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2016年10月13日

栃木県鹿沼市で、毎年実施されている『鹿沼ぶっつけ秋祭り』に行ってきました!!



先日の土日に、地元の鹿沼市で『ぶっつけ秋祭り』が開催されたので、その由来について書いてみよう!


秋祭りは正式には、市内にある今宮神社の例大祭である。



戦国の世が続き、一時荒廃していた鹿沼宿は、慶長13年(1608年)3月、今宮神社の再建を期に復興が始まりました。

この年は日照りが続き大旱魃の気候となりましたので、氏子や近郷の人々が今宮神社に集まり雨乞いの祭りを三日三晩続けたところ、霊験あらたかに激しい雷雨がおこりました。

この霊験を敬い雨のあがった6月19日(旧暦)を宵祭り、翌20日を例祭とすることになったのが、今宮の祭りの始まりと伝承されているのである。

付け祭りの内容は、最初は簡単な「踊り屋台」で各町内が踊りと狂言を競い合い奉納したものである。

その後、文政の改革(1827年)天保の改革(1841年)にて、華美な風俗が禁止されると、各町内は競って屋台を全面彫刻で飾るようになってきたのである。

江戸末期には、今宮付け祭りの主流は彫刻屋台に移行し、祭りの見せ場は今宮神社への屋台の繰り込みと繰り出しとなりました。

神輿巡幸は、明治15年(1882年)に旧来の諸行事執行を時世に合わせて手直しを加え、今宮祭議定書を制定し現在の形が出来上がりました。

鹿沼の庶民階級の素晴らしいエネルギーを現在に伝え、古習を伝承した最高の祭りと言えるであろう。

この行事は華麗な彫刻を施した囃し屋台が巡行するもので、風流の屋台行事の一つの展開型を示しており、全国的な比較の観点からも貴重な行事であるとして、平成15年2月20日に国の重要無形民族文化財に指定されているのである。


現在の今宮神社氏子町内には27台の屋台があり、そのうち13台は江戸時代に造られた彫刻屋台である。


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構造は単層館型で四つ車、屋根は唐破風つき。彫り物は、富田宿(大平町)の彫師集団の磯辺氏らの手によるもので、日光五重の塔(再建)の彫物方棟梁をつとめた後藤正秀のような名工もいたのである。

白木造りのものと黒漆塗彩色のものに分けられ、現在の形をとるようになったのは19世紀初めごろと思われるのである。

明治以降も屋台は造られ、木工の街鹿沼のシンボルとして、屋台と祭りはこれからも発展していくことであろう。

(以上、秋祭りパンフレットより抜粋して書き込みました)



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