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2021年03月29日
私達は楽しいけど、ちょっと寂しい・・・。
またまた食事会無事にいつものメンバー揃いました。
茄子とよもぎ麩とクリームチーズのオーブン焼き。
ソフトシェルクラブの唐揚げサラダ仕立て。
春巻きカップ入り牛フィレ肉とフォアグラのステーキ
にんにく醤油バターソース。
本鮪大トロ丼ぶり。
他二品と、デザートは苺のロールケーキとコーヒー。
以上7品が頃合いよく運ばれてきた。
いつもお任せのコースなので何が出てくるのか楽しみなランチタイムです。
○○銀座と呼ばれる通りに面した2Fの個室仕様なので本当に気兼ねなく
美味しい時間が過ごせる。
ワンマイルウェアーが中心の洋品店などを覗くのも楽しみで、
お互いのセレクト品を品定めしたりして女同士の楽しみも満喫できる。
(´;ω;`)ウゥゥ・・・。
しかし、そのお店の周辺の変化には寂しさを感じる。
以前覗いていたお店がしっかりと閉店しているのだ。
他にもあった。
お肉専門店に貼り紙がしてある・・・、近づいて読んでみると「閉店のお知らせ」。
「あっ、忙しく働いていたあの御主人はどうされているだろう。あの奥さんは?」
と、愛想よく応対してくれていたご家族のことを思った。
金物屋さんなどは開店休業状態ではないかと思う程の寂れぶり、何のパワー
も感じられない。
ブランドのスポーツ用品店も・・・、閉店していた。
(写真はお借りしたものです。)
飲食店、テイクアウトのお店(最近小さなお店を出した)、贈答用のお菓子屋さん、
お茶屋さん、等々、何とか需要のあるお店が残っている状態。
寂しい影を落とす○○銀座の姿・・・。
経営者の年齢(高齢化)と後継者の関係や、大型スーパーができていることとか、
コロナ禍のこととかいろいろ重なって、○○銀座も元気をなくしている。
そんなことは多分日本中のどこにでも起きて現象なのだろう。
人口が減少し、コロナ禍で経済を上手く回せなくなっていくこの現象に、
日本の将来に不安を感じる。(´;ω;`)ウッ…
茄子とよもぎ麩とクリームチーズのオーブン焼き。
ソフトシェルクラブの唐揚げサラダ仕立て。
春巻きカップ入り牛フィレ肉とフォアグラのステーキ
にんにく醤油バターソース。
本鮪大トロ丼ぶり。
他二品と、デザートは苺のロールケーキとコーヒー。
以上7品が頃合いよく運ばれてきた。
いつもお任せのコースなので何が出てくるのか楽しみなランチタイムです。
○○銀座と呼ばれる通りに面した2Fの個室仕様なので本当に気兼ねなく
美味しい時間が過ごせる。
ワンマイルウェアーが中心の洋品店などを覗くのも楽しみで、
お互いのセレクト品を品定めしたりして女同士の楽しみも満喫できる。
(´;ω;`)ウゥゥ・・・。
しかし、そのお店の周辺の変化には寂しさを感じる。
以前覗いていたお店がしっかりと閉店しているのだ。
他にもあった。
お肉専門店に貼り紙がしてある・・・、近づいて読んでみると「閉店のお知らせ」。
「あっ、忙しく働いていたあの御主人はどうされているだろう。あの奥さんは?」
と、愛想よく応対してくれていたご家族のことを思った。
金物屋さんなどは開店休業状態ではないかと思う程の寂れぶり、何のパワー
も感じられない。
ブランドのスポーツ用品店も・・・、閉店していた。
(写真はお借りしたものです。)
飲食店、テイクアウトのお店(最近小さなお店を出した)、贈答用のお菓子屋さん、
お茶屋さん、等々、何とか需要のあるお店が残っている状態。
寂しい影を落とす○○銀座の姿・・・。
経営者の年齢(高齢化)と後継者の関係や、大型スーパーができていることとか、
コロナ禍のこととかいろいろ重なって、○○銀座も元気をなくしている。
そんなことは多分日本中のどこにでも起きて現象なのだろう。
人口が減少し、コロナ禍で経済を上手く回せなくなっていくこの現象に、
日本の将来に不安を感じる。(´;ω;`)ウッ…
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2021年03月28日
イラストレーター西村玲子さん死去、78歳 。
以下引用
西村玲子
イラストレーター、エッセイスト。大阪生まれ。ファッション、インテリア、旅、映画など、日常の中で発見する心ときめくものや自然体で気持ちのいい暮らしを提案。近年、アクセサリー、写真、コラージュ、オブジェなどにも創作の幅を広げている。『玲子さんのおしゃれクロゼット』『玲子さんののんびり老い支度』など著書は200冊以上にのぼる。最新刊は『玲子さんの心地いい時間』。
イラストレーターの西村玲子さんが1月24日、肺腺がんのため亡くなった。78歳。
葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男佳有(かう)さん。
2013年4月から始まった、本紙(毎日新聞)くらしナビ面「西村玲子の装い帳」などで自身のイラストを付けて執筆した。
軽妙な文章とともに、色鉛筆で描いた優しい絵が好評となった。
最後の本紙掲載は20年3月。最近の男性のファッションについて「型にはまっていると思いがちな男性のおしゃれだが、
最近のそれはかなり自由になっている。
私も何となく気づいていたけれど、確信に変わった。
そもそも、おしゃれを男女で分ける方がおかしい。
一時期ほどそこに区別はなくなっている」などと記し、「おしゃれのことを考えているのは楽しい時間だ」と締めくくった。
上記引用
私はこれらのことをネットのニュースで知った。
驚いた。
すぐに、手元にある彼女の本を確かめた。
彼女のイラストのタッチが好きだったし、洋服選びのセンスが好きだった。
全体の雰囲気も好きだった。
色鉛筆で私も描けそうな気がするくらい(おこがましい!)軽やかで自由で好きだった。
だから、手元に本を置いて時々楽しんでいた。
その憧れのイラストレーターが亡くなられた。
彼女が活躍した時代は沢山の”イラストレーター”という人達が出現した時代で、ファッションと共に私達に夢を与えてくれた。
そんな中でも、
「私の持っている洋服でもこんな風に着れそう」
というくらいの、”普段のファッションの中でもセンス良く”という感覚が好きだった。
今でも迷うと玲子さんならどんな風に着てるかな?とこの一冊を捲ることがある。
(ただ、玲子さんみたいにと思った頃と違っているのが、現体型なのだ。)
私達の時代の表現者がいなくなる・・・、一つの時代が終わったような気がしてしまう。
でも、ガッチリとオシャレするのではない、普段、日常の中でセンスを磨いていく、アクセサリーやバッグや靴まで、
いつも自分の目を養っていくことの楽しさを軽やかに教えてくれた人だと思っている。
寂しい・・・。
これから、彼女の晩年の暮らし方も丁寧に読ませてもらい、これからも
小奇麗に、健康的に生きていきたいと思っています。
玲子さん、大好きでした、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
以下にエッセイの一部引用します。
「玲子さんの素敵なひとり時間」
第1回
端切れのブローチ
2019/08/27
2016年の秋、私に思いがけない病気が見つかった。40日間の入院、それに続く通院治療の生活。
この3年で失ったものもあるけれど、得たものも様々ある。
自分の家で暮らし、好きなことに没頭できる幸せ。
イラストを描き、文章を考える日常も、今更ながら楽しい。
新しい連載の場をいただいて、私の一人時間にまた弾みがつきそうです。
しっかりとした金やシルバーのアクセサリーも、もちろんいいのだけれど、近頃はカジュアルな服ばかりだから、
アクセサリーの選び方も変わった。カジュアルという目線ですっかり安定している。
出かける先といえば、病院ばかりという緊張感のなさが輪をかけるのだと思う。
そこのところ何とかしなければ、と緊張感のある生活を思い出して、自分を少しでもそちらに持っていこうかと思う。
さて、面白い端切れをブローチやネックレスに作り替えると、たちまち自由が寛いで私の周りに集まるようだ。
生まれたてのその子たちは仲間が増えるごとにわいわいがやがや。
私も調子に乗って作り続けて、外が暗くなったのにも気が付かず、いつの間にか肩も凝っている。いつものことだ。
端切れのアクセサリー、またこんなに作ってしまった。食べるのも飲むのも忘れて、いけない、いけない。
大切なことを後回しにしてしまう。
これが入院生活を繰り返す人々の悪いところといえばそんなところかしら。
そういう人を集めて会議をしてみたらどうかしらなどと考え、笑いがこみ上げる。変な病人。
ある日娘が大きな机の上に、私が集めてきた布の山を載せて、この中の必要な布以外はこちらに分けて、
思い切って捨てましょうと言った。
私は魔法をかけられた人のようにその時はなって、全部要りません、お好きにしてください。
としおらしくしていた。
なんでそんなことを言えたのかは不思議。案の定、しばらく布を見ていると、捨てられないわ、なんで捨てなきゃいけないの。
という気持ちがわいてきたが、最後は、私は病人、老いては子に従え、そちらの気持ちが勝った。
せめて置いておく布はプラスチックケースにきれいに並べて大切にしようと、心に誓う。
どうせ私は病気よ。
こんなに作れないかもね。
そうですよ、そろそろ80歳に近づこうとするのにね。と思ったら、不思議なことに
100歳近くまで元気で生きている方々のお姿がぽっかり浮かぶ。なぜかきれいな人ばかり。
今日はなんだかいさぎよくない。いつもはこんなじゃないのですよ。
上記引用
西村玲子
イラストレーター、エッセイスト。大阪生まれ。ファッション、インテリア、旅、映画など、日常の中で発見する心ときめくものや自然体で気持ちのいい暮らしを提案。近年、アクセサリー、写真、コラージュ、オブジェなどにも創作の幅を広げている。『玲子さんのおしゃれクロゼット』『玲子さんののんびり老い支度』など著書は200冊以上にのぼる。最新刊は『玲子さんの心地いい時間』。
イラストレーターの西村玲子さんが1月24日、肺腺がんのため亡くなった。78歳。
葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男佳有(かう)さん。
2013年4月から始まった、本紙(毎日新聞)くらしナビ面「西村玲子の装い帳」などで自身のイラストを付けて執筆した。
軽妙な文章とともに、色鉛筆で描いた優しい絵が好評となった。
最後の本紙掲載は20年3月。最近の男性のファッションについて「型にはまっていると思いがちな男性のおしゃれだが、
最近のそれはかなり自由になっている。
私も何となく気づいていたけれど、確信に変わった。
そもそも、おしゃれを男女で分ける方がおかしい。
一時期ほどそこに区別はなくなっている」などと記し、「おしゃれのことを考えているのは楽しい時間だ」と締めくくった。
上記引用
私はこれらのことをネットのニュースで知った。
驚いた。
すぐに、手元にある彼女の本を確かめた。
彼女のイラストのタッチが好きだったし、洋服選びのセンスが好きだった。
全体の雰囲気も好きだった。
色鉛筆で私も描けそうな気がするくらい(おこがましい!)軽やかで自由で好きだった。
だから、手元に本を置いて時々楽しんでいた。
その憧れのイラストレーターが亡くなられた。
彼女が活躍した時代は沢山の”イラストレーター”という人達が出現した時代で、ファッションと共に私達に夢を与えてくれた。
そんな中でも、
「私の持っている洋服でもこんな風に着れそう」
というくらいの、”普段のファッションの中でもセンス良く”という感覚が好きだった。
今でも迷うと玲子さんならどんな風に着てるかな?とこの一冊を捲ることがある。
(ただ、玲子さんみたいにと思った頃と違っているのが、現体型なのだ。)
私達の時代の表現者がいなくなる・・・、一つの時代が終わったような気がしてしまう。
でも、ガッチリとオシャレするのではない、普段、日常の中でセンスを磨いていく、アクセサリーやバッグや靴まで、
いつも自分の目を養っていくことの楽しさを軽やかに教えてくれた人だと思っている。
寂しい・・・。
これから、彼女の晩年の暮らし方も丁寧に読ませてもらい、これからも
小奇麗に、健康的に生きていきたいと思っています。
玲子さん、大好きでした、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
以下にエッセイの一部引用します。
「玲子さんの素敵なひとり時間」
第1回
端切れのブローチ
2019/08/27
2016年の秋、私に思いがけない病気が見つかった。40日間の入院、それに続く通院治療の生活。
この3年で失ったものもあるけれど、得たものも様々ある。
自分の家で暮らし、好きなことに没頭できる幸せ。
イラストを描き、文章を考える日常も、今更ながら楽しい。
新しい連載の場をいただいて、私の一人時間にまた弾みがつきそうです。
しっかりとした金やシルバーのアクセサリーも、もちろんいいのだけれど、近頃はカジュアルな服ばかりだから、
アクセサリーの選び方も変わった。カジュアルという目線ですっかり安定している。
出かける先といえば、病院ばかりという緊張感のなさが輪をかけるのだと思う。
そこのところ何とかしなければ、と緊張感のある生活を思い出して、自分を少しでもそちらに持っていこうかと思う。
さて、面白い端切れをブローチやネックレスに作り替えると、たちまち自由が寛いで私の周りに集まるようだ。
生まれたてのその子たちは仲間が増えるごとにわいわいがやがや。
私も調子に乗って作り続けて、外が暗くなったのにも気が付かず、いつの間にか肩も凝っている。いつものことだ。
端切れのアクセサリー、またこんなに作ってしまった。食べるのも飲むのも忘れて、いけない、いけない。
大切なことを後回しにしてしまう。
これが入院生活を繰り返す人々の悪いところといえばそんなところかしら。
そういう人を集めて会議をしてみたらどうかしらなどと考え、笑いがこみ上げる。変な病人。
ある日娘が大きな机の上に、私が集めてきた布の山を載せて、この中の必要な布以外はこちらに分けて、
思い切って捨てましょうと言った。
私は魔法をかけられた人のようにその時はなって、全部要りません、お好きにしてください。
としおらしくしていた。
なんでそんなことを言えたのかは不思議。案の定、しばらく布を見ていると、捨てられないわ、なんで捨てなきゃいけないの。
という気持ちがわいてきたが、最後は、私は病人、老いては子に従え、そちらの気持ちが勝った。
せめて置いておく布はプラスチックケースにきれいに並べて大切にしようと、心に誓う。
どうせ私は病気よ。
こんなに作れないかもね。
そうですよ、そろそろ80歳に近づこうとするのにね。と思ったら、不思議なことに
100歳近くまで元気で生きている方々のお姿がぽっかり浮かぶ。なぜかきれいな人ばかり。
今日はなんだかいさぎよくない。いつもはこんなじゃないのですよ。
上記引用
2021年03月27日
僕、退院しました、帰宅。
僕、歯を折っちゃいました。
牙と言われる歯です。
それで、急遽動物病院に連れて行かれました。
時間外だったし、出血も多かったのでそのまま入院になりました。
口腔内の治療とで、2泊の入院でした。
僕は他の保護猫ちゃん達と3匹で今のお家に引き取られて仲良く、時々喧嘩しながら暮らしています。
僕は突然、2昼夜いなくなったわけです。
他の猫達はどうしていたかな〜。
僕は早くお家に帰りたかったよ。
それで、治療も終わってお家に帰りました。
玄関に僕の入ったままのケージをおかれました。
そしたらね、他の猫、お家で、
「あれ?1匹いない。あれ?どこ行ったのかな?いない!」
と心配し、寂しがっていた2匹が僕の周りをグルグル回ってたんだよ。
🐈
そしてね、僕がケージから出て解放された途端、お留守番していた2匹
がね、僕の事ペロペロと舐めてくれたんだよ。
「大好きだよ〜、心配したんだよ〜。帰ってきてよかった〜!」
と留守番2匹は言ってたよ。(/ω\)
僕たち離れたくないんだもん。
たまにじゃれ合うけど。
それから、僕ね、お世話に来てくれる人からブラッシングしてもらえるようになったよ。
ちょっと怖くてずっとキャットタワーの上から見てたんだけど、他の猫がやってもらってるし気持ち良さそうだから、降りてみたんだ。
お腹を出してブラッシングしてもらうこともできたんだ!
気持ち良かったよ。
キャットタワーの上でなんか嬉しくてひっくり返ったりしたよ。
遊んでもらったんだ!
僕、このお家と仲間(=^・^=)と飼い主さんが大好きだよ。
あっ時々僕たちのお世話に来てくれる人も好きだよ。😙
あ〜あ、お家に帰れて嬉しいな〜。
皆と一緒がいいよ、楽しいよ〜。
あっ、歯(牙の部分)が取れて口回りがすっきりしたよ。
お世話の人にも見てもらおうっと、何て言うかな〜。
楽しみだな〜!(〃艸〃)ムフッ
2021年03月26日
日光裏街道隠れ里。
2021年03月25日
「お散歩行く?」「ううん、まだこの方があったかい〜。」
我が家の猫さん(♂18歳)のお散歩前。
お散歩前の準備をして、毛布に包まっている状態の毛布をそっと捲ってみる。ウインク
気持ち良さそうにまだ眠っていた様子。
起こしてしまうのも可哀想かな?と少し様子を見る。
こちらの内心としては朝はいろいろ忙しいのでいつも通りの時間帯でお散歩して欲しい・・・。
「どうする?」
と、もう一度訊いてみる。
すると、ハッと気づいたように起きてキョロキョロと辺りを見回して、
「あっ、お散歩行く!」
と、玄関に行く。
リードを付け乍ら、
「お利口さんだね〜。さあ、今日もお散歩しようね。」
と、話しかけると、静かに待っている。🐈
最近は、一応の縄張り?(家猫なので範囲は狭い。(〃艸〃)ムフッ)を点検して安心すると自分から玄関扉の前に行き、
「もう、家に入るから開けて。」
という行動を取る。
お付きである私は、
「はは〜、解りました。今開けます。」
と、玄関に入り、猫の身体を全部抱き上げて膝抱っこして四肢の裏側
を拭いて解放!となる。
毎日のルーティーンの中の一つずつをこなしていくと、お互いの要求が何なのかよく解り、
猫にとっても私にとっても何をしたいのかよく解る。😙
猫の長生きの為には成るべくストレスになるようなことは避けて、
気持ち良く暮らしてもらいたいと思っている。
沢山食べて、沢山遊んで、沢山寝てね!(=^・^=)
お散歩前の準備をして、毛布に包まっている状態の毛布をそっと捲ってみる。ウインク
気持ち良さそうにまだ眠っていた様子。
起こしてしまうのも可哀想かな?と少し様子を見る。
こちらの内心としては朝はいろいろ忙しいのでいつも通りの時間帯でお散歩して欲しい・・・。
「どうする?」
と、もう一度訊いてみる。
すると、ハッと気づいたように起きてキョロキョロと辺りを見回して、
「あっ、お散歩行く!」
と、玄関に行く。
リードを付け乍ら、
「お利口さんだね〜。さあ、今日もお散歩しようね。」
と、話しかけると、静かに待っている。🐈
最近は、一応の縄張り?(家猫なので範囲は狭い。(〃艸〃)ムフッ)を点検して安心すると自分から玄関扉の前に行き、
「もう、家に入るから開けて。」
という行動を取る。
お付きである私は、
「はは〜、解りました。今開けます。」
と、玄関に入り、猫の身体を全部抱き上げて膝抱っこして四肢の裏側
を拭いて解放!となる。
毎日のルーティーンの中の一つずつをこなしていくと、お互いの要求が何なのかよく解り、
猫にとっても私にとっても何をしたいのかよく解る。😙
猫の長生きの為には成るべくストレスになるようなことは避けて、
気持ち良く暮らしてもらいたいと思っている。
沢山食べて、沢山遊んで、沢山寝てね!(=^・^=)
2021年03月24日
「第12回子どもノンフィクション文学賞」の表彰式
北九州市が主催する「第12回子どもノンフィクション文学賞」の表彰式が20日、同市小倉北区の市立文学館であり、
中学生の部で佳作を受賞した秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さまがオンラインで参加した。
この文学賞は、子どもたちに実在の人間や社会に関心を持ってもらい、成長を促そうと、市が2009年度に始めた。
今回は小学生の部に260編、中学生の部に97編の応募があった。
上記引用
主催の北九州市にとっては、思いもかけない程の宣伝にはなったでしょう。( ̄ー ̄)ニヤリ
と、いう現象になるということですね、皇族が一般人と同じことをするってことが・・・。
個人的に不思議に思っていたことは、思った通りのことを発するリリ
ー・フランキーさんの書評でした。
しかし、TVの音声でかぶされていて、実は彼なりだったようで、合点いきました。
”リリーフランキーだけは、ヒソ自身の体験が書かれていないことにやんわり触れていました。”と。
しかし、この出品で一般の出品者、生徒たちの受賞の機会が奪われたこと、大賞を取った生徒さんが注目されなくなったことなど、
おかしなことです。
佳作品を読むことができます。
佳作は2名だったようで、2作品とも読ませてもらいました。
↓
http://garret.anime-life.com/Entry/1624/
以下コメントの引用です。
@これ、レポートでしょう。
小学校の卒業文集が、まるで大学のカランドリエ(我が母校ではこう呼んだ)だと言われたね。
この「ノンフィクション」も観光案内の子供版じゃないの。
「自分はどう思ったか」
「自分はどう考えたのか」
「いちばん感動したのはなにか」
この重要な部分がホンの付け足し程度にしか
書き記していない。
本人には書けない。
もしくは本人ではない、感受性の乏しい人の代筆である。
だから、ノンフィクション部門への応募なんだろうけどさ。
フィクションだろうとノンフィクションだろうと、主眼は、
「なにを言いたいか」
これに尽きるのさ。
ダラダラと観光案内を引き写し、スケジュールの紹介をしても、
「本人の感動、主張」
これがどこにあるのかわからない
A講評を読み比べてみる
>なんで自分の体験を書かないんだろう?
>それによって文章にグッと臨場感が湧くけどね。
>だいたい、ノンフィクション文学賞だし?
帰りに海が荒れたことなどを書けば面白いのに。
文才のある子だったら、きっと臨場感溢れる描写でスリリングな展開の作品になったと思いますよ。
ところで、受賞作紹介の前に3人の選考委員(児童文学作家の那須正幹、ノンフィクションライターの最相葉月、
イラストレーターで俳優のリリー・フランキー)による講評があります。
下記のURLにアクセス後、「第12回子どもノンフィクション文学賞作品集」をクリックしてpdfファイルを開くと、読めますよ。
https://www.kitakyushucity-bungakukan.jp/news/5397.html
那須&最相の2人は、ヒソの作品を褒めるだけ。
(リリーフランキーの講評は、8〜9ページにあり、ヒソの作品の講評は9ページにあります)
>佳作『小笠原諸島を訪ねて』は文章として完成されていて素晴らしいと思いました。
>一人の中学生だと考えると、もう少しプライベートな事が書かれていると良いと思いました。
(まあ、中1の夏のブータンでの記者とのやり取り「草とか木とか」「ん〜、わかんない」からは、
ヒソ君が文章として完成されたモノを書けると言うかは疑問ですが・・・。
それでも、忖度しまくった那須&最相の講評に比べれば随分マシですね)
Bニュース動画、来ました。
日テレ系のニュース動画です。
「中学生の部で大賞に次ぐ佳作に」などと伝えていますが、佳作は2名であることに言及していない。
それから、リリーフランキーがリモートでインタビューを受けている模様ですが・・・。
https://www.news24.jp/articles/2021/03/20/07843136.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/c6e41cc023e6bdc02e1da9fa524fc12bb34709d8
>悠仁さまの作文について、選考委員のリリー・フランキーさんは「10代でこのバランス感覚、
文章の美しさはすばらしい」などと講評しました。
リリー氏の声に被せてアナウンサーが読み上げている
ので、彼の言わんとしていることが全部伝わったとは言えません。
テレビ用だから、「一人の中学生だと考えると、もう少しプライベートな事が書かれていると良いと思いました」
とは、絶対に流せないでしょうし・・・。
Cたとえ書かれている内容が本当に優れていたものだとしても、「選考者の忖度があったからでは?」
と誰しも考えるだろう。
また、有識者の指導があったからこそ書かれた内容が優れているのでは、と勘繰ってしまう。
皇族は、このようなコンクールに応募することを厳に慎むべきであり、応募して受賞すること自体、恥ずかしい話だ。
D皇族がコンテストに応募するって、どうして?と思った。忖度させて、上げ記事を書かせて、
優秀と宣伝しなくてもいいと思う。たくさん家庭教師もついているだろうし、
本当に本人が書いたのかなとみんな思っています。人を押しのけるより、もっと、違うことが必要な気がします。
E天皇になるはずの人が、作文でこのような国民が競う形のコンクールに応募してくることに疑問を持ちます。
お母様が学校に頼んで応募させたのでは? 筑波附属への推薦の理由付けに。
そもそも母子旅行ですし、内容はガイドブックみたいでしたから、お母様のメモが元になっているような気がします。
表彰式でも書いたものをずっと読んでおられました。
坊ちゃんはちゃんと思春期を迎えて自我も順調に発達されているのでしょうか。4月からは中3ですよね。
2021年03月23日
薔薇苗たちのその後の様子。
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12654352528.html?frm=theme
発端は2021/01/25に記事、薔薇苗2鉢買う。
2021/02/07薔薇苗2鉢買い足す。
2021/01/25記事> 2021/02/07記事 >2021/03/23記事>その後の変化、となります。
3鉢が植えられた後。↓
最初の頃の花は咲き切って、次の芽が出るように切り取って
また蕾が開こうとしている。
こうして繰り返していってくれるのか・・・。
↓
2021/02/07にクリーム色も捨て難く買った一苗。
↓
当初の花と蕾は咲き切って、次の蕾は咲き始めている。
↓
どうなんでしょう、こうして本体が成長して枝も増え、花も増えていくのでしょうか?
花屋さんに言われたこと、
「薔薇、育てたことない?花が咲いたら、どんどん切っていくんだよ。
そしたら次の芽が出てくるから。
(額のすぐ下を切るのでなく)その下の枝が分かれる所で切るんだよ。」
少々アドバイスが不確かに記憶されている。
本体たちの観察と勉強が必要のようだ。(´;ω;`)ウッ…
2021年03月22日
時刻はどちらで見る?(アナログとデジタル)
電波時計の電池がなくなっている様子を少し放っておいた。
柱時計型の電波時計は電池の容量がなくなっているのにも拘わらず、
一生懸命に秒針を動かして正確な時刻に合わそうと努力していた。
秒針をクルクルと回してはいた。
しかし、正確な時刻に到達するまでに息が切れていたようだ。
ちょっと気の毒だった。
それがこの状態。↓
時刻を確かめる為に、結構チラチラといつもの場所にある時計を見るのが習慣になっている。
デジタル時計と併用しているのには訳がある。
デジタルの方は温度、湿度を知っていたいからだ。
ついでに日付、曜日も確かめられる。😀
柱時計は、中身は電波時計であるが針の位置で時刻が解るからだ。
それと、振り子がいつも動いていることが気に入っているし、
時間毎に”ウェストミンスター寺院の鐘の音”という音で心地よい音が聴けるからだ。
”音”というのも一種の生活の中での”ご馳走”かなと
「ボーン、ボーン・・・。」
という音を聴くのを楽しみにしている。ヽ(^o^)丿
こんな状態の中で自分はどちらを見る頻度が高いのか気にしてみていた。
どうも、一目で形としての時刻として柱時計を見ていることが解った。
(見方はアナログだったのだ)
と、いうことなのでやっぱり柱時計の時刻が遅れているのに、その時間を信じてしまうので(´;ω;`)ウッ…電池交換をすることにした。
結果、秒針が早速グルグルと回り始めて正確な時間を表示してくれた。
それがこれ↓
うん、柱時計とデジタル時計の時刻はピッタリと合って気持ちがいい!
柱時計さん、電池を早く交換しないでご苦労をおかけしました。
ごめんなさい。
面倒くさがってたというだけでした。
柱時計型の電波時計は電池の容量がなくなっているのにも拘わらず、
一生懸命に秒針を動かして正確な時刻に合わそうと努力していた。
秒針をクルクルと回してはいた。
しかし、正確な時刻に到達するまでに息が切れていたようだ。
ちょっと気の毒だった。
それがこの状態。↓
時刻を確かめる為に、結構チラチラといつもの場所にある時計を見るのが習慣になっている。
デジタル時計と併用しているのには訳がある。
デジタルの方は温度、湿度を知っていたいからだ。
ついでに日付、曜日も確かめられる。😀
柱時計は、中身は電波時計であるが針の位置で時刻が解るからだ。
それと、振り子がいつも動いていることが気に入っているし、
時間毎に”ウェストミンスター寺院の鐘の音”という音で心地よい音が聴けるからだ。
”音”というのも一種の生活の中での”ご馳走”かなと
「ボーン、ボーン・・・。」
という音を聴くのを楽しみにしている。ヽ(^o^)丿
こんな状態の中で自分はどちらを見る頻度が高いのか気にしてみていた。
どうも、一目で形としての時刻として柱時計を見ていることが解った。
(見方はアナログだったのだ)
と、いうことなのでやっぱり柱時計の時刻が遅れているのに、その時間を信じてしまうので(´;ω;`)ウッ…電池交換をすることにした。
結果、秒針が早速グルグルと回り始めて正確な時間を表示してくれた。
それがこれ↓
うん、柱時計とデジタル時計の時刻はピッタリと合って気持ちがいい!
柱時計さん、電池を早く交換しないでご苦労をおかけしました。
ごめんなさい。
面倒くさがってたというだけでした。
2021年03月21日
もしも、タイヤの空気圧点検しなかったら。
車の運転はするのですが、自分でメンテナンスをすることは殆ど無い。
”無い”なんて当然のように言い切ってしまうのは運転者としては良くない。
と、解っていながら車はいつも安全に走ってくれるものだと過信している。
私が気にしているのは、
オイル交換の時期と、タイヤの空気圧くらいのものだ。
オイル交換の時期は先回の交換時に貼ってあるラベルでわかる。
タイヤの空気圧は燃料給油時に必ず、ガソリンスタンドのスタッフにチェックをお願いする。
だから、セルフではないスタッフがいるスタンドに決めて、忙しくなさそうな曜日と時間を
見計らって行く。
スタッフさんも手が空いていれば、快くチェックしてくれる。
そんな習慣の中、いつものようにチェックしてもらっていると、
「(。´・ω・)ん? (右前タイヤの)バルブが壊れているようですよ。」
と、言われた。
先ほどまでいろんな用事を済ます為にあちこちと走ってきて、その中には
国道1号線の多くの車が行き交う道路も何事も無く?含まれていた。
最後に給油して帰ろうとしていた矢先のアクシデントだ。
「ええっ?そのままだとタイヤの空気は漏れちゃうってことですよね?」
「家へ帰るまで持つか分からない。ほら、こうして音がしてるでしょ?」
(シューと言う音が聴こえる)
そんなやりとりをしながら、よくここまで事故無く辿り着いたものだと恐ろしくなった。
もし、国道上で空気が漏れてハンドルを取られていたらと想像したら本当に
怖いし、周りにも迷惑を掛けたかもしれない。
でも、私は微塵も気付かなかった・・・。(´;ω;`)ウッ…。
たまたま、スタンドのお客様も丁度給油が終わって出て行くタイミングだったので
タイヤチェックもお願いした。
でも、混み合っていれば給油だけでそのまま帰宅したかもしれない。
恐い。
次の予定(歯医者さんの予約)もあったし、帰宅は迫られていた時間だったが、修理には40分は掛かるという
ことなので、スタンドに車は預けて自宅まで歩いて帰ることにした。
徒歩20分程だ。
お天気の良い日だったので、歩き始めて上着を脱いだ位の天候だった。
歯医者さんの治療を済ませて約2時間後にスタンドに行くと、修理は既に済んでいて、
支払いを済ませて安心して帰宅した。
タイヤの空気圧をチェックしてもらう時、スタッフさんはタイヤの状態も見てくれるので、
タイヤ交換の時期も教えてくれるし、タイヤを交換した後などは、
「おっ、いいタイヤが付いてますね〜!」
などとレクチャーが始まる時もある。
実の所は、息子が結構タイヤとオイルのことは気にしてくれて、タイヤ交換をプレゼント
してくれたのだ。
「そうなんだ、いいタイヤなんだ。(息子に褒められたよと心の中で話しかけた)」
タイヤは命を乗せてます、なんていうCMがあったように記憶してるが、本当にそうだ。
一か月に1〜2回の給油時に必ずチェックしてもらっていてよかった。
ガソリンスタンドのスタッフさんに感謝してもしきれない程の感謝の気持ちでした。
発見と修理ありがとうございました。ヽ(^o^)丿
”無い”なんて当然のように言い切ってしまうのは運転者としては良くない。
と、解っていながら車はいつも安全に走ってくれるものだと過信している。
私が気にしているのは、
オイル交換の時期と、タイヤの空気圧くらいのものだ。
オイル交換の時期は先回の交換時に貼ってあるラベルでわかる。
タイヤの空気圧は燃料給油時に必ず、ガソリンスタンドのスタッフにチェックをお願いする。
だから、セルフではないスタッフがいるスタンドに決めて、忙しくなさそうな曜日と時間を
見計らって行く。
スタッフさんも手が空いていれば、快くチェックしてくれる。
そんな習慣の中、いつものようにチェックしてもらっていると、
「(。´・ω・)ん? (右前タイヤの)バルブが壊れているようですよ。」
と、言われた。
先ほどまでいろんな用事を済ます為にあちこちと走ってきて、その中には
国道1号線の多くの車が行き交う道路も何事も無く?含まれていた。
最後に給油して帰ろうとしていた矢先のアクシデントだ。
「ええっ?そのままだとタイヤの空気は漏れちゃうってことですよね?」
「家へ帰るまで持つか分からない。ほら、こうして音がしてるでしょ?」
(シューと言う音が聴こえる)
そんなやりとりをしながら、よくここまで事故無く辿り着いたものだと恐ろしくなった。
もし、国道上で空気が漏れてハンドルを取られていたらと想像したら本当に
怖いし、周りにも迷惑を掛けたかもしれない。
でも、私は微塵も気付かなかった・・・。(´;ω;`)ウッ…。
たまたま、スタンドのお客様も丁度給油が終わって出て行くタイミングだったので
タイヤチェックもお願いした。
でも、混み合っていれば給油だけでそのまま帰宅したかもしれない。
恐い。
次の予定(歯医者さんの予約)もあったし、帰宅は迫られていた時間だったが、修理には40分は掛かるという
ことなので、スタンドに車は預けて自宅まで歩いて帰ることにした。
徒歩20分程だ。
お天気の良い日だったので、歩き始めて上着を脱いだ位の天候だった。
歯医者さんの治療を済ませて約2時間後にスタンドに行くと、修理は既に済んでいて、
支払いを済ませて安心して帰宅した。
タイヤの空気圧をチェックしてもらう時、スタッフさんはタイヤの状態も見てくれるので、
タイヤ交換の時期も教えてくれるし、タイヤを交換した後などは、
「おっ、いいタイヤが付いてますね〜!」
などとレクチャーが始まる時もある。
実の所は、息子が結構タイヤとオイルのことは気にしてくれて、タイヤ交換をプレゼント
してくれたのだ。
「そうなんだ、いいタイヤなんだ。(息子に褒められたよと心の中で話しかけた)」
タイヤは命を乗せてます、なんていうCMがあったように記憶してるが、本当にそうだ。
一か月に1〜2回の給油時に必ずチェックしてもらっていてよかった。
ガソリンスタンドのスタッフさんに感謝してもしきれない程の感謝の気持ちでした。
発見と修理ありがとうございました。ヽ(^o^)丿
2021年03月20日
北九州市作文コンクール佳作品?
コメントいろいろ…。
ほんの一部ですが。
普段、批判を嫌う夫が
「皇族が、こういうコンクールに出すのって、良くないよね。点数の序列とかじゃないから、自由審査で忖度せざるを得ないと言い。
悠仁さまと同年齢の我が子は
「大賞をあげるほど良い出来じゃないけど、皇族だから無下に扱うわけにもいかず、落とし所として佳作って感じなのかなと言い。
本当にそうだなあ、、、と思った次第です。
作文を公になさりたいのなら、宮内庁の文化祭なり、お誕生日の近況報告なりで公表してくださった方が、
多くの国民も穿った見方をせずに、純粋な気持ちで見ることができるのですけれど。
文学を含む文化を大切になさる立場の皇族の方が、コンクールのような競争ごとに出品されることに、釈然としない気持ちを味わいました。
どこへ向かうのか全くわからない
庶民のコンクールで賞を取って、庶民相手に張り合ったり、ブータンに皇室外交とやらをやりに行ったりと、
庶民のトップにしたいのか、天皇にしたいのかわからない。
北の総書記(前労働党委員長)さまでも庶民の作文コンクールには作品出さないと思う。
なぜなら庶民と張り合うレベルでは「神童」ではなくて、「庶民」だから。
本当に何を目指しているのだろう。
目の前の敵()に勝つことしか考えてないんだろうなぁ。
学校が、近場のコンクールに片っ端から出すことがあります。たしかにひとつの成功体験にはなります。
審査員の感性はそれぞれですから。
ただ、北九州にまで出すのかなぁ?とも思います。逆はわかるのですよ。
地方から東京のコンクールというのはね。
まさか、西南学院にロックオンしてませんよね?
それか北九州に御用学者がいるとか…。
別に賢さはいりません。普通にまっすぐな清い心持ちの人であれば良いのです。
本当に、どこに行くのでしょう?
私達は、政治にも、こんな事象にも関心を持つべきでしょうね。
貴重な一票から。
主権在民ですから・・・。
全国の受験生の皆さんの元には
「サクラ咲く」の合格通知が届いていることと思います。
(ズルではなく)自分の力で勝ち取ることで得る達成感こそが成長に繋がることと思います。
ほんの一部ですが。
普段、批判を嫌う夫が
「皇族が、こういうコンクールに出すのって、良くないよね。点数の序列とかじゃないから、自由審査で忖度せざるを得ないと言い。
悠仁さまと同年齢の我が子は
「大賞をあげるほど良い出来じゃないけど、皇族だから無下に扱うわけにもいかず、落とし所として佳作って感じなのかなと言い。
本当にそうだなあ、、、と思った次第です。
作文を公になさりたいのなら、宮内庁の文化祭なり、お誕生日の近況報告なりで公表してくださった方が、
多くの国民も穿った見方をせずに、純粋な気持ちで見ることができるのですけれど。
文学を含む文化を大切になさる立場の皇族の方が、コンクールのような競争ごとに出品されることに、釈然としない気持ちを味わいました。
どこへ向かうのか全くわからない
庶民のコンクールで賞を取って、庶民相手に張り合ったり、ブータンに皇室外交とやらをやりに行ったりと、
庶民のトップにしたいのか、天皇にしたいのかわからない。
北の総書記(前労働党委員長)さまでも庶民の作文コンクールには作品出さないと思う。
なぜなら庶民と張り合うレベルでは「神童」ではなくて、「庶民」だから。
本当に何を目指しているのだろう。
目の前の敵()に勝つことしか考えてないんだろうなぁ。
学校が、近場のコンクールに片っ端から出すことがあります。たしかにひとつの成功体験にはなります。
審査員の感性はそれぞれですから。
ただ、北九州にまで出すのかなぁ?とも思います。逆はわかるのですよ。
地方から東京のコンクールというのはね。
まさか、西南学院にロックオンしてませんよね?
それか北九州に御用学者がいるとか…。
別に賢さはいりません。普通にまっすぐな清い心持ちの人であれば良いのです。
本当に、どこに行くのでしょう?
私達は、政治にも、こんな事象にも関心を持つべきでしょうね。
貴重な一票から。
主権在民ですから・・・。
全国の受験生の皆さんの元には
「サクラ咲く」の合格通知が届いていることと思います。
(ズルではなく)自分の力で勝ち取ることで得る達成感こそが成長に繋がることと思います。