2024年10月12日
私が私自身のために私が書いて私に伝える入門なのです
再改めまして「私の抽象芸術入門」について。。。
以前にも書きましたが、私の「抽象」の鑑賞ポイントは『感じる』です。
自分がどう感じたか、そこが重要なのです。
さて、
抽象芸術とサブタイトルで書いておきながら作品は写真ばっか載せてるなぁと舌打ち発言が聞こえてますね、きっと。
抽象度を伝えるのに言葉を使いますが、単語そのものは伝わる分かる必要がありそれ自体具体的な言葉です。それを抽象的に捉えたり、認識理解よりも感じることで抽象的に作品を感じ得るのかなと個人的に思っています。作品を見て何かメッセージ性を感じたりつまり報道写真のように何を撮りたかったのか多方認知可能なもの、美であったりエロスであったり受け取る側でも対象や目的が一般的に認識可能なもの、技術的にも評価の対象となるもの、商業写真のような、であれば、抽象度は低く鑑賞可能な一般的作品と言えて安心して観ることはできますが、私の撮って写真は、確かに何を撮ったかは分かりますが何故それを撮ったのかが不可解に思えることでしょう。それは抽象絵画を観て理解しようとする時に起きる混乱と似ています。なので私の写真は実は抽象的な写真とも言えるわけです。これはあくまで私個人的な解釈で研究者や先生の発言ではありません。
タイトルに入門とありますが、私が私自身のために私が書いて私に伝える入門なのです。自身の考えを書き残しそれを読み返し自ら再発見したり学んだり気付きが得られるためのものです。この書込みの内容に興味のある方のみお読みください。
まぁ、興味無い人はそもそも読まないから、気にしなくていいかぁ。
話を戻します。
私の写真は作品として、観て感じる要素が大きいため、抽象度は高いと思っています。
つまり、自分でこれを引っくるめて抽象芸術と呼んでいます。だから私の写真も抽象的何です(意味的にね)
書くことは得意ではありません。ただ自分の考え想いを記録、整理の為に、振り返って自身の理解のために書いているに過ぎません。読み辛いところは御了承下さい。