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2021年04月18日
アイビー剪定#9。
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12635456700.html?frm=theme
前回は2020/11/06、それから約5か月経って、またアイビー剪定に挑戦です。
前回の記事の中に今までの、できる限りの経緯は詰まっているので、またこの季節
がやってきたという現状です。
日曜日の午後1時から作業開始。
@上に伸びるアイビーがもう下に向かってきている。ムキー
A全体像。
B途中経過、1時間経った頃。
C終了に近付いた頃2時間半くらい経過。
床は落とした葉っぱで埋め尽くされた。
D @の屋根の部分の葉っぱはすっきりとして、
これからどんなに伸びても風通しが良さそうになった。
E床に溜まった葉っぱを掃除して、庭全体の水撒きまで終わって
午後4時。
周囲の植木にも新芽が目立って風通しが悪くなっているので軽く剪定して
約3時間、脚立に登ったり降りたりの作業をして筋肉痛発生。
足元に気を付けて、ずっと上を向いての作業で腕も疲れたようだ。
その夜は早目の入浴でしっかりと手足の筋肉をほぐしました。
熟睡・・・。
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2021年04月17日
「仙台のプラネタリウム」と「スナックラジオ」がマッチング。
リリ━フランキ━さんと満島ひかりさんが出演して、東日本大震災で大切な人を亡くした人の手紙を読んだ。
「天国DJ 亡き、あなたへ…」と言う番組があった。
内容は以下のようなものだった。
以下引用
リリー・フランキーと満島ひかりが出演する「天国DJ 亡き、あなたへ…」が、3月26日(金)[夜10:00-10:30、NHK総合]に放送される。
東日本大震災から10年。夢で、亡きあなたと再会することで、生きる力を得ている人たちがいる。夢日記をつけ、天国での再会を指切りした妻との約束が生きる原動力となる夫、娘を救えずにさいなまれていたが、「自分を責めないで」と夢に現れた娘に支えられる母、肌のぬくもりを感じながら、逝った妹と夢で遊ぶ姉。そして、小学6年生で天国へ旅立った息子が、夢で中学校制服姿を見せにきた。「あなたの子でよかった」と言われるように今を生きる母。
番組では、3月11日の星空に影絵を投映させた空間の中で、リリー・フランキーと満島が、DJスタイルで夢を朗読。幻想的な夢の世界に耳を澄ませる。
リリー・フランキーのコメント
亡きあなたを思うこと、思い続けることの大切さを思い知らされました。自分も、そうありたいです。プラネタリウムで、あの日の夜空を見ながら、夢の物語を読ませていただきました。亡きあなたは、そんなに遠くない所にいてくれているなって気がしますよね。僕は、兄弟もいないですし、両親も亡くなって、家族もいないので、言ってみれば、天涯孤独。でも今回、夢を寄せてくださった方たちとお話させてもらって、僕にも思う人がいるんだなって。なんかむしろ豊かなのかも、と思わせていただけました。
満島ひかりのコメント
張りつめているけど穏やかで、天文台の中が優しい気持ちで溢れていたように感じます。大切な家族への言葉を読む役割は、怖かったですが、何にも変え難い時間でした。日常が突如として様変わりする。大切な人の肉体が突然なくなる。10年前の3月11日から続く、ひとりひとりの想いを言葉にしていただき、そしてその想いをリリーさんと私が声にする、不思議で胸がぎゅーっとする時間でした。
上記引用
私がこの放映に出会い感動したのは震災後10年の番組の中の一つだったと思う。
3月26日(金)[夜10:00-10:30、NHK総合]に放送されたものだった。
その後の4月に入ってからのある土曜日の午後4時から始まるラジオ番組を聴いていた。
毎土曜日は丁度車の中で聴く時間帯なので楽しみにしている。
その中で、彼が、たまたま”大切に想う人”と言う部分で語り始めた。
「僕は仙台のプラネタリウムで震災で大切な人を失った方の物語を読むお仕事をしたんですよ。
それでね、今生きている人だけじゃなくて、夢に出てくれて会うしかないかもしれないけど、
”大切に想う人”がいるということが凄いことなんじゃないかって思うんですよ。」
と、結構フランクな内容の番組の中でしみじみと話したのです。
私は、番組がコラボした!と嬉しくなった。
番組を見ていたので、彼と同じ思いを理解でき、話しの内容が深くなったのでした。
リリ━フランキ━さんは天涯孤独の身。
家族はいないのだと言う。
夢に出てくれて会うしかないかもしれないが、「大切に想う人」がいるということが凄いこと
なんだと思うと本音で語っていたのだと思う。
その”スナックラジオ”が新年度も継続されてリスナーは安堵と喜びを番組に伝え、
出演者一同も、
「取り敢えず続けられるようですね!」
と、歓声を上げていました。
私も、リスナーの一人として楽しみは継続していくようです。
これからも聴いていきますよ〜!「スナックラジオ」さん!
「天国DJ 亡き、あなたへ…」と言う番組があった。
内容は以下のようなものだった。
以下引用
リリー・フランキーと満島ひかりが出演する「天国DJ 亡き、あなたへ…」が、3月26日(金)[夜10:00-10:30、NHK総合]に放送される。
東日本大震災から10年。夢で、亡きあなたと再会することで、生きる力を得ている人たちがいる。夢日記をつけ、天国での再会を指切りした妻との約束が生きる原動力となる夫、娘を救えずにさいなまれていたが、「自分を責めないで」と夢に現れた娘に支えられる母、肌のぬくもりを感じながら、逝った妹と夢で遊ぶ姉。そして、小学6年生で天国へ旅立った息子が、夢で中学校制服姿を見せにきた。「あなたの子でよかった」と言われるように今を生きる母。
番組では、3月11日の星空に影絵を投映させた空間の中で、リリー・フランキーと満島が、DJスタイルで夢を朗読。幻想的な夢の世界に耳を澄ませる。
リリー・フランキーのコメント
亡きあなたを思うこと、思い続けることの大切さを思い知らされました。自分も、そうありたいです。プラネタリウムで、あの日の夜空を見ながら、夢の物語を読ませていただきました。亡きあなたは、そんなに遠くない所にいてくれているなって気がしますよね。僕は、兄弟もいないですし、両親も亡くなって、家族もいないので、言ってみれば、天涯孤独。でも今回、夢を寄せてくださった方たちとお話させてもらって、僕にも思う人がいるんだなって。なんかむしろ豊かなのかも、と思わせていただけました。
満島ひかりのコメント
張りつめているけど穏やかで、天文台の中が優しい気持ちで溢れていたように感じます。大切な家族への言葉を読む役割は、怖かったですが、何にも変え難い時間でした。日常が突如として様変わりする。大切な人の肉体が突然なくなる。10年前の3月11日から続く、ひとりひとりの想いを言葉にしていただき、そしてその想いをリリーさんと私が声にする、不思議で胸がぎゅーっとする時間でした。
上記引用
私がこの放映に出会い感動したのは震災後10年の番組の中の一つだったと思う。
3月26日(金)[夜10:00-10:30、NHK総合]に放送されたものだった。
その後の4月に入ってからのある土曜日の午後4時から始まるラジオ番組を聴いていた。
毎土曜日は丁度車の中で聴く時間帯なので楽しみにしている。
その中で、彼が、たまたま”大切に想う人”と言う部分で語り始めた。
「僕は仙台のプラネタリウムで震災で大切な人を失った方の物語を読むお仕事をしたんですよ。
それでね、今生きている人だけじゃなくて、夢に出てくれて会うしかないかもしれないけど、
”大切に想う人”がいるということが凄いことなんじゃないかって思うんですよ。」
と、結構フランクな内容の番組の中でしみじみと話したのです。
私は、番組がコラボした!と嬉しくなった。
番組を見ていたので、彼と同じ思いを理解でき、話しの内容が深くなったのでした。
リリ━フランキ━さんは天涯孤独の身。
家族はいないのだと言う。
夢に出てくれて会うしかないかもしれないが、「大切に想う人」がいるということが凄いこと
なんだと思うと本音で語っていたのだと思う。
その”スナックラジオ”が新年度も継続されてリスナーは安堵と喜びを番組に伝え、
出演者一同も、
「取り敢えず続けられるようですね!」
と、歓声を上げていました。
私も、リスナーの一人として楽しみは継続していくようです。
これからも聴いていきますよ〜!「スナックラジオ」さん!
2021年04月16日
三浦一馬さんと「リベルタンゴ」
2021/04/09NHK朝イチにて。
岡田健史さんのスペシャルトークの日でした。
彼は彼独特の感性豊かな点が興味深く、最近注目していました。
「私の娘は彼氏ができない」等。
その日の生演奏のシーンが凄かった!
MCの華丸大吉さんがつい口走った一言、
「あさイチの凄さって、こうしてこんな距離で滅多に見れない(聴けない)演奏家の
生演奏が聴けるんですよ!(多分本音!)
10歳から始めたというバンドネオン奏者の三浦一馬さんの演奏だった。
彼曰く、「悪魔の楽器」だと言う。
その構造を説明されて誰でも引く内容だった。
音階を出すボタンの配列がランダム。
ピアノやアコーデオンでは鍵盤が順序よく並んでいるが、聞きしに勝る配列の場所を聞いて
驚き!Σ(・□・;)
ドレミファソラシドがあっちへ飛んだりこっちに来たりとしていて、右左も全く違うし、
同配列のボタンでも楽器全体を開いたり押したりすることで音色は全く違うらしい。
(詳しくないので間違っていたらごめんなさい)
そんな手を出したくない楽器でタンゴと言えばこれ、と言う曲を生演奏してくれたのだ。
はっきり言って、録画予約は岡田君のトーク目的で後で見ようと思っていた程度でした。
ところが・・・、
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の本編後に放送される「大河紀行」で印象的な音色を響かせていると聞いて、
立ち止まったらこの演奏でした。
https://www.youtube.com/watch?v=f8kqLo0U6_k
惹かれましたね〜!
そんな悪魔の楽器を演奏なんて、何ていう人なんだ!と見入った、聴き入った!シーン
に立ち会えてラッキーでした。
以下引用
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の本編後に放送される「大河紀行」で印象的な音色を響かせているのが、バンドネオン奏者の三浦一馬(30)だ。タンゴを革新した巨人アストル・ピアソラ(1921〜1992)の生誕100年を記念したニューアルバム「ブエノスアイレス午前零時」を先月、リリースした三浦が、バンドネオンとピアソラの魅力につかれた人生を語った。
「大河紀行」には「青天を衝け」の音楽を手がける佐藤直紀氏から「フィクションと現実をつなぐようなイメージ」と声をかけられて参加した。9日にはNHK総合「あさイチ」に出演するなど三浦への注目も高まる。
その中で本作を発表した三浦は、ピアソラの魅力を「タンゴに色んな要素を採り入れて独自のものを作る。強じんなリズムからその上に乗っかる優美なメロディーから、今まで全くなかった音楽だと思う。今聴いてもなお新しい。本能みたいなところに直接訴えかけてくる」と熱く語る。
演奏は2017年に創設した17人編成、世界初のピアソラ室内オーケストラ「東京グランドソロイスツ(TGS)」によるものだ。ピアソラ演奏はキンテート(五重奏)が基本だが、経験を積む中で「いろいろなものを全部ブレンドして」、「まるで小さなオーケストラサウンドができあがる」という理想を抱き立ち上げた。
「前代未聞」の編成のため、楽譜は一から三浦が書き起こす。「毎年もがき苦しむというか、それぐらいして自分の理想を徹底的に譜面に落とし込んで行く」作業だが、「リハーサルで第1音を出した瞬間から、理想のはるか上を弾いてくださる」という手だれのメンバーが集う。
「一から譜面を再構築してアプローチし直すというのがなかなかないでしょうね。アレンジは他で聴けるということはまずない」のも売り。本作には「手応えは十二分」と自負する18、20年のライブが詰まっている。
バンドネオンにひかれたきっかけは、小4の頃に見たNHK教育テレビ(現Eテレ)「N響アワー」のピアソラ特集。大人への憧れを抱かせる音楽と共に、バンドネオンそのものもメカ好きだった三浦の興味をそそったが、バンドネオンを習うのはピアノやバイオリン同様にはいかない。三浦は番組に出ていた日本の第一人者、小松亮太のコンサートに出掛け、サイン会で直談判。門下生となった。
その行動力を高1の春休みにも発揮する。別府アルゲリッチ音楽祭に巨匠ネストル・マルコーニが出演すると知ると、現地で巨匠が「打ち上げをされているおすし屋さん」に潜入、演奏を聴いてもらうことに成功する。
マルコーニは「次の日の朝、私が泊まっている部屋に来なさい。レッスンしてあげるから」と親切に対応。約2時間レッスンし、「夏にブエノスアイレスに来るならレッスンしてあげよう」と弟子入りを許可した。
三浦は自作CDを売って渡航費用を捻出。マルコーニには今も師事する。同じ16歳の時には「プロデビューコンサート」と銘打ち手打ち公演も開催した。「チラシも自分で作り、業界の色んな方に招待のはがきを出して」という「バクチのようなスタート」だったが、そこから着実に階段を上ってきている。
現在はTGS、キンテートでツアー中。5・2新潟、6・6霧島、7・3東京の公演が決まっているTGSのプログラムには、17年からの経験を「全部フィードバックさせた」といい、「完成度という意味でもご期待いただきたい」と自信を漂わせていた。
◆三浦一馬(みうら・かずま)1990年6月9日生まれ。ピアニストの両親と共に幼少期をイタリアで過ごす。10歳でバンドネオンを始め小松亮太に師事。2006年からネストル・マルコーニに師事。07年、オーケストラデビュー。08年、第33回国際ピアソラ・コンクールで史上最年少の準優勝。09年メジャーデビュー。10年、NHK「トップランナー」出演。11年、マルタ・アルゲリッチと共演。12、16年、マルコーニとツアー。14年度出光音楽賞。
岡田健史さんのスペシャルトークの日でした。
彼は彼独特の感性豊かな点が興味深く、最近注目していました。
「私の娘は彼氏ができない」等。
その日の生演奏のシーンが凄かった!
MCの華丸大吉さんがつい口走った一言、
「あさイチの凄さって、こうしてこんな距離で滅多に見れない(聴けない)演奏家の
生演奏が聴けるんですよ!(多分本音!)
10歳から始めたというバンドネオン奏者の三浦一馬さんの演奏だった。
彼曰く、「悪魔の楽器」だと言う。
その構造を説明されて誰でも引く内容だった。
音階を出すボタンの配列がランダム。
ピアノやアコーデオンでは鍵盤が順序よく並んでいるが、聞きしに勝る配列の場所を聞いて
驚き!Σ(・□・;)
ドレミファソラシドがあっちへ飛んだりこっちに来たりとしていて、右左も全く違うし、
同配列のボタンでも楽器全体を開いたり押したりすることで音色は全く違うらしい。
(詳しくないので間違っていたらごめんなさい)
そんな手を出したくない楽器でタンゴと言えばこれ、と言う曲を生演奏してくれたのだ。
はっきり言って、録画予約は岡田君のトーク目的で後で見ようと思っていた程度でした。
ところが・・・、
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の本編後に放送される「大河紀行」で印象的な音色を響かせていると聞いて、
立ち止まったらこの演奏でした。
https://www.youtube.com/watch?v=f8kqLo0U6_k
惹かれましたね〜!
そんな悪魔の楽器を演奏なんて、何ていう人なんだ!と見入った、聴き入った!シーン
に立ち会えてラッキーでした。
以下引用
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の本編後に放送される「大河紀行」で印象的な音色を響かせているのが、バンドネオン奏者の三浦一馬(30)だ。タンゴを革新した巨人アストル・ピアソラ(1921〜1992)の生誕100年を記念したニューアルバム「ブエノスアイレス午前零時」を先月、リリースした三浦が、バンドネオンとピアソラの魅力につかれた人生を語った。
「大河紀行」には「青天を衝け」の音楽を手がける佐藤直紀氏から「フィクションと現実をつなぐようなイメージ」と声をかけられて参加した。9日にはNHK総合「あさイチ」に出演するなど三浦への注目も高まる。
その中で本作を発表した三浦は、ピアソラの魅力を「タンゴに色んな要素を採り入れて独自のものを作る。強じんなリズムからその上に乗っかる優美なメロディーから、今まで全くなかった音楽だと思う。今聴いてもなお新しい。本能みたいなところに直接訴えかけてくる」と熱く語る。
演奏は2017年に創設した17人編成、世界初のピアソラ室内オーケストラ「東京グランドソロイスツ(TGS)」によるものだ。ピアソラ演奏はキンテート(五重奏)が基本だが、経験を積む中で「いろいろなものを全部ブレンドして」、「まるで小さなオーケストラサウンドができあがる」という理想を抱き立ち上げた。
「前代未聞」の編成のため、楽譜は一から三浦が書き起こす。「毎年もがき苦しむというか、それぐらいして自分の理想を徹底的に譜面に落とし込んで行く」作業だが、「リハーサルで第1音を出した瞬間から、理想のはるか上を弾いてくださる」という手だれのメンバーが集う。
「一から譜面を再構築してアプローチし直すというのがなかなかないでしょうね。アレンジは他で聴けるということはまずない」のも売り。本作には「手応えは十二分」と自負する18、20年のライブが詰まっている。
バンドネオンにひかれたきっかけは、小4の頃に見たNHK教育テレビ(現Eテレ)「N響アワー」のピアソラ特集。大人への憧れを抱かせる音楽と共に、バンドネオンそのものもメカ好きだった三浦の興味をそそったが、バンドネオンを習うのはピアノやバイオリン同様にはいかない。三浦は番組に出ていた日本の第一人者、小松亮太のコンサートに出掛け、サイン会で直談判。門下生となった。
その行動力を高1の春休みにも発揮する。別府アルゲリッチ音楽祭に巨匠ネストル・マルコーニが出演すると知ると、現地で巨匠が「打ち上げをされているおすし屋さん」に潜入、演奏を聴いてもらうことに成功する。
マルコーニは「次の日の朝、私が泊まっている部屋に来なさい。レッスンしてあげるから」と親切に対応。約2時間レッスンし、「夏にブエノスアイレスに来るならレッスンしてあげよう」と弟子入りを許可した。
三浦は自作CDを売って渡航費用を捻出。マルコーニには今も師事する。同じ16歳の時には「プロデビューコンサート」と銘打ち手打ち公演も開催した。「チラシも自分で作り、業界の色んな方に招待のはがきを出して」という「バクチのようなスタート」だったが、そこから着実に階段を上ってきている。
現在はTGS、キンテートでツアー中。5・2新潟、6・6霧島、7・3東京の公演が決まっているTGSのプログラムには、17年からの経験を「全部フィードバックさせた」といい、「完成度という意味でもご期待いただきたい」と自信を漂わせていた。
◆三浦一馬(みうら・かずま)1990年6月9日生まれ。ピアニストの両親と共に幼少期をイタリアで過ごす。10歳でバンドネオンを始め小松亮太に師事。2006年からネストル・マルコーニに師事。07年、オーケストラデビュー。08年、第33回国際ピアソラ・コンクールで史上最年少の準優勝。09年メジャーデビュー。10年、NHK「トップランナー」出演。11年、マルタ・アルゲリッチと共演。12、16年、マルコーニとツアー。14年度出光音楽賞。
2021年04月15日
太刀魚がイルカに食べられる~!
"週末毎の漁師さん"の嘆き。
ジム仲間さんが嘆いて、しょんぼりとしていた。
この時期は毎年掌サイズの幅の厚みのある太刀魚が獲れるのだそうだ。
彼は本業は持っているが、週末は釣船に乗って湾内での海釣りを趣味としている。
漁獲のいい時の魚は市場に持っていく時もあれば、釣り船の持ち主さんなどの知り合いの料亭に直接引き取ってもらったりするそうで、
釣り船漁での資金になったりすると話してくれたりする。
私は全く知らない世界のことなので興味深く聴かせてもらうし、面白い。
冬場の釣りの時の防寒の方法や、防寒着などのことは実際にやっている人しか知らないようなことも教えてくれる。
そんな釣り大好き人間の彼が嘆いているのだ。
釣り船の漁場となっている湾内に今年の初め頃よりイルカが入り込んで、彼等の釣りの目的である太刀魚の
稚魚を食い荒らしているというのだ。
「もう4か月位続いているんだよね。」と。
目視されただけで5頭が確認されているが、実際はもっと多いかもしれないと言う。
毎週、毎週、早起きして漁場に向かうのにもうさっぱり太刀魚は釣れていないのだと。
湾の外に出ればイルカの泳いでいるのを見る”イルカウォッチングツアー”もあるそうで、その辺りにいてくれれば
湾内の漁場を荒らすこともなかったのだろうが、湾内の”最高の餌場”を見つけてしまったのだろう。
その餌場が彼等釣り人の漁場だったところなのだ。
イルカは人間の子供の3歳児くらいの脳をもっていると言われているので、美味しい餌場は記憶しているのだろう。
そんな葛藤の中でもイルカを処分するわけにもいかず、毎週末は希望と落胆を繰り返しているのだそうだ。
こういう事はニュースにはならないのか、こうして直接当事者に聞いて、近くの海での異変を知ることになったのだ。
「イルカって頭が良くて可愛い哺乳類(ですよね?)だから、餌場として人間の漁場を荒らすなんてことをしているという意識でなくて、
単純に美味しい餌が食べられる場所見つけた〜って思っているんでしょうね?」
と、言うと、
「そうだと思うけど、やっぱり迷惑なんだよな〜、早く出て行ってもらいたい。」
と、彼は嘆き続けた。
ジム仲間さんが嘆いて、しょんぼりとしていた。
この時期は毎年掌サイズの幅の厚みのある太刀魚が獲れるのだそうだ。
彼は本業は持っているが、週末は釣船に乗って湾内での海釣りを趣味としている。
漁獲のいい時の魚は市場に持っていく時もあれば、釣り船の持ち主さんなどの知り合いの料亭に直接引き取ってもらったりするそうで、
釣り船漁での資金になったりすると話してくれたりする。
私は全く知らない世界のことなので興味深く聴かせてもらうし、面白い。
冬場の釣りの時の防寒の方法や、防寒着などのことは実際にやっている人しか知らないようなことも教えてくれる。
そんな釣り大好き人間の彼が嘆いているのだ。
釣り船の漁場となっている湾内に今年の初め頃よりイルカが入り込んで、彼等の釣りの目的である太刀魚の
稚魚を食い荒らしているというのだ。
「もう4か月位続いているんだよね。」と。
目視されただけで5頭が確認されているが、実際はもっと多いかもしれないと言う。
毎週、毎週、早起きして漁場に向かうのにもうさっぱり太刀魚は釣れていないのだと。
湾の外に出ればイルカの泳いでいるのを見る”イルカウォッチングツアー”もあるそうで、その辺りにいてくれれば
湾内の漁場を荒らすこともなかったのだろうが、湾内の”最高の餌場”を見つけてしまったのだろう。
その餌場が彼等釣り人の漁場だったところなのだ。
イルカは人間の子供の3歳児くらいの脳をもっていると言われているので、美味しい餌場は記憶しているのだろう。
そんな葛藤の中でもイルカを処分するわけにもいかず、毎週末は希望と落胆を繰り返しているのだそうだ。
こういう事はニュースにはならないのか、こうして直接当事者に聞いて、近くの海での異変を知ることになったのだ。
「イルカって頭が良くて可愛い哺乳類(ですよね?)だから、餌場として人間の漁場を荒らすなんてことをしているという意識でなくて、
単純に美味しい餌が食べられる場所見つけた〜って思っているんでしょうね?」
と、言うと、
「そうだと思うけど、やっぱり迷惑なんだよな〜、早く出て行ってもらいたい。」
と、彼は嘆き続けた。
2021年04月14日
「世界最高齢の総務部員」90歳、ギネス登録。
こんな人がいるんだと驚いた記事に出会いました。
以下引用
玉置泰子さん90歳。大阪にある専門商社サンコーインダストリーで勤続65年、現社長が生れる前から勤務してきたベテランだ。通常業務でエクセルを駆使し、新入社員への社史説明では毎年パワポを作り変えてプレゼンする。新しいものを恐れずに学び、成長し続ける姿は社員に好影響を生んでいる。年齢を重ねても現役を続ける女性の仕事のポリシーに迫る連載「Over80『50年働いてきました』」第1回は、ギネスに登録された世界最高齢総務部員――。
「世界最高齢の総務部員」90歳のエクセル達人が放つ"IT嫌い"がぐうの音も出ない言葉 社長が生れる前に入社の超ベテラン玉置泰子さん90歳。大阪にある専門商社サンコーインダストリーで勤続65年、現社長が生れる前から勤務してきたベテランだ。通常業務でエクセルを駆使し、新入社員への社史説明では毎年パワポを作り変えてプレゼンする。新しいものを恐れずに学び、成長し続ける姿は社員に好影響を生んでいる。年齢を重ねても現役を続ける女性の仕事のポリシーに迫る連載「Over80『50年働いてき…リンクpresident.jp
https://president.jp/articles/-/44713?page=1
「いい文章を書くには、写生するのと一緒で物事をじっくりと眺めて、その裏側にあることまで感じとることが大切ですね。コンピュータだって、よく知らない人ほど『なんとなく怖い』ってなるんです。私は導入前に6年も丁寧に教えてもらったから、ちっとも怖いと思わなかった。よくわかってない人には、『コンピュータってゴミを入れたらゴミしか出てこない。有効なものを入力するのが大事よ』って教えてあげるんです」
玉置は現在、経理事務とTQCの事務局を担当している。しかし、それ以外にも重要な“存在意義”があると奥山は言う。ひとつはサンコーの語り部としての活動だ。オイルショックやバブル崩壊といった危機をサンコーがいかに乗り越えてきたかを、主に新入社員に向けてレクチャーする役割を担っている。そしてもうひとつの役割が……。
新入社員研修でサンコーインダストリーの歴史を語る玉置さん。
新入社員研修でサンコーインダストリーの歴史を語る玉置さん。(写真提供=サンコーインダストリー)
「サンコーは商社なんで、男性よりも圧倒的にコミュニケーション能力が高い女性に、なるべく長く働いてほしいんです。だから、産休育休だけやなしに、月に1回社食でスイーツデーを開いたりして女性の福利厚生に力を入れています。それでも、同期入社のひとりが結婚退職してしまうと、ばーっと女性社員がやめてしまうような現象がいまでもあるんで、そこに玉置がいてくれると、彼女の後を追っていこうという女性社員が現れてくる。玉置は、長く働きたい女性社員の心の支えになっているんです。僕は女性社員だけでなく、社員全員になるべく長く働いてほしいと願っているんですけどね」
以上引用
私が一番気になった言葉がこの箇所です。
「よくわかってない人には、『コンピュータってゴミを入れたらゴミしか出てこない。有効なものを入力するのが大事よ』って教えてあげるんです」
そして、ここも、
「玉置は、長く働きたい女性社員の心の支えになっているんです。」
本当に”長く働きたい”の見本のような人が、実際にめの前で働いていたら、
その会社の姿勢ははっきりと見えます。
自分で健康管理さえすれば、自分の将来にも夢(いや現実ですが)がある。
その事実だけでも、頑張る気持ちは湧いてきます。
90歳現役はやっぱり凄い!
以下引用
玉置泰子さん90歳。大阪にある専門商社サンコーインダストリーで勤続65年、現社長が生れる前から勤務してきたベテランだ。通常業務でエクセルを駆使し、新入社員への社史説明では毎年パワポを作り変えてプレゼンする。新しいものを恐れずに学び、成長し続ける姿は社員に好影響を生んでいる。年齢を重ねても現役を続ける女性の仕事のポリシーに迫る連載「Over80『50年働いてきました』」第1回は、ギネスに登録された世界最高齢総務部員――。
「世界最高齢の総務部員」90歳のエクセル達人が放つ"IT嫌い"がぐうの音も出ない言葉 社長が生れる前に入社の超ベテラン玉置泰子さん90歳。大阪にある専門商社サンコーインダストリーで勤続65年、現社長が生れる前から勤務してきたベテランだ。通常業務でエクセルを駆使し、新入社員への社史説明では毎年パワポを作り変えてプレゼンする。新しいものを恐れずに学び、成長し続ける姿は社員に好影響を生んでいる。年齢を重ねても現役を続ける女性の仕事のポリシーに迫る連載「Over80『50年働いてき…リンクpresident.jp
https://president.jp/articles/-/44713?page=1
「いい文章を書くには、写生するのと一緒で物事をじっくりと眺めて、その裏側にあることまで感じとることが大切ですね。コンピュータだって、よく知らない人ほど『なんとなく怖い』ってなるんです。私は導入前に6年も丁寧に教えてもらったから、ちっとも怖いと思わなかった。よくわかってない人には、『コンピュータってゴミを入れたらゴミしか出てこない。有効なものを入力するのが大事よ』って教えてあげるんです」
玉置は現在、経理事務とTQCの事務局を担当している。しかし、それ以外にも重要な“存在意義”があると奥山は言う。ひとつはサンコーの語り部としての活動だ。オイルショックやバブル崩壊といった危機をサンコーがいかに乗り越えてきたかを、主に新入社員に向けてレクチャーする役割を担っている。そしてもうひとつの役割が……。
新入社員研修でサンコーインダストリーの歴史を語る玉置さん。
新入社員研修でサンコーインダストリーの歴史を語る玉置さん。(写真提供=サンコーインダストリー)
「サンコーは商社なんで、男性よりも圧倒的にコミュニケーション能力が高い女性に、なるべく長く働いてほしいんです。だから、産休育休だけやなしに、月に1回社食でスイーツデーを開いたりして女性の福利厚生に力を入れています。それでも、同期入社のひとりが結婚退職してしまうと、ばーっと女性社員がやめてしまうような現象がいまでもあるんで、そこに玉置がいてくれると、彼女の後を追っていこうという女性社員が現れてくる。玉置は、長く働きたい女性社員の心の支えになっているんです。僕は女性社員だけでなく、社員全員になるべく長く働いてほしいと願っているんですけどね」
以上引用
私が一番気になった言葉がこの箇所です。
「よくわかってない人には、『コンピュータってゴミを入れたらゴミしか出てこない。有効なものを入力するのが大事よ』って教えてあげるんです」
そして、ここも、
「玉置は、長く働きたい女性社員の心の支えになっているんです。」
本当に”長く働きたい”の見本のような人が、実際にめの前で働いていたら、
その会社の姿勢ははっきりと見えます。
自分で健康管理さえすれば、自分の将来にも夢(いや現実ですが)がある。
その事実だけでも、頑張る気持ちは湧いてきます。
90歳現役はやっぱり凄い!
2021年04月13日
老齢猫のことを思う。
https://peccers.com/cat/2018/03/25/1456/
https://www.bing.com/videos/search?q=21%e6%ad%b3%e3%81%ae%e8%aa%95%e7%94%9f%e6%97%a5%e3%81%ae%e7%8c%ab&&view=detail&mid=F8B38D2FDBDD7D79FC13F8B38D2FDBDD7D79FC13&&FORM=VDRVSR
我が家の猫も今年の9月で19歳を迎える。
10歳を迎えた頃から加齢のことを考え始めた。
「もうペット保険に加入することを考えた方がいいのかな?」と。
散歩中。2012年5月、10歳。
2013/5月 11歳。
2018/1月 15歳。
ある程度の年齢になると保険加入もできなくなってしまうだろうと。
あるいは相当保険料が高くなるだろうと。
結局早目の保険加入となったが。
今では腎臓の機能が緩やかに落ちてきているとのことで3〜4か月に1回程度の
血液検査をする程度で今までと変わりなく元気に暮らしている。
それも、数万円の費用が掛かるので50%保険で補償してもらえている。
しかし、それも基本の保険料を払っているからこそのことですが。
(毎年保険料上がってます。)
こうして猫に関するSNSの記事を見たりすると高齢猫ちゃんが頑張って長生きしてくれて
いるので、我が家の猫も頑張ってくれるだろうと励みになる。
一緒に暮らして、猫がいることが当たり前の生活をしてきたが、こうして高齢になってくると、
あと何年一緒にいられるのか気になってくるのです。
だからYouTubeの動画やブログの記事から、同じ様に高齢でも元気な猫ちゃんは沢山いる、
まだまだ大丈夫とエールを貰っている気分になれるのです。
高齢猫ちゃん頑張りましょうね!
2021年04月12日
ひろゆきが語る「ホワイトカラーの仕事なんて高校生でもできますよ」
https://diamond.jp/articles/-/267174
日本の匿名掲示板として圧倒的な存在感を誇った「2ちゃんねる」や動画サイト「ニコニコ動画」などを手掛けてきて、
いまも英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人などを続ける、ひろゆき氏。
「底辺バイトをやっておこう」
バイトをしないまま新卒で企業に就職してしまうと、社会の部分を見ないまま終わってしまう。
世の中の大半の仕事は、高校生レベルでもできることが多いのにだ。
ホワイトカラーの仕事だって、高校生の学力でできる仕事ばかりなはずだ。
一度、自分の仕事について考えてみてほしい。
「これ、高校生でもできるんじゃない?」
そう自問自答してみよう。
同じ仕事でも、高卒か大卒かで給料が異なる。大卒で偉そうにやっている仕事でも、高校生にマニュアルを渡せばできることも多い。
机に座って簡単な事務仕事をしているだけなら、おそらく高校生にだってできる。
そうであるならば、この先、不景気が続いたら、真っ先に切られる仕事であることを覚悟するべきだ。
それに気づいているなら、「もっとレベルの高いことをやろう」と焦ったほうがいい。
もしくは、自分の今のポジションを守ることに全力になるべきかもしれない。
高校生が集まって回ってしまうような職場は、本当にクソ野郎ばっかりだった。
ただ、世の中の底辺レベルが見られてよかった。
これがもし、大卒の会社員として彼らを管理する立場から接点を持ったとしても意味がない。上司がいる前では、彼らはマジメにがんばっているフリをするからだ。
どうやって手を抜いて、どんなズルをしているかは、同じ立場で話してはくれない。
「こいつらダメだな」という状況をリアルに味わえるのは、たぶん学生時代だけだ。
この経験は、社会人になってしまうと体験しにくい。
僕の今の年齢で突然コンビニのバイトをはじめたとしても、高校生は仲間だと思ってくれないだろう。
僕は未知な部分をなくすことに喜びを感じる好奇心があるので、クソ仕事をやってよかったと心から思える。
まあ、それが一生続くと地獄ではあるのだが。
上記引用
この記事の一部抜粋になりますが、頷ける部分だったので投稿させてもらった。
私の場合は、社会人になってから勤務した会社はそれはそれで心構えも違ったように思うが、
アルバイトという身分で仕事をするのは学生だったかもしれないが興味深いことだった。
一例は、
実家の近くに突然できた小児科医院に、何の資格もないのに何かできるだろうと
「アルバイトさせて下さい。」
とお願いしてみた。
通勤時間が短いのが魅力以外の何ものでもなかった。
医院の方でも、身元がはっきりしているのですぐに受付から雇ってもらった。
勿論、夕方からの受付だったが、徐々に慣れてくると医師のお手伝いや、お薬の調合なども教えられて、
学校とは別の社会の一部みたいなものを見たことが勉強になった。
後に結婚して子供を持った時も、その医師の家族とも懇意にしていたので小児科の病気の際
には安心して診て頂いたような結果になった。
残念なことにその医師は今は亡き人になってしまわれたが。
アルバイトがいい経験になった一つです。
また別の例として、
学生時代だから春休み、夏休みなどの時期は学生のみのバイトもあった。
市内の大手書店で新学期の生徒用に売る教科書の販売も楽しかった。
期間限定のバイトには同じような学生が集まる。
だから仕事以外の、他校の学生たちと知り合うキッカケとなったことも、
友人の輪が広がると言う意味で一つの経験となった。
他にも、
ファミレスでバイトもしたし、洋服屋さんでもした。
単発のものならまだまだある。
ファミレスの中では、内部のヒエラルキーみたいなものがあることも知ったし、
洋服屋については、仕入れの取引先のメーカーに連れて行ってもらったり、
季節を先取りした展示会なるものがあることも知った。
アルバイト先のどの企業でも、開業医でも、どのようにして社会と繋がっているのか
、そしてそれぞれのトップがどんな人物なのか、どんな企業展開しているのか、
そして、そこの従業員たちはどんな働き方をしているのか等々、内側から見ることが
できたことが、大きな体験となった。
いろんな組織の中で時給分働くことがどんなことか体験することは、専業主婦となった後も
「夫が外で働く事の大変さ」を実感として捉えることができたし、また、どんな仕事をしている人に
対しても、一定の組織の中で頑張っている人達なのだと、労いの気持ちで見る姿勢が身に付いたと思っている。
その上、”社会は誰かの仕事で成り立っている”という基本の気持ちが育った元になっていると思う。
だから、どこででも、どんな仕事でも、目の前に働く人がいると感謝の気持ちになる。
ひろゆきさんの言う底辺の仕事だったかどうかはわからないが、精神的なストレスがあったとしても、
有難いことに体力的なストレスはないアルバイトに出会っていたので、そこは
感謝するべきだろう。
私の世代では共働きよりも専業主婦に収まる人が多かったので、外で仕事をした経験のない人や、
アルバイトの経験のない人もいるが、どんなに家計が潤っていたとしても、ボランティアでもいいので、
社会と接する仕事を任される、それにきちんと結果で応える労働を経験することは考え方まで変わることだと思う。
だから、ひろゆき氏の記事に納得したのです。
最後に、彼の世代も、彼を生む社会の事情があったのだ。
下記引用
僕は、1976年生まれの「就職氷河期世代」だ。
この世代の特徴は、「自分の頭で考えることができる」ということだと思う。
僕らより上の世代は、バブル世代であり、時代を謳歌してきた。会社からも守られてきただろう。
彼らの世代が、いま、早期退職でリストラの嵐に巻き込まれている。僕の世代は時代が悪かったぶん、
考えることを余儀なくされ、おかげで能力が身についた。
できるだけ長期的な目線を持ち、「よりよい選択肢をとる」というクセがつくように、根っこの部分を書いた。
そしてこんな言葉も、
「僕は未知な部分をなくすことに喜びを感じる好奇心があるので、クソ仕事をやってよかったと心から思える。」
以上引用
日本の匿名掲示板として圧倒的な存在感を誇った「2ちゃんねる」や動画サイト「ニコニコ動画」などを手掛けてきて、
いまも英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人などを続ける、ひろゆき氏。
「底辺バイトをやっておこう」
バイトをしないまま新卒で企業に就職してしまうと、社会の部分を見ないまま終わってしまう。
世の中の大半の仕事は、高校生レベルでもできることが多いのにだ。
ホワイトカラーの仕事だって、高校生の学力でできる仕事ばかりなはずだ。
一度、自分の仕事について考えてみてほしい。
「これ、高校生でもできるんじゃない?」
そう自問自答してみよう。
同じ仕事でも、高卒か大卒かで給料が異なる。大卒で偉そうにやっている仕事でも、高校生にマニュアルを渡せばできることも多い。
机に座って簡単な事務仕事をしているだけなら、おそらく高校生にだってできる。
そうであるならば、この先、不景気が続いたら、真っ先に切られる仕事であることを覚悟するべきだ。
それに気づいているなら、「もっとレベルの高いことをやろう」と焦ったほうがいい。
もしくは、自分の今のポジションを守ることに全力になるべきかもしれない。
高校生が集まって回ってしまうような職場は、本当にクソ野郎ばっかりだった。
ただ、世の中の底辺レベルが見られてよかった。
これがもし、大卒の会社員として彼らを管理する立場から接点を持ったとしても意味がない。上司がいる前では、彼らはマジメにがんばっているフリをするからだ。
どうやって手を抜いて、どんなズルをしているかは、同じ立場で話してはくれない。
「こいつらダメだな」という状況をリアルに味わえるのは、たぶん学生時代だけだ。
この経験は、社会人になってしまうと体験しにくい。
僕の今の年齢で突然コンビニのバイトをはじめたとしても、高校生は仲間だと思ってくれないだろう。
僕は未知な部分をなくすことに喜びを感じる好奇心があるので、クソ仕事をやってよかったと心から思える。
まあ、それが一生続くと地獄ではあるのだが。
上記引用
この記事の一部抜粋になりますが、頷ける部分だったので投稿させてもらった。
私の場合は、社会人になってから勤務した会社はそれはそれで心構えも違ったように思うが、
アルバイトという身分で仕事をするのは学生だったかもしれないが興味深いことだった。
一例は、
実家の近くに突然できた小児科医院に、何の資格もないのに何かできるだろうと
「アルバイトさせて下さい。」
とお願いしてみた。
通勤時間が短いのが魅力以外の何ものでもなかった。
医院の方でも、身元がはっきりしているのですぐに受付から雇ってもらった。
勿論、夕方からの受付だったが、徐々に慣れてくると医師のお手伝いや、お薬の調合なども教えられて、
学校とは別の社会の一部みたいなものを見たことが勉強になった。
後に結婚して子供を持った時も、その医師の家族とも懇意にしていたので小児科の病気の際
には安心して診て頂いたような結果になった。
残念なことにその医師は今は亡き人になってしまわれたが。
アルバイトがいい経験になった一つです。
また別の例として、
学生時代だから春休み、夏休みなどの時期は学生のみのバイトもあった。
市内の大手書店で新学期の生徒用に売る教科書の販売も楽しかった。
期間限定のバイトには同じような学生が集まる。
だから仕事以外の、他校の学生たちと知り合うキッカケとなったことも、
友人の輪が広がると言う意味で一つの経験となった。
他にも、
ファミレスでバイトもしたし、洋服屋さんでもした。
単発のものならまだまだある。
ファミレスの中では、内部のヒエラルキーみたいなものがあることも知ったし、
洋服屋については、仕入れの取引先のメーカーに連れて行ってもらったり、
季節を先取りした展示会なるものがあることも知った。
アルバイト先のどの企業でも、開業医でも、どのようにして社会と繋がっているのか
、そしてそれぞれのトップがどんな人物なのか、どんな企業展開しているのか、
そして、そこの従業員たちはどんな働き方をしているのか等々、内側から見ることが
できたことが、大きな体験となった。
いろんな組織の中で時給分働くことがどんなことか体験することは、専業主婦となった後も
「夫が外で働く事の大変さ」を実感として捉えることができたし、また、どんな仕事をしている人に
対しても、一定の組織の中で頑張っている人達なのだと、労いの気持ちで見る姿勢が身に付いたと思っている。
その上、”社会は誰かの仕事で成り立っている”という基本の気持ちが育った元になっていると思う。
だから、どこででも、どんな仕事でも、目の前に働く人がいると感謝の気持ちになる。
ひろゆきさんの言う底辺の仕事だったかどうかはわからないが、精神的なストレスがあったとしても、
有難いことに体力的なストレスはないアルバイトに出会っていたので、そこは
感謝するべきだろう。
私の世代では共働きよりも専業主婦に収まる人が多かったので、外で仕事をした経験のない人や、
アルバイトの経験のない人もいるが、どんなに家計が潤っていたとしても、ボランティアでもいいので、
社会と接する仕事を任される、それにきちんと結果で応える労働を経験することは考え方まで変わることだと思う。
だから、ひろゆき氏の記事に納得したのです。
最後に、彼の世代も、彼を生む社会の事情があったのだ。
下記引用
僕は、1976年生まれの「就職氷河期世代」だ。
この世代の特徴は、「自分の頭で考えることができる」ということだと思う。
僕らより上の世代は、バブル世代であり、時代を謳歌してきた。会社からも守られてきただろう。
彼らの世代が、いま、早期退職でリストラの嵐に巻き込まれている。僕の世代は時代が悪かったぶん、
考えることを余儀なくされ、おかげで能力が身についた。
できるだけ長期的な目線を持ち、「よりよい選択肢をとる」というクセがつくように、根っこの部分を書いた。
そしてこんな言葉も、
「僕は未知な部分をなくすことに喜びを感じる好奇心があるので、クソ仕事をやってよかったと心から思える。」
以上引用
2021年04月11日
お布団の中でテレビを観るニャン。
公園で動けなくなっているところを動物保護団体に保護された1匹の猫。
まだ幼く、近くに兄弟猫がいるのではないかと職員が探したところ、ほかに2匹の子猫を発
見し、一緒に保護したといいます。
3匹のうち2匹は、その後、新たな家族のもとに引き取られたものの、1匹だけ残ってしまい
ました。
しかし、残された1匹にも無事に家族が見つかります。
という経緯を持った猫ちゃんだそうです。
あまりにも可愛かったのでお写真お借りしました。
このお布団、楽天で買えるようです。
飼い主さんの手作りかと思ってしまいました。
アイデア布団ですね。
でも、・・・・・小さな布団でも、一日中(万年床?)敷かれているのもちょっと片付かない感がありますね・・・。(〃艸〃)ムフッ
まだ幼く、近くに兄弟猫がいるのではないかと職員が探したところ、ほかに2匹の子猫を発
見し、一緒に保護したといいます。
3匹のうち2匹は、その後、新たな家族のもとに引き取られたものの、1匹だけ残ってしまい
ました。
しかし、残された1匹にも無事に家族が見つかります。
という経緯を持った猫ちゃんだそうです。
あまりにも可愛かったのでお写真お借りしました。
このお布団、楽天で買えるようです。
飼い主さんの手作りかと思ってしまいました。
アイデア布団ですね。
でも、・・・・・小さな布団でも、一日中(万年床?)敷かれているのもちょっと片付かない感がありますね・・・。(〃艸〃)ムフッ
2021年04月10日
花のハナミズキと、葉っぱのヤマボウシ。
3年前から悩んでいたハナミズキとヤマボウシの違い。(/ω\)
2018/04/23の記事。↓
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12370353055.html
その違いがはっきりしてからはご近所のハナミズキが咲き始めると、
「あっ、我が家のヤマボウシは?芽がでてるかな?」
と気になるようになった。
ハナミズキとヤマボウシの季節のようだ。
↓はご近所のハナミズキ。(写真失礼します。)
もう、花が咲き始めている。
今年は咲き始めから意識してます!( ´艸`)
(少しは学んでいる。)
この枝の方が花が開いている。
では、我が家の”ヤマボウシ”は?こんな感じ。
何故か、木の先端より根っこに近い所に葉がついている。
この状態から暫く経つと”花のハナミズキ”と”葉っぱのヤマボウシ”
が逆転するんだ。
そんな様子を見るのも楽しみになった。
よく学びました!( ´艸`)
2021年04月09日
貴婦人の言葉。
1999年に光文社から出た『日本の貴婦人』という本から引用された記事
を見つけたので、またまた記録します。
以下引用
インタビュアーの稲木紫織氏が上流階級の貴婦人に話を聞くという内容です。
(ちなみに白州正子さんにもインタビューしたかったけど、「私は貴婦人なんかじゃない」と断られた)
写真も掲載されてるけど皆さん上品です!
そしておうちの中もザ・上流階級という感じで素敵。
■東郷いせさん■
(外交官で終戦時の外相だった東郷茂徳の娘さん。ご主人も外交官)
(インタビュアー)
身近な人を大事にすることが基本だと。
(東郷さん)
そう思うんですの。外交もそうなんです。その延長に外交がある。まず身近な人と楽しくやってるうちに、
どの国でも、生活習慣などは違っても、人間て皆同じだということがわかってくるし、そうするとどこへ行ってもおもしろくなるんですよ。
■徳川喜和子さん■
(徳川慶喜の孫でコ川 厚男爵の娘。高松宮妃喜久子さまの従姉。
戸田豊太郎と結婚されたが、戸田と華頂華子が不倫をして離婚されて徳川家に戻ってこられた)
(徳川さん)
私、ある方から言われたんですけど、人間ってお金がなくてもディグニティ……誇りを持ちなさい、と。
それが頭についているんですね。ですから、確かにお金というものが必要ですし、あるにこしたことはないけど、
お金で誇りは買えない。
かといって、私はいつも言うんすけど、誇りを持つってこと……これは決していばるんじゃないんですね、絶対に。
いばるってことは大嫌いなんです、私。誇りというものは、怒鳴ったりいばったりすることじゃなくて、
心の中にあって自然にあふれ出るものなんじゃない?いばったり偉そうにしなくちゃ認めてもらえないようなのは、
本当の誇りじゃないと思いますね。
■酒井美意子さん■
(加賀百万石の前田侯爵家に生まれ、大老を出した酒井伯爵家に嫁がれた。皇女照宮さまのご学友)
(インタビュアー)
貴婦人教育の重要なポイントは何でしょうか
(酒井さん)
非常に大切なのは、人をねぎらうということ。
ものを頼んだりする時は丁寧にして絶対にいばったような横柄な感じにならないように……ということは両親も申しましたし、
イギリスにおりました時の家庭教師も言ったことなんです。
そして何かしてもらったらどんな些細なことでも、「どうもありがとう」「ご苦労様」とちゃんと言わなきゃいけない。
黙ってたらいばってるように見える、と。
それで西洋でも日本でもそうなんですけど、はっきり言っていわゆる成り上がり者の方を見分けるのはそこだっていうんです。
急に何かで成功して偉くおなりになった方は、やたらと横柄にいばる。
もう一目見ればわかるんでございます。態度をソフトに感じよくしなくちゃならない。古今東西、一致しておりますね。
■伊藤ローザさん■
(一宮藩主家の家長加納久朗子爵の子。伊藤栄吉(伊藤忠次郎家3代目)と結婚。
ボランティア活動の功績でエリザベス女王からC・B・E勲章を授与)
(伊藤さん)
やはり心と心の交わりが何より大切なものですから、お三時をお持ちするのでもお茶を一杯さしあげるのでも、心を込めてね。
お金だけあげればいいというのは、今の日本の国自体の考えもそうで、それで外国とのお付き合いの中で誤解もあるのだと思います。
自分のことをあんまり申しあげたくないのですが、それは神様が見てくださるだけで私は十分だと思うからなの。
私自身は、やっぱり人の幸せがいちばんの幸せでございます。自分だけがいい思いをいたしましても全然嬉しくないですね。
上記引用
現代社会は国民全て平等と言う時代です。
だから、今この「貴婦人」が何だって言われるかもしれない。
この方々は華族として生きられた家庭に育ったのでしょう。
本物のセレブですね。
そんな方達がどんな考え方をしていたのか、上に立つ特権階級として認められて
いた方々のインタビューは興味深いです。
しかし、出てくる言葉は、以下のようです。
「人をねぎらう。」
「ありがとう。」の感謝。
「威張らない。」
「身近な人を大事にする。」
「自分だけいい思いをしない。」
こんな言葉が出てきます。
私はこの言葉が実際に遣われていた様子を今上天皇の即位の令の際の10月に行われたパレードの終わりの時点で拝見することができた。
勿論TVで中継された映像を見ていた。
今上天皇・皇后ご夫妻が東宮御所に到着されて車から降りる前に、運転手の方に声を掛けている様子、
「運転ご苦労様(お疲れ様?)でした。ありがとう。」が見てとれた。
運転手さんがちょっと身体を捻って後部座席を向き、
「無事に着きましたこと、ありがとうございました。」
と、でも言っているようにお辞儀をしているのを拝見した。
その時、
「あっ、令和はいい時代になるな・・・。」
と一瞬で思えたのを覚えている。
あの情景はこちらまで温かい気持ちが伝わってきたのです。
周りの人々と共に生きていることを意識して育ってこられた方の
労わりの精神を見ることができました。
本物のセレブの女性はいつ何時でも自立して生きられるように、家事の一部始終を叩き込まれるのだそうです。
(曽野綾子さんの著書より)
本物とは何ぞや?
今世界中を本物なのか偽物なのか分からない人(多分似非)のニュース
が流れている。
こんな本を読んでみるのもいいのではないでしょうか。
「華族制度(公侯伯子男)はどうして生まれた?」
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2021/02/10/106705
明治時代は、大きく分けて華族・士族・平民となっており……今回は良くも悪くも特権を持っていた【華族制度(公侯伯子男)】。