2024年03月19日
「特別期間」の危機に立ち向かった1994年の経験
特別期間のもっとも厳しい数年間の危機に立ち向かった経験は、適用される一連の対策の統合性の重要さを明らかにした
Granma、2024年3月19日、José Luis Rodríguez(元キューバ経済相、現世界経済研究センター顧問)
今年2024年は、1993年から1994年にかけて記録された「特別期間」のもっとも深刻な影響を逆転させ始めることになる一連の対策の適用から30周年を迎える。
この危機に立ち向かうための本質的対策に関する根本的思想は、1993年7月26日にフィデル・カストロ最高司令官によってなされた演説のなかで述べられ、この期間の経済政策を特徴づけるものとなった。
この演説では、1993年にわずか428万トンにしか満たなかった砂糖生産量の減少によって、国がいかにして4億5千万米ドルを受け取れなかったかが指摘された。
さらには、ニッケル、エビ、ロブスターの輸出価格がどこまで減少したか、また直面していた外貨の深刻な不足についての分析があった。
これらに加えて、3月には、「世紀の暴風雨」と呼ばれた影響によって、10億米ドルを超える損失が生まれていた。
これらすべてが、国の指導部がしっかり計画を練り、すぐに、一連の大胆な対策を適用する必要性を訴えた。
この一連の決定は、海外からの送金受け入れを含む国内での外貨所有と使用の合法化、および、外貨回収店舗(TRD)のシステムを通じての商業的な外貨獲得に道を開き、同時に、海外居住のキューバ人によるキューバ訪問について許可が拡大された。
同じく、海外からの投資を拡大し、国民の手元にある過剰な流動資産の減少に向けた措置を適用する必要性について報告された。
回復を進め、できるだけ少ない社会的費用で危機の衝撃をもちこたえるための経済戦略が、このようにして始まり、同時に、これらに不可欠な政治的コンセンサスを備えながら、キューバ経済を新たな環境に復帰させるための措置が講じられた。
しかしながら、とられた対策の状況においては、その重要性や緊急性から、国内の財政的安定性にブレーキをかける必要性が際立ち、それはインフレーション率に反映され、1993年には推定で最高183%にまで至り、通貨の廃止や経済活動全体の無秩序の方向にまで進む恐れがあった。
この状況は、1993年12月28日、人民権力全国議会の第二回総会で詳細に検討され、国内の危機的財政状況と、これを全国民と議論する必要性が評価された。
適用されるべき対策に関するこの大規模な議論は、1980年代末から低開発諸国で大規模に適用されてきた新自由主義の計画とは本質的な相違を示し、資本主義の処方箋とは対照的に、わが祖国における社会主義的民主主義に真の中身を与えた。
こうして1994年の1月から3月にかけて、通称労働者の国会が展開され、労働者だけでなく、農民や学生、一般的に、わが国のあらゆる大衆組織のメンバーも参加し、経済をテーマとする自由で公開された議論がおこなわれた。
この議論においては、全県におよぶ会合のなかで、53万件以上の提案が記録された。その中から、国民の多数の理解と支持が得られたものが選ばれ、それらは、1994年5月1日と2日に人民権力全国議会の臨時総会で発表された対策をデザインするために役立った。
この国会では、反インフレプログラムが承認され、これは国内財政健全プログラムと名付けられたが、体系的に、企業の損失のための補助金やその他の予算を減らし、国庫収入を増やし、貯蓄の安定性を達成し、国内の外貨流通を統制し、戦略的生産で働いている労働者向けに外貨でのインセンティブの仕組みを導入し、選択された生産物とサービスの料金・価格の上昇を随時評価し決定し、新たな課税制度を徐々に採用し、通貨両替の利便性を検討し、適用した対策が短期的に期待した結果を生まない場合は、国内財政の健全化に向けて考慮されたほかの対策を適用する権限を政府に与えた。
料金・価格の高騰と新たな課税をまねいたこれらの措置の特筆すべきところは、特別期間のもっとも苦しい年のなかでの厳しい対策であったにもかかわらず、その適用に向けて必要なコンセンサスを持つことを可能とした政治的支持プロセスがあったことである。
さらに、1994年には、「中央国家行政機関」の予算合理化が適用され、省庁の数を50から30に削減し、1995年から1996年にかけては企業再編成プロセスも実行に移され、これが漸次の再編成を可能とし、影響を受けた労働者には失業保険が用意され、その影響を軽減させた。
そのとき以降に適用され、不可欠な経済再生の促進を完成させたもっとも重要な対策のなかで、大きな重要性を持つ決定としては、1994年夏の法令第73号の承認による新たな税制の実行であり、1994年12月のキューバ兌換ペソ(CUC)と1995年10月の両替所(カデカ)の創設であり、1995年9月の法令第77号により外国からの投資に適合した法的枠組みを用意したこと、1997年の政令第172号と173号により国内の銀行システムを再構築したこと、1998年の政令第187号で経営の改善過程を実行したこと、などがあげられる。
特別期間のもっとも厳しい数年間の危機に立ち向かった経験は、適用される一連の対策の統合性の重要さを明らかにした。
それは、まず第一に、インフレ対策をおこない、続けてもっとも重要な生産物へのインセンティブ、CUCの創設による経済の一部ドル化の整備をし、最後にカデカの創設によって国民の手元にあるさまざまな通貨の流通をつなぎ管理した。
わが国の経済の困難な状況に立ち向かっている今、1990年代になされたことの研究と批評的評価は、間違いなく、現在にとってすぐれた有効性を持っている。
カデカの創設は国民の手元にあるさまざまな通貨の流通をつなぎ管理するのに貢献した
La experiencia de 1994 en el enfrentamiento a la crisis del Periodo especial
https://www.granma.cu/economia-con-tinta/2024-03-19/la-experiencia-de-1994-en-el-enfrentamiento-a-la-crisis-del-periodo-especial-19-03-2024-00-03-05
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