。
新型ウイルスのワクチンは、早ければ半年後に臨床試験を開始する。
日本の対策が遅れているという印象を与えているのはクルーズ船の感染者数が多いことから来ていると話す。
日本の感染者数が少ない理由の一つに、PCR検査の実施件数が少ないこともあげられる。
新型コロナウイルスが終息する時期について、専門家の多くは季節性のウイルスとして定着するという意見が多いという。
いずれは共存しないといけない時代がくるかもしれないとした
流行しやすいインフルエンザよりも、新型コロナウイルスは感染力が強いという。
更に、無症状でも感染し、場合によっては治るまで症状がでない人もいるという。
新型であるがゆえに、現時点ではわからないことだらけだという。
中国で発生したSARSは、29の国と地域に拡大したが、日本では感染者がいなかった。
SARSは発生からおよそ8ヵ月で終息。その理由に、中国国内で封じ込めることに成功したからだった。
SARSと違い、新型コロナウイルスが広がった理由に、新型コロナウイルスは無症状でも感染することから、
SARSのそれよりも隔離などをし封じ込めることが簡単ではないと解説。
厚生労働省
日本では、毎年インフルエンザにより感染する人は1000万人おり、うち1万人が亡くなっている。
インフルエンザと風邪の違いは、風邪は微熱が続くが、インフルエンザは急に高熱が出るといった違いがある。
インフルエンザは新型コロナウイルスよりも感染者も多く、死者も多いのに、ここまでパニックになっているのだろうか?
その理由の一つは「新型」という点が挙げられる。インフルエンザウイルスを初めて分離できたのが1933年だった。
ラクダ
2012年MERSがサウジアラビアで発生、その後27の国と地域に感染が拡大した。
MERSはまだ終息を迎えていないが、感染が拡大しない理由に、インフルエンザに比べて感染力が弱いからだった。
続いて、終焉しない理由は、ラクダは中東では重要な存在であり、皆殺しにすることはできないからだった。
また、MERSにワクチンがない理由について、中東の限られた地域だけで感染、世界で感染していないので、
ワクチンをつくっても儲けにならないという理由だった。
上記池上彰さんの番組からの抜粋です。
新型ウィルスは感染力が強い、しかし感染しても治るまで気付かない人もいる。
このウィルスって、エボラ出血熱のように感染したら致死率が高いものではない。
感染者が死亡してしまうと、感染原が無くなっていく。
変な言い方かもしれないけれど、「ウィルスの気持ち」になってみると死亡させない感染者を増やして、
「もっともっと広げたいのだ〜!終息はさせないぞ〜!インフルエンザのように残りたい!」
と言っているようなウィルスだと言えないだろうか?
ラクダに感染したMERSもまだ終息していない。
インフルエンザも、こうしてみると終息はしていないのだ。
だから、結局、コロナウィルスはインフルエンザのようになって、終息しないで、ワクチンが開発されて、
医療対応ができるウィルスとして残るのではないのかと思ってしまったのだ。
感染母体が死亡しないくらいの毒性が弱ければ感染者はどんどん増えてくれるという
「ウィルスの気持ち」が見えてしまったように思うのですがどうなんでしょうか?
全くの個人の見解です。
2020年03月26日
赤瀬川原平流?
赤瀬川原平さんとは。
1937−2014 昭和後期-平成時代の美術家,小説家。
昭和12年3月27日生まれ。直木賞作家・赤瀬川隼の弟。昭和35年ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ,38年ハイレッド・センターを結成。
40年1000円札の模造作品で起訴された。54年尾辻克彦の名で小説を発表し,56年「父が消えた」で芥川賞。
61年藤森照信らと路上観察学会を結成。平成10年「老人力」(11年毎日出版文化賞)を出版。平成26年10月26日死去。77歳。
神奈川県出身。武蔵野美術学校(現・武蔵野美大)中退。本名は克彦。
1980年代は意味不明な建造物や物体を「超芸術トマソン」と名づけ,路上観察学会を創設してマンホールのふたや看板を観察して歩いた。
1986年藤森照信、イラストレーターの林丈二(1947― )、南伸坊(1947― )らと「路上観察学会」を結成、
街中の風景のなかから利用目的不明の物体を探して「超芸術トマソン」と命名するフィールドワークを実施。
上記引用。
この人のことは物の見方、視点が面白くて時々思い出す。
今のネット社会にいらしたら彼の頭の中はどんな発想を起こしていただろうかと、今の世の中に必要だった人ではないかと口惜しい。
道路添いに自転車があった。
あるお宅の駐車スペースの内側の片隅だった。
よく見るとブロック塀に伝って生えている弦にがんじがらめに巻かれてしまっている。
相当間使用してない自転車なのだろう。
「まだ乗るとしたら?弦に巻かれていては使用できない。これは要?不要?」
と、思ったら赤瀬川原平さんのことを思い出した。
「いや〜、これも庭の立派なオブジェですね〜。」
と、彼が言いそうで、その証拠を撮らせて頂いた。
1937−2014 昭和後期-平成時代の美術家,小説家。
昭和12年3月27日生まれ。直木賞作家・赤瀬川隼の弟。昭和35年ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ,38年ハイレッド・センターを結成。
40年1000円札の模造作品で起訴された。54年尾辻克彦の名で小説を発表し,56年「父が消えた」で芥川賞。
61年藤森照信らと路上観察学会を結成。平成10年「老人力」(11年毎日出版文化賞)を出版。平成26年10月26日死去。77歳。
神奈川県出身。武蔵野美術学校(現・武蔵野美大)中退。本名は克彦。
1980年代は意味不明な建造物や物体を「超芸術トマソン」と名づけ,路上観察学会を創設してマンホールのふたや看板を観察して歩いた。
1986年藤森照信、イラストレーターの林丈二(1947― )、南伸坊(1947― )らと「路上観察学会」を結成、
街中の風景のなかから利用目的不明の物体を探して「超芸術トマソン」と命名するフィールドワークを実施。
上記引用。
この人のことは物の見方、視点が面白くて時々思い出す。
今のネット社会にいらしたら彼の頭の中はどんな発想を起こしていただろうかと、今の世の中に必要だった人ではないかと口惜しい。
道路添いに自転車があった。
あるお宅の駐車スペースの内側の片隅だった。
よく見るとブロック塀に伝って生えている弦にがんじがらめに巻かれてしまっている。
相当間使用してない自転車なのだろう。
「まだ乗るとしたら?弦に巻かれていては使用できない。これは要?不要?」
と、思ったら赤瀬川原平さんのことを思い出した。
「いや〜、これも庭の立派なオブジェですね〜。」
と、彼が言いそうで、その証拠を撮らせて頂いた。
2020年03月25日
よそ様のチューリップ!
ここの所ジムが閉鎖していることと、お天気がいいので、太陽が照っている時間に行ける時はウォーキングに励んでいます。
いつもは夕食後、腹ごなし気分で行ってましたが、まだまだ寒風に晒される日もあって、手袋を準備しなかった日の寒かったこと。
そして、やっぱり暗いので点滅式のライト持参で車に気を付けて歩かなければならないなど注意点もある。
その上、周りの景色は無し、真っ暗な中自分の決めたノルマ(時間)をこなすだけって感じで、自己満足のみの世界。
その点、やはり暖かい、昼間のウォーキングは景色が違う。
速足で歩きながらも、沿道のお宅の軒先に咲かせているお花が次々と目に入る。
その中の一軒のお宅のチューリップがあまりに彩あざやかで引き寄せられた。
よそ様のお宅のプランターに咲いていたのに、撮らせて頂きました。
チューリップ達が「撮って!」とでも言っているくらい今が満開でした。
春らしいポカポカ陽気の太陽の元、チューリップが気持ち良さそうにしてました。
いつもは夕食後、腹ごなし気分で行ってましたが、まだまだ寒風に晒される日もあって、手袋を準備しなかった日の寒かったこと。
そして、やっぱり暗いので点滅式のライト持参で車に気を付けて歩かなければならないなど注意点もある。
その上、周りの景色は無し、真っ暗な中自分の決めたノルマ(時間)をこなすだけって感じで、自己満足のみの世界。
その点、やはり暖かい、昼間のウォーキングは景色が違う。
速足で歩きながらも、沿道のお宅の軒先に咲かせているお花が次々と目に入る。
その中の一軒のお宅のチューリップがあまりに彩あざやかで引き寄せられた。
よそ様のお宅のプランターに咲いていたのに、撮らせて頂きました。
チューリップ達が「撮って!」とでも言っているくらい今が満開でした。
春らしいポカポカ陽気の太陽の元、チューリップが気持ち良さそうにしてました。
2020年03月24日
録画記事。
以前はペット関連のNHKの番組「もふもふモフモフ」が好きでよく録画していた。
感動すると残しておきたくて、また特に猫達の表情や生活振りが様々で記事にしていた。
最近はTV朝日の「ポツンと一軒家」だった。
この番組の発端と同じく、
「何故こんな所に一軒家が?どんな人がどんな理由で暮らしているのか?」
という非常に強い興味があって録画して観ている。
何故録画かというと、景色だったり、理由だったり、インタビュー内容を流して観てしまうのではなく、
再度確かめたいことが多々あるからだ。
それと、日曜日の午後7時から8時頃は何となく落ち着いていなかったりで、じっくりと観ている
暇がないというのも理由の一つなのだ。
だから翌日だったり、後日ゆっくりと観るためなのだ。
全体的に、TVは殆どお気に入り番組は録画しておいて、後で自分が落ち着いた時間に観る。
「オンタイム」に自分を合わせるといろんなことが制約されるので、番組そのものを自分の時間帯に合わせる方式で
視聴しているというのが本音なのかもしれない。
しかし、「もふもふモフモフ」は既に終わっていて寂しい限りだ。
そんな最近、「ポツンと一軒家」にも不穏な情報が入ってきた。
最近の視聴率が常に20%台となっているTV朝日の、”高視聴率を盤石に取れる番組”になっているのに、
ついに、ネタ切れ間近か?との不安が消えないというのだ。
タレントが出てきて個々のキャラクターを押し売りされるような番組が多くて、ただ騒がしいだけというよりは、
タレントや俳優が関係ない、ドキュメンタリーの番組に興味があるので、
「ポツンと一軒家」はそれに近いような感覚があって、興味があるのだと思う。
折角楽しみにしているのに、”ネタ切れ”で終わって欲しくないのです。
広い日本、まだまだ独自の暮らしを貫いている、「ポツンと一軒家」さんはいらっしゃると
思います。
とに角、「ポツンと一軒家」さん達の自力で生活を切り開いていくエネルギーとスキルには
いつも尊敬の念しかない、普通の人達であって特別な人達なのだと羨ましく思うことばかり
なのです。
人間の可能性さえ見せて頂いているような人達です。
”人生の達人”と呼びたい人や家族です。
どうぞ、スタッフの皆様、頑張って番組を続けて下さい。
期待してます!
感動すると残しておきたくて、また特に猫達の表情や生活振りが様々で記事にしていた。
最近はTV朝日の「ポツンと一軒家」だった。
この番組の発端と同じく、
「何故こんな所に一軒家が?どんな人がどんな理由で暮らしているのか?」
という非常に強い興味があって録画して観ている。
何故録画かというと、景色だったり、理由だったり、インタビュー内容を流して観てしまうのではなく、
再度確かめたいことが多々あるからだ。
それと、日曜日の午後7時から8時頃は何となく落ち着いていなかったりで、じっくりと観ている
暇がないというのも理由の一つなのだ。
だから翌日だったり、後日ゆっくりと観るためなのだ。
全体的に、TVは殆どお気に入り番組は録画しておいて、後で自分が落ち着いた時間に観る。
「オンタイム」に自分を合わせるといろんなことが制約されるので、番組そのものを自分の時間帯に合わせる方式で
視聴しているというのが本音なのかもしれない。
しかし、「もふもふモフモフ」は既に終わっていて寂しい限りだ。
そんな最近、「ポツンと一軒家」にも不穏な情報が入ってきた。
最近の視聴率が常に20%台となっているTV朝日の、”高視聴率を盤石に取れる番組”になっているのに、
ついに、ネタ切れ間近か?との不安が消えないというのだ。
タレントが出てきて個々のキャラクターを押し売りされるような番組が多くて、ただ騒がしいだけというよりは、
タレントや俳優が関係ない、ドキュメンタリーの番組に興味があるので、
「ポツンと一軒家」はそれに近いような感覚があって、興味があるのだと思う。
折角楽しみにしているのに、”ネタ切れ”で終わって欲しくないのです。
広い日本、まだまだ独自の暮らしを貫いている、「ポツンと一軒家」さんはいらっしゃると
思います。
とに角、「ポツンと一軒家」さん達の自力で生活を切り開いていくエネルギーとスキルには
いつも尊敬の念しかない、普通の人達であって特別な人達なのだと羨ましく思うことばかり
なのです。
人間の可能性さえ見せて頂いているような人達です。
”人生の達人”と呼びたい人や家族です。
どうぞ、スタッフの皆様、頑張って番組を続けて下さい。
期待してます!
2020年03月23日
ガ━ゼも・・、無い。
我が家のマスクは普段取り敢えずストックしていた枚数しか無い。
特に、花粉症対策用だった。
コロナウィルス騒動が起こって買っておこうかと思った頃にはもう売っていなかった。
まあ、ガーゼのマスクがだから、非常時には洗って使い回そうと思っている。
しかし、これも人情で、もしかして売っている場面に遭遇するかもしれないという微かな
望みは持つものだ。
それで、いつも立ち寄るドラッグストアーの近くに行く時は、もしかしたらあるかもしれないと
立ち寄って確かめたくなる。
そして、やっぱり無いのが解るのだ。
「やっぱりな〜。」
という諦め感を味わうことになる。
「でも、ガーゼを買っておけば自分で作れるかもしれないから、ガーゼを買おう。」
と、探してみる。
「うわっ!みんな考えることは同じなんだ〜!ガーゼも売り切れなんだ。」
と、空になった棚を見てがっかりする。
しかし、私の場合、そんなに悲壮感が強くない理由がある。
移動は車が主で、満員電車に乗るなどの機会はない。
密閉された空間で仕事をするなどという必要もない。
だから、一日中マスクをしていないと危険だという逼迫した生活ではないのだ。
だから、あるマスクで何とか対応しようと思っているのが現在の状態だ。
皆さんはマスクの補充できてますか?
くれぐれも、感染することのないように、お元気でお過ごしください。
特に、花粉症対策用だった。
コロナウィルス騒動が起こって買っておこうかと思った頃にはもう売っていなかった。
まあ、ガーゼのマスクがだから、非常時には洗って使い回そうと思っている。
しかし、これも人情で、もしかして売っている場面に遭遇するかもしれないという微かな
望みは持つものだ。
それで、いつも立ち寄るドラッグストアーの近くに行く時は、もしかしたらあるかもしれないと
立ち寄って確かめたくなる。
そして、やっぱり無いのが解るのだ。
「やっぱりな〜。」
という諦め感を味わうことになる。
「でも、ガーゼを買っておけば自分で作れるかもしれないから、ガーゼを買おう。」
と、探してみる。
「うわっ!みんな考えることは同じなんだ〜!ガーゼも売り切れなんだ。」
と、空になった棚を見てがっかりする。
しかし、私の場合、そんなに悲壮感が強くない理由がある。
移動は車が主で、満員電車に乗るなどの機会はない。
密閉された空間で仕事をするなどという必要もない。
だから、一日中マスクをしていないと危険だという逼迫した生活ではないのだ。
だから、あるマスクで何とか対応しようと思っているのが現在の状態だ。
皆さんはマスクの補充できてますか?
くれぐれも、感染することのないように、お元気でお過ごしください。
2020年03月22日
卒業式。
新聞のコラム欄 2020/03/17引用
菊池桃子さん、斉藤由貴さん、尾崎豊さん。まだ10代だった3人が同じ「卒業」の題名で異なる新曲を同時期に出し、
話題になったことがある。1985年のことだ。
▼当時、最もヒットしたのは富士市出身の林哲司さんが作曲を手掛けた菊池さんの歌。ただ、息長く親しまれ、
歌い継がれてきた点では、斉藤さんや尾崎さんの曲も負けていない。
▼デビュー曲でもあった斉藤さんの歌は、卒業で離れ離れになる同級生への恋心を描く。強がりに潜む純情が切ない歌詞は
ヒットメーカー松本隆さん作。制服のボタンをねだられ、恥ずかしそうに逃げた。うれしいくせに−と、思いを寄せる相手が
下級生にも慕われる人だと歌い出す。
▼意中の先輩のボタンをもらう「儀式」が令和の今、どの程度残っているのかは知らないが、この春は確実に減っただろう。
既に終わった県内の大学や公立高の卒業式は在校生や保護者不在、会場も各教室でと、多くが規模を縮小して行われた。
中止したところもあった。
▼〈卒業式で歌う予定だったけどなくなりました。卒業式はマスクを外したらダメ。校歌もテープで流すだけ〉。
定番の卒業ソングをアップした動画配信サイトのコメント欄にこんな書き込みを見つけた。
思春期のいちずな思いの告白や思い出づくりの機会を奪ったウイルスが恨めしい。
以上引用
まだまだ、コロナウィルスの感染は終息の気配がなく、イベントやスポーツ界、教育界など広く
影響を受けている。
そんな中での卒業のシーズンに卒業式が行われない、或いは規模縮小などの形で行うなどの影響が出ている。
当の卒業生のことを思うと本当に胸が痛む。
華やかに、賑やかに、関係者の思いを精いっぱい表現して送り出してあげたかったと思う。
それでも、私の住む市の学校はぎりぎり再開されて、小学校では卒業式が行われたとの
ニュースがあった。
小学生でも、女子は袴姿での出席の生徒もいて、彼女達の式後の感想が本当に嬉しそうで
見ているこちらも安堵と嬉しさで一杯になりました。
やっぱり、人生の節目の思い出が欠けることなく残せたことは、こんな事態の中でも幸運だったのではないでしょうか。
保護者の方も出席できたようですし、再開と同時に袴などの支度をされたご家庭や、
”卒業式挙行”と決断された学校関係者のご苦労などはあったかと思いますが、
素晴らしい決断だったのではないかと思っています。
卒業生の皆さんご卒業おめでとうございます!
菊池桃子さん、斉藤由貴さん、尾崎豊さん。まだ10代だった3人が同じ「卒業」の題名で異なる新曲を同時期に出し、
話題になったことがある。1985年のことだ。
▼当時、最もヒットしたのは富士市出身の林哲司さんが作曲を手掛けた菊池さんの歌。ただ、息長く親しまれ、
歌い継がれてきた点では、斉藤さんや尾崎さんの曲も負けていない。
▼デビュー曲でもあった斉藤さんの歌は、卒業で離れ離れになる同級生への恋心を描く。強がりに潜む純情が切ない歌詞は
ヒットメーカー松本隆さん作。制服のボタンをねだられ、恥ずかしそうに逃げた。うれしいくせに−と、思いを寄せる相手が
下級生にも慕われる人だと歌い出す。
▼意中の先輩のボタンをもらう「儀式」が令和の今、どの程度残っているのかは知らないが、この春は確実に減っただろう。
既に終わった県内の大学や公立高の卒業式は在校生や保護者不在、会場も各教室でと、多くが規模を縮小して行われた。
中止したところもあった。
▼〈卒業式で歌う予定だったけどなくなりました。卒業式はマスクを外したらダメ。校歌もテープで流すだけ〉。
定番の卒業ソングをアップした動画配信サイトのコメント欄にこんな書き込みを見つけた。
思春期のいちずな思いの告白や思い出づくりの機会を奪ったウイルスが恨めしい。
以上引用
まだまだ、コロナウィルスの感染は終息の気配がなく、イベントやスポーツ界、教育界など広く
影響を受けている。
そんな中での卒業のシーズンに卒業式が行われない、或いは規模縮小などの形で行うなどの影響が出ている。
当の卒業生のことを思うと本当に胸が痛む。
華やかに、賑やかに、関係者の思いを精いっぱい表現して送り出してあげたかったと思う。
それでも、私の住む市の学校はぎりぎり再開されて、小学校では卒業式が行われたとの
ニュースがあった。
小学生でも、女子は袴姿での出席の生徒もいて、彼女達の式後の感想が本当に嬉しそうで
見ているこちらも安堵と嬉しさで一杯になりました。
やっぱり、人生の節目の思い出が欠けることなく残せたことは、こんな事態の中でも幸運だったのではないでしょうか。
保護者の方も出席できたようですし、再開と同時に袴などの支度をされたご家庭や、
”卒業式挙行”と決断された学校関係者のご苦労などはあったかと思いますが、
素晴らしい決断だったのではないかと思っています。
卒業生の皆さんご卒業おめでとうございます!
2020年03月21日
観察されている。
猫の散歩が終わると、家の掃除が始まる。
猫はお気に入りの場所、ソファーの背もたれの上で高見の見物をする格好になる。
元々、掃除機は嫌いなのだ。
だから成るべく遠くにいたいのだろう。
或いは、お天気のいい日は、二階のベランダの陽当たりのいい所でのんびりとしている。
ベランダに行かないで私のお掃除の手順をじっと見ていて、早くホットカーペットに寝ころび
たいな、なんて思っている時(多分)はソファーの上だ。
掃除がまだ、ソファーの辺りしか終わっていないが、彼の落ち着きたいスペースが済んだと
判断すると、降りてくるか彼専用の椅子の上に移って陣取る。
毎日の習慣を見ていると、もうその場所には掃除機が帰ってくることは無い、と解るのだろう。
私も、いたずら半分にフェイントをかけて、突然戻るなんてことはしないから、もうその場所
は、例え残りのスペースの掃除機掛けをやっていても、そこは落ち着ける場所だと判断するようだ。
そして暖かい、のんびりとした時間が始まる。
猫は猫側から私を観察しているようで、私も私で掃除機掛けの途中でもどこまでやったら
彼が移動を始めるのか観察していた。
そして私の落ち着く頃合いも観察されているようで、
「ねえ、ねえ、終わったら、ソファーに座ってよ〜。背中トントンして欲しいんだからさ〜。」
と催促するのだ。
私のルーチン作業は彼にはしっかりと記憶されていて起床時から就寝時まで全て観察されているようだ。
だから、私も成るべく習慣化したものは変えずに彼の安定した生活を守ってあげたい。
彼がゆったりと落ち着いているのを見ると私も幸せを感じさせてもらえる。
一緒にいてくれてありがとう。
猫はお気に入りの場所、ソファーの背もたれの上で高見の見物をする格好になる。
元々、掃除機は嫌いなのだ。
だから成るべく遠くにいたいのだろう。
或いは、お天気のいい日は、二階のベランダの陽当たりのいい所でのんびりとしている。
ベランダに行かないで私のお掃除の手順をじっと見ていて、早くホットカーペットに寝ころび
たいな、なんて思っている時(多分)はソファーの上だ。
掃除がまだ、ソファーの辺りしか終わっていないが、彼の落ち着きたいスペースが済んだと
判断すると、降りてくるか彼専用の椅子の上に移って陣取る。
毎日の習慣を見ていると、もうその場所には掃除機が帰ってくることは無い、と解るのだろう。
私も、いたずら半分にフェイントをかけて、突然戻るなんてことはしないから、もうその場所
は、例え残りのスペースの掃除機掛けをやっていても、そこは落ち着ける場所だと判断するようだ。
そして暖かい、のんびりとした時間が始まる。
猫は猫側から私を観察しているようで、私も私で掃除機掛けの途中でもどこまでやったら
彼が移動を始めるのか観察していた。
そして私の落ち着く頃合いも観察されているようで、
「ねえ、ねえ、終わったら、ソファーに座ってよ〜。背中トントンして欲しいんだからさ〜。」
と催促するのだ。
私のルーチン作業は彼にはしっかりと記憶されていて起床時から就寝時まで全て観察されているようだ。
だから、私も成るべく習慣化したものは変えずに彼の安定した生活を守ってあげたい。
彼がゆったりと落ち着いているのを見ると私も幸せを感じさせてもらえる。
一緒にいてくれてありがとう。